2021年1月

くだらな土佐弁辞典

あっつろう

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あっつろう

【意】あったでしょう

使用例① あそこに、あっつろう (あそこにあったでしょう)

使用例②   渡部あっつろう   (渡部篤郎)

 

 

 

 

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笹のいえ

抜かせない長男

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連日しっかり寒くて、なかなか外で遊ぶ気になれなれず、子どもたちとストーブの前から離れられないでいる。しかしある日、意を決して公園に行こうと提案すると、やっぱり退屈していたのであろう彼らは、二つ返事で「OK!」と言った。

近くの公園に到着するとすぐに走り出す子どもたちは、とても楽しそう。誘ってよかった。

ブランコや滑り台で遊んでいる四人を見ながら、自分が最近運動らしい運動をしていないことに気がついて、僕はちょっと走ってみようと言う気になった。

足元は長靴だけど、まあとりあえず、敷地内をぐるっと5周くらいしてみようかと軽く走りはじめた。間も無く運動大好き長男が「オレも」と併走してくれた。普段走ることなど皆無な僕はゆっくりとではあるけれど、地面を蹴り、風を切る感覚を楽しんでいた。

最後の一周になって、息子を追い抜いてやろうと考えた。「父ちゃんもまだまだやるのだ」というところを見せてやろうと。相手は育ち盛りとはいえ、ただの小学二年生。よもや負けることはあるまい。

少しスピードを上げると、彼も同じ速度で付いて来る。しかも僕の少し前を走り、負けないぞ感を醸し出している。僕はさらにペースを上げる。が、彼も加速し、僕は彼を抜かすことができない。ちらちらと僕を振り返る余裕すらある息子。親の威厳に掛けて、力を振り絞る僕。48歳の父ちゃんと8歳の長男は、いつの間にか全速力でデットヒートを繰り広げることになっていた。

ゴールの途端、ふたりでしゃがみ込み、あがった息を整えた。

天を仰ぎながらショックを感じていた。僕の体力はすでに小二以下だったのだ。

「いやでもほら、長靴だったし」「そういえば、左膝が痛い気がする」

という言い訳が一瞬頭を巡ったが、それらを差し引いても、自分の体力の衰えと彼の成長を認めるしかなかった。

日々成長していく子どもたちに対して、老いていくしかない僕。

それはもう変わりようのないの現実だが、ちょっと悲しい。

 

それにしても、この爽快感は久しぶりだ。ともに汗を書き、力を出し切る。長男との体験の共有は記憶に残るであろう貴重な時だった。

興奮した気持ちのまま、しばらく童心に戻って、子どもたちと一緒に遊ぶことにした。

そして、いつもと違う彼らの反応に気がついた。

 

続く

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4001プロジェクト

2020 Dec.

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時は2020年の年末、所は大谷の鏡峰寺。

鏡峰寺では、朝晩6時にこの鐘を鳴らします。鳴らしているのは住職の吉永公明さん。

毎日休むことなく、地区の方々にゴーンゴーンと時をお知らせしています。

とさちょうものがたり編集部も近くにあるのでこの鐘の音は聞こえてきます。鏡峰寺の鐘がなっているのでもう6時、というのはいつの間にかぼくの体に染み込んでいるようです。

土佐町に来て5年足らずのぼくがそうなので、もっと長く住んでいる地区の方々にとってはさらに生活必需的な音になっているのでしょう。

こういう種類の「音」の価値をどう言葉にしたらいいのか、ボキャブラリーの足りなさを痛感しますが、「体に染み込む」音である、ということは間違いないようです。

年末のある晴れた日に、和田雫ちゃんと虎哲くんの姉弟に鐘を突いてもらって撮影しました。

 

 

 

 

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くだらな土佐弁辞典

なんぼゆうたち

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なんぼいうたち

【意】いくらなんでも

 

例文① なんぼいうたち、そりゃないろう  (いくらなんでもそれはないでしょ)

例文② マンボいうたち (上図を参照のこと)

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

2021年、改めまして寒中お見舞い申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

さてさて~今回の前座は~

コロナ禍での新たな生活様式で、随分とのんびりとした年末年始でした。ただニュースのコロナの感染者の増加に一喜一憂していたのは、職業病なわけですが

私は数日間がっつりゆっくり寝正月でした。ここ数年、年末年始は体調が際立って悪かったのです。忙しない空気や雰囲気すらダメで、年末年始のテレビ番組等は、見ること聞くことすら苦痛でした。

氷枕と冷えピタを貼って、悪夢にうなされながら寝込んでいました。今年はそこまで酷くならずゆっくり出来たのは、近年稀に見ることでした!(ありがとう!神様!)

しかしながら、いつになったらコロナは収まるのやら。というか、収束ではなくて進化してってますよね?アヤツ。変異型何個あんねん!?というツッコミが頭の中で何回とびかったことか

軽く調べてもだいたい17種ほど変異があるようです。話題のイギリスとアフリカのもの以外に、変異体自体がたくさんあるということは、それだけ強毒性で感染力の高い変異型が今後出てくる可能性が高いということ。

母と、祖母のデイサービス用のマスクに祖母の名前を書きながら、そのうちナウシカのマスクみたいになったりしてね と話しているところです。ありえない話では無いですよね、ガスマスクを被って生活する「ネオ新生活様式」。風が良く通る田舎(辺境)の民だけが、ガスマスクつけなくて済むってオチですよね。

By the way.このお正月には私にとってとても嬉しいことがあったのです!『風の谷のナウシカ』は令和元年12月に新作歌舞伎になっていたのですが、NHKで前編後編で放送されることになっていたのです。

ちょうどテレビも買い替えたばかりで、即録画予約しました。実は令和2年の2月と3月とに香川で『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』ディレイビューイングに行っていたので、見るのは2回目になります。

アニメ原作でなく、漫画原作になっており、昼夜通し(6時間)の大歌舞伎でした。主演ナウシカ役は尾上菊之助、クシャナ役を中村七之助、アスベル役を尾上右近他、豪華なことこの上ないキャストでした。本水や獅子舞など、見応え十分で、女形の見栄の切り方も美しく手先足先まで美しい所作でした。特に中村七之助のクシャナ役はニヤニヤが止まらないほどハマり役でした。はぁ~。何遍でも観られる。

私の一冊を書くためにわざわざ去年見に行った『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』でしたが、私は純粋に原作の考察と、古典的解釈で新たに現されたナウシカの世界によって、新たな面から考察することが出来ました。そして、令和元年に『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』が作られ、私が(いつから書き出したか忘れましたが)『風の谷のナウシカ』を必死こいて書いている最中、コロナパンデミックで世界が変わったこの2020年に、アニメで年末に『風の谷のナウシカ』をみ、年始で『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』をみるのは因果めいたものがあると思います。

私は仕事で選書もしているのですが、『風の谷のナウシカ』を考察する著作もふえ、TwitterYouTubeといったSNSのインフルエンサーが『 風の谷のナウシカ』について考察しているのです。※私が私の一冊で書き出したのは、たまたまなので例外ですが

マスクをしないと出られない世界、今までと違う生活様式を強いられるということが、『風の谷のナウシカ』に注目を集める結果になったのでしょうか。『風の谷のナウシカ』をサラッと読んでいると、人が命に手を加える、人が命を弄ぶことを、強く否定しています。

2019年頃からSDGsや海洋汚染が声高に叫ばれ、プラスチックの汚染が人間にまで広がっていることが知られた時期ですので、私達のいきかたに転換点が来ているゆえかもしれませんね。

『風の谷のナウシカ』は人間の転換点の物語ですから。

さて、本編は6巻後半にはいりました。

場面は皇兄ナムリスの戦艦から始まります。囚われの身になっていたユパは、ヒドラの飼育室から何とか脱出します。その頃皇兄ナムリスは出陣の準備をしており、そこに弟ミラルパの亡霊をみます。

何かを探しているようです。その時ミラルパは雲の下にナウシカのいる飛行甕に気づき、もう大した力もないのにも関わらずナウシカに取り憑こうとします。森の人は、その危機的状況に気づき、見晴らしの良い山肌におろしてもらいます。

ここの会話で森の人はセルムだというがわかります。チヤルカはセルムにチククとナウシカを託します。セルムはチヤルカの戻るところを「修羅の庭」と表し、チククは「チヤルカもどると死ぬぞ」と呼びかけています。しかし、チヤルカはこれ以上の愚行の繰り返しを止めるため、命をかけて戻って行きました。

同じ山には別行動を取っていた、城おじ達やクロトワがいました。不意にクイが動き出します。クロトワはクイに無理やり乗せられ、ナウシカの所へ行き着きます。

そこでナウシカの目覚めをまつ、チククとセルムに会います。どういう状況か分からないクロトワですが、2人の尋常ではない様子と一向に目を覚まさないナウシカに言いようのない不安を覚えます。ナウシカといえば、セルムの呼びかけが呼び水となって、意識がハッキリします。この場面でのナウシカは年相応の女の子といった、若干幼いように描かれているように見えます。

意識がはっきりしたことでミラルパの亡霊に見つかってしまいましたが、胸に抱いていたテトがいないことに気づき、まとわりつくカゲを振り払います。その時、一緒にミラルパからもカゲを振り払いました。周りを見渡すと周りは、一面が骨片におおわれており、重い体を引きずり、ミラルパを支えながら必死に歩きました。すると行先に腐海があり、青年(セルム)がいました。怯えるミラルパもろ共ナウシカはその腐海に入りました。

その腐海は豊かな色彩でした。彼はこの森はナウシカの心の森であり、途中からは実際にある場所だといいます。彼はある秘密をナウシカと共有するために、心の森からしか行けないその場所に導いてくれました。それは腐海の尽きる場所。草木が茂り、水と土がある。青き清浄の地でした。ミラルパはよろこび鳥を追って消えてゆきました。ナウシカはそれをしっかりと確認すると、現実の世界に戻っていきました。

セルムは、青き清浄の地を汚さなかったナウシカに、腐海で共に生きないかと声をかけます。生命の流れに身を置くセルムと、個々の命に深く関わってしまう、人の世界を愛し愛されているナウシカは、共に行くことはありませんでした。しかし確かな絆が結ばれました。

ナウシカには、蟲使いから醜男(逞しい男のこと···古語)達が選りすぐられて守り人となっていました。更に勝手に留守にしたクロトワとクイを探してきた、城おじ達とも合流し、感動の再会になるのです。

そして、土鬼のトルメキア侵攻を阻止しようとチククと共にメーヴェで先に飛び立ちます。その後を守り人たちが健脚を生かして徒歩で、ミトとクロトワがガンシップで追うのでした。

さて、まだ6巻ですが、ここら辺から内容は7巻とまとめた方がわかりやすいので、ここで1度筆を置きます

次は6巻詰めから7巻からを書けたらいいかなと思います。

6巻もなんですが7巻は超ボリューミーなので、

遅筆の私がどれだけやれるか見ものですね…(¬)

最後に、末文になりますがお許しください。

祝いの時間もなく、先の見えない中で前を向いて走り続けている方々へ、心からの敬意と、感謝を。

いま苦しい立場にいる人々に、どうか思いつめないでと言いたい。

それでは、また。

 

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ほのぼのと

告白

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先々月、妹が、「お姉ちゃん!これ見て!お姉ちゃんは文章が上手やったんやねぇ~!」と、少し興奮気味に、私が小学校六年生の時に書いた作文のコピーを持ってきました。

それを見た瞬間、何かしら「黒いもやもや」感情が湧きあがってきました。

・・・???何やろう???・・・

題名は、「九官鳥」。

そういえば、その頃、家では九官鳥を飼っていました。妹と私にとっては、懐かしい想い出。

その九官鳥がカゴから逃げた時のエピソードを綴っています。登場人物には、父・母・妹に親戚のおじさん、近所のしのぶさんの家や、森中学校の様子も垣間見えます。

・・・しかし・・・

妹が、その文章を上手だとほめる続けてるうちに、ハッと気がつきました。「黒いもやもや」の正体。

私が、宿題の作文を書いているのを見つけた父が「ちょっと、こっちへ来い!」と言って、なんと、添削を始めてしまったのです。

一連の流れはいいけれど、所々大人の言い回し。書き直したくないのに、その頃の父は偉大でした。しかたなく、書き直し提出したら、何とそれが、土佐村公民館の冊子の文芸欄へ選ばれてしまいました。

誰にも言えず、全然嬉しくない。罪悪感でいっぱい。そんな作文のコピーを見たもんだから、懐かしさよりも「黒いもやもや」感情の方が大きいのは当たり前。普段は、子供の宿題など見た事もないくせに、何故かそのときだけ父は張り切ってしまったのですね。

そして、妹がコピーを持ってきた後日、読解力のすぐれた友人2人に見せると、2人とも「すごいですねぇ~。まるで大人の言い回しですねぇ~」

やっぱり、お見通し。

私は、60年ぶりにその2人に罪(?)の告白をしました。

「それねぇ~、実は、父が手伝うてくれたがよ。私は、嫌やったのに…」

友人2人は「言わなぁ、わからんのに…(笑)」

 

私は、やっとすっきりしました。

後にも先にも、たった一回きりの父の宿題への干渉だったのに、感謝どころか、私の心には、罪悪感しか残っていないとは…。親業も大変ですね。

世のお父さま、お母さま方、お子様の宿題のお手伝いをするときには、くれぐれも、お気をつけて。

 

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私の一冊

田岡三代

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「一億円のさようなら」 白石一文 徳間文庫

「え~?テレビを観る前に読んだら、テレビが面白くないろう?」との孫の言葉をしり目に、やはり先が急がれる私は読むのです。

テレビでは、俳優さんの目や顔の表情で、その時の心の流れを読みとるのだけど、本には当然のことながら言葉で書かれてあるので、その対比がおもしろい。

「多額の遺産を叔母から相続することとなった妻とと、その事実をずっと内緒にされていた夫との心のすれ違い」が描かれたこの本。

テレビでは、主演の上川隆也のゆるぎない演技が素敵でした。

 

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笹のいえ

じゃーばーぶ!

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今春に三歳になる次女はおしゃべりが上手になって、コミュニケーション力も付いてきた。道端ですれ違った見知らぬ方々に「こんにちわー」と大きな声で挨拶して、相手をビックリさせる得意技も身につけてしまったけれど、この年齢限定と思えば微笑ましい(親は「驚かせてすみません」と頭を下げて回ってますが)。

自分で出来る(と思っている)ことも増えた。

トイレでパンツを脱ぎ着すること、靴を履くこと、スプーンでご飯を食べること 等等

でも、どれもまだたどたどしくて、横で見ている僕は、つい助け舟を出してしまう。そんなとき彼女が言う言葉が、

「じゃーばーぶ!」

最初に聞いたとき意味が全然わからなくて、何度も聞き直してしまったけれど、どうやら、

「だいじょうぶ!」

と言いたいのだ、ということが判明した。

幼児が言い間違えやすい言葉はいくつもあって、検索してみると、

とうろもこし(トウモロコシ)

ぽっくぽーん(ポップコーン)

かににさされた(蚊に刺された)

など。どれも「あるある」と思い出して笑ってしまう。が、その中に「じゃーばーぶ」は見当たらなかったから、もしかしたら、彼女のオリジナルなのかもしれない。我が娘ながら、なんとも素敵なセンスではないか、と親バカ丸出しで思ったりする。

僕は日頃、言い間違えを含めた「〜でちゅ」や「まんま」などのいわゆる赤ちゃん言葉で、幼児と会話することはほとんどない。

幼少期の言語を覚える過程で、

①赤ちゃん言葉で会話する

②幼児はそれを正しい言葉として認識し、使い続ける

③ある年齢で正しい言葉を覚え直す

という順序を踏むが、周りが正しい言葉を使えば、彼らはより早い段階で他人との違いを理解訂正し話すことができるからだ。なんてエラそーに書いたけど、これはある本からの受け売り。しかも逆の研究結果もあるようで、効果のほどはよく分からない。まあ、赤ちゃん言葉を使っている自分に恥ずかしさを覚えると言うめんどくさい性分が理由というのも多分にある。

けれど、「じゃーばーぶ」は、音が楽しいこともあって、僕も彼女を真似て「父ちゃんも、じゃーばーぶ!」と言っている。さあ、皆さんもご一緒に!

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くだらな土佐弁辞典

みてた

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みてた

【動】死んだ・亡くなった

例① あそこのおんちゃん、年末にみてたとー (あそこのおじさん、年末に亡くなったって)

例② 家政婦はみてた (上図を参照のこと)

 

 

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土佐町ストーリーズ

樽の滝の話(田井)

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吉野川に地蔵寺川と汗見川が合流して程なく、南岸側に東西に走った国道をつっきるように、鳥井谷が流れ込んでいる。

この谷は田井山に源を発して、鳥井集落八戸をうるおしていて、水は冷たく、美しく澄んでいる。

樽の滝は、この谷の中程、国道から約二百メートル位登ったところに、雌雄二双となって流れ落ちていた。雄の滝の滝つぼから雌滝まで約二十丈程で、水の豊かめな時期には水しぶきが飛散し、水音が四方の山にこだまして勇壮であった。

当時、この雌滝の水口(水の取り入れ口)に、直径一メートル、深さ七メートルと思われる穴渕があって、誰言うとなく、そこに蛇が棲んでいることが信じられ、そのために部落が富んでいた。

田井上野部落古城に、権根(ごんね)という気の強い男がいて、こうした話を信じなかったものか、または、蛇に挑戦して自分の力を人々に示そうと考えたものか、その穴を鎚で打ち割り始めたのである。驚いたのは蛇である。滝つぼに覆いかぶさるように生い繁っていた、トガの大木の穴にはいこんでしまった。

権根は、尚も蛇を追求して許さなかった。ついに、トガの大木に火をはなった。炎々と燃え続ける火は、七日七夜に及び、蛇の死霊は谷川の水に泡となって流れ去った。それからというものは、不作が続きに続いた。部落の人々は、蛇のたたりであると考えたのであろう。霊をなぐさめるために小さな祠を建て、穴菩薩を安置して祭り、今も秋の実りの頃、その祭りは続いて行われている。

蛇を焼き殺した古城の権根は熱病にかかり、七日七夜「熱い熱い水をかけてくれ、水をかけてくれ」と絶叫しつつ死んだということである。

部落の人は、この谷を焼淡谷とその後呼ぶことにした。

今、鳥井谷をたずねる人はまれであるが、蛇の棲んでいた穴渕は、二メートル位残っている。

館報

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