2018年3月

“4,001”

土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)

注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。

“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。

念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。

土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。  (敬称略・撮れたときに不定期更新)

4001プロジェクト

筒井政利・重子 (地蔵寺)

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地蔵寺の筒井さんご夫妻。

川沿いの日当たりの良いお家に住む、とても穏やかで仲の良いご夫婦です。

夫の政利さんは、15才で志願して海軍の海兵となり、軍艦の乗組員でした。

3度目の航海。フィリピン沖で米軍の爆撃を受け、負傷し意識を失い、気がついたらマニラの病院のベッドに横たわっていたそうです。

右頬に重傷を受け、命からがら日本に搬送された後も長い入院生活。

高知に帰ってきても手術を繰り返し、なにかとご苦労が絶えなかったそうです。すれ違いざまに顔の傷を笑われたこともあったとか。

 

この撮影の日は、春の訪れを告げるようなぽかぽかと暖かい日差し。

おやつにミカン、まんじゅう、熱いお茶。夫婦仲良く2ショット。

あのとき軍艦の甲板で燃えさかる爆撃に怯えていた少年に、今日のこの穏やかな日常を伝えてあげたくなりました。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「サリーのこけももつみ」 ロバート・マックロスキー 著/ 絵, 石井桃子訳 岩波書店

冬の間に食べるジャムを作るためにサリーとお母さんが「こけもも」を摘みに行ったら、クマの親子もこけももを食べにきていました。

サリーがバケツに摘んだこけももを入れる時の音、原書では “kuplink,kuplank,kuplunk!”。これを「ポリン、ポロン、ポルン!」と訳した石井桃子さん。「ポリン、ポロン、ポルン!」という言葉は、これ以外は考えられないなというくらい、このお話にぴったりだなあと私は思います。もし違う人が訳していたら、きっとまた別の言葉になっていたでしょう。
石井さんは2008年に亡くなっていますが、ぜひお会いしてみたかったです。

サリーとクマのお母さんが出会った時の顔!(2枚目の写真)決まってこの場面でこどもたちは大笑いするのです。
クマのお母さんの「グフッ」というセリフをどう言うかが腕の見せ所。
今日はうまくいった!という日は、こどもたちも私もお互い満足して眠れます(笑)。

 鳥山百合子

 

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笹のいえ

蔵の解体

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母屋から風呂とトイレの小屋を挟んで、二階建ての建屋がある。

かつて、一階を牛小屋、二階を子供部屋として使っていたそうだ。その佇まいから、僕らはなんとなく「蔵」と呼んでいた。

たいそう大きな建物で、使われている材も立派。柱は五寸以上のものもあるし、棟木は一抱えもあるような松の木だ。

正確な築年数は不明だが、50年以上経っているだろう。重機などの機械が現代ほど発達しておらず、人力に頼る部分が多かった時代に、これだけの材木を製材し、運び、家を建てるのはちょっと想像しづらい。

しかし、人が住まなくなってから何年も放置され、僕らが引っ越してきたときにはだいぶ傷みが進んでいた。朽ち落ちた材には錆びた釘が打ってあったり、雨風で瓦が落ちてきたりすることもあり、子どもが近くで遊んでいることを考えると、なるべく早く壊す必要があった。

業者に頼み、機械の力で一気に壊す手もあった。でも、材を取り外して再利用したい、無理なら分別して後処理をちゃんとしたいと思っていた。そして、なぜかこの蔵に対する畏怖の念のようなものを持っていた僕は「自分の手で丁寧に解体したい」とも考えていた。とはいえ、作業には危険を伴うし、解体なんてしたことのない、しかも高いところが大の苦手の僕がひとりで作業するモチベーションもない。どうしようどうしようと思いつつ、4年が経った。

ふと思いついて、知り合いの左官さんに相談してみると、どうにかやってみよう、というありがたい返事が来た。彼に棟梁をお願いしたのは、慎重で無理をしない人柄に安全第一に作業を進めてくれると確信していたからだった。なにより、これまで土壁や釜戸つくりなど一緒に作業して、気心が知れている。

友人二人にも声掛け、はたして作業ははじまった。

まずは屋根から。

足元の悪い瓦の上を踏み抜かないように歩きながら、瓦を落としていく。

状態の良いものは積んで取っておき、割れたのは軽トラに積んで、隣町の処分場へ何往復もして運んだ。

瓦の下に敷かれていた土はそのまま地面に落とし、必要なら後で田畑に入れる。ルーフィングの役目していた大量の杉の皮は焚き付けに使う。建具も外し、ストックする。

そして、いよいよ構造材が露わになった。

年月によって建物自体が歪んでいるし、腐っている箇所もあるため、どういう順番でどの材を外していくか、ひとつひとつ確認しながら作業する。ときにチェーンソーで材を切り、ときにロープで柱を引っ張りしながら、少しずつ建物が細く小さくなっていく。

驚いたのは、木が保つ粘りだ。

ボロボロの建屋だったが、ホゾで組まれた材は、加わった力を四方に逃がすようになっていた。四人以上の大人がロープで引っ張っても捻ってもビクともしない。前述したように、可能なら材を綺麗に取り外したいと思っていたが、材自体が重いこと、がっちりと組まれているため手で外すのは困難なことがわかってきた。結局、安全を一番に、材の再利用は諦め、解体を進めることにした。

五日間の作業の末、どうにか無事に終えることができた。目の前には、たくさんの材が山となった。二三年は焚き物に困らなさそうだ。無事故で解体させてくれた蔵に、皆で感謝した。

在来建築の構造や技術に感心したり、驚いたりすることが多かった。昔の大工さんは、木の性質を理解し、材となった木の上下や微細なねじれさえも考慮し家を建てたそうだ。プレカットが主流の近代建築とはだいぶ異なる。また、験(げん)を担いだり、山や家の神様にお祈りをして作業の安全を願った。蔵に触れながら、当時の空気を吸っているような、タイムスリップしたような不思議な感覚を覚えることがあった。

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私の一冊

石川拓也

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「はたらくことは生きること」 石田 榮 羽鳥書店

「働くことは生きること、いっしょうけんめい生きること。」

これは名著です。

現在90代のアマチュア写真家・石田榮さんの写真集。昭和30年代の高知県、主に第一次産業で働く市井の人々の姿が生き生きと残されています。

石田さんは、満州からの引き揚げ者から「徳国(とっこく)」という名のカメラを譲り受け、仕事が休みの日曜日に撮影していました。

高知の農村や漁村、石灰鉱山などに通い、そこで働く人々に優しい眼差しを向けています。

時は戦後の復興期。「もはや戦後ではない」という言葉が象徴するようなこの時代(庶民にそんな感覚はなかったようですが)の、豊かではないけれど沸々と湧き上がるようなエネルギーを、見事にフィルムに定着させた一冊です。

石川拓也

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2018 Feb.

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高峯神社 | 石川吾朗 寛大

今回は「高峯神社」。

峯石原の上、安吉(やすよし)という集落にあるこの神社、鬱蒼とした森の中、長い山道のような参道が一本山頂まで延びています。

光は柔和、空気は清涼、苔はフカフカ。洗い清められる場所。

うる覚えなのですが、これは以前耳にした伝説。
「その昔、宇佐(土佐市)の海の沖に竜が居座ったことがあった。漁師たちは魚が獲れなくなりたいへん困り、海の神様に相談に行った。海の神は民の声を聞き、竜に近づき、おもむろに蹴っ飛ばした。それでようやく民は魚を獲ることができるようになった。めでたしめでたし。この竜がいたところ、それが現在宇佐町の竜という地名になっている。」

そしてこの竜が蹴っ飛ばされて飛んできた先がこの高峯神社なのだそうです。

今回の写真に話を戻すと、2人の子供は石川吾朗くん寛大くん兄弟。
子供たちにとってはどこでも遊び場所。
「トトロはどこ〜?」と元気よく走りまわってくれました。

 

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私の一冊

上土井恵子

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「人生逆戻りツアー」 泉ウタマロ プレジデント社

第1章の副題が『ついうっかり死んでしまったその後の私』。その通り、64才の平凡なおじさんの死後の話です。魂の領域へ行くと3人の守護天使と会い、一緒にそのおじさんの人生を回想していきます。人生の岐路で天使から色々とメッセージが送られていたんです!気付くか、気付かぬか…。

自分の人生、生かされている「今」「今まで」「これから」にも起こる出来事にもメッセージがあるのかな?と思うと、物事の深さが増し、色合いが変わったように思いました。
後編に出てくる「創造主」が意外な風貌(笑)!
なのに言っていることは「おー」と思わせます。最後はほっと穏やかな気持ちになれます。この筆者、実は女性なんですって!

上土井恵子

 

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くだらな土佐弁辞典

えずい

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えずい

【形】ヤバい、ひどい

例:「マタタビ食べすぎてえずいにゃ〜。」(マタタビを食べすぎてヤバいです。)

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私の一冊

和田亜美

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「娘が可愛すぎるんじゃ〜!」 きくまき KADOKAWA

「うちの子、不細工で・・・」「うちの子、へなちょこで・・・」

何かと卑下してしまう自分の子。

でも本当はすべての親が「我が子が一番じゃー!!」と思っているはず。

この本に登場する娘ちゃん、可愛い。可愛すぎる。

でもうちの娘だって(親から見ると)可愛い。可愛すぎる。

さあ、今こそ全ての親御さんよ、叫びましょう。

「娘、息子が可愛すぎるんじゃーーーー!!!」

和田亜美

 

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「一番好きな食べ物はなに?」と聞かれたら「干し芋!」と答えるくらい大好きな干し芋。
今、土佐町の道の駅や産直市にたくさん並んでいます。神奈川県に住んでいた時は真空パックに入った干し芋を買っていましたが、土佐町に来てからは自分で作るようになりました。

作り方は近所の上田房子さんに教えてもらいました。

干し芋のことをこの辺では「干しか」といいます。
房子さんの家の前では、エビラにきれいに並べられた黄色やオレンジ色の干しかが太陽の光を浴びています。
その光景はとても美しく、思わず足を止め、眺めていたくなるほどです。

今の季節、お天気の良い日にはきっと房子さんがかまどに火を入れ、干しかを作る準備をしていることでしょう。


今年も房子さんと一緒に「干しか」を作ることができて、とてもうれしかったです。
真空パックに入った干し芋もこんな風に誰かが手をかけ、時間をかけて作っていたものだったのだということをあらためて感じます。
いかに早く、いかに安く、いかに便利かということが主流になりがちなこの世の中で、房子さんをはじめこの地で生きて来た人たちが今までずっと積み重ねてきたことは、もしかしたら一見目立たなくて地味なことなのかもしれません。
けれどもその中に、人が忘れてはいけない何か大切なこと、かけがえのないことがあるんやないかなと私は思うのです。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「しゃぼんだま」 林明子 福音館書店

大人になってから「昔、きれいなしゃぼんだまの絵の本をよく読んでいた気がするけど題名はなんやったかな?」とふと思い出した時がありました。絵の感じはぼんやりと浮かぶのですがはっきりとわからない。「確か子どもが下を向いて、ふーってしてる絵だった気がする…。あの絵の感じは林明子さんなんやないかな…」。そう思ってネットで調べると、やっぱり!林明子さん作のこの本でした。残念ながらもう絶版になっていて図書館にもなかったし、どこの本屋さんでも売っていませんでした。

でも不思議なことはあるもので、ある時どこかの町の古本屋さんに行った時に見覚えのある表紙が。
もしかして!
「しゃぼんだまや!やっと見つけた!」ドキドキしながら本を開くと『子どもが下を向いて、ふーってしてる絵』が、確かにあったのです。

なつかしいこの色、この感じ。昔からの友達に会えたような気持ちでした。
そのページが2枚目の写真です。

鳥山百合子

 

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