2017年10月

“4,001”

土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)

注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。

“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。

念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。

土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。  (敬称略・撮れたときに不定期更新)

4001プロジェクト

澤田弥生 (田井)

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笹のいえ

チャーテ

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今年もチャーテの季節がやって来た!

一般に「ハヤトウリ」と呼ばれるウリ科の野菜です。

ここ土佐町では、粕漬けにしてお土産として販売されていますが、実は万能選手。

漬物にしても良し、煮ても良し、炒めても良し。
すりおろして団子を揚げたり、チャーテの味噌汁は子どもたちの大好物。
わずかに甘みもあるので、玉ねぎ代わりとしても重宝します。

夏の間に蔓がぐんぐん伸びて、秋の気配がするころ花が咲きはじめ、小さな実がつきます。
小さくてもちゃんとチャーテ型なのがチャーミング。

大きくなりすぎなければ、皮を剥く必要がなく、種も食べられる。捨てるところのない、ありがたい野菜です。

採れはじめると、どんどんできるので、どんどん食べます。最盛期には一日バケツ一杯採れることも。
工夫して調理し毎日毎食食べます。おかげでレシピもずいぶんと増えました。

生りはじめの時期ならお裾分けしても喜んでもらえるので、柔らかい小さめの実をせっせと取っています。

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私の一冊

藤田純子

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「百まいのドレス」 エレナ エスティス  (著), ルイス スロボドキン (イラスト), 石井 桃子 (翻訳) 岩波書店

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私の一冊

Alex Ross

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The Very Hungry CaterpillarEric Carle     Philomel Books

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とさちょうものづくり

土佐町スタンプ作りました!

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土佐町ゆるロゴと「とさちょうものがたり」のスタンプを作りました。

土佐町ゆるロゴは黒、とさちょうものがたりはグリーンです。

書類でも封筒でも、紙類はだいたいいけます。

レターヘッドや封筒や、段ボールなんかも、お手軽に土佐町オリジナルのものになっちゃいます。

ふたつとも役場玄関に置いてありますので、押しに来てくださいね。

旅人が記念に押しに来るのももちろんOK!

□ゆるロゴのダウンロードはこちらから

切手も作りました!

 

 

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下田昌克さんin土佐町、3日目。

 

 

本日3日目!朝からみつば保育園へ。
昨日、下田さんと一緒に過ごしていたこともあって、子どもたちはもう本当にうれしそうに迎えてくれました。
ホールで準備していると様子をのぞきに来る子もたくさん。大きな大きな紙に、みんなで絵を描きました!
そらぐみの子どもたちも下田さんも「楽しかった!」。

午後からはとんからりんの家へ。

和田守也土佐町長の絵も描きました。

そのあとは土佐町小学校へ向かいました。明日一緒に絵を描く2年生と顔合わせ。下田さんが来るのを今か今かと待っていた2年生たちは、エネルギー爆発でした!
絵を描く下田さんを取り囲みます。帰る時も、遠くから「下田さーーん!」と駆け寄ってきたり手を振ったり。明日が楽しみです!

田井地区にお住いの103歳の澤田弥生さんは、下田さんが描いた絵を「よう似いちゅう」ととても喜んでいました。

 

夕ごはんは、平石地区にある「笹のいえ」でいただきました。今日は中秋の名月で、お月見だんごも一緒に食べました。いつもありがとうございます。

もうなんだか、毎日胸がいっぱいです。土佐町で暮らす人たちが、こうやって絵に表現されていく瞬間に立ち会えて、とても幸せに思っています。

 

行く先々で「展覧会行きたい!」と声をかけてもらっています。

下田さんが土佐町で描いた絵を一堂に集めた展覧会「下田昌克アート展」は、10月8日(日)13時から。15時からは、下田さんのお話です。土佐町青木幹勇記念館にて、お待ちしています。

 

 

 

 

 

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「私が飲食店を開くに至ったのは、旅をして多くの人と出会い、飲み語った経験がきっかけとなっています。
世代や国籍、立場を超えて、皆が対等に存在している空間――。その居心地のよさとそこにいる人の笑顔が、心に刻まれています。この“非日常的な体験”を旅先から持ち帰り、日常的なものにしたいとずっと思っ てきました」

パクチーハウス東京店主の佐谷さんの言葉です。

 

パクチーハウスのみなさんが初めて土佐町に来たのは2017年2月。パクチーハウススタッフの研修のためでした。
土佐町の黒丸地区を訪れ、アメガエリの滝や星の美しさに感動、黒丸地区の仁井田亮一郎さんに出会って亮さんの大ファンになったパクチーハウスの皆さん。再訪を願っていた時「黒丸で何かやろう」と亮さんと土佐町の写真家でありとさちょうものがたり編集長の石川から声がかかり、今回の「1日限りのパクチーフェス!」が行われることになりました。

(詳しくは佐谷さんの記事をどうぞ!)

「パクチーが好き」。

その思いを持って仕事を作り出してきた佐谷さんの姿から「好きなことを仕事にしていい」「今、『ない』ことを仕事にする」、その可能性を伝えたい。それは職種や進路の選択肢の少ない田舎だからこそ、そしてこれからの世の中にとっても重要な視点だと思います。

そして、パクチーと土佐町の食材をかけ合わせたらどんな料理が生まれるのか?
黒丸地区は16世帯28人の集落。いわゆる「限界集落」と呼ばれる場所で土佐町の食材を使い美味しいものを生み出して、たくさんの人に土佐町の底力を感じてほしい。

「パクチーフェス」はそんな思いから、スタートしたのです。

 

当日まで土佐町側のスタッフとパクチーハウススタッフの間で、スカイプやメールを使い何度も打ち合わせをしていた。
メニューも材料も事前に準備できることは全部できていた。
あとは当日、一緒に作るだけ!

 

そのはずだった。

 

高松空港から2時間、くねくねした山道を車酔いしながらやっと到着した土佐町黒丸地区。

にこやかに自己紹介、昼食を食べて、用意された会場を確認。

左から、仁井田亮一郎さん(黒丸地区長)、前田清美さん、私、三富楓栞さん(パクチーハウススタッフ)、佐谷恭さん(パクチーハウス代表)、牛田うっしぃさん(パクチーハウス店長)

 

この時、パクチーハウスの皆さんは、相談して考えたメニューの品々はもう全てできていると思っていた。
土佐町側でもう作ってくれている、と。
パクチーハウスメンバーで作るのは、材料を見てから決める「即興料理」だけだ、と。

しかし、土佐町側スタッフは、料理は「これから作る」つもりでいたのだ。

料理はなにひとつできていなかった。

 

え!!!

お互いに絶句。

開始は15時。あと2時間しかない。

あれだけメールやスカイプで打ち合わせしていたのに!
材料も数も量も大丈夫、準備万端だと思っていたのに!
まず根本のところが違っていた!

できていると思っていたものが、何もできていなかった。パクチーハウスのみなさんも、さぞかしショックだったに違いない。

(準備期間中、2時間でメニュー16品を作れるのか?という疑問は全く浮かばなかった。なぜ浮かばなかったんだろう、ちょっと考えたらわかったのにな、と今は思うのだけれど、できると思い込んでいた。黒丸地区の亮さんは「俺は2時間でできるのかな?と思っとったで」と後から言っていた。思っていたなら言ってほしかった笑 )

 

食事ができるのが13時からだと思って、すでにお昼頃から来てくれていたお客さまもいた。食事会場のスタッフが「何か出せる料理ある?」と聞いてきたけれど、何もない。だってこれから作るのだから!

東京と高知県土佐町。距離にして約800㎞。「実際に会って話す」ことができていればこんなことは起きなかったかもしれない。でもそんなことを今さら言っても仕方がない。

 

それでも笑顔!

 

ここからがすごかった。
そんなハプニングを感じさせないほど、パクチーハウスの皆さんは、にこやかに、しなやかに、料理を作った。たくさんの助っ人と共に。

パクチーフェスのポスターには「13時から料理セッション」と書かれていた。「料理セッション」は、パクチーハウスのみなさんにパクチーハウスならではの料理の仕方を習う、技を近くで見ることができる、一緒に料理を作る、そんなゆるやかなイメージで考えていた。そんなおしゃれな(?)名前が付いていたが、それに申し込みをしたばかりに、まさに「戦力」として駆り出されてしまったお客さまたち。

そう、台所はまさに「戦場」だった(笑)

幸いたくさんの人から「料理セッション」への申し込みがあり、当日も飛び入りで参加したいと台所へ来てくれる人もいて、本当にありがたかった。あらためて、本当にありがとうございます。
みなさんがいてくれたからこそ、100人以上来てくれたお客さまのお腹がいっぱいになる料理をあの時間内で作ることができました。


台所中がパクチーの香りでいっぱいに!

台所には、7キロという量の新鮮なパクチーたちがひかえている。長野県と千葉県の農家さんからパクチーハウスさんが仕入れて黒丸地区に送ってくれていた。とてもいい香り。そしてとにかく山盛りのすごい量。

パクチーを洗い、根っこを切り(根っこも使うから大事に取っておく)、食べやすい大きさに切る。この仕事も一苦労。切っても切ってもまだあるパクチーたち。

他にも仕事は山ほどあった。野菜を洗う。切る。刻む。盛り付ける。ゆでる。焼く。揚げる。炊く。使った食器を洗う。ふく。元の場所へ戻す。

包丁もまな板もボウルもざるも、全て数が足りなかった。調理台の全ての面積が、食材と道具で占められている。何か置きたくても置く場所がない。4つのガスコンロはいつもフル回転。台所にいる全ての人が、何かしらの仕事をしている。


頼もしい助っ人のみなさん

「包丁どこかにありますかーー?」「まな板、使い終わったのはありませんかーー?」

声が飛び交う。人もあっちへ行ったりこっちへ行ったり。

ごはんを炊くガス釜の火加減も使い方もわからなくて、ああじゃないか、こうじゃないか、まあやってみようか、と祈るような気持ちで炊いた。(うまくいった!)

そんな綱渡りもいくつかあった。にぎやかな、バタバタな台所。
そんな台所から、少しずつ、確実に、美味しいものはうまれていった。


いつもこの場所で、私たちを見守ってくれていた瀬戸小学校の校歌碑

食事をする場所へできた料理を運んだ。大皿を両手で支えながら階段を登る。ふと見上げると、大きな窓の向こうに、真っ白な入道雲と天高く抜けるような青空があった。
思わず立ち止まる。
そこだけ時間がとまっているみたいだった。

よく見ると雲がゆっくりと形を変えながら動いていく。

ふぅ・・・。
思わず深呼吸。

外はこんなにもゆっくりと動いている。セミがのんびりと鳴いているのが聞こえた。ミーンミンミンミン・・・・

台所での時間、外の時間。同じ時間であるはずなのに、こんなにも感じ方が違うものなのか。

もう一度、深呼吸。
うん、大丈夫。みんながいるから大丈夫。

そんな風に思った。

 

 

「パク天食べたかった〜」という声を何人かの人から聞いた。パク天はパクチーハウスの名物料理。丸くて厚さが5センチくらいあるパクチーでできたかき揚げ。(専用の丸い型があってそれに入れて揚げる。その型は東京のお店に一つしかないそうで、その一つを今回持って来ていた。帰り際、パクチーハウス店長のうっしぃさんが「パク型持った?」としっかりと確認していたくらい大切なもの。)

揚げる鍋の深さが足りなかったこと、そして油が足りなかったことで、パク天は2つだけしかできませんでした。すみません…。

 

それ以外の料理は全て作りきった。本当に来てくれたみなさんのおかげ。台所のスタッフはやりきった感でいっぱいだった。

土佐町産野菜のパクチーサラダ

 

時間がたってから振り返ると、こんな状態だったのに、台所の「戦場」には、なぜだかある種の「楽しさ」があった。みんなの体が自然に動いてしまうような、動きたくなるような、よき空気が流れていた。

ものすごく忙しくて、やらなくてはいけないことが山ほどあるのに、隣で野菜を切っている人と話したかった。土佐町の美味しい野菜でできたサラダのカラフルさを見た時、心が踊った。大皿に盛られた美味しい料理が運ばれていき、空っぽになった大皿がまた戻ってくる時、喜んでくれているんや〜、よかった!と思った。

台所のスタッフは、食事をする会場へ行く時間は全くと言っていいほどなかったのに、そう感じられたのは、心の中にちょっとした余裕があったのだと思う。それは「よき空気」があったからこそ、のことだった。

この「よき空気」は台所の司令塔であるパクチーハウスのみなさんが作ってくれていた。

料理が一つもできていないことがわかった時、きっと心の中では「えええ!!!!!!」と悲鳴に近いものがあがっていただろう。でも、それを全く感じさせず、いつも笑って、手伝ってくれている隣のお客さまと話しながらあっちこっちを回り、聞かれたことに丁寧に答えながら体を動かし続けていた。それはもう、見事としか言いようがなかった。パクチーハウスのみなさんの人柄と、いつもどんな風に仕事をしているのかが見えるようだった。


佐谷さんはこの後すべてのテーブルを回り、来てくれたお客さまと乾杯していた

今回のイベントにも、東京にあるパクチーハウスのお客さまが何人も来てくれていた。東京、香川から、わざわざ高知県の土佐町黒丸まで。ある人は「思ったよりも山奥ですねえ」と言っていた。それでも足を運び、再会を喜ぶ。

人と人とのご縁を結んで、楽しんで、出会いを心から喜んでいるパクチーハウスのみなさんの姿がとてもまぶしかった。こんな風に人は在ることができるんやなあ、と。

 

準備期間中、何を作るか相談している時、パクチーハウスの皆さんがわりとアバウトなことにもだんだん気がついた。事前に用意しておくものの作り方を聞いても「当日考えます〜」ということも多かった。

実際、それでよかった。むしろ、かえってその方がよかった。そうか、それくらいの立ち位置でいいんやなあと思えた。

決まったこと、こうしなければならないなんてことは実はなくて、それは誰かが決めたり自分で思い込んでいるだけのことがほとんどなのかもしれない。

「楽しむ」ことも「気持ちがいい」ということも実はとても大切で、どんなことを楽しくて気持ちがいいと感じるのかを自分でわかっている、ということは大事なことだなと思った。そのことはきっと、人との向き合い方や、仕事への向き合い方、もっと言えば町の雰囲気にもつながったりするのだと思う。
「気持ちがいいかどうか」は、思っているよりも、その場所の空気を左右するようなちからがある。

 

何度も言うけれど台所は「戦場」だった。でも、気持ちがよかった。よき空気が流れていた。
そのよき空気は、その場にいた人たちが目の前にあることを、その場の空間を楽しんでいたからこそつくり出せたのだと思う。

パクチーマン!

佐谷さんの「こだわり」にもびっくりした。佐谷さんはパクチーが本当に大好きで「89」(「パクチー」の意味)と大きく書かれたグリーンのTシャツ、グリーンのズボン、グリーンの靴。お客さまが作ってくれたというパクチーの葉っぱの帽子をかぶって黒丸に到着した。(空港でもその格好で到着した!

参加申し込みの人数がもうすぐ「89人」に届きそうな時、とても喜んで「目指せ!89人!」とメールが届いた。(実際はそれ以上、100人を超えた)

もちろん料理すべてには、パクチーが入っている。

パクチーを乾燥、粉末にして塩に加えたものを開発。塩は一番美味しいものを、と探し回り、青ヶ島のひんぎゃの塩と出会って「パク塩」が誕生。

私が知っているだけでも、これだけこだわっている佐谷さんはとても柔軟でしなやか、どこかおっとりしているようにも感じた。

自分の「こだわり」にこだわり続けることは、簡単なことではないだろう。
好きだからこそ、こだわる。楽しんで、こだわる。

好きなことをやり続け、かたちにし、仕事として続けて来た佐谷さんの「こだわり」と、自分が大切に思うことをわかち合おうとする姿は、とても気持ちがよかった。多くの人がパクチーハウスに心ひかれる気持ちがわかる気がした。

 

最初は周りに理解されにくかったことも、信念をもって行動を積み重ねていくこと。最初は一人だったとしても、続けていくことで、きっと共感する誰かと出会える。点と点が結ばれて線になるように、一人と一人が出会って新しくかたちになっていくことがある。今あるものだけが「選択肢」ではないのだ。その選択肢はきっと自分でもつくることができる。

自分はなにを選ぶのか、自分の限られている時間をどんなことに費やすか。今ある自分の姿は、今までの自分の選択でできているのだな、と思う。

会場入り口には「NO Paxi,NO Life」

パクチーハウスは「Paxi House」と書く。「Paxi」はラテン語の「Pax」(平和)と「i」(旅人の象形文字)を組み合わせた佐谷さんがつくった造語。「気持ちがいい」ということは、きっとどこかで「平和」にもつながっている気がする。

きっと誰もが、自分のいる場所で気持ちがいい環境をつくり出せる。
ひとりひとりにとっての「気持ちがいい場所」がつながって、広がって、いつか町中に、日本中に、世界中にめぐりめぐっていったらいいなと思う。

土佐町でつながったご縁が、それぞれの人の場所で、気持ちがいい場所をつくるちいさなきっかけになれたらうれしい。

パクチーハウスの皆さん、土佐町黒丸地区の皆さん、来てくださったお客さま、みなさん本当にありがとうございました。

 

「一日限りのパクチーフェス!」レシピ

 

パクチー銀行土佐町支店オープンです!

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下田昌克さんin土佐町、2日目。

 

 

この日の最初はみつば保育園へ。明日そらぐみさんと一緒に絵を描くので顔合わせ。のつもりが急遽子どもたちの絵を描くことに!子どもたちの歓声と笑い声が部屋いっぱいに広がりました。

雨上がりでキラキラした黄金色の田んぼを眺めながら、相川地区の川井一穂さん・信枝さんご夫妻の絵を。

そして立割地区の筒井博太郎さん・苗子さんご夫婦に、山に放牧しているあかうしも見せていただきました。

美味しいお昼ごはんを近藤泰之さん・久野兆佳さんのお宅でいただき、遊びに来た澤田清敏さんの絵を描きました。

伊勢川地区では澤田誠一郎さんの絵を。

完成した絵をみなさんが嬉しそうに眺めている姿は、ぐっときます。

美しい夕焼けを眺めながら山を降り、10月8日(日)の展覧会で販売する「土佐町グッズ」の絵を描きました。

何が出来上がるか、楽しみにしていてくださいね!

 

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私の一冊

尾崎美穂

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「山小屋ごはん」 松本理恵(文)野川かさね(写真) 平凡社

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土佐町ストーリーズ

化粧地蔵(土居)

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「ワシらぁが子どもの頃にはもうあった。誰が置いたのか、どうして置いたのか・・・」

 

土佐町役場の駐車場の片隅にひっそりと佇むお堂があります。

その中には一体のお地蔵さん。

そのお地蔵さんは、顔と手が白く、体は全体的に緑色で袴の部分が黄色。

白い顔には、黒いラインで目と瞼と口が描かれています。

そのお地蔵さんは化粧地蔵と呼ばれています。

最初に「化粧地蔵っちゅうのがあるんじゃ」と聞いた時は、いわゆる女性がするお化粧を想像したけれど

そうではなく、全体的に色が塗られている、そんなお地蔵さん。

 

「お四国巡拝みたいなことをして回りよった人、といういわれがあるけんど定かじゃないねぇ」

そう教えてくれたのは和田富雄さん。土居に住む80歳。

両サイドにも石像があり、こちらは欠けたり頭がなかったり。

 

「ワシらぁが子どもの頃にはもうあった。誰が置いたのか、どうして置いたのか・・・」

「お正月とお彼岸にはお大師様と一緒にお祭りするねぇ。お膳とお茶を用意して」

「地域を守ってくれゆうお礼にね」

お大師様と阿弥陀如来が、化粧地蔵が祀られているお堂の裏側に置かれています。

 

そのお堂の中には、昭和62年にこの化粧地蔵のことを取材した高知新聞の記事が

切り抜かれてクリアファイルに入った状態で置かれていました。

その記事は、喫茶「みなみ」の主人である和田裕吉さん(当時43歳)に聞いた話でした。

この化粧地蔵は、九州の山伏がここへ来て行き倒れになったものをお祀りしたものだと言われているとのこと。

もとは濡れ仏だったものを裕吉さんのお母さんが小さなお堂を作って安置されたとのことです。

 

この記事が書かれる数年前、裕吉さんが夜中にふっと目を覚ますと、

お風呂場に煙がもうもうと立ち込めているのを発見。

朝まで寝ていたら火事になるところだったけれど、目が覚めたのはお地蔵さまが助けてくれたのだ。

そう思ってそれ以来毎月十日と二十日にはお菓子を供えてお参りしていたそうです。

 

今でも、工事などでここを通る、という時などは建設会社の社長さんがお供えをしてお参りし、

「ちょっと通らせてください」とお願いするとのこと。

 

 

文:和田亜美 絵:川原将太

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