2022年1月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

山門由佳

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「げんきなマドレーヌ」 ルドウィッヒ・ベーメルマンス 福音館書店

きっと有名なマドレーヌちゃん。でもあんまりわたしはきみを知らなかったけれど、この一節を読んで一気にファンになりました。

「ねずみなんか こわくないし、 ふゆが すきで、スキーも スケートも とくい、 どうぶつえんの とらにも へいっちゃら」

まぁ動物園の虎は怖くないにしても。 ねずみにびくびく怯えて、寒い冬にも背中を丸めて完全に負けちゃうわたし。 ねずみが怖くないなんて!冬が平気だなんて! 『姐さん!』と呼ばせていただきたいくらい。

そんな勇敢で格好良いマドレーヌちゃんはパリのカトリック系の寄宿舎で暮らしている。 優しいミス・クラベル先生に見守られながら、さまざまな人物との交流や騒動の様子をパリのあちこちの風景と素朴なタッチで描かれた絵が素敵。 このページ、額縁にいれて飾りたい〜。 めくるたび何度もそう思う、絵が魅せるお気に入りの「絵本」です。

 

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みんなのアルバム

冨士見館

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土佐町田井地区にある冨士見館。「私のひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが大正5年(1916年)に創業した」と4代目の女将、高橋信子さんが話してくれました。

写真は昭和初期のもの。冨士見館はこれまでに何度か改修したそうですが、建物は今も当時のままです。

この頃、遠くから荷物を運ぶ「馬車引き」さんがたびたび宿泊していたのだそう。

 

金魚屋さんも宿泊

昭和35年から40年頃、信子さんが小学生だった時には「金魚屋さん」が宿泊。袋に入れた金魚を持って、年に数回来ていたそうです。肩に担ぐ竿と金魚を入れる桶はいつも富士見館に置いてあったそう。土佐町に来たら、決まって富士見館に泊まっていたのでしょうね。

「乾物屋さん」も訪れ、竿の前後に下げた缶にはするめやお酒のつまみのようなものが入っていて、「おばあちゃんが、どれにしようかねえ、と選んでいた」。信子さんは、懐かしそうに話してくれました。

 当時、冨士見館は旅館業の他にも、魚屋さん、仕出し屋さん、そして銭湯も営んでいました。

早明浦ダム建設が始まって旅館業が忙しくなり、銭湯は閉めることに。けれども、当時はお風呂がない家もまだ多かったため「銭湯をやめないで」と町の人から署名も届いたそうです。悩みに悩んだ末、やはり人手がなく、銭湯は閉めることにしたとのこと。

 

創業から106年、冨士見館は土佐町に訪れた人たちを温かく迎える宿として、今もこの場所に在り続けています。

 

髙橋信子・英理子 (田井 冨士見館)

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読んでほしい

肉と骨

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猟師さんから猪の肉と骨をもらった。鉄砲で撃ち、捌いたもので、受け取った白いビニール袋は血が透け、骨がはみ出していた。

肉は瑞々しく、太い茶色の毛が何本かついていた。毛を指でつまむとゴワッとしている。この肉の塊は、つい先ほどまで山を駆け回っていた猪。その足音が聞こえるような気がした。

 

私は時々、無性に猪の肉を食べたくなる。牛でも豚でも鶏でもない、山で生まれ、山で育った猪の肉である。猪の肉は臭いというイメージをお持ちの方も多いかもしれない。が、そんなことはない。捕えてからいかに素早く、いかに巧みに血抜きをするか。肉の味はそれにかかっているという。

「あの山に猪がいる」

猟師さんはその情報を元に、山で犬を放す。

猪は昼間は寝ている。犬はその嗅覚で寝ている猪を見つけ、吠えて猪を追い立てる。

山にはいくつもの獣道がある。猪は逃げる時、どの道を通るのか?狙いをつけ、2~3人の猟師さんがそれぞれの場所で待ち構える。

猪が来たら、撃つ。

 

猪が死んだら、

「首元から心臓へ向けて、ナイフで刺すがよ」

そうやって血抜きするのだ。

捕えた猪は、猟をした人で分ける。私はそのお裾分けをいただいたのだ。

熱したフライパンにうっすらと油をひき、両面を焼いて塩胡椒で食べた。体温がじわじわと上がっていく。別の生命体が身体に入ってきたのを感じる。命をいただいたのだ、と思う。

 

「骨からは良いだしが出るよ」

そう聞いて、台所にある一番大きな鍋を用意した。が、骨は鍋から飛び出した。向きを変えようがひっくり返そうが、どうしても鍋に収まらず、はみ出してしまう。命には枠も規格もないのだ。

肋骨は滑らかな曲線を描き、紅く透き通っていた。脚は編み込まれた綱のようで、曲げようにもびくともしない。包丁で切り込みを入れて折ろうとしたが歯が立たない。

もうそのまま煮ることにした。水から煮て、アクをすくう。骨についていた肉は、ほろほろと崩れる。次の日、鍋の表面には白い脂の層ができていた。火を入れると脂は溶け、そこへ大根や白菜、里芋やえのきを加え、麦味噌を加えていただいた。冷えた身体に血が通う。その実感を味わいたいがために、私は何杯もおかわりをした。

 

「シシ汁を作って、食べるわね。残ったらうどんやラーメンを入れて食べてみ。一味違うわ」

捕えた命は余すことなくいただく、それがいただく者としての礼儀。

猟師さんの姿が、そう言っていた。

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 5

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

楽しかった蝉とり

梅雨の合間の静かな朝、窓を開けて新鮮な空気を胸いっぱい吸って、病院生活を忘れて幸せを感じる。都会では味わえない最高の気分で今日1日を過ごせたらと、東を向いて合掌。

南の小高い山の木々も、風もない静かな朝を直立不動で立っている。朝食を食べ終わって、ベッドの家で一休み。自然と幼い頃の思い出へとつながる。

お国のため、若き命を捧げた3歳年上の兄との思い出、蝉とり。

細長い竹の先に、モチを塗った杭をさして兄が持ち、私は母の作った小さなコバン(*編集部注 竹でできた鳥籠)を持って、いつも行くのは家の近くの墓地でした。

ミンミン蝉や大きなクマ蝉、カナカナ、ヒグラシもいました。兄が、鳴いている木の下へそっと行って、長い竿の先のモチにくっつけるのです。コバン持ちの私は静かにして、木の陰に隠れて、竿の先にくっついた蝉を外すのです。

大きな蝉は羽を残して逃げたり、体中がモチだらけで取れなかったり、私の手はニチャニチャ、足もとの枯葉や草に拭き付けたり、服に付かないように、大声も出せずに頑張ったのでした。スリル満点の、兄と妹だけの楽しい時間でした。

コバン一杯になると、家の鶏に卵と替えてもらうのです。モチだらけの蝉を、喜んで食べてくれました。田舎ならではの楽しい兄妹の思い出です。

都会生活もありましたが、やっぱり田舎での思い出が幸を感じ、生き甲斐ともなるのではないでしょうか。まだまだ長い過去の思い出を一人楽しもうと思って、頑張ります。

 

 

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私の一冊

川村房子

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「ギフト」 日明恩 双葉社

室戸での法事があったとき、お茶碗にこれでもかというほどの山もりのごはんをおまつりしてといわれ、庭先の隅においた。それは、その辺りにうろついている餓鬼のための供養だと教えてくれた。

この小説はある事件がきっかけで退職した元刑事と、幼い頃より死者が見える少年があることで知り合っていく。人目をさけて生活している二人。少年は幼い頃より死者がみえた。少年の前に現れる死者である老女は、頭とからだの左側がぐちゃぐちゃに砕け、血まみれの姿で。7歳の時に池に落ちて死んでしまった少女は、生まれたばかりの弟が心配で19年たっても、ずぶぬれの姿で、この世に留まっている。少年に触れていると死者が見える。

その他にも様々な事情で、この世に留まる死者の未練と謎を二人で解き明かしていく。

昔、文中にもある「シックスセンス」という映画を見た時、その大どんでん返しに息をのみ、誰かに話したくてたまらなかったことを思い出した。

 

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読んでほしい

歴史を作る人々

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以下の文章は、2021年12月20日に発行したとさちょうものがたりZINE09「土佐町の人々」の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

「歴史を作る人々」 文:石川拓也

歴史にも残らねえで死んでったりっぱな人 間がゴマンといるんだ!!!そんな人間を土台にした歴史に残る奴など許せねえ               「陽だまりの樹」 手塚治虫

 

「自分がやりたくてやっている。」

今回、鳥山百合子が描いた5 組の「土佐町の人々」は、言葉は違えど、こういった意味のことを揃って口にした。 「私が楽しくてやっているの」「わしがそうしたいから」「まずは自分がそうしたいと思っている」などなど。 まずは自分がそうしたい。そこがスタートで あり同時にゴールなのかもしれない。

しかし ここに登場する5組の先達は、それぞれがしている活動を、どれほど周りの人々が喜んで いるか、必要としているかということも同時に知っている。 むしろ「周りの人々の喜ぶ顔が見たくてやっ ている」と言い換えてもいいかもしれない。多くの人の喜びが即ち自分の喜びでもあって、 その二つは対立することも矛盾することもなく、一人の人間の中で仲良く同居しているように見える。

硬い言葉でわかったようなことを言わせてもらえるなら、そこには「個」と「公」 が混じり合って≒(ニアリーイコール)で結ば れているような心の形があるようにも思える。

 

木を植える人

20年以上もの間、稲叢山の麓に植樹を続け てきた谷種子さん。取材・撮影させていただ いたのは2021 年4月の桜が満開を迎えている 時期だった。その頃、種子さんは若干体調を崩し気味だったのだが、私は桜が咲き誇る前で立つ種子さんをどうしても撮影したくて、 無理を承知で同行をお願いした。種子さんは病院に通う予定を変更して、一緒に稲叢山まで行く時間を作ってくれた。稲叢山の樹々の間を共に歩きながら、これまでに植えた樹々への想いを話すその姿を見ながら、種子さんが山と樹々に対して注いできた愛情の大きさを、私たちは知ることになる。

私たちがその場にいて撮影をする間にも、何台もの車がやって来ては停車し、家族連れや カップルなどが桜を見物し写真を撮っていく。 おそらく町の住民だけでもない不特定多数の人々が、顔を綻ばせながら満開の桜を楽しんでいる姿も同時に知ることになった。

 

地図の記憶

戦争に従軍し負傷した経験を持つ筒井政利さんは、ご自身の体験を次世代に伝えようとしている。地蔵寺のご自宅に伺ってお話を伺った際には、様々な資料やアルバムを用意していただいていた。本誌記事内にも引用している資料は、政利さんが長い時間をかけて丁寧に保存しているものだ。

ご自身が搭乗した戦艦の写真や、負傷後の療養中の写真など、その資料があって初めて感覚として伝わるものになることは間違いない。ご自身にとって辛い体験であったことは議論の余地のないところだが、それを長い時間をかけ繰り返し説き続け、テレビやゲームなどで観るものとは違う「本物の戦争」とはどういうものか、ということを若い世代に手渡そうとしている。

 

40年目の扉

長野静代さんは、地蔵寺地区の地元のお店である「長野商店」を40年以上営まれている。「ながのみせ」と地元の人々から呼ばれ愛され続 ける理由は、静代さんが手作りするお惣菜の美味しさによるのはもちろんだが、静代さんの顔を見に店に寄ることが日常の中に組み込まれているのだ、とも当の地元のお客さんたちは言う。

40年ということは、「ながのみせ」 の味を食卓で味わいながら育った人々が幾世代にも渡って、特に地蔵寺周辺では存在するということで、その証拠に、地元育ちの方々の多くは、「ながのみせ」のことを話す際には、近しい親族のことを話すような親しみを表情に出す(と個人的には思っている)。

 

高峯神社の守り人

「高峯神社の守り人」である筒井賀恒さんとは、 何度か一緒に神社の参道を歩いていただいた。 登山道のように急峻な参道を歩き本堂まで辿り着くまでの会話の中で、「ここに来る人が困らないように」とか「放置しておくとみんなが残念に思うだろうから」といった言葉をいくつも耳にすることになり、賀恒さんが高峯神社の隅々にまで心を配っていること、そしてそこを訪れる人々(不特定多数というよりは、具体的な顔を思いながら話しているように思えた)に対する思いやりを知ることができた。

神社を訪れ、その広い敷地のあちこちを手入れすることは賀恒さんの日常的な行為になっているようだ。

 

この山に暮らす

和田佐登美さんと芙美子さんのご夫婦は、自身の山の暮らし方を伝えようとしてくれた。 不便も多い(ように見える)山の生活の中で、 自然の掌の中で生きるようなお二人の生活は、言葉には変換できない何かを私たちにたくさん教えてくれたように思う。その「言葉には 変換できない何か」を言葉に変換しようとした試みが今号においての挑戦であるという言 い方もできる。

本文中でも触れられている事柄だが、私たちが辞する際に、「町のことをよろしくお願いします」と言って深々とお辞儀した佐登美さん の姿は現在でもありありと目に浮かぶ。それは本当に心のこもった、誠心誠意の低頭だっ た。

町のことを想う佐登美さんのその行動の底にはどのような心の形があったのだろう。 佐登美さんご本人に尋ねることはもう永遠に 叶わなくなってしまったが、頭を下げる姿の、 その記憶はそれからずっと「とさちょうものがたり」の通奏低音として奏でられている。

 

今回ここに取り上げさせて頂いた5 組の方々。 各々は表面上は全く違った活動をされているが、目には見えない深い階層で、非常に近い共通点があるように私には感じられていた。 それは一体何なのか?という疑問が、今号を編むにあたっての裏テーマとして、私の脳裏に常に明滅していたのだが、では明確な解答 が見つかったかというといささか心許ない。

それは冒頭に挙げたような公と個のバランス の在り様という辺りに深く関係するものであることは間違いないが、「これが答えだ」というように断言できることはあまりに少ない。

しかしひとつだけ確信を持って言えることが あるとすれば、「歴史」や「町」や「世の中」 というものは、ほとんど全てがこういった小さな個人と呼ぶような人々の手によって作られているということだろう。今号に登場する5 組のような方々の、人知れず行われる日々の積み重ねの集積が、町を作り、国を作り世の中を、歴史を作ってきたのだと思う。

ニュー スにもならないし教科書にも載らないその事実を、少しでも私たち自身の手で記録し伝えたい。ほんのちょっとでも、読者の心に何かが残ったと思えればうれしいと思う。

 

 

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笹のいえ

バランスをとりながら

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僕が移住先に自然豊かな場所を選んだのは、子どもたちが取り巻く環境やそこに棲む生物たちに興味を持ち、山川で遊び逞しく成長してくれると願ったからだ。

豊かな自然に囲まれたこの環境では、四季折々の風景や動植物を観察することができるし、山や川で遊び場には事欠かない。木の枝や竹などを使って道具やおもちゃを手づくりしたらさぞ楽しいと思う。

 

しかし、子どもたちは、僕が勝手に妄想していたほど野生児には育っていない。

理由のひとつは、

僕が一緒に遊べない、ということだろう。

ここでの暮らしはなかなかに忙しい。土を耕し、火を熾し、食す。シンプルな生活だが、ひとつひとつの行程に手間が掛かり、あっという間に一日が過ぎていく。例えば、生活に欠かせない薪を手に入れようと思ったら、現場に行って、チェーンソーで適当な長さに切り揃え、軽トラの荷台に載せて家まで運び、斧で割って、棚に積んで乾燥させる、と言った具合。僕が家で費やす時間は長いが、子どもと向き合うひと時は意外と少ない。遊びに行こうと誘いたいが、やらなければいけない暮らしの作業があって、子どもたちとの時間を十分に捻出できない。

そして、今まで海の近くで住んでいた僕は、山や川での遊び方をほとんど知らない。釣り糸の結び方からどの野草が食べられるのかなど、未だ知らないことばかりだ。山道を歩くことにもコツがある。そんなことすら身に付いてない。僕の乏しい経験ではたとえ山や川に連れていっても、自分自身楽しみ方が分からず、子どもたちの好奇心も引き出せないだろうという負い目がある。

だからと言って、子どもたちに「ほら、こんなに遊び場があるよ、行っておいで」と言っただけでは、彼らもどうしていいかわからない。親を含めた先輩が一緒になって時間を過ごすことで、子どもは多くを学び、そのうちに自分たちで行動ことができる。そのお手本がいなければ、子ども自身が興味を持つ機会すらないとも言える。

幸運なことに、この地に様々なスタイルで暮らしている仲間たちのおかげで、川遊びしたり、虫取りをしたり、地域ならではの体験させてもらって、子どもたちは彼らなりにこの環境に慣れ親しんでいるようだ。

うちの子たちはネット動画を観るのが好きだし、親類に譲ってもらった電子ゲーム機に夢中にもなる。外には素晴らしいフィールドがあるのに、家でスクリーンに集中するなんてもったいない。しかし、それはあくまで僕の中の常識なのだ。ああしろこうしろと口煩く言わなくとも、子どもたちはそれぞれのバランスをとりながら、未来を生き抜いていくだろう。それは、これまで僕が過ごしてきた世界とは異なる。僕が学んできた価値観だけを押し付けてしまえば、子どもたちは時代遅れの人間となってしまうかもしれない。次世代へのバトンの渡し方もバランスが必要だろう。

 

写真:家から数分の河原にある巨石を登る長男。滑って落ちやしないか見ているだけで冷や汗が出るが、何事もないようにスルスルと登っていった。彼のバランス感覚は、すでに僕より上だ。

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土佐町ポストカードプロジェクト

2021 Dec. 伊勢川

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伊勢川 | 藤原帆乃加・和田結衣

 

みつば保育園の駐車場で合流したのが16時。伊勢川方面に行きましょう、と撮影場所を探しながらどんどん山を登っていって。

ここいい!光もちょうどいい!と見つけたのが伊勢川のだいぶ上の方。子どもたちは自然と田んぼに出て遊んでくれたけど、遊びはじめたこの一瞬で太陽は最後のひと輝きを残して山の向こうに沈んでいきました。

場所見つけた・田んぼに出た・撮った・陽が沈んだ 一連が一瞬のうちのできごとでした。

冬の田んぼできゃっきゃと走り回っている二人は藤原帆乃加ちゃんと和田結衣ちゃんの従姉妹の女の子たちです。

 

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私の一冊

山門由佳

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「はじめてであう小児科の本」 山田真 福音館書店

この本は子供が病気になったとき、まず一番にひらく本だ。

とにかく頼りになる。 お医者様がおうちにいらっしゃる感覚なくらいに、子供のかかるたいていの病気や対処法は載っていることはもちろん、文調からも【安心感】をお届けしてくださる。

何度、お世話になったことか‥ 孫の代まで引き継ぎたいと思える本。 そして子育て家庭に、一家に一冊。 強力推薦いたします。

 

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とさちょう植物手帖

オモト(万年青)

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オモトは日本独自の感性で改良されてきた園芸植物です。

一年中葉を落とさないことから漢字で「万年青」と書き、長寿や開運を象徴する縁起物として古くから大切にされてきたようです。

栽培の歴史は古く、「茶の湯」「生け花」「能・狂言」などの日本の伝統文化が誕生した室町時代に、生け花の花材として使われたことに始まると言われます。

慶長11年(1606)江戸城の本丸が完成した際には、徳川家康が家臣から寄贈された万年青を大変喜んだという逸話が残っています。余談ですが、徳川三代(家康・秀忠・家光)の花好きは有名な話です。

そんなこともあり、江戸時代には主に大名、旗本の間でオモトの大ブームが巻き起こり、寛政年間には一芽100両(今の500万円)を超えるとんでもない値がついた例もあると言われます。

その後も、青々とした葉を観賞する目的で次々と品種改良が行われ、現在では1000種を超える葉の形状や模様が生まれているということです。

と…、ここまでは園芸種の話。

 

土佐町には野生のオモトが自生する場所があります。

地蔵寺の標高450~500m辺りの広葉樹の森の中。どなたの所有する山林なのかも知らないまま、2022年元日、年始めにそのオモトを見に行ってきました。

常緑樹のアラカシが柔らかな木漏れ日を届けている林床には、コナラやアカシデなどの枯れ落ち葉がふかふかと積もり、赤い実をつけたオモトが間隔よくいっぱいに広がっていました。

オモトの魅力は葉っぱだけではありません。冬になると緑の葉の中心に真っ赤な果実が実るのです。

酔いしれるほどの壮観な光景、今がまさにその時でした。

これまでも野や山でオモトを見てきましたが、どれも道路や林道のそば、人が住まいした形跡を残す山の中などで、一ヶ所にほんの数株しかなく、純粋に野生のものとは思えないものばかりでした。

でもここは違います。原種ならではの素朴な美しさに溢れる野生のオモトです。

予想外の大群生でした。

 

<注意>オモトは毒性が非常に強い有毒植物です。根だけでなく葉や実にも毒性があります。特に小さな子供が実などを口にしないよう、注意してください。

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