2018年11月9日、絵本作家である西村繁男さんといまきみちさんが土佐町に来てくれました。お二人ともたくさんの絵本を執筆されている経験豊富な作家さんです。
西村さんは3年前にも土佐町を訪れてくれたことがあり、その時の縁で今回もご連絡くださり、みつば保育園でのおはなし会が実現することとなりました。
当日は、土佐町立図書館やとさちょうものがたりのシルクスクリーン作業場を訪れました。みつば保育園でのおはなし会では子どもたちから大歓声があがるほどの盛り上がり。その後の笹のいえでの夜の時間…。編集部も西村さんといまきさんのお二人とご一緒させていただいて、とてもゆたかな時間をすごすことができました。
今回の訪問前に、とさちょうものがたり編集部は、西村さんにひとつのお願いをしていました。それは「今回の土佐町での経験を文章にして伝えてもらえませんか?」ということ。
それからしばらく経った先日、編集部宛に西村さんから一本のエッセイが届きました。
土佐町で過ごした時間を、おふたりはとても楽しんでくれたようです。
土佐町と若い人たち
西村繁男
我が家のシンちゃんが亡くなった。シンちゃんは阪神淡路大震災のとき保護され、縁あってわが家にやってきた猫である。23歳の大往生であった。家に生き物がいると、夫婦そろっての長旅は無理だったのができるようになった。
墓参りを兼ねて夫婦で旅に出た。お墓は土佐町地蔵寺に在る。私は2年ぶり、妻のいまきみちは10年ぶりの土佐町である。
私は3年前、土佐町を訪れたとき鳥山さんに会った。
私も妻も絵本を作っている。絵本を作って有難いと思うのは、私の作った絵本を見たことのある人が各地にいることだ。鳥山さんも私の絵本をよく知ってくれていた。その縁でそのときは土佐町立図書館で絵本についての小さな集まりを開いてもらった。
鳥山さんは東日本大震災の後、神奈川県から移住してこられそうだが、子育てしながら土佐町での生活を生き生きと楽しんでいる様子がうかがえた。
そして鳥山さんの他にも移住してきた若い人たちが面白いことを始めているらしいことも分かった。
今回の土佐町ではそんな若い人たちの活動を見てみたかったのである。
私の家は神奈川県の最北部の山間部にある。相模原市に合併される前は藤野町といった。ここに住んで38年になる。子育て中の若い人たちも増え面白い所となっている。
東京にも近いので空き家を求めて彫刻家や陶芸家や絵描きなどが自然と移り住んできていたところに、県が藤野町をふるさと芸術村に指定した。藤野に住み始めて10年ほどは何処に誰が住んでいるのかも分からない状態だったが、それを契機に藤野町在住の芸術家同士の交流が始まり、展覧会や催しがたびたび開かれる様になった。
その後、パーマカルチャーの農業講習に来た若者や、廃校になった小学校に移ってきたシュタイナー学園関係の人たちが環境問題や地域通貨など新しいことを始め、層が広がり多様になった。
藤野では、自らやりたいことを持った人がこの指とまれと手を上げると賛同した仲間が輪を作り、そんな輪があちらこちらに在って、それが少しずつ重なりあい、人と人がゆるく自然に繋がっている。
土佐町では若い人たちがどんな形で自分たちの町作りをしているのだろうか。
高知から車で地蔵寺に向かった。途中で道を違えて偶然目にした相川の棚田に並ぶ三角形の稲わらの黄色がとてもきれいだった。
午前中に墓参りを済ませ、午後に土佐町立図書館で鳥山百合子さんと会った。この日のスケジュールは鳥山さんにお願いしていた。
紹介してもらった図書館の瀬戸彬子さんと杉尾奈緒子さんは、2人とも移住してきた若い方たちだった。笑顔の応対を見れば、図書の仕事を楽しんでいるのがよく分かる。
次に案内してもらったのは「とさちょうシルクスクリーン工房」であった。とさちょうものがたり編集長でカメラマンの石川拓也さんと会い、工房の説明をしてもらった。石川さんも移住してきた若い人だった。
シルクスクリーンを通して人と人が繋がっていくのはとても良いアイデアだと思った。町にいい風が吹くためにアートは欠かせない。
この後みつば保育園に向かった。西村繁男といまきみちの絵本を音楽に合わせて動かすスライドショーをするためだ。挨拶もそこそこに上映を始めた。
私はまず『おばけでんしゃ』をやったのだが、子どもたちは絵本ですでに見覚えのあるものが音に乗って展開することに興奮して大歓声で答えてくれた。
こんなにも元気な子どもたちの反応は初めてのことだった。
質問のとき「すきなくだものはなんですか」と同じことを2人の子に聞かれた。子どもは素晴らしい。子どもたちに元気をもらった。
この日の宿は「笹のいえ」である。宿の主は渡貫洋介さんと中島子嶺麻さんと4人の子どもたちである。
彼らも3・11の後千葉から移住してきたそうだ。3・11は原発の問題も大きく、生き方そのものを見つめ直した若い人たちがいて、こうして地についた生き方を始めていたのだ。夜は鳥山太郎さんと3人の子どもとアーティストの川原将太さんも参加してくれた。
子嶺麻さんの作ってくれたマクロビ料理がたくさん並びみんなで美味しくいただいた。
五右衛門風呂とコンポストトイレも貴重な体験だった。
祖父や父が地蔵寺の出ということで小学生のころは姉弟、従妹たちと夏休みは地蔵寺と北川村の大北川に行くのが恒例であった。
60年も昔の話で、その後は土佐町も過疎化が進んでいると思っていたけれど、今度の旅では若い人たちが身の丈の自分を大切にして活動している姿を見ることができて嬉しかった。そして若い人たちが土佐町の先人たちが営んできた生活を大切に思い、掘り起こし学ぼうとする姿に、藤野と違った優しさを感じた。
おまけ:途中で寄った室戸廃校水族館は学校プールにシュモクザメが泳いでいてとてもよかった。
*西村さんが来てくれた日の記事はこちらです。