毎年2月上旬、土佐町南川地区では「カジ蒸し」が行われます。カジを蒸す木の甑から白い湯気が上がり、その元でカジの皮を剥ぐ人たち。その風景は土佐町の冬の風物詩と言ってよいでしょう。
「カジ」は楮とも言われ、紙の原料になるもの。畑や山に育つカジを切り出し、蒸しあげ、皮を剥ぎ、皮を乾かして出荷します。以前は土佐町のあちこちでカジ蒸しをしていたそうですが、今ではこの南川地区と石原地区の一部で行われているだけ。
2月8日、南川の皆さんが集まって作業をしていました。
この日の午前中は、昨日の夜から甑で蒸し込んでいたカジの皮を剥ぐ作業をしていました。蒸しあがったカジの根元を握ってくるっと回すと、皮がつるりと剥がれるのでそのまま下へ引っ張って剥いでいきます。カジは冷たくなっていた手をじんわりと温めてくれます。
カジは、乾燥しないよう蒸す直前に切るのだそうです。
「やっぱり1月、2月のうちやね。あれこれしよったらねえ、この時期しかできんきねえ」
今年はカジがあまり収穫できなかったとのこと。その原因はイノシシと猿。イノシシがカジをかじり、出てくる白い汁を吸ってカジが折れてしまう。猿はカジの枝の芽を食べる。
「イノシシにごちそうしたけ」
「動物と生活していかないかんけ、大変よ」
水野和佐美さんはそう言って笑うのでした。
「昔はカジ蒸しやってる人たくさんいたけ、親戚同士が集まってやってね。また親戚が蒸すときにはまた行ってね、お互いに皮を剥いでね」と豊子さん。豊子さんは土佐町の能地地区出身で、南川へお嫁に来たそうです。
昔は南川地区だけでも何軒もカジ蒸しをしている家があったそうですが、今はここだけ。
「昔は量もようけあって、3日も4日もはいだけんどね。安いというて、みんなもいでしもうた」
「ここに来てからずっとやってる。舅さんらがやりよったけ。昔はどこにも甑があってね。甑は次々まわり回って順々にもろうてねえ。もうこんなのあまりないよ」
皮を剥ぎながら周りの人たちとのおしゃべりに花が咲きます。
焚き口近くは熱風で顔が近づけられないほど。近くの小屋から焚き物を運んでいた水野才一郎さんは、勲さんと同じく、子どもの頃から両親がしていたカジ蒸しを手伝っていたそうです。
「4時間は蒸さないかんのよ。それくらい蒸さんとね、きれいに剥げない」
甑の下には水の入った釜鍋が据えてあり、釜の水を“ごんごん”沸かすことで甑の中のカジを蒸します。甑の横の地面には穴が彫ってあり、それが煙突がわりになっています。
このかまどは、才一郎さんのお父さんが作ったものだそうです。
「かまどの石は、“がけ石”とわしらは呼ぶけんど、山で掘ったら出てくる石でできちゅう。火を焚いても割れんのよ」
河原の石は、火を焚いたら割れてしまうのだそうです。
カジがらは乾燥させ、お風呂の焚付けなどに使います。とてもよく燃えるので山の暮らしでは重宝します。
「ツンツンとして(上下を揃えて)、干すがよ」と和佐美さん。
下を流れる川から冷たい風が吹き上がり、皮を揺らします。乾かした皮は農協に出荷するそうですが「乾燥した皮が4貫(約16㎏)」ないと出荷ができないそうです。
「なかなかの量で。16㎏よりも入れめ(多めに)しとかないかん 」
和佐美さんはそう話していました。
お昼が近づき、もうすぐ甑の中のカジが蒸しあがるという頃、軽トラックに積んでいた生のカジを甑の近くに運んで積み上げます。
(「南川のカジ蒸し 後編」へ続く)