2017年8月

「キネマ土佐町」は、2016年8月末から土佐町に住み始めた写真家の石川拓也が作る土佐町PR映像です。

秋バージョンから始まり、冬・春・夏と4編でひとつの映像集となる予定。(2017年6月現在、春編を作成中)

四季が一周したときに、美しい土佐町の暮らしをお伝えできると思っています。

❖ mp4データのダウンロードはこちら

キネマ土佐町

[動画] キネマ土佐町・春

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撮影・編集: 石川拓也 音楽:Stringspace String Quartet

「キネマ土佐町・春」

を公開します。

キネマ土佐町は写真家の石川拓也が作る土佐町の季節の動画。

秋編から始まり冬編、そして春編まで完成しました。(2017年8月現在・夏編を製作中)

 

冬編から一転、たくさんの命が芽吹く様子を見ていただけると思います。

こういうことを春の季語で

山笑う

と表現するらしいですね。

音楽はオーストラリアの弦楽グループ、”Stringspace String Quartet“。

曲はおそらく多くの方が聞いたことのあるあの曲です。

 

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鹿の角でダーツの旅をするイメージ図
(仮)鹿の角商会

暇を持てあました鹿々の遊び

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うるうるやぁいやぁいよ~ぷいぇ~♪

 

うるうるやぁいやぁいよ~ぷいぇ~♪

 

 

 

とにもかくにも、前回つくっ(てもらっ)た鹿角USBの試作品がコレだぁ!

鹿の角USBの試作品

サイズは適当、感じは重要!

 

いろんな形の、鹿の角USB

いろんな種類(のイメージ)

 

鹿の角にUSBを埋めこんでいく作業をちゃんと書こうと思っていたけれど、
ちゃんとしようとすればするほど、なんだか勝手に疲れてきちゃったので、
結果の写真を貼り逃げ。

 

鹿の角USB報告会。

 

つくった試作品の数々を、プロカメラマンの石川さんに見せる。

 

鹿の角USBの試作品を見せる

撮り慣れてるけど、撮られ慣れてない人

 

「いいね」「いいねっ」「いいねー」「これいい!」………エンドレス。

 

こんな中身がない、試作品をいじくりまわして、ただただ爆笑する報告会なんて初めてだなーなんて思いながら、
あっ、ただ遊んでるだけだった!と我にかえる。

 

 

こんなふうに鹿の角で遊んでいると、すぐに足らなくなる。

最初にもらった鹿の角は2本と半分

最初にもらったのは2本半

 

 

どこかに鹿の角ないやろか?ってことで、このあと【鹿の角をください】という態度を全面に押し出しながら、
しばらく生活してみることに。

 

後日。

さすがはプロカメラマン。
撮りたい写真のために普段からアンテナをはり慣れているのか【どこどこの◯◯さんが大量に持ってるらしい】という情報を、
さっそく掴んできた。

 

ぼくには【よく田んぼに落ちてるよ】っていう、なんとも言えない情報しか入ってこなかった。

 

 

あの郵便局まで、いってらっしゃい!

 

ぼくは基本的に暇だ。石川さんも根本的に(フットワークが軽くないとできないお仕事なので)暇だと思ってる。

 

ブゥーー。ブゥー。携帯のバイブがなる。

『もしもーし』

「あっ、今なにしてる?」

『暇してるよー』

「いいねー、なら今から鹿の角もらいに行ってみよう」

『オッケー!!』

 

暇LOVE暇

 

暇を持て余すことに最高の価値を感じているあたり、たぶん世間的には最低で、個人的には最高の人生だなと思う。

 

鹿の角でダーツの旅をするイメージ図

ダーツの旅みたいなやつ。

 

うるうるやぁいやぁいよ~ぷいぇ~♪

 

うるうるやぁいやぁいよ~ぷいぇ~♪

 

鹿の角を大量にもっているという人を訪ねて

『第一村人発見!』とかはしゃいだのは、言うまでもない

 

鹿の角を大量に持っている人は【この辺りで目印は郵便局】という、だいぶフワッとした情報なので、
所ジョージのTV番組【笑ってコラえて!】に染まりまくってるぼく(ら)は第一村人に聞こうと思ったんだけど、

後ろから車が来ていることに気づきつつ(振り返って目があったからね!)それでもしばらく道のど真ん中を歩き続けるこのおじいちゃんの強者っぷりにビビって聞けなかった。

 

 

 

それからしばらく車を走らせると、

『あっ、これちゃう!?』となり、

『覗いてみよう!』となり、

『キャッフー♪』となった。

 

鹿の角を大量に持っている方のお宅を発見した

キャッフー♪

 

めっちゃあるやん!壁にめっちゃ掛かってるやん!何頭分?何頭分なん!?

とかやってるこの時、このお宅のご主人からすれば、
【かってにやってきた見知らぬ男ふたりが、テンション高げに騒いでいる】という、
非常に怪しい状態なので、さっそく挨拶をしに行くことに。

 

こんにちわー!と言いながら玄関を探したんだけどわからず、
ズケズケと庭先に入っていき、窓ごしに『こんにちわー!ぼくたち鹿の角で〜』とこちらの都合を一方的に話した上で
『車庫の鹿の角、見せてください!』と無粋なお願いをしたにも関わらず、
「ええで!」と案内してくださる山下さん、神かよ。

鹿の角をもらう

鹿の角の説明を、聞いていないようにみえて聞いている。

 

「この鹿は大きいてなー」

『あのー』

 

「こっちの角はなー」

『もしー』

 

「ほんでこっちの角のこの色はなー」

『いらない角があればー』

 

「この鹿の角なんてそりゃーもうー」

『ください!』

 

「ええで!」

『ありがとうございます!』

 

それぞれは全くバラバラなこと話しているんだけど、全体的に見たら同じ会話をしていて、
それが急にギュンっ!って繋がるときのあの感じ、なんて言ったらええねやろ。

 

「これやるわ!」

『(1本…)他にもあります?』

 

「んーこれもやるわ!」

『(2本…)もう一声!』

 

「ほなこれとこれと!」

(くれるペースが早くなっていく)

『もっともっとー!』

 

鹿の角を大量にもらう

大 量 に も ら っ た 。

 

ぼくはただ、楽しく遊びたいだけ。

 

この記事を書くにあたって、余計な気を使ってしまった。

今回、鹿の角をくださったのは、本山町の汗見川に住んでらっしゃる【山下文一】さん。

【とさちょうものがたり】で本山町の方の話を書くのはどうなのか?なんてことが頭によぎって筆が進まなかった。

 

だけどよくよく考えてみれば、ぼくは【土佐町】ってものにこだわりなんか全然なくて、
好きなところは好きだし、嫌いなところは嫌いだし。

そうやって好きなところに住んでたらそれが土佐町だっただけの話で、
そこには【町】の違いなんてどうでもいい。

 

【あるひとつの視点】から見れば、たぶん【町】の違いは大きな違いなのかもしれないけれど、
そんなことはぼくには関係ないし、頼まれてもいないのにかってに気を使って、かってに自分を縛ってたらバカみたい。

 

ってことでこれからも、余計な気は使わないでいこうと思います!

 

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土佐町の人々

お山のお母さん 3

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計美さんのお家に行くと、すがすがしいような、晴れやかな気持ちになるのはなぜなんだろう。

それは多分、「1年間」という時間のなかにあるめぐりめぐっていく季節が計美さんの心の中に描かれていて、目の前のこと、少し先のこと、さらに先のやるべきことをいつも考えているからかもしれない。いってみればいつも目の前のことに真摯に向き合いながら、同時に未来も見ているのだ。

季節のしごとは、その季節のその時にしかできない。そのしごとを始める前の見通しと準備と心構えがとても重要だ。目の前のことだけをみているのでは、いつも遅れをとってしまう。
種をまく前には畑に畝を作っておかなければならないし、畝を作る前には草を刈ったり畑の土作りも必要。土に種をおろすための準備はずいぶん前から行わなければならない。
育てる作物の1年間の見通しを持ち、時にはお天気とにらめっこしながら、こつこつと着実に準備をしていくのだ。計美さんの頭の中には多分、1年間用、春夏秋冬用、ここ1ヶ月用、ここ1週間用などの「期間別段取り表」が描かれているにちがいない。

 

5年前に初めて出会ってから、計美さんの存在に何度も助けてもらってきた。
一緒にしごとをしながらたわいない話をするなかで、何だかもやもやしていた気持ちがいつのまにか晴れ、また違った目でものごとを見つめることができるようになったことは1回や2回じゃない。

12月のある日、麹づくりを手伝いに行った。

計美さんは昔ながらの麹づくりをしている。麹づくりでは温度管理が重要だ。
土佐町では、電気を使い自動で温度管理をする「麹室」と呼ばれる機械を各地域の集会所で持っているところも多い。その時期が来ると地域ごとにその機械で麹を作り味噌を作る。

計美さんは綿の布団とホットカーペット、ストーブで温度管理をする。自分の感覚と経験が頼り。機械に頼らないで「自分の感覚」を身につけたいとずっと思ってきたから、この日を楽しみにしていた。

 

かまどの焚き口には杉の枝が長いままくべられている。杉の木は豊喜さんが山から切ってきたものだ。

 

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、

ぱんっ、ぱんっ、

木がはぜる音がする。

お米を蒸している木のせいろからは湯気があがり続けていて、その周りだけ霧がたちこめているように見える。その間も計美さんはせっせと体を動かして、あっちの仕事、こっちの仕事をしている。

お米を蒸している間、お昼ごはんのおかずのぜんまいをごま油で炒めて味付けし、弱火でことこと炒め煮している。その間にかまどの火の様子を見に来たと思ったら、次はおもちつき機の手入れを始めた。それが終わったら次は白菜の漬物を作り始めた。計美さんのお漬物は絶品。私はこれだけでごはんを何杯でもおかわりできる。

そして時間をちらりと見て「次は何分後に蒸しあがるきね」と教えてくれる。
立ち止まったり、座ってぼんやりなんてしていない。

「鳥山さーん!ちょっと来て」と呼ばれて、かまどへ急ぐ。計美さんはせいろの蓋を開けて、湯気があがっているお米を手にのせて見せてくれた。

「お米が蒸しがった時は、人差し指と親指でこうやってお米がつぶれだした頃が目安なんよ。ひねりもちっていうんよ。」

 

手に取ると、お米一粒一粒がぴかぴかしていて、指と指の間でむちっとつぶれる。これが目安。心にその感覚を刻む。
計美さんは「ちょうどいい」感覚を私に伝えようとしてくれている。

以前から計美さんは、自分が身につけてきた技術と知恵を若い人に伝えたいと思っていると言っていた。今この瞬間がその時なんだと思うと、背筋がぴんと伸びるような気持ちがする。

 

「うん、そろそろえいね」。 

いよいよ蒸しあがりだ。

よいしょ!とかまどからせいろを持ち上げると、せいろの下のお湯から勢いよく湯気があがる。せいろはずっしりと重い。
友人がせいろを持ち上げて運び、私もそのあとに続いた。お米が通った廊下は、お米からあがる湯気でくもり、思わず深呼吸するくらいほかほかしたよい香りがする。

麹をつくる畳の部屋にはじゅうたんがひかれ、その上にビニールがぴんと一面にはられている。さらにその上に、計美さんが縫った麹づくり用の白い布を6畳の部屋いっぱいに広げ、せいろをゆっくり、そっと、置く。

そしてせいろを斜めにし、蒸したお米を慎重にひっくり返し、布の上におろす。

よいしょ!

その湯気で部屋中が一気に白くなる。

 

もわもわもわもわもわもわ…。

うっとりするくらいいい香り。

蒸し布にくっついているお米を、一粒ひとつぶ丁寧に取る。蒸しあがったお米からあがる湯気はもわんもわんとしていて、向かい合う計美さんの顔がぼんやりと見える。

ああ、こういう風景を私はずっと見たかったんだ。

 

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私の一冊

藤田純子

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「坂本龍馬が超おもしろくなる本」 龍馬と幕末を愛する会 (編集) 扶桑社

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笹のいえ

あめかぜ

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集落で夕方前のBBQ。

無風で蒸し暑かったこの日。

「ぬくいねえ」と話していた矢先、涼しい風が木々の枝を震わせながらザッと通り過ぎた。

男衆数名が空を見上げ、ひとりが「あめかぜだ」と言った。

あめかぜは、雨を運んで来る風。

その風に乗って、動きの早い雨雲が青空を覆いはじめてる。

これから雨になるかも。いや、この風ならもっと下(しも)の方だろう。と口々に話す。

地域のひとと付き合っていて感心するのは、
例えば風雲の動きや花の咲く時期、生き物たちが出すちょっとした音などに対して、
彼らが自然にしかも素早く反応していることだ。

たくさんの恵みを与えるが、読み間違えると命を落とす危険も潜む自然と寄り添う暮らし。
生き抜く知恵が、代々積み重ねられた経験と共にいまを生きる人たちの中に集積されている。

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私の一冊

矢野信子

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「しろいうさぎとくろいうさぎ」 ガース・ウイリアムズ(ぶん・え) まつおかきょうこ(やく) 福音館書店

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南川百万遍祭りの動画です。

「南川百万遍祭」は土佐町の南川(みながわ)、大谷寺という場所で年に一回開催されるお祭りです。

 

「奇祭」

の呼び声高いこの南川百万遍、今年は7月23日(日)に行われました。

延々と数珠を持って歩く男たち(境内は女人禁制)、土佐町の地酒「桂月」を飲み、飲み、また飲んで…。

見物人ではない、当事者目線でぜひ最後までご覧ください!

 

しわい【吝い】 土佐弁  ❶しつこい ❷やんちゃな、乱暴な、手荒な [例①]「まっことしわい(本当にしつこい)」 [例②] 「しわいのー!」(動画の最後5秒を参照のこと)

 

この祭りの背景などに興味ある方は以下もご覧ください!

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満身創痍。

足の裏にはジンジンと痛みがはしり、腰、太もも、ふくらはぎの筋肉は悲鳴をあげる。

両腕のいたるところに青紫のアザが浮かびあがり、右肩には鈍い痛みが残る。

7月23日(日)。

土佐町の南川(みながわ)地区にある大谷寺の舞堂。

数百年の歴史を刻む南川百万遍祭が行われ、20人余りの男衆が激しく躍動した。

祭りを終えた後に身体中を駆け巡る痛みが、南川百万遍祭の激しさを物語る。
南川地区は土佐町の北部、山深い場所にある。標高は約500m。
七尾、中村、川井、川奈路の4つの集落に、30人ほどが住む。

地区長は言う。

「ここは、中山間地域らぁて、生やさしいもんじゃない。山岳地域ぞ。」

 

そんな山奥で、数百年もの間、南川百万遍祭は受け継がれてきた。奇跡に近い。

南川百万遍祭は町の無形民俗文化財に指定されている。

五穀豊穣、無病息災、家内安全など、さまざまな願いを込めた祈祷行事である。

 

南川百万遍祭の舞台となるのが、この舞堂。

土佐町の有形民俗文化財に指定されている。
舞堂を初めて見た時、佇まいの美しさと、建物に宿る静寂さに心奪われた。

舞堂の前に立てば、静けさが語りかけてくる。「ただ、ここにある」という存在感。過去と現在と未来はひとつの線でつながっている。

柱や床の材はずいぶん古い。作られた当時のままのものか。屋根は萱葺で作られている。今では萱葺の管理の困難さからトタンで覆っている状態だが、堂に入って上を見上げれば、萱が見える。

これまで、いったい何人の人々がこの舞堂の舞台の上で舞ってきたことだろう。

床は数百年分の汗や血や酒を吸っている。

 

いつから南川百万遍祭が始まったのか、その起源はよくわかっていない。

書物が残っておらず、伝聞で語りつがれてきたのだ。

1331年、京都で疫病が流行った。後醍醐天皇の勅により、知恩寺で善阿上人が「南無阿弥陀仏」の念仏を7日間唱え続け、疫病を治めた。その時唱えた念仏の数が百万回だったため、知恩寺は百万遍の寺号を賜った。

百万遍信仰は日本各地で盛んになり、南川にもなんらかの経緯で伝わってきたがやろう、と地区長は言う。
南川百万遍祭は、毎年夏の土用入り後の最初の日曜日に行われる。

祭りの当日深夜0時。真っ暗な中に電灯の明かりがついた舞堂に、地域の方たちが三々五々集まってくる。四方山話をしながら、酒を飲みながら、藁で縄を綯う。

 

 

綯うのは、いわゆる、しめ縄。神事の場に、不浄なものが侵入しないように、侵入を禁ずる印として張る縄。しめ縄は、七五三縄とも書く。縄の途中で、藁の先を7本、5本、3本と垂らすことに由来する。

2時をまわる頃、みなで綯ったしめ縄を舞堂の柱をぐるりと囲むように張り巡らす。

さらに、舞堂から2~3mほど離れた位置にも笹を立てて、しめ縄でぐるりと囲む。

しめ縄には、シキミの葉を挟む。これが結界となるわけだ。結界より中に女性は入れない。南川百万遍祭は女人禁制の祭りなのだ。

3時。祭りで打ち鳴らす締太鼓の準備が始まる。径1mはある。太鼓の周囲に太い紐が巻かれてあり、その紐を順番に締めていく。太鼓の皮にはかつてカモシカが使われていたが、今はヤギの皮を使う。丹念に丹念に紐を締めていく。ずっとそうしてきたのだ。

 

4時を過ぎたころ、「そろそろやるかね」地区長がふらりと立ち上がり、おもむろに締太鼓を打ち始める。

朝繰り(あさぐり)の始まりだ。

右手の撥はタンタンタン。そのあとに左手の撥でトン。これが百万遍祭のリズムであり、「南無阿弥陀仏」の念仏の代わりとなる。

そしてここからが南川百万遍祭のおもしろいところ。全国的によく見られるのは、人が車座で数珠を手繰りしてまわすやり方。

南川百万遍祭は、人が数珠を肩に担いで、人がまわるのだ。

非常に珍しく、おそらく他に例を見ない。

 

数珠は、直径5~6cm・長さ15㎝ほどに切ったタラの木(中が空洞になっている)に数珠縄を通して、いくつもつなげたもの。40メートルもの長さになる。数珠の元にあるのは古くからの数珠を巻きつけて40cmほどの球状にしたもの。

「フソ」または「ダツマ」と言って、数珠の親玉になる。フソは決して床や地面につけてはいけない。重さ10kg以上あるフソは、その重さから背に負うようにして巡るので、フソを背負う者を大黒さんというらしい。

まだ暗い境内に朝繰りの太鼓の音が響く。男衆10人ほどが、数珠を担ぎ、無言のまま、みな同じペースで舞堂をしずしずと歩いていく。

そのうち、太鼓のリズムは徐々に徐々に調子を上げていく。男衆の歩みは少しずつ乱れてくる。舞堂の外に傾く者、内に傾く者、踏みとどまろうとする者、先に先に進む者。

 

 

明け方の静けさと暗闇の中に太鼓の音が響く中、数珠を肩に担ぎ、舞堂をまわっている。太鼓の音は南無阿弥陀仏を唱えている。

己の心がすーっと静まり、世俗的な念がおよそ入る余地がない心の状態となる。

とらわれているものからふっと解放されるような感覚。

日常では決して体験できない精神世界がそこにあった。

気づくと太鼓の音が再びゆったりとしたリズムとなり、最後は、ダーン、ダーン、ダーン、ダーンと大きく長く太鼓を打つ。

数珠を柱の貫にかけて朝繰りは終わる。

その途端、ヒグラシがいっせいに鳴き始めた。木々の向こうに白みかけた空が見える。こんな美しい景色があるのか。時計を見ると5時になろうとしていた。みな、いったん、家に帰る。

 

 

朝繰りは南川百万遍祭の前半。後半は本繰りと呼ばれ、13時から始まる。

例年、多くの方が南川百万遍祭を見にこられる。県外から来るカメラマンもおられた。遠方にいる南川出身の方も帰ってきたりして、年に1度、舞堂には賑わいが生まれる。

昼頃から、南川のおかあさん達が、焼きイカ、ちらし寿司、海苔巻き、いなり寿司や、おそうめんや、ビール、ソフトドリンク、百万遍味噌などを販売し始める。

舞堂の隣にある大谷寺の小さなお堂ではお坊さんがお経を唱える。本繰りに参加する男衆は衣装に着替える。

13時。ダーン、ダーン、ダーン、ダーン、、、 太鼓が打ち鳴らされ、本繰りは始まる。

 

 

朝繰りと同じく、男衆は数珠を肩に担ぎ、最初はゆっくりとした歩みで舞堂をまわり始める。舞手にはわからない程度に、太鼓の音は少しずつ少しずつペースを上げていく。

タンタンタン、トン、タンタンタン、トン、タンタンタン、トン、、、少しずつ、男衆の列が乱れ始める。ただ大きく乱れることはなく、約30~40分で1回目の数珠繰りを終える。

 

男衆は舞堂にどっかりと腰をおろすと、湯飲み茶碗に並々と酒を注ぎ合い、くいっ、くいっ、と飲み干していく。

 

南川百万遍祭は神事であり、酒はお神酒なのだ。

だから酔うのではなく、神様がおりてきている、つまり、「神がかり」の状態となるのだ。南川の方にそう言われた時、腑に落ちた。

 

20分ほど小休止のあと、2回目の数珠繰りが始まる。少し足元がふらつく。男衆は神がかった状態でふたたび舞堂をまわり始める。

このあたりから祭りは激しさを増していく。

 

足早に進む者、踏ん張って進もうとしない者、数珠を引っ張る者、体に巻きつける者、角の柱にもたれかかる者。

そのうち、舞堂の外に落ちる者、それを引っ張り上げる者、引っ張り上げようとする者を引きずり下そうとする者も出てくる。

中には舞堂の下に潜り込む者もいる。

舞堂の内に外に、男衆がくんずほぐれつ、重なり合い、倒れ倒され、怒号のような声が飛び交う。

数珠を手放すと御利益が薄らぐと言われているので、なんとか数珠をつかみ続けようとする。

 

 

とにかくもう、身体のあらゆる箇所に痛みが走り、汗がふき出る。3回目の数珠繰りが終わるころには、へたりこむ男衆もいた。

 

本繰りで数珠を繰る回数は、3回か、5回か、7回と決まっている。近年は大体5回で繰り上げとなる。

繰り上げになると、数珠の輪が解けて、1本の数珠縄となり、男衆が境内に躍り出る。太鼓も舞堂を下り、激しく叩き続ける。

男衆は砂利の上を裸足で駆けずり回り、境内にある椋の巨木に数珠縄を巻きつける。その時、男衆も一緒に椋の木に巻きつけられたり、動けなくなるほど何人もの男衆が折り重なり、もうなにがなにやらわからない状態。

 

ひとしきり荒れに荒れたら、数珠縄を舞堂の柱に巻きつけ、数時間にわたる南川百万遍祭は終わりを迎える。

舞堂から躍り出る時に切られたしめ縄は、家のお守りとして参拝客や祭り見学者が競うように持って帰る。

 

男性であれば舞手として参加してみてほしい。

祭りが進むにつれ、次第に体力は奪われ、身体のあちこちに傷を負う。それでも、タガが外れたような振り切れた精神状態の中で、血がたぎるような興奮に突き動かされる。舞堂という舞台の上で、太鼓が奏でる念仏と一本の数珠でつながれた男衆との一体感が生まれる。

終わってみれば、己の中にある、形にならないなにかを出しきったという解放感と、「やりきった」という爽快感がある。実に不思議な祭りだ。

 

数百年もの間、南川の地で守り続けてこられた南川百万遍祭。

舞堂の佇まいや匂い、締太鼓の音色や、神がかった男衆の躍動。ひとつひとつがこの祭りを形づくり、唯一無二の存在たらしめている。

山深い小さな集落で連綿と続く歴史の一端を目の当たりにすると、ひとつの確信を得る。

過去と現在と未来は、1本の数珠縄のようにつながっている。

そして、南川百万遍祭には、みなが安心して暮らしていけるようにと願う「おもい」がこめられているのだ。

 

 

 

文章:前田和貴 写真:石川拓也

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笹のいえ

今日のおかず

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畑で大豆から育てた大豆の甘煮。

大豆はコトコト薪火で4、5時間水煮します。

「豆をコトコト煮てる時間が好き」とかではないので

大きな薪を放り込んで放置しちゃうから時間も火加減も適当ですが。

豆が柔らかくふっくらしたら煮豆にする分だけ小鍋に移して

残りは冷ましてから冷凍しちゃいます。

解凍すればすっと大豆料理ができてとっても便利な冷凍大豆の水煮。

冷凍食品だけど大豆を作って乾燥させて選って煮てって考えると手間と時間がだいぶかかってるうちの水煮大豆。

ボリュームも出るし肉や魚の苦手なわたしには大事なタンパク源。そして野菜の少ない端境期なんかはめちゃくちゃ重宝します。

さて小鍋に移した大豆には少々の素焚き和糖と醤油を入れて味付けします。仕上げに米飴を加えて煮詰めたら出来上がり。

素朴な甘みの大豆煮です。

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私の一冊

藤田英輔

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「分解博物館」 岩坂彰 (翻訳) 同朋舎出版

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