笹のいえ

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反抗期

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次男(6歳)がどうやら反抗期みたいだ。

こちらの小言に返事をしない

頼んでもぐずぐずして動かない

言い訳をする

など。長女長男には反抗期らしい反抗期はなかったと記憶しているので、最初は、どうも最近次男とのコミュニケーションがうまくいかないときがあるなくらいにしか感じていなかったけれど、そうかこれが反抗期というものなのかとしばらくしてから気づくことになった。

兄妹、特に四歳上のお姉ちゃんとよく口喧嘩になる。わたしの机にあるものを勝手に使うな、使ったおもちゃや読んだ本を片付けろ等々。喧嘩、と言うか、姉が弟に一方的にまくしたてることが多く、そのスピードも語彙も持ち合わせていない年下の彼は黙ってしまう。それを無視されたと思った姉がさらに怒るといった感じだ。

四六時中反抗してると言うわけでなく、普段は兄とふざけあったり、妹とごっこして遊んだり楽しくしてる。何かの拍子で「反抗期スイッチ」が入ってしまうのだろう。

ある日、ふたりでお風呂に入るときがあったので、最近の彼の態度について話をした。

次男にも思い当たるふしがあるようで、壁の一点をじっと見つめながら思い出すようにぽつぽつと話はじめた。彼には彼の都合なり、理由があっての行動だった。それがその場その場ではうまく言葉にできなかったり、説明がつかなかったりして、黙ったり言い合いになったりしてしまうのだ。

彼の話を聞き終わって、僕は何か気の利いたアドバイスを、と考えたが、口から出てきたのは「そうか、まあ確かにそう言う時もあるよな。分かるよ」という、彼の何倍も人生を歩んできた先輩としては説得力に欠ける言葉だった。けど、説教めいたことは言いたくなかったし、彼の言動を否定したくもなかった。これまで身に纏っていたものが窮屈になり、新しい服を探している彼に、僕が用意した「誰に似たスタイル」を無理に着せようとするのは気が引けた。何を着るのか、彼は自分自身でそれを選び取ることができる。

話し合いのあと、僕は(そして、たぶん彼も)少しすっきりした気分で浴室を出た。

が、おもちゃの片付けをせずにお風呂に入った彼をお姉ちゃんに指摘され、また叱られていた。

反抗期はもうしばらく続きそうだ。

 

写真:隣町にあるお気に入りの場所で。「何も身につけない」という選択もたまには良いかもしれない。

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五年目を迎えて

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とさちょうものがたりがスタートしてから、五年目に突入したとの記事がアップされた。

立ち上げからはじまった、笹のいえでの暮らしを綴る僕の散文も同じ時間を経てきたことになる。これまでにアップした記事は、160くらい。はじめての投稿は、2017年6月27日。文字数93の短い文章だった。写真に写っている手の持ち主は、長男の玄人。当時五歳目前だった彼は、今月九歳になる。あれから、僕も四つ歳を取り、家族はふたり増えた。

僕たちの日常を綴った文章を、開始当初は「こんなの興味ある人いるのかなあ」と半信半疑だった。けれど、最近は「読んでるよ」と声掛けられたり、感想をメッセージやコメントでもらうことがあり、励みになっている。自分で書いておいて言うのもなんなんですが、うちでの出来事を他人様が知っているのはなんだか不思議な感じがする。僕の気ままな素人文に、読み手の大切な時間を費やしていただいていると思うと、少し気恥ずかしいような、申し訳ないような、でも有難いことだ。

ネタには事欠かない七人家族暮らしだが、毎日慌ただしく、落ち着いてパソコンに向う時間が取れなかったする。それでも、はじめての運営側とのミーティングで、「締め切りは無し!」の言葉にずっと甘えて、自分のペースでやってきたのも、続けてこれた理由のひとつだろう。

このサイトには、土佐町に多様に関わる人たちが登場し、彼らの物語を語っている。それは昔話だけでなく、現在進行の話題だったり、将来に向けての希望あるメッセージだったりする。そのストーリの積み重なりとともに、コンテンツにも深みが出てきた。四年前には想像もできなかったほど世の中が変わってしまったけど、僕もまた未来に語れる「ものがたり」をここに残せたらなと思っている。

読者の皆さん、いつも温かい目で見守ってくれているスタッフの百合子さんと拓ちゃん、ありがとうございます。これからも引き続き、どうぞ宜しくお願いします。

 

写真:この四年で増えた家族ふたり(と一匹)

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日常の風景

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この日、下校した長男が外にあるテーブルにランドセルを下ろし、宿題をはじめた。

日がだいぶ傾き、西の空が紅く染まりはじめる時刻。向かいの山の斜面に立つ木々は静かに西日を受けている。あらゆる色がゆっくりと褪せ、風が止み、耳に聞こえてくるのは鳥のさえずりと蛙や虫たちの声。

何かの作業をしていた僕は手を止めて、目の前にある、その場面に見入ってしまった。

僕らは、なんだか素晴らしい場所に暮らしているのだな。

この風景を、息子は大人になっても覚えているだろうか。

でも僕にとって感動的な情景も、物心ついたときからこの環境にいる彼にとっては当たり前の日常。父ちゃんの想いを説明しても理解されないだろう。

人生の一部を過ごすことになったこの土地と時間を評価できるようになるには、一度はここから離れることが必要なのかもしれない。そのときまで、まだあと数年掛かりそうだけど、大人になった彼と「そんな瞬間があった」ことを語り合いたいと思わせるひとときだった。

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ごっこ

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次男六歳と次女三歳の好きな遊びのひとつは、「ごっこ」。

設定はそのときによりまちまちだが、家族設定、ヒーローもの、流行りの漫画やアニメを真似たものなどがある。この遊びがはじまるとき、たまにふたりは「父ちゃん、ごっこしよ〜」と誘いに来る。

しかし、僕はこの遊びが大の苦手だ。

まず、演じている自分を客観的に見てしまって、恥ずかしいと感じてしまう。それから、流行りのキャラクターの詳細を全然フォローしていないから話についていけなくて、ダメ出しされる。武器を使うときに発する効果音(シャキーンとかバキューンとか)を叫ぶのもちょっとアレだし、撃たれたとき大袈裟に倒れる演技も照れてしまう気持ちが大きい。本当はキャッチボールとか自転車漕ぐとか、そんな遊びの方が好きだ。

けれど、ごっこしようと言っている彼らの気持ちは、もうどうしたって100%ごっこ気分なので、変更は難しい。僕はああ憂鬱だなあ本当はやりたくないなあと思いつつも、子どもの希望を聞くのは親の役目だしと、付かず離れずこの遊びに付き合っていた。

しかし、やっぱり苦手なものは苦手。

なので、気分が乗らないときは、断ることにした。

子どもの遊びにくらい、適当に付き合ってやればいいのにと、もうひとりの僕が心の中で囁く。いやでもしかし、大人だろうが親だろうが、ときには断る勇気も必要だろうと別の僕が反論する。

思い切って断ってみると、子どもたちは最初グズっていても、そのあとは僕抜きの設定で自分たちで上手に遊ぶことが多かったりする。「親なのだから常に子どもの相手をせねばならない」「子どもの期待には応えるべきだ」と言うステレオタイプに縛られすぎていたのかなと思う。親だってできることとできないことがある、そう大きな声で宣言してもいいのではないだろうか。

 

写真:ついに補助輪なしで自転車に乗れるようになった次男。ドヤ顔でペダルを踏む彼の表情がカッコイイ。ところで、子どもたちは自転車のことを「ジテン」と呼ぶ。土佐弁なのかな?

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説得&リリース

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【注意】今回はムカデについて書きました。嫌いな人(好きな人は少ないと思うけど)は、読まない方がよいかもです。

 

今年は梅雨入りが早かった。四国では例年より約20日も早いらしい。入梅までにやろうと思っていた作業予定を組み立て直す羽目になったけど、自然相手ではよくあること。状況に合わせて対応しよう。

 

湿度と気温が上がりムシムシしだすと、ムカデを見かけるようになる。

見た目や動きからして、ヤバそうな生き物であることが分かる。黒く長い胴体に赤い(青いのもいる)脚がたくさん。そして思いの外、素早い。強い毒を持っていて、噛まれるとそれはそれは痛い。僕は、体長5cm程度のムカデに噛まれたことがある。子どもサイズだが、それでもめちゃめちゃ痛かった(体質によると思いますが)。そんな彼らが室内を這い回ったり、寝ているところに天井からぽとりと落ちてきたりするから、家中騒然となる。

「茶」と書いた紙を逆さにして柱などに貼ると、彼らを遠ざける効果があると聞いたことがある。その字が天敵のクモの姿に似ているからという理由らしいが、言われてみれば、なるほどそう見える気がする。積極的な対処方法としては、捕まえて殺すのが一般的かと思う。ムカデなどを凍らせるスプレーも売られている。

うちも以前は同じように、補殺していた。しかし僕らが引っ越してくる前からこの辺に暮らしている彼らは、いわば先輩。数は相手の方が圧倒的に多い。闘いは向こうに分(ぶ)がありそうだし、キリがない。なんとか共存の道はないだろうか。でも、痛いのは嫌だ。

どうしたものかと考えあぐねていた数年前、左官屋のケンちゃんから「ムカデは結構、話のわかる生き物だよ」と教わった。家に来ないでねと話をすれば理解して来なくなる、と。またまたご冗談を、と思ったけれど、まあダメで元々やってみることにした。

出てきたムカデを火バサミで捕まえて、「ここは人が住んでるし、小さな子どもがあるから、外に行ってね。仲間にも伝えて!」と説得して、草むらにポイっと投げる。

それまで毎シーズン数匹捕まえていたムカデだが、この年はそれ以降見ることはなかった。翌年からシーズン最初に捕まえた一二匹を説得すると、家の中で見つけることがほぼなくなった。世の中には不思議なことがあるもんだ。いや一番不思議なのは、ケンちゃんだ。

以来、このメソッドを「説得&リリース」と名付け、毎年採用している。

今年は梅雨が長そうだし、ムカデの目撃回数が例年より多いと聞く。今シーズン、果たしてこの方法の効果があるのか不明だが、すでに二匹説得したので、そろそろ笹の周りのムカデコミュニティに伝わっているころだろう。

 

*個人的な体験です。

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Stand by Me

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三月終わりのころの話。

8歳の息子が友達を連れ立って、高知市内に遊びに行くことになった。

彼にとって、子どもだけの遠出は生まれてはじめてのこと。

ある日長女グループが自分たちで計画を立てているのを見て、僕も連れて行ってほしいと願った。が、「女の子たちだけで行きたいから」という理由で断られたので、母ちゃんに泣きつき、男子旅プロジェクトがスタートした。

行き先は、わんぱーくこうち。

県内では有名な公園で、小規模ながら動物園と遊園地を併設している。僕らの住む地域からはバスと電車を乗り継いで片道約二時間掛かる。

まず実行日とメンバー決定して、乗り物の時刻と料金調べる。お小遣いをいくら持っていくかなど、綿密な計画が彼らの間で練られていった。良く言えば細かいことは気にしない性格の息子は、何回確認しても、紙に書いたスケジュールを覚えられない。そんなことで無事に旅は遂行されるのだろうか。いろいろ手を尽くした親が最後に言ったアドバイスは、「わからないことがあったら、周りの人に聞きなさい!」。高知県民の人情の厚さに頼るのが一番確実と考えたからだ。

二年生から五年生、ドキドキの男子旅。数日後に県外へ引っ越してしまう同級生も飛び入り参加することになり、総勢四人の記念旅行となった。

翌朝、集合場所であるバス停に乗るべき便が到着した。よしさあ出発!というとき、ひとりが漫画を読み耽っていてあわや置いて行かれそうになり、見送りの親たちは息子たちの一日を案じた。

 

夕方の到着時間。保護者たちの心配をよそに、男子たちは笑顔で帰りのバスから降りてきた。まずは怪我もなく無事に戻ってきてくれたことに感謝し、我が子と友だちの成長に胸が熱くなった。

冒険から生還した勇者たちは、我が町に到着して緊張の糸が切れたのか、旅の話を一斉に喋りはじめた。道中の様子、遊園地のアトラクションが如何に刺激的だったか、お小遣いで何を買ったか。皆我先にと話すものだから、聞く方は大変。でも、今日という日が彼らにとってどれほど素晴らしかったのかよく分かった。ちなみに、うちの息子はアイスクリームの三段重ねを二つも食べたと得意そうに話していた。普段うちでそんな暴挙は許されていないが、それも親がいない旅の醍醐味だろう。使ったお金より彼のお腹が心配だけど。

そんな彼らの武勇伝の中で、印象深かったのは、帰りのバスに乗り遅れた話。

帰りのルートは、わんぱーく→高知駅→土佐町とバスを乗り継いで戻ってくる予定だった。しかし、わんぱーくでバス停の場所を間違っていたのか、運転手が彼らを見落としたのか、乗るべきバスが出発してしまったらしいという事態が起こった。どうするどうする、次のバスを待っていたのでは約束の到着時間に間に合わない。しばらくの問答ののち、グループの最年長であり乗り物好きなW君は、この路線バスは高知駅を往復する路面電車と同じ道を走っているということを、行きのバスの車窓から眺めて覚えていた。だからそのルートを辿っていけば駅に着くはずだと主張する。かくして一行はその線路を探し当て、駅まで歩き、予定していた土佐町行きのバスに乗り込むことができたという。その話を聞いたとき、僕の頭の中にあの映画の一場面が鮮明に飛び込んできた。ストーリはだいぶ違うけれど、そして実際には線路上を歩いたわけではなく歩道を歩くという交通ルールを守った正しい方法だったけれど、どちらも少年たちの大冒険であったことに変わりはない。

友人たちに別れを言い、車に乗り込んだ息子。少し気持ちが落ち着いたのか旅の疲れが出たのか、シートに身を沈めてじっと外の景色を眺めてる。運転する僕の脳内では、Ben E. Kingの曲が繰り返し流れていた。

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たねまき

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今年もお米つくりがはじまった。

いや、厳密には、土つくりやら畔や水路の清掃、整備やらで、一年を通してやることがある。けれど、四月も中旬になり、田んぼに水が入りはじめると、いよいよという気持ちが高まる。

高まったところから、行動に移るまで長い時間が掛かる僕。

今回はご近所さんのご好意で畔を付けてもらったので、田んぼに水が入るまでは早かった。しかし、その後はずるずると作業が遅れ、「そろそろ腰を上げないと予定していた田植えに間に合わない」という日を迎えつつあった。この「そろそろ間に合わない、までやらない」は僕の得意技のひとつで、人生におけるかなりの場面でそうであったよなあ、と遠い目で過去を振り返る。

あの植え方が良いらしい、こうすると楽に除草できるらしい、と地域の方々に教えてもらったりネットで調べては毎年やり方を変えている。今回は「ポット苗」を作ることにした。「みのる式」と名がつくこの方法は、土佐町では一番ポピュラーな育苗法。箱にたくさんの穴が開いていて、そこに土と種籾を入れて苗を育てる。専用の田植え機で田植えするが、根を切ることなく苗を箱から外すことができるので、手植えもし易い。

去年育てた直播苗の苗取り作業がものすごく大変で、あっさり音をあげた僕。今年はみのる式でやってみようと思い立ち、納屋で眠っていたいただきものの資材を引っ張り出して、準備をはじめた。

みのる式用播種機というのもあって、箱に培土を入れるのと種まきを同時にしかも半自動で行える。農家の方々はこれを利用して、何百枚とある育苗箱に播種する。僕が用意する苗箱は80枚、手作業でもなんとか行けるだろうと踏んで、やってみることにした。

まずは土を入れる作業。軽トラの荷台にブルーシートを広げ、土と箱を準備する。折角の手作業なのだから、と実験欲がむくむくと湧き、自家製くんたんを一二割混ぜてみることにした。土(専用培土を購入)の節約と軽量化が目的。土が減れば当然そこに含まれる養分も少なくなるので、どう育つか観察してみる。

普段見かけないことをしていると、大抵子どもたちがやってきて、「父ちゃん、なにしゆうが?(なにしてるの?)」。この日やってきたのは「なんでもやりたい時期」真っ最中の次女。お手伝いだか、土遊びだか分からないけれど、楽しそう。しかし、しばらくして母ちゃんの「おやつよー」の声ですっといなくなってしまった。再びひとり、作業を進める。

手作業だと今まで気づかなかったことが見えてくるから、時間や手間が掛かることは分かっていてもついつい手を出してしまう。ああこの専用土はこんな形をしてて、こんな手触りなんだなあとか、これくらいの枚数なら播種機でやったらあっという間なんだからやっぱり機械は便利だよなあとか。

おやつを食べ終わった娘の遊び相手をしていたら、結局この日は土を入れるだけで終了。箱の土が乾燥しないようにシートで包んで、保管する。播種は翌日以降となった。種を播いたら、苗床に据えて発芽を待つ。

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七人家族

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七人家族になって、「家族増えたなあ」と実感するときがある。

 

ひとつは、寝るとき。

六畳部屋に布団を三組敷く。「親子川の字」なんて言うけれど、うちは五番目が生まれて「川」の字二つを超えて、「川川1」となった。実際にはこんな風に整然と並んで朝を迎えることはなく、同じかわでも、「河」みたいになってることも多い(河は八画だけど、布団に潜り込んでくる猫が加わるとぴったり)。

狭いからあっち行ってだの、この毛布は僕のだの、言ってるうちに寝息が聞こえる。

 

ふたつめは、お風呂に入るとき。

流石に七人いっぺんに入るのは無理なので、ふたグループに分かれる。

最近は以下のメンバーが基本だ。*()内は年齢です。

先発隊は、父ちゃんと長男(8)次男(6)次女(3)。

遊び盛りの三人は、狭い風呂場でも楽しそう。潜ったり、お湯を掛け合ったり、まあやかましい。風呂に入るのが好きな僕だけど、このメンバーとゆっくり湯に浸かるのは不可能だ。飛沫がかかり、足を踏まれ、それでも動かずに(動けずに)ジッとしているのは、ほとんど修行。そのうち誰かがのぼせてきて、次のグループと交代する。

後発隊は、母ちゃんと長女(10)、そして三女(4ヶ月)。

こちらは湯船のスペース的にだいぶ余裕があると想像する。しばらくすると、長女の「たね出まーす」の合図で父ちゃんが迎えに行き、ホカホカになった三女をタオルに包み、母屋に戻る(風呂とトイレは別棟)。どういう理由なのか、彼女は服を着せられるのがたいそう嫌いで毎回泣かれてしまう。父ちゃんは毎回試行錯誤、あやしたり着せ方を変えてみるが未だ正解に至っていない。

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花粉症と少食

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今年もやって来ました、花粉の季節。

僕はどうやら杉花粉に対してアレルギーを持っているらしいので、シーズンが過ぎ去っていくのをジッと耐える日々となる。

花粉が飛べば、鼻はグズグズ、目は痒みで充血し、つい掻いてしまった瞼は腫れ上がる。とても人前に出られる人相では無くなってしまうが、マスクとメガネでどうにか誤魔化してる(と思ってる)。市販の薬は飲まないけれど、家族や友人お勧めの「花粉症に効く」と言われる食材や対処方法などを試してみては、一向に改善しない症状に諦めすら感じてる。

三度の飯より食べることが好きな僕だけど、症状が出ている間は、四六時中鼻が利かないから何を食べても同じに感じるし、味もよく分からないから、そのうち食欲も失せてしまう。

ある日、お腹が鳴るくらい空腹だと症状が和らぐことに気がついて、一日断食してみた。空腹が免疫力を上がることはよく聞くから、症状軽減に効果があるのかもしれなかった。しばらく続けてみようかと思うが、全く食べないと力が出ないし、手足に冷えが出て、これはこれで困ったことになるので、身体が「なんか食べたい」と知らせるタイミングで少しずつ食事を取ることにした。

せっかくなので、どんな食材や飲み物が影響するのか、ひとつひとつ調べてみる。

小さな塩玄米おにぎりを口に放り込み、よく噛んで食べてみる。大丈夫。お茶や味噌汁もオッケー。生野菜自家製漬物、症状悪化せず。油もの、粉物は一口二口ならいけそう。お酒はNG。けど大好きな珈琲が問題ないのはラッキー。そんな風にして自らの人体実験を楽しむことにした。友人宅でうっかり炒め物をお腹いっぱい食べたら、数分後に症状が再発。目の痒みに悶えながらも、なるほどと納得していた。僕にとって免疫の落ちる食べ物は、花粉の季節以外でも何らかの影響があるはずだ。覚えておくと、今後役に立つかもしれない。

意識して少食をはじめてみると、全く食べない方が楽だと気づく。食べ出すと「もっとくれ!」と叫ぶ身体をたしなめながら、箸を置くのはなかなか辛い。欲に任せて食べ過ぎるとこれまた体調の悪化を招くのだった。

さて、色々試してみた結果、「咀嚼」「粗食」「腹四分目くらい」が症状を悪化させないことが分かってきた。何かを摂取するという足し算ではなく、「摂るものを減らす」という引き算的方法は、僕に合っているようだ。

困ったのはスマホやPCのスクリーンを長時間見れないのと熱いお風呂に入れないこと。目が充血したり、血行が良くなると、痒みが増してしまう。

一年で一番辛い季節ではあるけれど、こと食べることに関して身体と向き合い、養生する良い期間だと思うようにしてどうにか乗り越えている。

 

写真:五人兄弟の中でも、体質は一人ひとり違うみたいだ。次男は落花生と甲殻類に反応するようで、食べ過ぎると肌が乾燥し、身体の痒みを訴えたり、耳の後ろが切れたりする。僕は幼いころ慢性鼻炎と診断されたことがあるので、他の子にも多少なりともあるかもしれない。

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笹のいえ

冬のせい

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冬のせいだと思った。

ここ二三ヶ月、思いが前を向かなかった。

年老いていく両親のこと
これからの暮らしのこと
コロナ禍での生業のこと
人との交流や噂話
家族が増えたことにすら不安を感じていた。

どれもポジティブに解決すべきだと考えてはいるけれど、どうもそうならない。気持ちが焦ってしまうだけで、具体的にどうしたいのか自分でも分からない。頭の中は行き場の無い感情でいっぱいになり、さりとてどこから手をつけて良いのか悶々としながら毎日を過ごしていた。

ある日、ふとこれは季節が関係しているのかなと思い付いた。

冬になると寒さで心も身体もギュッとなって、固くなる。僕の場合、思考や行動範囲も同じように縮み狭くなる傾向があるようだ。

冬のせいなんだ、僕のせいじゃない。

 

あと少しで春が来る。

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