2018年2月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

山尾奈央

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「生協の白石さん」 白石昌則 ポプラ社

どんな質問にも、丁寧に、かつ、おもしろく返答する白石さんは本当にすごいです!!

「Q:消臭力と長州力の違いを教えてください。」

さて、白石さんは何と答えたでしょうか?

山尾奈央

 

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土佐町の人々

40年目の扉

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いつだって美味しいかおりがして、いつだって長野さんがいる。

土佐町地蔵寺地区にある長野商店。店主の長野静代さんは82歳。長野さんが40年前に開いたお店には毎日いろいろな人がやって来る。カラカラカラ…と扉をあけて入って来て、みんな大抵“ちょっと”ゆっくりしていく。

食材を届けに来た業者さんは盛ってもらったおでんを美味しそうに食べ、魚屋さんはコーヒーを入れてもらっている。保険やさんは「お昼はここでいただくんよ。」と嬉しそうにうどんをすすり、小さな男の子は、お菓子をひとつ選んでいいよ、と長野さんに言われてじっくりお菓子を選ぶ。今日が卒業式だったんです、と制服姿の中学生とその子の両親が晴れ姿を見せに来ていた日もあった。

長野さんがいるから、みんながここにやってくる。

 

 

やっとひとり通れるくらいの入り口の向こうに長野さんの調理場はある。
ぼんやりとした黄色の蛍光灯の下にある使い込まれた調理台。シンクの上にある棚には、少しずつ大きさが違う中くらいの鍋が6つほど逆さまにして置かれている。隣には頭の磨り減ったすりこぎが3本、ボウル、押し寿司の木の型。竹の筒には菜箸が何本も入っている。寿司飯を混ぜる飯台やおもちを並べるもろぶた…。すべての道具にみな、それぞれの場所がある。

足元に置かれているストーブの上の鍋はことこと音をたてていて、鍋の中身はおでん、ある時は干したけのこ、またある時はあんこを作るための小豆だったりする。
大きな冷蔵庫には柚子酢が入った一升瓶、干し大根や手づくりの焼肉のたれ、生姜のしそ漬けががずらりと並ぶ。カレンダーにはお弁当やおかず、皿鉢料理の注文がいくつも書かれていた。

長野さんの40年間がこの調理場に確かに存在している。

羊かんに使う棒寒天を溶かす。

 

長野さんの家はお店のすぐ近くにある。長野さんは毎朝3時半に起き、近所の家々がまだ寝静まっている中を歩いてお店にやってくる。
「1日も休んだことはないね。今まで、もうしんどいからやめようと思ったことは全然ない。仕事がなかったらいらいらするくらい。いつも手を動かしよりたいね。」と長野さんは言う。

 

「長野さんが作るさば寿しと皿鉢料理は本当に美味しい」と土佐町の人からよく聞いていた。長野さんの皿鉢料理を初めて見た時のことは忘れられない。中でも、銀色に光るさば寿しの存在感は特別だった。お腹から尾っぽの先までご飯がつまっていて、尾っぽは誇らしげにぴんと立っている。
作り方を教えてほしいと頼むと、長野さんは快く、いいよと言ってくれた。

教えてもらうのが私だけではもったいないから、皿鉢料理とさば寿司の作り方を教えてもらう教室を開くことにした。「たいていのものはできるよ。」と一緒にやろうとしてくれることがとてもありがたかった。

人参と白菜は畑から採ってこようか。
ゼンマイは戻しておかんといかんねえ。
ふきのとうもその辺にあるから採ってこよう。
羊かんの小豆も前の日からコトコト炊いとかんと。
材料も調味料も身近にあるもので…。

相談しながら作るものを決めていくことは本当に楽しかった。
メニューは、さば寿司、山菜寿司、ばってら寿司、なます、白菜と人参の白和え、季節の野菜の天ぷら、羊かん…。

さばは魚屋さんが運んで来てくれるけれど、それ以外は土佐町のものでできることにあらためて驚く。

 

ところが、教室を開く日が近くなった頃、長野さんの右手の筋が切れてしまった。
「長年痛みをこらえて作り続けてきたき、とうとうね…。」と右手を見つめ、手をさすりながら話す長野さんを見るのは切なかった。
考えたすえ、手が治ってからまた教えてほしい、と言おうとお店を訪ねた。この時も長野さんは調理場に立ち、注文の品を作っていた。

手を止めて私の話に耳を傾けると長野さんは言った。「手は大丈夫やき、やりましょう。」

 

 

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私の一冊

矢野信子

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「冬姫」 葉室麟 集英社

これは織田信長の娘「冬姫」を主人公にしたものです。戦国時代、戦っていたのは男たちばかりではなかった。
「女には女いくさがある」と懸命に生きた女性の物語。
お市の方、淀君、豊臣秀吉、細川ガラシャ等の話が輪舞曲を奏でながら終局へ向かっていく展開も魅力です。

矢野信子

 

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笹のいえ

豆炭

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薪ストーブと並び、冬に欠かせないアイテム、豆炭。

寒い時期、僕らはこれなしでは、もはや一日だって生き延びられやしない。

豆炭は石炭を固めたもので、丸みを帯びた豆型をしてる。大きさはゴルフボールくらい。かまどや薪ストーブの火で着火し、専用容器に入れて使用する。一番ポピュラーなのは、豆炭あんかだろう。布団に忍ばせておけば、ポカポカで寝ることができるし、翌日も温かなので、寒い朝も布団から出やすい。お腹や背中に入れておけば、ホッカイロとしても活躍する(動きにくいけど)。

それから、うちには豆炭こたつがある。数年前友人から譲り受けたもので、外見は電気こたつと一緒だが、発熱部分に豆炭を最大四つ入れられる。足を入れると電気とは違った温かさがじんわりと体を温めてくれる。ただし、燃焼中は一酸化酸素が発生するので、注意が必要だ。

米麹を作るときは、こたつが麹室になる。

晒し布で包んだ米を麹葢に入れ、こたつで温める。数時間ごとに切り返して温度を調整していくが、こたつを開ける度に麹の良い匂いがして、幸せな気持ちになる。三日後に麹が完成するが、この間は夜もこたつが温かいので、ついつい夜更かしをしてしまう。

豆炭は微量ながら重金属を含んでいるらしいので、灰は一般ゴミとして処理している。

いまや豆炭を使っている家庭は珍しいと思う。でも、ホームセンターでも取り扱っているからそこそこの需要があるのだろうか。12キロ袋で千円台。僕らの使い方で、ひと袋あれば冬を越せる。

 

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私の一冊

藤田純子

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「いのちをいただく」 内田 美智子  (著),‎ 諸江 和美 (絵),‎  西日本新聞社

人が生きるということは命をいただくこと。殺すこと。
私たちの命は多くの命に支えられている。
そのことを実感した時、食べ物を粗末にしてはならないと分かる。

藤田純子

 

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土佐町ストーリーズ

そして、編入合併へ・・・

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「大渕・古味・井尻・下川・上津川」という地区があります。

今では、20数名しか居住者がいませんが、昭和の中期には700名を超える住民がいました。

今回は、この5地区で、かつて起こった熱い闘いの物語です。

 

 

森村・地蔵寺村・田井村の3村が合併して土佐村となったのが昭和30年のこと。

当時、嶺西地域には森村・地蔵寺村・田井村・吉野村の4村あり、その4村が合併について協議していました。

 

吉野村では「本山町と合併せよ!」という8地区と「田井地区と合併せよ!」という5地区が対立。

この5地区が「大渕・古味・井尻・下川・上津川」です。

結局、決着がつかないまま、吉野村は多数決により本山町と合併しました。

 

それから約5年間、この5地区が本山町から分町をして、新土佐村へ編入合併する闘いが始まります。

 

土佐村に編入合併することについて、住民の直接投票に持ち込むための運動が約3年間にわたって展開されました。

 

その後、運動が実を結び、住民投票が行われます。

住民投票については、時間制限なし(夜間の運動可)、個別訪問自由ということで7日間、昼夜兼行で激烈な運動が展開されました。

その当時、5地区を合わせると754名もの住民がいたため、住民投票の当日はその警備のため100名もの警察官が派遣されたといいます。

 

住民投票の結果、0.66票の差で、分町反対地区民が勝利する形となりました。

この結果を不服とした分町希望者は、本山町選挙管理委員会、さらには高知県選挙管理委員会に対し再審査を要求。

しかし共に受け入れられず、法廷闘争へと突入します。

 

訴状をもって高松高等裁判所に提訴すること10数回、審理の末、分町派の5地区はついに勝訴の判決を得ます。

高松高裁は『再審査の結果投票で無効とされたものの中に有効票があり、分町賛成票が1.33票強であった』と判断しました。

これに対し、県選管が最高裁判所に上告しましたが、最高裁が高松高裁の判決を支持し、分町派勝訴の判定が確定しました。

 

そして、昭和36年、本山町のうち吉野地区西部5地区が土佐村に編入合併することになったのです。

 

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私の一冊

岡林千恵

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「ぼちぼちいこか」 マイク・セイラー (著),‎ ロバート・グロスマン (絵),‎ 今江 祥智 (翻訳) 偕成社

何をやっても失敗ばかりのかばくん。でも全然メゲずに挑戦していく姿、そして最後は「ま、ぼちぼちいこか、ということや!」ととっても明るい!

岡林千恵

 

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4001プロジェクト

谷泰久・あゆみ・春尚・こなつ (田井)

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今回は田井の谷さんファミリー。お父さんのやっちゃんは休みの日にはよくこの場所(おこぜハウスの前)にいる。

ラジカセで音楽をかけながら、スケボーの練習をしている。いつも楽しそう。

この撮影の日は、家族みんなで来てもらうようお願いした。家族みんなが楽しそう。

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上田房子さんは近所に住んでいる私の師匠。(房子さんのお話はこちら

房子さんの干し柿作りは、冷たい風が吹き始める毎年11月から始まります。
干し柿作りは、まず柿を取りに行くところから!
「柿を取りに来なさいや。」と声をかけてくれた房子さんのご主人、覚さんと一緒に柿を取りに行きました。(記事はこちら)その柿を使って「房子さんの干し柿づくり」が始まるのです。

 

干し柿用の縄を綯う房子さん。しゃっ、しゃっ、しゃっと綯っていく姿は最高にかっこいいなと思います。
最後の「撮れたかね?」という言葉が、房子さんらしいなあ…といつも笑ってしまいます。

 

 

 

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私の一冊

宮本恵子

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「よるのばけもの」 双葉社 住野よる

土佐町中学校2年生の川田あやなさんがすすめてくれた一冊!
夜な夜なばけものになる僕は、実は心の闇。クラスのいじめについて傍観者の僕。考えさせられる。

           宮本恵子

 

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