2017年12月

“4,001”

土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)

注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。

“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。

念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。

土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。  (敬称略・撮れたときに不定期更新)

4001プロジェクト

尾崎康隆 美穂 歩 亘

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私の一冊

鳥山百合子

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「モモ」 ミヒャエル エンデ (著),‎ 大島 かおり (翻訳) 岩波書店

私、鳥山の一冊はミヒャエル・エンデ作「モモ」。
小学生の時に買ってもらってから、度重なる引越しに必ずくっついて来た本。

『時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。
〜その時間にどんなことがあったかによって、わずか1時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬に思えることもあるからです。
なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。』

読むたびに、はっとする言葉があります。
こどもたちにも読んでほしいなと思っています。

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土佐町ストーリーズ

厳島神社と龍神(伊勢川)

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伊勢川から溜井へ通じる林道を登りつめたあたりに谷川があって、その少し上の小高く深い茂みの中に、厳島神社がありその前に田が広がっています。

そこは、昔はずっと池じゃったと言います。

いつのころか知らんが松の木を伐って投げ込んでは土を入れて田にしたそうです。

その昔の池にゃ龍神さんが棲んでおいでると言われていました。

そこの近くに杉囲いの家があったそうです。いつのころか、その家の囲いの杉に蛇がやってきて巣をこしらえたそうな。

子をかえしたら困ったことじゃと言いながら、何日かたって、いよいよ明日は除けようと言うことになった晩のこと、もう一日だけ待ってくれえ言うて、夢の中に蛇が出てきて頼んだそうな。

それを聞かずに、明くる日に囲いの木に火をつけて焼き殺してしもうたと言います。

それから、その家は他所に移っていってしもうたが、その人はあついきに水をかけてくれ、水をかけてくれ言うて死んでいったそうな。

えらい熱病じゃったもんじゃが、あの焼き殺した蛇が、厳島の龍神さんじゃって、そんでその人は焼き殺されるように死んでしもうたと言います。

町史(「土佐町の民話」より)

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私の一冊

仙田聡美

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「今日のおかず」 高山なおみ   アノニマ・スタジオ

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土佐町ストーリーズ

片目の蛇(五区)

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昔、野中兼山と言う人が新井堰を作った時、何べんついても堰がこわれるので、まもり神として蛇を入れた。

そうしたら堰がこわれずに完成したと言われています。

今でも床鍋の新井堰の附近にいる蛇には片目のものが多いと言われています。

堰の上の方に蛇神さまと言うのを祭ってあります。

今でもこの近くの畑で蛇を見つけたりした時には、蛇神さまにお供えものをして出て来ないようにお願いする風習があると言います。

また、この堰に放尿(おしっこ)すると雨が降るとか、片眼の蛇がこちらのヒノジ(日あたりのよい側)から対岸の陰地(かげじ)へ渡っても雨が降ると言い伝えているそうです。

 

桂井和雄 (「土佐の伝説」第二巻より)

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土佐町ストーリーズ

蛇渕(上津川)

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上津川に独鈷山(とうこうさん)言うて土を盛ったような山があるが、その下は深い釜(渕)になっていて、そこに蛇がおったと言うのう。

蛇渕言うて誰も泳がんとこでした。

昔、その渕の近くに家が一軒あって、屋号をコウナロと言いよった。

この川の奥にも、も一つ蛇渕言うところがあるんじゃが、大昔のこと、このコウナロへ「上にはもうおれんのでここへ泊めてくれえ。」言うて人が来たので泊めちゃったそうな。

そして、「寝姿は見んようにしてくれえ。」言うたそうな。

ところが昔はマイラ言うて板戸の障子じゃったもんじゃきに、その板戸に小さな節穴があいちょったそうな。

そこから見たところが、電燈のない時のことで行燈(昔の照明具)をきりきりと三巻きも巻いて、蛇が寝よったそうな。

わしの寝姿見た言うて、帰りがけに蓋を開けんずつにお祭りしてくれえ、そしたら幸せにしちゃる言うて箱をくれたと。

どればあの大きさやったか、そりゃ知らんが、それをもろうてお祭りしよったけんど、まあ、何が入っちゅうろうと思うて開けて見たと、そうするとトカゲみたいなもんが這い出て来たと。

そんなことがあってすぐにアカダケ言う所が潰(つえ)て、畑も広かったんじゃが、川縁の畑も半分足らずになって流れてしもうた。

それからだんだんに幸せが悪うなって、今は家ものうなったわね。

蛇渕の山には弁天さんを祭って、昔は大川村からも雨乞いにお詣りに来よったもんよ。

 

町史(「土佐町の民話」より)

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笹のいえ

今日の保存食

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今年も有難いことにたくさん頂けた柿。

熟した柿で柿酢も仕込んだし、硬い渋柿で干し柿も作りました。

でも柿酢にするには熟れてない柿や、ヘタがとれてしまって吊せない渋柿、
美味しいうちに食べきれなそうな甘柿って意外とあるんですよね。

そんな柿はいくつでもスライスして薪ストーブのオーブンに入れておきます。

2、3日もすればいつの間にかいい感じの柿チップが出来上がり。

薪ストーブがまだ稼働していないと出来ない代物だけど、
やわやわのセミドライの時期からカリカリのチップになっても嬉しい。

もちろん保存もきくし、行き場のない柿の有効利用にもってこいです。

ただし、渋柿で作る場合はカリカリに出来上がるまで味見はしないに限ります。

 

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土佐町ストーリーズ

蛇穴(東石原)

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今から百六十年前のこと、東石原村(現在の東石原)に、郷士(名前は定かでない)がおったそうな。

郷士と言うのは、お百姓さんが武士の待遇を受けておったもので、戦いが始まると、くわやかまのかわりに刀を持って戦いに出よったそうな。

その郷士の治める領地の中に、それは大きくて見ごとな欅(けやき)の木があったと。

たぶん祠かお堂があって、そこに植えたものが大きくなったんじゃろう。

その欅の木には大きな穴があって、水がごうごう流れる音がしよったと。

村の人たちはあの穴の中には蛇が棲みよるらしいと言いよった。

ある年のこと、その欅を江戸の水野出羽守のところへ出すことになり、野村儀八と大館達次の二人が何日もかかって切りたおしたと。

まあ木は無事に江戸へとどきお役に立ったそうなが、後がおおごと。木を切った二人は、その日から大病にかかって苦しんだそうな。

また、そのころには村に名本(なもと)と言って、今の区長さんのような仕事をする人がおったが、その名本さんのところまでは五百メートルぐらいあるのに欅を切った時の木屑が、流れていって大さわぎをするし、木の切り株がごうごうと大きな音を出して鳴るんじゃと。

きっと、これはあの穴の中に棲む蛇のたたりじゃと言って村の人がいっぱい集まって、お通夜をしたり切った後をきよめて、いろいろのものを供えてお祭りをしたそうな。

すると、だんだんと鳴るのがおさまって、もとのとおりの株になったそうな。

皆山集より(町史「土佐町の民話」)

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