秋やったか、冬やったか、いやいや春やったかもしれない…。
祖父・祖母・父・母・私・妹の家族6人で、そろそろ食卓を囲もうかとしていた夕暮れ時、父が妹に「食パン買うて来い」とおつかいを頼んだ。
父は、その頃、トースターに入れてポンッと出てくる食パンを食べるのが毎朝のお気に入りだった。
妹は、おつかいに出ていったが、すぐに「フジオ(店の名前)に食パン無かった」と言って、帰ってきた。
父:「次の店には?」
妹:「行かんかった。」
いまでこそ、呉服屋と酒屋と美容院しかない森の商店街だが、当時は、魚屋・肉屋・呉服屋・駄菓子屋・煙草屋・電気屋・本屋・傘屋・靴屋・薬屋などなど生活必需品のすべてが揃う商店街だった。最初の店に食パンが無ければ、次の店に行けばあったかもしれないのに、まだ小学低学年の妹はそれをしなかった。
そこで、父の雷が落ちた。
父は、一家の大黒柱然としていたい、いわゆる昭和の父親、絶対的存在だった。
「フジオに無かったら、次の店へ行って買うて来んか!」
一瞬、空気がピーンと張りつめた。3歳年上の私は、これは雲行きが怪しくなったと思い、「私が行って買うてくるき」と言うと、父の怒りによけい火をつけてしまった。
「ほんじゃき!いかんがよ!自分で行って買うてこい!買うてこんかったら今晩のご飯は食べらさんぞ!」
すると今度は、それを聞いていた祖父が、
「寛水(父の名前)!おまえは何という事を言うんじゃ!わしは、おまえにメシを食わさんじゃ言うて怒ったことは一度もないぞ!」
普段温厚な祖父の怒鳴り声を初めて聞いた。
父:「子どもをしっかりさせようと思うて怒りゆうんじゃ!わしの言うことに口出しすな!」
祖父:「メシを食べさせんじゃいう脅迫めいた言葉で怒ったらいかん!」
周りの母も祖母もただただ二人をなだめようと必死でオロオロ…。
たかだか食パンを買ってこなかっただけなのに、間違えば家庭崩壊寸前まで進んでしまった。
しかし、そこは温厚な祖父、折れどころを知っていたのか、何とか二人の気持ちも納まり、みんなで夕食についたような…。
あとで、妹に「どうして次の店で買うてこんかったが?」と聞くと、
「一回帰ってから、又、買いに行こうと思うちょった」。
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それならその時そう言えば…。こんな大騒ぎになっていなかったのに…。
思えば、周りはオロオロ困っているのに、何故か妹は落ち着いていた。しかも涙は見せなかったような…。小さい頃から妙に芯のしっかりした子やったんやなぁ~。
あれから50年余り、登場人物はみんな他界し、妹と私の二人だけになってしまった。
妹63歳。私66歳。
叱った父の気持ちも、かばった祖父の気持ちも分かる年代になってしまった。