和田亜美

土佐町ストーリーズ

そして、編入合併へ・・・

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「大渕・古味・井尻・下川・上津川」という地区があります。

今では、20数名しか居住者がいませんが、昭和の中期には700名を超える住民がいました。

今回は、この5地区で、かつて起こった熱い闘いの物語です。

 

 

森村・地蔵寺村・田井村の3村が合併して土佐村となったのが昭和30年のこと。

当時、嶺西地域には森村・地蔵寺村・田井村・吉野村の4村あり、その4村が合併について協議していました。

 

吉野村では「本山町と合併せよ!」という8地区と「田井地区と合併せよ!」という5地区が対立。

この5地区が「大渕・古味・井尻・下川・上津川」です。

結局、決着がつかないまま、吉野村は多数決により本山町と合併しました。

 

それから約5年間、この5地区が本山町から分町をして、新土佐村へ編入合併する闘いが始まります。

 

土佐村に編入合併することについて、住民の直接投票に持ち込むための運動が約3年間にわたって展開されました。

 

その後、運動が実を結び、住民投票が行われます。

住民投票については、時間制限なし(夜間の運動可)、個別訪問自由ということで7日間、昼夜兼行で激烈な運動が展開されました。

その当時、5地区を合わせると754名もの住民がいたため、住民投票の当日はその警備のため100名もの警察官が派遣されたといいます。

 

住民投票の結果、0.66票の差で、分町反対地区民が勝利する形となりました。

この結果を不服とした分町希望者は、本山町選挙管理委員会、さらには高知県選挙管理委員会に対し再審査を要求。

しかし共に受け入れられず、法廷闘争へと突入します。

 

訴状をもって高松高等裁判所に提訴すること10数回、審理の末、分町派の5地区はついに勝訴の判決を得ます。

高松高裁は『再審査の結果投票で無効とされたものの中に有効票があり、分町賛成票が1.33票強であった』と判断しました。

これに対し、県選管が最高裁判所に上告しましたが、最高裁が高松高裁の判決を支持し、分町派勝訴の判定が確定しました。

 

そして、昭和36年、本山町のうち吉野地区西部5地区が土佐村に編入合併することになったのです。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

土佐町が生まれた日

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町はかつて、土佐村でした。

昭和41年頃から、町制の実施の希望が村民の間で高まり、昭和44年に町制施行が決定しました。

さて、ここで「新しい町名をどうするでよ?」問題が勃発します。

 

町制を施行するにあたっては、町制調査研究特別委員会という会が立ち上げられたそうで、新町名もその委員会で検討されました。

その当時、すでに「土佐市、中土佐町、西土佐村、土佐山村、土佐山田町」など、土佐という名称のつく市町村が多かったので、間違わんように他の名称にしたほうがえいんじゃない?という意見が多く、各委員が新町名を提案しました。

 

「嶺北町」

「水都(みと)町」

「吉田(よしだ)町」

「土北(どほく)町」

「奥土佐(おくとさ)町」

「早明浦町」

「昭和(しょうわ)町」

「登佐(とさ)町」

「美都(みと)町」

「大海(おおうみ)町」

 

さらにこの中から、「2つだけ選ぶとしたらどれがえい?」と選ばれたのが「嶺北町」と「水都町」。

委員会では決定的な名称は選定せず、この2つの中から住民投票で町名を選ぶことに。

 

その際、「候補の中にない町名を自由記載してよいか」という意見が出ます。

「えいろう。」「それも住民の意見じゃ。」

そうして行われた住民投票。

 

蓋を開けてみれば、自由記載の「土佐町」が一番多かったのです。

 

その結果に、すったもんだ てんやわんや あれやこれや あったという話も聞きますが、やはり住民の大多数が支持した土佐町、ファイナルアンサー。

 

そして、昭和45年2月20日に『土佐町』が誕生しました。

今となっては「土佐町」以外考えられませんが、もしかしたら全然違う町名になっていたのかもしれませんね。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

万次郎だけどジョンじゃない

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「万次郎カボチャを土佐町で作り始めたのは、うちの母やと思うがよー」

とおっしゃったのは土佐町役場に勤務している藤原美穂さん。

 

お母さんは川田慶子さん。

地蔵寺に住んでいる。

 

息子さんのお嫁さんは熊本出身で、お嫁さんのお父さんは種苗業を営んでいる。

25年程前、息子さんが結婚する時、お嫁さんのお父さんが、作っていた万次郎カボチャの苗を譲ってくれたそう。

最初の年は40数個も収穫があって、それがまた美味しい、収穫時期が遅い(霜が降りるまで大丈夫)ということで評判になって『作ってみたい』という人が増えたらしい。

インターネットで検索してみたら、日本では苗を売っているところが高知に一軒しかないんですって。

種間交雑種のせいか雌花しかつかず、種での販売はされていない。高知県の苗物屋さん(片山種苗)で苗が販売されているとのことで、その苗物店が生みの親だそう。

と、いうことは、熊本で作られていた万次郎カボチャも、高知出身ってこと???

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

編んでる?

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「最近編んでる?」「まぁ、編んでるよ」

 

ふと耳に入ってきた言葉。

この時期編むといったらマフラーかな?セーターかな?

 

これは、集落支援員さんの会話。

下瀬戸・黒丸と南川には、土佐町の中心部から車で1時間かかるのだが、それぞれ集落支援員さんがいる。

集落支援員さんは、地域に入って活動し、地域の現状や課題を把握して、どう対応していくかを役場と一緒に考えてくれる頼もしい存在。

 

そんな集落支援員さんは何を編むのか。

 

「背蓑(せみの)」だ。

 

農作業の時に、日よけや雨よけのために背中に背負う「蓑」。

 

下瀬戸・黒丸、南川地区では以前は背蓑の作り手がたくさんいたけれど、今ではたった一人しか作っていない。

そこで「背みのづくり保存会」というのを作って、その技術を教えてもらっているのだそう。

 

背蓑の原料は「菅(すげ)」という植物。

「良質な菅は寒い高地で霜が降りたやつなんやけど、最近あんまり取れんでね。低地のでも作れるけど、そういうのは何年かしたら萎れる」

とのこと。

 

「最近編んでる?」「編んでる編んでるー」

編んでいるのは、まさかの背蓑。

なんだかちょっぴり かっこいい。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

遠い日の記憶

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

町内にあった保育園が統合して1園となり『みつば保育園』が誕生したのが平成18年のこと。

それまでは土佐町には『田井保育所』『はと保育所』『石原保育所』の3園ありました。

私は『はと保育所』に通っていたのですが、当時は子どもも多く、送迎バスがありました。

相川方面と土居地区方面の2便あったと記憶しています。

 

私が通っていたのはもう30年以上も前。

昭和50年代が終わろうとしている頃です。

 

土居地区方面への帰りのバスは、上ノ土居→土居→大谷と、順番に子どもを降ろしていきます。

私は土居で下車しているのですが、その日は上ノ土居のお友達に「一緒に下りよう」と誘われました。

上ノ土居は1つ手前のバス停で、上ノ土居で下りても、私の家まで徒歩1分程度でしたので、軽い気持ちで下車しました。

 

そして家に向かって歩いていると、向こうから怒りの形相の祖母の姿が・・・。

いつもバス停まで迎えに来ていた祖母は、私がバスから降りてこないので、
運転手さんに「これこれこういう子が乗ってなかったか」と聞いたところ
「上ノ土居で降りましたよ」と言われたらしく、探しにきたのです。

 

「勝手に他の所で降りたらいかん!!」と叱られました。

 

その当時は「別にえいやんか~」と思っていましたが、今思うと、心配しただろうなぁ・・・。

あの時の道の向こうからやってくる祖母の姿は、今でもありありと思い出せます。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

げに、まっこと

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

これぞ土佐弁!という土佐弁を使うことが減ったと思う今日この頃ですが、最近耳にした土佐弁を紹介します。

 

「へらこい」・・・ズルい

「しのべる」・・・しまう、片付ける

「めっそう」・・・さほど、それほど

 

使い方としては「あいつはへらこい」「これ、タンスにしのべちょって」「めっそう残ってない」とか、こんな感じ。

自分より若いおねーちゃんの口から「めっそう」なんていう言葉が飛び出すと面食らいます(笑)

 

 

あと初耳だったのが「てんくろう」。

「あいつは『てんくろう』やき」

使った人にどういう意味か聞いたら「俺の親父みたいなやつのことよ!」とのこと。

全然わからなかったので調べてみたら「知恵が回る、頭の回転が速い」という意味だけれど
どちらかというと「悪知恵が働く」という意味合いが強いみたい。

 

それから、他県の人に説明しづらいけど、使い勝手がいいのが『のうが悪い』。

よく『脳が悪い=頭が悪い』っていうこと?と誤解されるのですが、そうではない。

 

洋服の着心地が悪かったら『のうが悪い』

物の使い勝手が悪かったら『のうが悪い』

 

 

他にも色々面白い土佐弁があるぜよ~。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

ポッポ広場

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

土佐町には子育て支援センター『ポッポ広場』があります。

平成18年に開設され、ちょうどその頃長男を出産した私は、ポッポ広場へほぼ毎日のように遊びに来ていました。

今でこそ4人の子どもの親をやっている私ですが、
当時は我が子にも、他の子どもにも、そして他のお母さん達にもどう接したらいいかわからず、
ただただ家で長男と二人きりでこもるストレスから逃れるためにポッポ広場を利用していました。

 

そんなポッポ広場で、私を変える出会いがありました。

 

次男を出産してから、ポッポ広場を訪れた時のことです。
人のお母さんがニコニコと話しかけてきたのです。

『もしかして、上にお兄ちゃんがいます?多分同級生なんですよ~』

彼女の名前は加藤さん。
転勤族で、土佐町に引っ越してきたとのことでした。
人見知りだった私は、こうやって初対面の人が話しかけてくれるということが衝撃的でした。

 

下の子も同級生ということもあって、加藤さんとよくポッポ広場で話をするようになりました。
いつでも穏やかに笑っている加藤さんの周りには自然と輪ができて、私もみんなと喋るようになりました。
あっという間に何でも喋れるようになって、子育ての悩みや家庭の愚痴、どこそこのスーパーであれが安かった、
これがおいしかった・・・こないだ教えてもらったアレ、やってみたでー!など、情報交換も盛んになりました。

今までは子ども同士の玩具や遊具の取り合いなどのトラブルがあるとすぐに介入していたのですが、
みんなが『えいえい、ケガがなかったら放っちょって~』という雰囲気だったので、
ちょっとしたことでオタオタすることもなくなりました。

消しゴムハンコの作り方やパンの焼き方を習ったり、簡単なレシピを教えてもらったり、
誰かの家に集まって、わいわいお茶をしたり。
私は勝手に『ポッポ広場の黄金期』と呼んでいます(笑)

転勤族だった加藤さんとは、数年後にお別れすることになってしまうのですが、
あの時加藤さんが話しかけてくれなかったら、子育てを楽しむという気持ちは生まれていなかったと思います。

今でもポッポ広場には色んなお母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんがやってきます。
転勤族の人、里帰り出産の人、他町村からの人、ポッポ広場は誰でも利用できます。
お弁当を持って、子どもと一緒に食べてから帰ることもできるようになりました。

初めての子育ては何もかもが手探りで、不安でいっぱいで孤独を感じるものです。
仕事をしていると、他の保護者の方と話す機会も少ないのでなおさらです。

そんな保護者の方達に、ぜひポッポ広場に足を運んでもらいたいです。
いつでも開いていますよ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

本当にあった怖い話

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

 

南越(みなごし)トンネルは、土佐町役場方面から、早明浦ダム湖周辺に向けて抜けているトンネルです。

トンネルといえば、怖いイメージがつきものですが、南越トンネルも例にもれず「あのトンネルは怖い」という噂があります。

祖母も「私が若い頃は、一人であそこをよう歩かんかった。一人で歩きよったら何かがついてくるんじゃ」と言っていました。

 

そんな南越トンネル付近の怖い話を、最近聞きました。

それは、私の書いた「家の主」という記事を読んだ町長が話してくれたものです。

 

「何年か前ににゃあ、『オンビキ(ヒキガエル)がようけおるき、何とかしてくれんか』ゆうて言われて、南越トンネルの辺に行ったらにゃあ」

 

「オンビキが100匹ばぁ、ゴゾゴゾ這いよってにゃあ」

 

「側溝にもみっしり詰まっちょった」

 

「何とかしてくれと言われても何ともできなぁー、殺すのも気持ち悪いし!!」

 

 

ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

今後、南越トンネル付近を通るたびに、背筋がゾクゾクしそうです。

 

 

 

 

 

・『家の主』の記事はこちら!

家の主

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

千体流し

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

 

みなさんは、千体流しを知っていますか?

8月15日のお盆の日、お寺で法要があり、お地蔵さまの絵像の描かれた千枚の紙をいただきます。

それを川に持って行き、『おんかかかびさんまえいそわか』と唱えながら一枚一枚川に流すのです。

この『おんかかかびさんまえいそわか』というのはお地蔵さまの真言だそうです。

千体流しは、子どもの頃からずっと、お盆の我が家の恒例行事でした。

JA土佐れいほくの前に『フタマタ』という川へ下りる細い道があって、そこから川へ下りて千体流しをします。

私が最後に千体流しをしたのは、もう10年以上も前ですが、千体流しに行くたびに祖母や母が『お盆の日には、地獄の釜の蓋が開くき川で絶対に泳いだらいかん』と言っていたのをよく覚えています。

裸足で川に入って千体流しをしていたので、川の水の冷たさと、地獄の釜の蓋が開いて引きずり込まれるイメージとで背中がゾクゾクしたものです。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone