私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

川村房子

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「知っていますか?SDGs」 ささら書房 日本ユニセフ協会

今年のはじめ頃やったろうか。SDGsという言葉を聞いたのは。どういう意味かわからず、ちんぷんかんです。

それが近頃ではよく見たり聞いたりするようになり、少しはわかった…と思ってもすぐに抜けていってしまいます。

図書館にいくと“SDG”入門書があり、借りてきました。

将来にむけて地球上であらゆる人たちが、より幸せに生活していけるようにと国連で採択された目標。

S ustainble (持続が可能な)
D evelopment(開発)
G oals(目標)

ユニセフと一緒に17の目標をかかげて、世界のどこに生まれてもその命と健康を守るために、2030年のゴールをめざしています。

覚えることより忘れることが多いこの頃ですが、

「SDGs」…できる事を少しずつ…を心にとめておきたい。

 

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私の一冊

川村房子

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「幻の光」 宮本輝 新潮社

160ページほどに4編からなる短編集です。

第1篇は表題の「幻のひかり」では兵庫県の尼崎から、子連れで奥能登の海辺の町に嫁いだ女性。尼崎での底辺の暮らしの日々。結婚した夫は幼なじみで、子どもが生まれて3ヶ月が経ったある日、鉄道自殺をしたと知らせが入った。轢かれる瞬間まで後ろをふりむかなかったという。

能登での平穏な日々のなかでも、独り言をいっては死んだ前夫に語りかけてしまう。何をどう考えてもわからない死に方に心が冷とうなっていく一方で、何かにのめりこんで酔いしれるような不思議な歓びをはっきりと感じてしまう。その心情を想像することもできないけれど、これが「幻のひかり」なのかとつい思ってしまった。

こんな短編集があるかと思えば、「流転の海」は第9部までを40年近くかかって書き上げた小説もあります。ほんとに魅力的な作家です。

今月に入ってからの新聞に、「流転の海」の世界を切り取った短編と傑作エッセイが収録されたもうひとつの「流転の海」の本が出たと載っていました。本屋さんに行ってみなくては…。

 

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私の一冊

西野内小代

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「おひとりさまのケチじょうず」 小笠原洋子 ビジネス社

時間に追われない、時間を追う生き方を実践。物を持たないゼイタクを着々と実行する72歳の作者の言葉には奥深さがあります。

ただのケチ自慢ではなく、目的意識を明確に掲げ、日々をきめ細やかに・しなやかに・たおやかに暮らす極意がサラッと述べられています。

精神的後押しがないと物を捨てられない貧乏性の私。Uターンを機に心を痛めながらもかなりの量の品々とサヨナラして4年、生活スタイルが一変したこともあり、気が付けばまたまた雑然とした暮らしぶり…。

改めて周囲を見直す勇気を与えてくれた一冊です。

 

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私の一冊

山門由佳

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「秘境旅行」 芳賀日出男 角川ソフィア文庫

先日の総裁選で、候補者である河野太郎氏がこう発言していた。 「いろいろ変えられるのは、若者、よそ者、ばか者」と。 これは名言だなぁ〜と妙に納得。

あちらこちらの地方をみていても、よそからきた移住者がその土地に根付いてお店をひらいたりしてお客を呼び込んだり、外部にむかって上手くPRして広めたり、学生が新しい企画を立ち上げて活気づいたり、盛り上がったりしているのは日本各地でみられる。 そして、なによりばか者でないと他人の目線、意見が気になって行動を起こすことはできなかろう。 でも。 なんでもかんでも変えていっていいとは思わない。

やはり、それは長い時間をかけてその土地土地において昔から引き継がれてきた伝統や文化の個性は尊いものだから。 一度、途絶えてしまった伝統や文化を再生するのはイチからはじめるよりはるかに難しいと思う。 そして、地方地方それぞれの特色が観たいからこそ旅をして、その【ちがい】に面白みを感じるんだろう。

この『秘境旅行』の冒頭にも −今や日本には秘境などはなくなってしまったと思う。どこへ旅行しても私と同じシャツを着て標準語をしゃべり、テレビを楽しむ市民や村人ばかりである。 と。 実際、私達も移住先を探すにあたって色々な地方都市をまわったが結局、どこも大きな国道沿いには都会と同じ大手企業のチェーン店ばかりが立ち並ぶその姿には、趣も個性もなく幻滅した。 「田舎ってどこも一緒だね…」 一体ここがどこの場所かわからないほどそういう通りは似通っていて区別がつかないほど。

そんな都会の毒に蝕まれないよう田舎に生まれ育った方々にはその土地のもつ個性や伝統に確固たる自信をもっていただくこと、新しい流れをとりいれながらも守っていくことが今後の若者、よそ者、ばか者の使命にも思う。

 

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私の一冊

西野内小代

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「日本を寿ぐ」 ドナルド・キーン  新潮社

日本人は「島国根性ではない!」と帯に書かれています。

江戸時代の鎖国のイメージが強烈なので、外国を拒否してきたかのように思いがちですが、古代より海を越えての往来は盛んで色々な文化を移入してきている日本です。

鎖国という言葉は1690年9月から1692年10月まで日本に滞在したケンペルが、帰国後日本に関する論文をラテン語で著し、これを英語で転載、そのオランダ語訳から「鎖国」という日本語が造語されたそうです。そもそも日本語には存在しない単語だったのです。

日本人以上に日本語を大切に扱うキーンさん、とても柔らかい丁寧な日本語で講演されたのがよくわかります。「寿ぐ」という言葉自体普段耳にすることはありません。義母の100歳のお祝いに町長の代理で来てくださった役場の職員の方が、読みにくそうに何度か言い直していたのを思い出します。

俳句を音で解釈したり、伝記の資料がほとんどない明治天皇の思想を短歌から読み解いたり、興味深い講演の選りすぐりです。

 

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私の一冊

山門由佳

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「わにわにのおでかけ」 小風さち文, 山口マオ絵 福音館書店

  ことしの夏もまたお祭りなく過ぎ去ってしまった…。仕方のないことかもしれないけれど、こどもたちにとっては大人が想像するよりもはるかに寂しい夏だったとおもう。 なにかをやり残したような、夏。 大人の私は、そのお祭りにテンションがアガってるわが子を眺めるたのしみも奪われたという事実を今こうして書いていて気づいてしまった、秋。 嗚呼、ほんとに残念〜んんん 。

そんな残念な気分をすこしでも慰めてくれる「わにわにのおでかけ」。 蚊取り線香して、布団にはいって…さぁ寝よう、、として眠れないわにわに。

ずり ずり づづづ と歩を進めるわにわに。 夜店に集まる人びとのにぎやかさ、おめんを欲しがるわにわに、怪しい目つきで金魚すくいをするわにわに、花火の大きさ鮮やかさに歓喜するわにわに。。。 帰ってきたら小さくなってた蚊取り線香が、わにわにのおでかけの満足感を静かに物語る。 どのシーンを切り取っても、夏が溢れてる。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「すごいね!みんなの通学路」 ローズマリー・マカーニー文 西田佳子写真 西村書店

令和二年度SDGs未来都市に土佐町は選定されました。全国で33団体、高知県では初の選定です。この取り組みを通して子どもたちには、土佐町や高知県に終わらず広い世界へも興味を持ってもらえたらと願います。それは大人だって同じこと。世界への扉を開いてくれる本をどんどん読んでほしいものです。とはいえ、本を読むまとまった時間を取るのは難しいもの。そんな時、お勧めなのがノンフィクション絵本です。

通学手段と聞いて思い浮かぶのは徒歩や自転車、スクールバスあるいは自家用車などですよね。けれども毎日が冒険!というような手段で学校に通っている子どもたちも大勢います。手漕ぎのボートで通うカンボジアの女の子たち。絶壁の細い山道を歩いて通う中国の子どもたち。山に住むフィリピンの子どもはワイヤーを2本わたしただけの橋(?)をつたって通う子どもの姿にはビックリ!これは絶対私には無理だな~。身近な通学路でもなんて違いがあるでしょう。

同じ空の下、同じ時間を生きていても生活環境、日々の暮らし方は千差万別。世界って広いな~としみじみ感じ入ったことでした。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「高知の空襲」 平和資料館・草の家

「焼夷弾は一面を焼き尽くす」

土佐町に住む現在93歳の筒井重子さんが話していた言葉です。重子さんは16歳の時、志願して広島県呉市の軍需工場へ。港があり、工場が立ち並ぶ呉で何度も空襲に遭い「アメリカ軍が落とした焼夷弾で、あたり一面が焼け野原になっていた」と話してくれました。

この本「高知の空襲」を読んで、昭和20年7月4日、高知市への大空襲でも大量の焼夷弾が使われたことを知りました。

昭和20年7月4日、午前1時52分から1時間に渡って、125機のB29が高知市の中心街を爆撃。アメリカ軍は高知市の大橋通を照準点と定め、中心街のほとんどを焼き尽くしました。このとき使われたのが「M69-6ポンド油脂(ナパーム)焼夷弾」18万発、「500ポンド焼夷爆弾」1251発。

焼夷弾は、攻撃目標を焼き払うため、ガソリンなど燃焼力の強い物質を詰め込んだ爆弾のことをいいます。B29から落とされた1発の親弾が上空300メートル付近で開き、中に入っている38個の「M69焼夷弾」がばら撒かれるような仕組みになっています。

「M69焼夷弾」は、米軍が日本の木造家屋を効率よく焼き払うために開発した爆弾で、屋根を突き破って天井裏で横倒しになり、そこで火を噴くように設計されていた。木と紙でできた日本家屋の構造を徹底的に研究し、「消せない火災」を起こすことを狙った兵器だったといいます。この日の空襲で、木と紙でできていた高知市の街は「真っ赤な火災の大海」に変わり、多くの人が亡くなり、負傷しました。

人間はつくづく恐ろしいことを考える生き物です。

今まで、何人もの土佐町の人から高知市の空襲の話を聞きました。「山峡のおぼろ」を書いてくださった窪内隆起さんも「防空壕」という話の中で、高知市の空襲について書かれています。学徒動員で高知市で仕事をしていた時に空襲に遭い、顎の下まで水に浸かりながら橋の下に隠れて助かったという話をしてくれた方もいます。土佐町でB29がまるでトンボの群れのように飛んでいたのを見た方もいます。話してくれたのは皆、80代後半から90代の方たちです。戦争時の体験を自らの言葉で語れる人は、年月とともに少なくなっていきます。

人間は恐ろしいことを考える生き物ですが、言葉で伝え合うことのできる生き物です。言葉を使い、人間ならではの想像力を働かせ、互いの思いと存在を大切にする。膝を突き合わせて話し合う。一見当たり前のようなことですが、それらができなくなる時、争いが起きるのではないでしょうか。

この「高知の空襲」の本は、高知市の図書館「オーテピア」で展示されていました。高知県で暮らしている今、この本に出会えて本当によかったです。この本を作った人たちの心からの叫び、「もう二度と戦争を起こしてはならない」という思いが痛いほど伝わってきました。

 

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私の一冊

川村房子

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「老いる自分をゆるしてあげる。」 上大岡トメ 幻冬舎

絶賛老化中の私にとって、この題名はとってもいい言葉です。

「最近小さい字が読めない。疲れがとれない。髪がうすくなった。膝が痛い。寝つきが悪い。顔のしみ、たるみが気になる」と表紙に書かれています。その通りです。友人たちとのお茶会にもしょっちゅう出る話です。

老いを感じるたびに自分とちょっとずつ折り合いをつけていくことも大事だそうです。

母は認知症になり、10年ほどを施設で大変お世話になりました。父は95歳まで元気に1人暮らしをし、入院した翌日に亡くなりました。

めちゃくちゃ自分に甘い私ですが、目指すは「健全に老化する」と書かれているように、ほんの少しの向上心をもって、願わくは父のように健全に老化していきたいと思います。

 

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私の一冊

川村房子

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「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー  2」 ブレイディみかこ 新潮社

「僕」は13歳になった。

労働者階級の父親と日本人の母親とのイギリスでの3人暮らし。この本の1の時はカトリックのいいといわれる小学校に通っていた僕が、地域の中の、元底辺と言われる中学校に入学することを決め、迷ったり悩んだりしながら果敢に前を向いていく様子だった。

2では荒れていた地域も少しずつ、いい方向にかわってきている。中学生の多感な時期に絶えない問題につきあたりながら、自分で考え選び大人への階段をのぼっていく。親離れの季節がやってきた僕と衝突しながら見守っている両親。

親子の成長物語です。

 

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