渡貫洋介

笹のいえ

目覚めて見る顔

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小学校高学年のころだっただろうか。家で昼寝から目が覚めると、いるはずの母親の姿が見えず(たぶん近所に買い物にでも行っていたのだと思う)、それに気づいた妹が隣で泣いている。僕はぼんやりした頭で、この状況を兄として理解しようとしていた。強い西日の眩しさが切なかった思い出がある。

そんな体験をしているからか、自分の子どもたちが目覚めたとき、顔が見えるところにいて声を掛けてあげたいと思ってる。朝一番に起きるのは大抵僕だから、目を擦りながら布団から出てくる彼らに「おはよう」と挨拶する。返ってくる返事で一番好きなのは「お腹空いた」。僕は「はいはい」と味噌汁を温めなおす。次々起きてくる家族の表情を見、会話しながら、体調はどうか、気分はどうかとチェックする。

僕は、たまに夜中に目が覚めて、そのまま眠れなくなることがある。そんなときは無理に寝ようとせず、起きたままでいることも多い。家族の寝息を聞きつつ、彼らの顔をまじまじと観察する。天使の寝顔、とまではいかないけれど、どの顔も愛おしいく抱きしめたい表情をしてる。冒頭の場面が頭に過ぎり、ずっと側に居てやるからな、と思う。子どもたちは、いずれ親の元を離れてしまう。その日までに僕は彼らに何ができるだろうか、と考えるとますます目が冴えるのだった。

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笹のいえ

いねお

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このブログでも紹介した飼い猫おこめが、去年のゴールデンウイーク前に旅立った。一週間ほど食欲がなく、様子を見ていたが、体調が急変し、動物病院に連れて行ったけれど間に合わなかった。推定年齢8歳。まだまだ生きられたはずなのに。僕は、冷たくなった彼女の身体をさすりながら「ごめんな」と繰り返していた。

その後しばらく僕は、なんとなく心がポッカリと穴の空いた状態だった。気持ち的にはまだ喪に服していた数ヶ月後、友人から「友達が実家に戻らないといけなくなったので、猫の引き取り先を探している」と連絡が入った。最初は断ったが、飼い主さんと共通の友人知人が多いらしく、別ルートで数名からも声が掛かった。

SNSで猫の写真を送ってもらってビックリ。身体の模様や体型がおこめにとてもよく似ていた。

「これはもうご縁だな」と思ったし、子どもたちも新しい家族に大賛成。猫を受け入れることにした。

うちに来る前は「まるちゃん」という可愛い名前だったが、長女が「いねお」(漢字にするとたぶん「稲雄」)と呼びはじめたことから、急に硬派なイメージになってしまった。

名前が男らしくなっても、彼はとっても甘えん坊だ。

人を見つけると、「にゃーん」と近づいてきては足元にじゃれつく。あまりに足に絡まってくるので、よく踏まれたり蹴られたりしてる。そのうちに距離を置くのかと思いきや、今でも相変わらず身体を擦り付けに来る。

そして、食いしん坊。

朝はまだ暗いうちから「そろそろ、ご飯の時間だよ」と僕に話しかけてくる。ある朝のこと、時計を見ると4時過ぎ。流石にまだ早いと再び寝ようとすると、僕の頭を舐めてきた。猫特有のあのザラザラした舌で、僕の坊主頭を「ザリッザリッ」と舐めて僕を起こそうとする。同じ場所を何度も舐められると痛い。頭皮にも悪い気がする。

布団を頭から被ると、今度は障子に爪を立てる。障子紙を破られては堪らないと、渋々起床する僕。

「にゃ〜ん」と勝利の鳴き声をあげて、いねおは嬉しそうにご飯を頬張るのであった。

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笹のいえ

ピザ屋さんがやって来た。

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宿をやっているといろんな人がやって来る。

農的自給的な暮らしを実践している人、移住先を探している人、環境への負担を考え、オフグリッドな旅をしている人などなど。県外はもちろん、海外からも笹に遊びに来てくれる。

彼らに会おうと思ったら、時間的にも金銭的にも膨大な量が必要だけど、自分の場所をオープンにすると、向こうから来てくれるのだから、これはお得すぎる。

この日は、ピザ屋さんが来てくれた。

香川県のイベントでヒトシくんと初めて会い、しばらく四国を旅すると言うので、笹にもぜひ寄って行ってよと話をしたら、翌日に来てくれた。

彼は軽トラを改造し、故郷北海道を出発。日本を旅している。荷台には小さな家が載っかっていて、自作したロケットストーブ型のオーブンとソーラーパネルで稼働する冷蔵庫がある。さらにシンクや手動で動く洗濯機、移動式のコンポストトイレまであるから暮らすように旅をすることができる。

笹に到着すると、早速オーブンに木をくべて、ピザを焼いてくれることになった。

突然現れた車に、子どもたちは大興奮。だって、詳しいことはよく分かんないけど、ヘンテコな車から大好物のピザが焼きあがって出てくるなんて、なんだかおとぎ話のようだもの。

ピザはどんどん出来上がるのだが、それ以上のスピードで僕らのお腹の中に消えていった。オーガニックにこだわるヒトシくんの作るピザは、古代小麦粉にグラスフェッドチーズ。しかも焼きたて。美味しくないわけがないのである。

気の向く場所を訪ねながら、お世話になった人にピザを振る舞ったり、必要なものを物々交換し、また次の目的に移動するのがこの旅のスタイル。彼が出会った人とのご縁は、きっと彼の一生の宝物になるのだろう。

今回のピザは、薪とビールそして一晩の寝場所と交換となった。渡した薪は誰かのピザを焼くことになる。受けた恩をその人に返すだけでなく、次の人に渡す「恩送り」。笹の暮らしとも重なる部分がたくさんありそうだ、ヒトシくんと夜遅くまでおしゃべりをしながらぼんやり考えた。

四国の後は九州に渡り、そして沖縄へと旅は続くそうだ。

この軽トラを見かけたら声をぜひ声を掛けてみてほしい。車の中から、魔法のように美味しいピザが出てくるかもしれない。

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笹のいえ

落ち葉集め

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生ゴミ、畑の残渣、自分たちのおしっことうんち、ストーブやかまどの灰。

土に還るものは全て還してしまおうと思っている僕のリストには、当然、落ち葉も入っている。

しかも、一二年後には堆肥として利用できるのだから、これはもう考えただけでワクワクする。落ち葉を履けば、道路や側溝が綺麗になり、一石二鳥だ。

枯葉が道に降り積もっているのを見かけると、横を通るたび、もったいないなあ、誰か集めないのかなあと思う。そして、自分ちの周りの落ち葉を思い出し、早く集めなきゃと焦る。

放っておくと、落ち葉はそのうち消えてしまう(実際には腐葉土、つまり土に分解される)ので、時間を作っては、箒を持ち出して作業する。

どんなことでもそうだけど、やってみるといろんなことに気づく。

葉は乾燥しているより、少し濡れていた方がまとまり易く、風にも飛びにくいので、都合が良い、とか。すくうときは、雪かき用のスコップが便利で、小さな穴が空いているタイプならそこから小石が落ちてくれる、とか。

軽トラの荷台に積んで、堆肥置き場に積んだり、畑に入れる。

そこここに落ち積もっている枯れ葉だが、場所には気をつけないといけない。以前から集めている方がいらしたりするので、前シーズンから観察しておく必要がある。と言っても、笹に続く道の落ち葉を集めるだけで精一杯だけど。

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笹のいえ

年末年始帰省旅

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高知に来てほぼ毎年、年末に帰省してる。

(今のところ、至って元気だけれど)もう何があってもおかしくない年齢に達した僕の両親に子どもの成長を見せたり、奥さんの実家や親類の家に顔を出すためだ。

それぞれの実家は東京と千葉にあるので、徳島東京間を運行するフェリーに車ごと乗るのが常套手段。東京に着いたら、目当ての家を訪ね、年末と年始の挨拶をしていた。

折角の家族旅行、毎年同じ場所にだけ寄るのは勿体無い、という奥さんの提案で、今回は陸路で移動しながら、数年ぶりの再会となる友人親戚たちを訪ねて回ろうというになった。

あの人にも会いたいね、ここに行くならこっちも寄ろうよ、この宿にも泊まってみたい!と立てた「年末年始帰省旅計画」は、土佐町→岡山→鳥取→京都→名古屋→静岡→東京→千葉→東京→徳島→土佐町と、二週間で往復約2,200kmの大移動。

6人分の着替えや食料お土産。そしてこの車の燃料である、濾過済みの天ぷら油をタンクにありったけ入れて積んだので、車の中は荷物でいっぱい。

移動中、長時間車内で過ごすので、一二時間ごとに場所を見つけては、休憩した。外の空気を吸い、体を動かし、廃油を給油する。特に子どもは狭い車内でじっと過ごすのはストレスなので、すぐ喧嘩したり、暇に任せて食べ過ぎたりする。なだめたりすかしたりしながら、それでもなんとか折り返し地点の東京千葉に辿り着いた。実家のおじいちゃんと映画を観たり、おばあちゃんと水族館に行ったりして楽しく過ごした。特に、下の子たちは生まれて初めて電車に乗って大興奮。混み合う車内で、静かにさせるのが一苦労だった。一方、親たちは、慣れない都会の移動と人混みで、ぐったり。早くも土佐町が恋しくなっていた。

それでも、訪ねる先々で、元気な友人たちの顔を見て、多様な暮らしに触れ、新しいご縁も広がったのはリフレッシュになったし、僕らのこれからの暮らしのヒントをたくさん学んだ。たくさんお世話になりました。ありがとう。いよいよそこを離れるとき、見送ってくれる人たちに「今度は高知に遊びに来てよ」と言いながら手を振った。

 

写真は、毎年帰省している千葉県のブラウンズフィールドにて撮影。このときは、傘を広げて家を作り、中でおやつを食べていた。

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笹のいえ

麦踏み

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今シーズンは、暖かい冬のスタートとなった。

寒さが苦手な僕にとって、この気候は身体的にも気持ち的にも楽だけど、田畑をやっていると具合が良くないこともある。

畑の葉物野菜は朝晩の冷え込みによって甘さを増すし、乾いた風が軒先の干柿を美味しくし、雪が降れば子どもたちが喜ぶ。寒くなる時期には、きっちり冷えてもらわないといけないのだ。

麦踏みは、この時期に行う大事な仕事のひとつだ。小麦の芽を踏むことによって、根張りをよくしたり分けつを促したりする効果がある。

霜によって土ととも浮き上がった麦を押し戻すためでもあるが、この記事を書いている12月中旬現在、例年なら毎朝のように降りる霜が、まだ一二回しかない。だから急がなくても良い気がしたのだけど、年末年始は帰省のため作業ができないので、この日麦踏みをすることにした。

肩幅ほどにひらいた小麦の列を、両足を使って、二列ずつ踏んでいく。

ついてきた次男も面白がって真似をしている。彼の短い脚を目一杯広げて、ペンギンのように歩いている。今度は僕が息子の真似をして、ふざけ合った。

途中、パラパラと雨が降ってきた。

濡れた土を踏んでいたら、足袋の裏に土がくっ付く。畑を一周したころには、厚底靴みたいになっていた。

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笹のいえ

ZINE 03発刊のあとに

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先日、土佐町のウエブサイト「とさちょうものがたり」の雑誌版とも言うべき、ZINEの第3号が発刊された。

なんと、まるっと一冊、笹のいえ特集だ。

このサイトに連載している記事から選んだ文章を少し手直しして、写真は新たに数枚追加し掲載した。

記事を改めて読んでみて、ふと「土佐町の人たちは皆、こんな暮らしをしているのか」と誤解されるのではないか、と思った。

以前、笹のいえを見学しにきたある移住希望者が、

「土佐町の移住者って、皆さん、こんな暮らしをしているんですか?私にはちょっと無理ですー」

と、冗談とも本気ともとれる感想を話してくれた。

いえいえいえ。僕らの暮らしは、だいぶ変わっているけれど、ほとんどの町民の皆さんは普通に現代的な生活を営んでいますよ。と焦りつつ答えた覚えがある。

この本は確かに「渡貫家の暮らし」を紹介しているが、世界中に多種多様な生き方がある中で、この4,000人ほどの町にもそれぞれの暮らし方がある。そして、僕らの生活もその中のひとつに過ぎない。

読者が、僕らの日常を読み終えたとき、どう感じるだろうか。

ある人は、この町に興味を持ってくれるかもしれない。

ある人は、「懐かしい」と言う思いを抱くかもしれない。

またある人は、その人にとっての大切な部分に触れたと感じるかもしれない。

どう受け取るのかはもちろん異なるし、それが肯定的でも否定的でも、反応があるならとても嬉しい。

 

話は変わるが、表紙の家族写真は、秋深まるある日に拓ちゃんが撮ってくれた。

撮影前、カメラが子どもたち四人の目線を捉えるのは至難の技だろうと予想され、「今回ダメでも何度か挑戦しよう」と言う話だった。子どもらが落ち着くまでに時間が掛かったし、何度もシャッターを押すことになったけれど、さすがプロカメラマン、見事全員の笑顔を収めていた。拓ちゃんの技術もさることながら、これまで、何度も笹のいえに遊びに来てくれていたので、子どもたちが彼を信頼していることがリラックスした表情に現れている。

結局、撮影したのはこの時だけで、そのまま表紙に採用された。

この記事の写真は、何十枚も撮影したうちの一枚。ふざけたり、アクビをしたり。採用されなかったけれど、子どもたちの性格が出てる。こっちの方が僕たちらしいかな。

 

写真撮影:石川拓也

 

Zine 03号、発刊です!

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笹のいえ

選択すること

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水は山水、かまどや五右衛門風呂では薪を使い、コンポストトイレの排泄物は自分で処理する。お米や野菜を自給し、味噌や醤油、酢を仕込む。廃油をろ過して車の燃料にする。僕らが実践してる、笹のいえのむかし暮らしだ。

「どうしてこの暮らしを選んだんですか?」

と聞かれることがある。

「大変じゃないですか?」「不便でしょ?」とも言われるが、これが日常なので、こんなもんだと思ってる。もちろん手間や時間は掛かるが、もう無理!と考えたことは、今のところない。

手づくりな暮らしをしているのは、自分たちでやった方が安いという経済的な理由もあるけれど、手を動かすと仕組みがわかるし、技術や知恵が身につく。何か不具合があっても自分で対処できることが多い。なにより、手が届く範囲の暮らしは安心感がある。

どんな暮らしをするのか、メリットデメリットを天秤に掛けたときに恩恵が多い方を選んでる。

そう、僕らは、常に選択して生きてる。

いまの暮らしは、これまで「何を選んできたか」によって形づくられている。

忘れがちではあるけれど。

例えば、料理するのに、ガスを使うか、IHか、薪かそれとも炭か。その方法は、(現在の日本では)個人の自由だ。僕たちは薪と炭をチョイスしたが、ガスやIHが駄目だ、ということではない。稲刈りだって、手に鎌を持ち一株ずつ刈っていくこともできるし、コンバインで一気に収穫することもできる。それぞれ長所と短所があるから、状況によって代わってもいいし、複数でもいい。その時々でより気持ちの良い道を選べばいい。人生はもっと柔軟だ。

選択の岐路に立ったとき、それが楽しいかどうかってことを自問することが多い。ときに気の進まない選択もあるが、その先に「ワクワクすること」が待っている方を選ぶようにしてる。そうすれば、嫌なこと苦手なことも頑張れるからだ。

いまの生活も自分の体力や子どもの成長によって変化していく。複雑で難しい理想を追うよりも、より楽チンで持続可能な道を選択していくだろう。

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笹のいえ

はし拳

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「いらっしゃい!」

「さん!」

 

はし拳をご存知だろうか。

お互いに隠した箸の合計本数を当て、負けた方がお酒の入った盃を飲む。高知県に昔から伝わるお座敷遊びで、年一回県大会も開かれるらしい。

地元の方との飲み会の席で、僕も数回挑戦したことがある。が、お酒が入っているところでやるものだから、いつまでもうろ覚えだった。

ちゃんと教わったのは、なんとフランス人のソフィアンから。彼は笹のいえに数日滞在している間、ある地域の運動会に参加し、競技の「はし拳」を集落の方から教わってきたと言う。

やってみると、シンプル故に、奥が深い。

瞬時の判断力、観察力などが問われ、心理戦となる。

このゲームに強い興味を持ったのが、長男の玄人(げんと)。

普段陽気(というか、どちらかというとヘラヘラしてる)な彼が真剣な面持ちで、ソフィアンからルールを何度も聞いては対戦していた。その集中力は素晴らしく、メキメキと上達していった。僕はというと、やっぱりお酒を飲んでいるので、あっさりと負けてしまうのであった。

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笹のいえ

笹のいえ

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なぜ「笹のいえ」であるか、

というご質問をよくいただく。

答えは簡単。僕らが暮らしているこの家は、ずっと昔からそう呼ばれてきたから、です。

移住先を探しているとき、その土地でなにか商売をするなら、その家なり場所なりで使われてきた名称や屋号をそのまま受け継ぎたいとぼんやり考えていた。

土佐町に引っ越してきて、地域の方に、あの集落のあの家に暮らしていますと説明すると「ああ、笹に住みゆうかよ」と言われる。そして、「子どものころ、あっこ(あそこ)でよう遊んでねえ」と昔話に花が咲くこともある。笹のいえの大家さんである伊藤万亀江さんは「笹のおばちゃん」と呼ばれている。

名の由来を調べてみると、母屋がある住所の字(あざ)が「笹」ということが分かった。周りに笹(竹)がたくさん生えているので、そう名付けられたのかもしれない。それがそのままこの家の屋号になったのだ。

地域に親しまれている名前があるのなら、それを屋号に使いたい。宿を立ち上げるとき万亀江さんにそう伝えたら、「そら、えいねえ」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

伊藤万亀江 (田井)

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