私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

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「人新世の資本論」 齋藤幸平 集英社新書

気候変動やコロナ禍のさなか、世界の(もしくは人類の)価値観は急速に変化を求められています。「今まで作ってきた世の中が、果たして正解だったのだろうか?」という根深い疑問がその根底に流れています。

資本主義という、「利己」を最大限に解放することで社会の原動力とする仕組みの力強さ。ここ100年ぐらい、その仕組みを御旗に進んできて、今、多くの人々が持つ「これ合ってないんじゃない?」という思い。

今までの価値観と仕組みの問題はどのようなものなのか。

では次の世の中をどういう価値観で進めていくか。

著者の経済哲学者・齋藤幸平は、マルクス主義を主戦場としている人です。

本書のキーワードは「脱成長」と「コモン」。もうすでに資本主義の「修正」でなんとかなる時期は通り越していて、資本主義ではない次の仕組みに移っていかなければ人類もこの惑星も、もう保たない。(その文脈で、著者はグリーンエコノミーやSDGsを「本質的な問題から目を逸らすことになる」として痛烈に批判しています)

表面的な取り組み云々では、次の世代が生きやすい環境を残すことも不可能で、根本的な価値観から見直す必要があるということ。

その価値観の話が「脱成長」。過去100年のエンジンとなった資本主義の宿命である「経済成長」、これを根本から疑っていく。「右肩上がりの成長を善としてきた価値観は正しいだろうか?」

そしてもうひとつの「コモン」。資本主義の「私有」の概念に対する疑い。

際限のない私有は社会をおかしな方向に導くし、公有も上手くいかない例が多い。その中間ともいえる「市民有」(私営・公営の中間にあたる「市民営」)がコモン。

いわゆる「共有」であり市民の共同管理。特に水や道路などインフラに近いものの運営のあり方は厳しく問われるべき。

例として、著者はスペインのスーパーブロック(バルセロナで行われている、車両乗り入れ禁止のブロックを作る都市計画)などを挙げています。

非常に興味深い内容で、この本がある意味「時代のバイブル」的な受け止められ方を一部でされていることも頷ける話です。

世界の価値観が現在進行形でどのように変化しているのか、そしてその変化をもとに自分の価値観がどのように変化していくのか。

さらに最も大事なことは、変化した価値観をもとにどういった行動を起こしていくのか。

動いては考えてを繰り返していこうと思います。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「みずをくむプリンセス」 スーザン・ヴァーデ文 ピーター・H・レイノルズ絵  さくまゆみこ訳  さ・え・ら書房

ジージ―はアフリカのプリンセス。ジージ―の王国はアフリカの空。野良犬と歌い、草と踊り、風とかくれんぼすることだってできます。

そんなジージ―でも、水をよびよせることや水をきれいにすることはできません。まだ夜が明けきらない暗い朝。ジージ―とお母さんはずっとずっと遠くまで水を汲みに行かなくてはなりません。 水を汲みに行くジージ―の一日からは、水問題についての現状が端的に伝わってきます。

またあとがきでは、この絵本が生まれたきっかけや、清潔で安全な水を手に入れることが困難な人々が現在も多数いることを伝えてくれます。とても大切なさまざまなことを考えさせてくれる絵本です。が、それとともに、絵の素晴らしさも味わってほしい作品です。

歌い踊っている時のジージ―のしなやかな体。頭に壺をのせたジージ―と母親の堂々とした足取り。水くみに行く人々のシルエットの美しさ…。過酷な現状を伝えるとともに、生活を楽しみ、お互いをいつくしみ合っている家族の豊かな日常の感じられる絵本です。

 

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私の一冊

川村房子

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「七度笑えば、恋の味」 古矢永塔子 小学館

表紙はアニメ。日本おいしい小説大賞…って何?と思って購入。

第一話の鮭と酒粕のミルクスープからはじまって、第七話のたっぷり山葵のみぞれ鍋までの七話になっていて、料理方法や料理のおいしさまで伝わってくる。

でもこの小説は美味しいだけじゃないんです。

主人公の日向桐子。完璧に美しすぎるため母の人形。幼い頃より辛い目にあい、大人になった。今では夫の人形。内緒でみつけた職場も、頭巾にマスク、メガネをかけての仕事。昼食も人目を避け、誰もいない処でとる。自分が自分でいられないことに泪が…。

そこにあらわれるのが72歳の匙田さん。味があって人情味満杯。まわりのみんなも人間味があるんです。

一まわりも二まわりも離れているのに抱く恋心。匙田さんの対応がしゃれていて大人なんです。

読み終えると、ほのぼのとした気持ちになりました。

作者は高知県在住でした。それだけでもうれしくなりますよねえ。

 

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私の一冊

田岡三代

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「身辺整理、わたしのやり方」 曽野綾子 興陽館

目次

第一章: ものは必要な量だけあることが美しい。
第二章: 身辺は整理して軽やかに暮らす。
第三章: 服は持たない。
第四章: 人間関係の店仕舞いをする。
第五章: 食べ物は使い切り、食器は使い込む。
第六章: 家族を介護し、始末する。
第七章: お金はきれいに使い尽くす。
第八章: 人はそれぞれの病気とつき合い生きる。
第九章: 死ぬときは野垂れ死にを覚悟する。
第十章: 人生の優先順位を決める。

こうして目次だけを拾ってみても、曽野綾子さんの毅然とした生き方がうかがえる。

今、振り返ってみると、私の好きで読んだ本のほとんどが自分の親世代の方が書いたものだった。

曽野綾子さんも90才。実は今、その世代の方が順番に書かなくなって、生きていく指針が無くなったようで淋しい。

 

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私の一冊

石川拓也

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「昭和天皇物語」 能條純一 小学館

「月下の棋士」をご存知の方が多いかもしれない漫画家・能條純一。

人間の感情を生々しく、同時にとても冷徹に描くことに定評がある漫画家ですが、最新作の題材が「昭和天皇」であると知ったときは非常に驚きました。

このテーマは、おそらく日本人作家が描くにあたって最も難しいもの。

同時に、昭和天皇のフィクション化というか、物語化が実現するぐらい、昭和から長い時が経ったということでもありますね。昭和は遠くなりにけり。

このテーマに手を出すのは勇気のいること。そう考えていたら、著者が4人いることに気がつきました。能條純一の他に、半藤一利(原作)・永福一成(協力)・志波秀宇(監修) です。

ですよね。一人では手に余りますよね。各々が得意分野を持つ専門家チームが共同で作っているという感じなんでしょう。打ち合わせの現場を覗いてみたいものです。

物語は昭和天皇裕仁を一人の人間として描いています。自分の心の内で、教科書でしか知らなかった人物に、少しずつ血が通っていくような感覚を覚えます。

青年・裕仁がどのような苦悩の末に8月15日の玉音放送の日を迎えるのか。日本の歴史の中で昭和天皇裕仁の役割とは一体なんだったのか。

まだまだ興味の尽きない作品です。

 

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私の一冊

山門由佳

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「深夜食堂」 安倍夜郎 小学館

土佐町立図書館の2階にコミックコーナーがある。 そこで出会ったこの「深夜食堂」。今、絶賛ハマっている。

下調べなしにふらっと入ったお店が当たりだった感覚に似ている出会い方だった。 映画やドラマにもなって海外にも人気がある作品だそうだが、私は知らなかった。

にぎやかな繁華街の路地裏にあって、深夜0時から朝7時までの営業。 メニューは豚汁定食にビール、酒、焼酎だけ。(ちなみにビールは1人3本まで。) あとはマスターがお客の食べたいものをつくってくれる。 お客の頼むメニューは意外と素朴。

だけど裏には濃厚な人生のドラマがある。それを温かく見守る店主と常連がひとつのコの字カウンターを囲み、頼んだメニューに舌鼓を打ちながら、その『時間(とき)』を味わう。 傷ついた鳥がそっと羽を休めるとまり木のような存在の店。 こんなお店に出逢えたら、すごくその人生はラッキーなように思う。

緊急事態宣言発令下、一番気になるのはこの店に通う常連たちの行き場だ。 こんな時だからこそ、息つける「場」が必要なのにね。

 

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私の一冊

西野内小代

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「地獄の田舎暮らし」 柴田剛 ポプラ社

田舎の住人にとっては恐ろしいタイトル、思わず手に取ってしまいました。

移住を考えている人への重大な警告!といった体で書かれおり、地域的には関東近辺の別荘地かな?と想像します。

いちいちごもっともな指摘ではありますが、少々誇張が過ぎる所も散見されるように思いました。現実を見極め、自己をきちんと確立して挑む事が田舎暮らし成功の秘訣かな、と謙虚さをもって読み終えました。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿  徳間書店

おそくなりましたー!!!!

筆を取る気になりませんでした!ゴメンなさい!

でも『風立ちぬ』見てたら書かねばと思って描きました。

自分でも遅すぎると思います、次はちゃんとやります(前も言いました)。

いやー、最近夏風邪をひきまして、びっくびくしながら発熱外来に行ってきました。心当たりがなかったのですが、陰性と出るまでは、心臓が縮み上がっておりました。皆さんの中にもちょっと熱が出て、とか、咳がひどいとか、そんな症状がある方いらっしゃると思います。もう、気が気でないですよね。もう単純に、フツーに生きるというのは、これ程難しいことだったかと考え込んでしまいました。人は1人では生きられないのは自明の理です。そこにまぁ例えば、COVID-19がやってきたら、ここまで人が細分化される。今まで1人じゃなかった人が、突然1人になる。もし私が陽性だったら1人になる。心細い、寂しい、申し訳ない、不安だ。そんな感情になるのでしょう。今自宅待機で過ごされている方々のことを思うと心が痛みます。物理的な距離というのが、どれほど孤独であるか、逆に無ければどれほど心強いか、よくわかった気がします。

さて、前座は置きまして、6巻から7巻に入っていきましょう。

ナウシカはチチクと共にメーヴェで土鬼の僧侶達の大規模な処刑場に向かいます。そこは、まさに修羅の庭のよう。チチクはチヤルカと念話をしました。僧侶の首級を蹴り飛ばし、ナウシカはチヤルカの鎖を解き放ちます。そして、チチクは己の素性を明かしナウシカは民衆に殺戮の連鎖を辞めるよう強く訴えかけるのです。これによって民衆の騒乱は大分落ち着きました。しかし、ここにはサナギ状態の巨神兵が運ばれてきていたのです。ナウシカはそれをとめようと、皇兄ナムリスの旗艦で数匹のヒドラと対峙します。その際、ナウシカは救援に来ていたアスベルから巨神兵に役立つかもしれないと秘石を渡されていました。それが結果的にナウシカの命を救います。巨神兵はナウシカをと認識し、ナウシカに従うようになったのです。かつて世界を終わらせた力がナウシカの手の内にあるのです。彼女はその覚悟とともに、土鬼の首都シュワと墓所を封じにその場から飛び立つのでした。

初めて巨神兵の登場シーンを見た時は衝撃でした。心が備わっており、精神が子どものままの強大な力を持つ生物兵器。なんと恐ろしいことでしょう。ナウシカが手綱を握ることが出来て安心しましたが、巨神兵を兵器として深く考察したことがなかったので手に汗握りました。巨神兵は現代風に言えば高度なAIを搭載した自律型兵器と言えるでしょう。ただAIと言うよりも、もっと高度な思考と思想を持っているという点において、火の七日間以前でも最高の兵器だったと言えるでしょう。私はこの点が恐ろしいと思っていて、兵器の思考や思想は変化が少ないとしても、人間は思想も善悪も1分後に変わってしまうし、集団で意思決定を行う。下手をすれば、自分が作った兵器に断罪される可能性があるということです。物語の中でも、ナウシカが巨神兵についても考察していますので後述しましょう。

この先、ナウシカは2つの出会いをします。

1つ目は父王の言いつけに背き、父王がシュワの秘密を独占しないかと高山帯を侵攻していた皇子達でした。

2つ目は隠された庭とその主達との出会いと交流です。

皇子達と直接会う前、ナウシカは斥候の兵と出会っていましたが、巨神兵は敵と判断して熱線で殺してしまいます。そこでナウシカは賭けをします。不用意に犠牲を出さないために、巨神兵に名付けを行ったのです。かくして巨神兵は古エフタル言で無垢を表すオーマとなりました。名付けを行った事により、オーマには明確な人格が生じ、もとより使命が与えられているかのような発言もします。『調停者にして戦士、裁定者』と。ナウシカは、私たちは何も知らない、オーマは人類に神として作られたのではないのか、と考えていました。

皇子達はナウシカに対して最上の対応をしますが、その下心はシュワまで最高の手勢を連れて行けるというゲスなものでした。ナウシカといえば、オーマの放つ毒の光によって体を侵され意識を失うほどに追い詰められていました。

一方その頃、トルメキアのクシャナ達と、土鬼の民の間では緊張感が高まっていました。クシャナは船を借りてシュワの墓所に行こうとしていますが、土鬼の民たちはトルメキアを信用していません。更にトルメキアに復讐するという気運が高まっていました。その中でクシャナは思い悩みます。『自分は結局血塗られた道をゆくのか、他を選べないのか、永劫の憎悪の繰り返しをここでうつのか』。お互いの駆け引きの中で、ケチャやユパ、チヤルカやチチクが必死で憎しみの連鎖を止めようとしています。しかしお互いは止まらず、ついに動き出してしまいます。土鬼の女が投げた手榴弾を咄嗟にユパは掴み、土鬼の戦士たちはクシャナを取り囲みました。そこに片腕のユパが現れクシャナを諭します。土鬼の戦士の前には人垣が出来ていました。もう戦を心底辞めたいと願い、戦士の心を鎮めようとする人々の決死の人垣でした。

それでも高まった殺意は止められず、クシャナに凶刃が振るわれようとします。その一瞬、ユパは体を滑り込ませ彼らの剣戟をその身に受け入れたのです。その時チチクが反応し、ユパの身にマニ僧正が乗り移り、人々を諌めました。ユパは致命傷を負いクシャナを支えられて彼女に「血は血はむしろそなたを清めた……王道こそそなたにふさわしい……」と鼓舞しその一生を終えました。そしてその亡骸の元で、クシャナとチチクが手を取り合うのです。

ナウシカは皇子達の船の中でテトの死とともに、ユパが逝ってしまったことを悟りオーマに外に出してもらいます。せめて木のある所に埋めてあげたかったのです。その際に船から皇子達もくっついてきてしまいました。

オーマは1000年は生きただろう木を見つけ、ナウシカをそこに下ろしました。ナウシカの目からは大粒の涙が零れます。どんなときも共に生き、時に励ましてくれたテト。オーマの毒の光にボロボロになりつつも、船で主人を守ったテト。そして、ナウシカにテトをくれたユパという偉大な師も失いました。書いている私も涙が滲んできました。

そこに人が現れます。これが2番目の出会い、隠された庭の住人です。ナウシカは先を急ごうとしますが、オーマの体にまた不調が現れてしまいました。これをきっかけにナウシカはこの場所でひとときの休息をとることになるのでした。

次に目覚めたのは薬湯浴の最中でした。この庭の住人であるケストというヤギに、新しい服や靴をもらったナウシカは、食事を取り微睡んでいました。周りの動植物は既に失われた種ばかりなことにナウシカは気づきます。しかし、まるで何かを忘れているように、思考がぼんやりとしています。そこへ音楽が聞こえてきます。ナウシカは広い屋敷を歩いてその部屋を見つけます。楽器を引いていたのは皇子達でした。しかし双方共何者なのか分かっていませんし、分からないことがわかりません。しかし2人の引く音楽の中でナウシカはテトのことを思い涙します。そしてオーマの名を思い出し、全てを思い出しました。彼はナウシカを巧みな幻影で翻弄します。心が弾けそうになった時、セルムを思います、挫けぬよう力をくださいと。するとセルムが心象風景に現れ、ナウシカを支えます。そして庭の守り人が1000年生きた不死のヒドラで特殊な個体であることを知るのです。そして。問答を続けていくうちに、ナウシカはとうとう腐海の真実を知ることになります。人体改造、生態系の急激な変化、全て人が行ったことだと見抜いたのです。ナウシカはシュワの墓所に真実があると確信し、そこへ向かうことをセルムとともに決めたのです。

さて、今回はここで筆を置きます。

私が筆を取らなかった間、沢山のことがありました。

誰がこんな世の中になると想像したでしょうか。

こんな書評でも誰かの時間つぶしになるなら幸いです。

次でラストになります。

コロナ禍の中で働く全ての人にエールを。

闘病中の方にエールを。

偏見や差別と戦う人にエールを。

それでは。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「児童文学の中の家」 深井せつ子 エクスナレッジ

こどもの頃楽しんだ物語には、美味しい食べものがたくさん出てきました。タフィー、チョコファッジ、木イチゴのタルト、レアケーキ、クランペット、ジンジャ―ビスケット…。どれも未知のお菓子ばかり。端っこでいいからかじってみたい!と、どんなに願ったことでしょう。

それと同じくらい憧れたのが主人公たちの部屋や設え、衣装などでした。異世界に通じる衣装ダンス、ふくらんだ袖、グログランレース、丸太を組んだログハウス、干し草の匂いのベッド、星の見える屋根裏部屋…。どれもすてきで、畳敷きの自分の部屋をとてもつまらなく思ったことでした。

この本では『ライオンと魔女』、『床下の小人たち』、『大きな森の小さな家』、『ハイジ』、『赤毛のアン』など計27作品が取り上げられており、家の間取りや家具や道具等が柔らかなタッチで描かれています。もう少し詳細に描いてほしかったと思うところもないでもないのですが、それはそれ。「想像の余地」があるのもすてきです。

しばらくぶりに、アンやハイジ、ローラたちにあいたくなりました。

 

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私の一冊

川村房子

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「正欲」 浅井リョウ 新潮社

町立図書館の時久さんが「読みたい希望の本があれば採用されるかもしれませんよ」と声かけをしてくれていたので、申し込みをしてみました。

連絡をもらって最初の借りてです。「次の予約が入ってますので貸し出し期間を過ぎないようにお願いします」と言われて、次の借り手がいることに、ホッとしたことでした。

本を読み終えて、言葉に浮かんだのは「深~い!!」でした。幸せには色んな形があって、家庭や子どもを持たない人、事実婚、同姓婚、ポリアモリー、アセクシャル、ノンアセクシャルといわれても、そのカタカナ名の意味さえわからず、スマホで調べてみました。

はじまりは、児童ポルノ摘発、自然豊かな公園で開催されていた小児性愛者たちの“パーティ”…。

実は違うのです。水遊びをしている子どもたちの水にたわむれる姿。彼らはその水を楽しんでいたのです。ほとばしる水にしか興奮しないのです。

彼らは生まれ持った、自分らしさに対して堂々としていたいなんて、これっぽっちも思ってない。せめて明日生きていけるように、生きのびるために、孤独な魂がよりそっていく。

表面に見えるものでしか理解しえない、想像力の外側にあって、深いと思えたのでした。

 

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