2017年7月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

藤田英輔

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「山谷 ヤマの男」 多田裕美子 筑摩書房

 

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房子さんは私の師匠である。そして「ともだち」でもある。
仕事帰りに顔を見に行った時のことだったか、それとも何かの作り方を教えてもらった時のことだったか、私のことを「あんたぁは、私のともだちやきねえ」と肩をばしばしたたいて言ってくれた時は心の底からうれしかった。
今までにいくつもの季節の手仕事を教えてもらった。「教えてください」とお願いすると「いつでもえいよ。あんたぁの好きな時においで」と言ってくれる。
干し大根、干し芋、梅干し、イタドリの保存の仕方、たけのこのゆで方、藁ない(わらない)、お正月のしめ縄作り…。いつもその季節のやるべきことをひとつひとつ積み重ねている房子さんの姿は、いつも大切な何かを、忘れてはいけないだろう何かを思い出させてくれる。

夕方家にいくと、房子さんが今日どんな仕事をしたのかがわかる。
冬には軒下に大根が干されていたり、えびらにきれいに並べられた干し芋が太陽の光をあびていたり…。
春には外のかまどでたけのこをゆでる香りがしてきたり、ぜんまいがむしろの上に干されていたり…。
その風景は季節によってさまざまで本当に美しい。
四季があるということは素晴らしいことだとますます思えるようになったのは、房子さんの暮らしを近くで見て学んだことが大きい。

房子さんの手は魔法のように、わらを役立つ暮らしの道具に変える。
「手に勝る道具なし」という言葉があるが、房子さんの手を見ていたらその言葉の意味がよくわかる。
ある時は大根を干すための縄、干し柿を干すための縄、お正月のしめ縄やわらじ…。
お米を収穫した後のわらがこんな美しいものに生まれかわるなんて、本当にびっくりした。

しゃっ

しゃっ

しゃっ

両方の手のひらでわらをこすり合わせるように、親指の付け根にぐっと力も入れながら、手で包み込むように上へ上へ、と綯って(なって)いく。

しゃっ

しゃっ

しゃっ

房子さんがわらを綯う姿を見ていたら、房子さんがこどもの頃、お母さんの隣に座って同じようにしていただろう姿や、今までずっとこのことをやり続けてきた房子さんの今までの歴史が見えるような気持ちがする。静かでありながら力強い。積み重ねてきたことはきっと、ひとつの強さでもあるのだ。

毎年冬が近づいて来ると一緒に藁ないをする。私は房子さんの足元にも及ばない。でも房子さんはいつも「あんたぁも、なかなか上手になってきたねえ。」とほめてくれる。

 

いつも私は房子さんの手をじっと見る。房子さんの手のこの在りかたを、ずっと忘れないように。
いつでもこれからも、その手の動きが心のなかで描けるように。

 

山で採ってきたたけのこを、かまどで「ごんごん炊く」。その言い方も教えてもらった。たけのこを茹でる時には米ぬかを入れるのだが、米ぬかはさらしで作った小さな袋に入れて茹でたら後で洗う時に楽、ということも教えてもらった。ゆでたたけのこは干したり塩漬けにしたり、一年中食べられるように保存する。そのやり方も教わった。

 

すえ娘が生まれる前、私は大きなお腹をかかえて房子さんのところへよく遊びに行き、たわいのないおしゃべりをしながらその時の季節の仕事を教えてもらった。

もうすぐ生まれるという頃、帰り際に房子さんが「無事にうまれるように、毎日こうやって祈りよります。」とちょっとおどけて言った時はふたりで笑い、そんな風に笑い合えることが本当にうれしかった。

 

房子さんにもお子さんがいる。
お子さんがまだ赤ちゃんだった頃、家に赤ちゃんをひとり置いて山へ仕事に行かなければならなかったことがとても辛かったのだそうだ。
「お昼に家に帰ってくると、寝かせていたはずの赤ちゃんは泣いて泣いて布団から出てしまっていて、足が冷たくなっていて…近所の人が布団をかけ直したりしてくれていた」と何度も何度も繰り返して房子さんは話した。房子さんがそのことを話すたびに涙ぐんでいる姿は、胸がつまった。

「あんた、きっと毎日忙しくて大変だと思うけんど、でもね、今がいちばんいいときよ」房子さんが話してくれた時があった。
それは、すえ娘が生まれて少したった頃だったと思う。
私は娘が生まれる直前まで仕事をしていて、仕事がとても好きだった。
家でゆっくり過ごすことは憧れでもあって、したいことでもあったけれど、でも実際はなんだか取り残されてしまったような気持ちもして、毎日こどもだけと向き合う日々はなかなかしんどいものがあった。
そう房子さんに言われた時、本当かな…と思った。わかるような気もした。
でも、やっぱりため息をつきたくなる時も、どうしていいかわからなくなる時もあって、そんな時は房子さんが言ってくれた言葉を思い出す。

「今がいちばんいいときよ」。

もっと時間がたって「今」を振り返る時が来たら、こどもが幼い時はほんの一時だったのだ、という真実をしみじみと感じるのだろう。それは想像できるし本当にそうなんだと思う。
房子さんがこどもたちの名前を呼ぶ声やこどもたちを見つめる眼差しは、いつも私を初心に帰らせてくれる。

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私の一冊

近藤泰之

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「いいからいいから」  長谷川義史 絵本館

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