とさちょうものがたり

土佐町ストーリーズ

順太地蔵 (南川)中編

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やがて若者達の嫉妬の凶器は順太の脳天に打ちおろされた。

勿論、彼等若者達にも順太を殺す気は無かったが、打ち所が悪かったか、順太はウォーッと言う悲鳴と共に死んでいった。加害者の若者達も驚いた。そして困った。が、それは後の祭り、彼等は 順太の死体を河に運び砂を掘って順太の死体を埋めたのであった。

その翌朝順太の飯場では順太が行方不明に成った事に同僚の人夫達は大さわぎと成った。そして順太の行方不明は彼の故郷の母の許へも知らされた。

一方人夫達は八方順太の行方を探したがようとしてその行方は分からなかった。

やがて月も変わり八月二日、晴天続きの天候もついくずれ、どす黒い雲が南からちぎれちぎれに飛んで行った。台風の前兆である。そして翌日三日の夕刻から四日にかけて暴風雨となった。河川は見るみる内に増水した。

阿波屋の人夫達は順太の不明の中で不安ながらも木材を流送したのであったが、さしもの台風も翌五日には又快晴の天候に回復し暑さも多少しのぎ易く成っていたが、山々にはみんみんぜみがにぎやかに鳴いてい た。

 

この頃、里の百姓与三郎は朝起きて対岸の川原の砂に異様な光景を見た。

それは真黒いカラスの群が一カ所に ガーガーと鳴いているのであった。がしかし、その日は敢えて気にもせず山畑へ仕事に行ったが、その翌朝も又その翌朝も例のからすの群は一カ所に集まっていた。

とうとう、与三郎はそのからすの群の集まっている川原に行ってみたのである。

そこで与三郎が目にしたものは、何と半ば腐乱した順太の死体、それをからすがつついて 二目と見られない凄惨な姿であった。

 

後編に続く

 

 

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とさちょうものがたりZINE 08号が発刊です!

 

本日7月20日(火)、とさちょうものがたりZINEの08号を発刊しました。

今回は「山峡のおぼろ(著:窪内隆起)」号。2019年7月に発行した04号の続編にあたります。

もう何度もご紹介してきましたが、著者の窪内隆起さんは元サンケイ新聞記者。作家・司馬遼太郎氏がサンケイ新聞紙上で「竜馬がゆく」「坂の上の雲」を連載していた時代に、氏の担当編集者として活躍されました。

その窪内さん、12歳までを土佐町・西石原地区で過ごしています。とさちょうものがたりでの連載「山峡のおぼろ」は、窪内さんが西石原で過ごした幼き日々のことを綴ったエッセイ集です。

 

20編のエッセイ+1

「山の音や声」「研ぐ」「茶碗を狙って」「機関銃」「ヤリカタギ」‥。今号に収録された20編のタイトルの一部です。

西石原の豊かな自然を舞台に躍動する少年時代の窪内隆起さんの声が淡々と編まれたようなエッセイ集。

「昔はこんなこともあった」と過去を懐かしむためだけではなく、「私たちはどこから来たのか」を知り、「私たちはどこへ行くのか」という解答にたどり着くための小さな一歩。そんな思いで作った一冊です。

+1は『終りに当たって「婉なる哉故山‥」』と題された、この連載全体に対する窪内さんのあとがきです。

サンケイ新聞退職時にあった司馬遼太郎氏との心温まるやり取りが描かれています。

 

 

 

発行は本日7月20日

土佐町のみなさまには近日中にお手元に届く予定です。

町外の方々は、以下の店舗・施設にこれから随時配布をしていきますので、最寄りの施設で入手していただければ幸いです。

 

ZINE

 

この本を手に取るすべてのみなさまに楽しんでいただけますように。

 

 

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土佐町ストーリーズ

順太地蔵 (南川)前編

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当時、この部落には至る処に杉檜の大木があった。

全ての物資の運搬に馬さえいなかった当時のこと、この無尽蔵の木材資源も土地の者にとっては、家屋の建築や修理に使う程度でしかなかった。

阿波の国にはこの木材に目をつけた大材木商人が数多くいた。彼等は吉野川の流域の木材を買い集め、大阪の堺港や和歌山に出荷して莫大な利益をあげていた。

阿波屋重兵衛も当時の大木材商人であった。

何千人もの人夫を土佐に送り、秋から春先迄、買入れた木材を伐採造材して川岸に集積する。

そしてやがて夏が来て大洪水が起きた時、集積されている木材を濁流渦巻く河に流す。

一方徳島の河口にはアバが張られて上流から流れて来る木材を集めて、木材に打ち込まれた刻印によってそれそれの木材商に引渡される。

勿論、何十パーセントか の木材は川岸に掛かったが、それでも大きな儲けとなっ ていたことであろう。

 

さて、 この阿波屋の人夫二十名程が南川にも来ていた。彼等は飯場と言う大きい小屋に寝起きして、毎日木材の伐採をしていた。

その人夫頭に順太と呼ぶ若者がいた。

二十五歳の青年であったが、さすが阿波の豪商重兵衛が見込んだだけに、読み書きソロバンは達者であり、 その上立派な体格の美男子であった。

徳島の店では番頭であり、出夫の時は人夫頭であった。当時この部落の古田と言う所に玄安と言う医者がいた。そしてお花という一人娘があった。

現在もそうであるように当時の医者は部落一番のインテリであり、文化人であった。

お花も士族の娘と共に土地の者からは姫様と呼ばれ尊敬され、美人であった。このお花と順太が恋に落ちてもそれは決して偶然の事ではなかった。

 

お花の父玄安夫婦も順太の人柄を見込み結婚を快く許した。

又、順太には父親はなかったが、母親お清も可愛い順太の申し出に異議があろう筈はなかった。

そして二人は家族達の祝福の中に嘉永六年(編集部注:1853年)の秋には晴れて目出度く結婚する事に決まっていた。

順太とお花の二人には嬉しい楽しい毎日が続いた。嘉永六年と言う年は春先からよい天気が続いた。

うっとしい長雨も六月末には早くもからりと晴れ、七月に入って暑い晴天がまた続いた。そして七月十五日の盆を迎えた。

順調な農作物の出来映えに喜んだ村人達は老若男女相集い盛大に盆踊大会が催されたのであった。

順太もお花も多くの村人達と共に楽しい踊りに更けゆくのも忘れていたが、やがて踊り疲れた村人達も三々五々家路につく頃、順太もお花と共に肩をよせ合い楽しく語り合いながら家路を辿る二人の後の木 かげに、嫉妬に狂う若者達がまなこが有ろうとは知るよしもない二人であった。

中編に続くー「土佐町史」より

 

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

今回最終回、第10回目は宿毛市で作られている郷土料理「きびなごのほおかぶり」です!

 

タイトルは、土佐町どんぐりのメンバーさん作

動画タイトルの手描き文字は、おなじみ、土佐町の障がい者施設どんぐりのメンバーさん作。「きびなごのほおかぶり」のイメージとぴったりだと思いませんか?

 

きびなごのほおかぶりって?

銀色に光る、ころんとしたかわいらしいお寿司。宿毛市の「土佐ひめいち企業組合」の河原多絵さんが作っている「きびなごのほおかぶり」です。横から見ると、ちょうど人がほおかむりをしているように見えることから、この名前がつけられています。

お寿司と聞いたらお米のお寿司を思い浮かべますが、これはおからを使ったお寿司です。一口でパクッと食べられるほどの大きさで、おからはほんのりと甘い味付け。酢と塩でしめられたきびなごとよく合い、いくつでも食べられます。

 

きびなごのほおかぶりの誕生

「きびなごのほおかぶり」を作り始める前、河原さんは地域のグループで魚のすり身などの加工品を作っていたそうです。しかし、他のグループでも似たものを作っていたため、次第に自分だけのオリジナルなものを作りたいと思うように。そこで注目したのが、漁師であるご主人が捕る「きびなご」でした。

きびなごは、宿毛湾で豊富に捕れる小魚。ご主人が捕った新鮮なきびなごを使って、この地ならではの新しいものを作りたい。そして誰にでも食べてもらえるよう安価で、体に良いものを作りたい。河原さんは知恵を絞りました。

昔から宿毛にはおからを使ったお寿司があったこと、そしてうるめいわしを使った四万十市のおから寿司「ろくやた」からもヒントを得て、「きびなごでおから寿司を作ろう!」と閃いた河原さん。

ボソボソしがちなおからを、どうしたらしっとりと美味しく食べられるか?
広い範囲で販売するために、保存方法はどのような形にしたら良いだろう?

河原さんの幾度にもわたる試行錯誤が始まりました。

手を変え、品を変え、食感や味を確かめる日々。そして、やっと誕生したのが今の「きびなごのほおかぶり」です。

 

空飛ぶ寿司

この「きびなごのほおかぶり」は、JALのファーストクラスの機内食に採用され、また全国各地のホテルなどでも使われるようになりました。

自分が作るものは、胸を張って「これ、美味しいでしょう!」と言えるものでありたい。河原さんは繰り返しそう話していました。

「正直でありたい」

力強い河原さんの言葉が、今も心に残っています。

そして最近、さらに嬉しいことが。河原さんの跡を継ぐため息子さんが帰ってきたのです。娘さんも一緒にやりたいと話しているとのこと。「きびなごのほおかぶり」がビジネスとして成立しているからこそ、跡を継ごうとする人も出てくる。

郷土料理を守り、引き継いでいく一つのかたちを見せてもらった気がしました。

 

美しい宿毛湾

河原さんの仕事場は、目の前が海という場所。エメラルドグリーンの海のなか、魚が気持ちよさそうに泳いでいるのが見えました。エイもいるそうです。豊かな宿毛湾のきびなごはピカピカと銀色に光り、透き通るほどの美しさ。

当初、この動画の撮影は2月末を予定していましたが、思うようにきびなごが捕れない日々が続きました。きびなごの旬は4〜6月、無理もありません。3月上旬、「いいきびなごが捕れたよ〜!」と電話をもらったときは心の底からほっとしました。相手は自然。思うようにいかないことだってあります。

 

河原多絵さんという人

「きびなごのほおかぶり」の撮影のため、打ち合わせの日程を決めたいと、初めて電話をかけた時のこと。

河原さんは「ごはん用意しておくから、お腹ぺこぺこにしてきてね〜!」と言ってくれました。その言葉がどんなに嬉しかったことか!当日、河原さんは、きびなごのほおかぶりはもちろん、「ろくやた」と呼ばれる棒寿司、魚の煮付け、刺身など、海のご馳走を用意して待っていてくれました。

お話するうちに、私(鳥山)は、いつの間にか胸の内をさらけ出していました。河原さんはそれくらい、人間としての魅力に溢れた人でした。

 

土佐ひめいち・河原多絵さんが作る「きびなごのほおかぶり」は通信販売もしています。

宿毛ならではの郷土料理を味わい方はぜひ!

土佐ひめいち

〒788-0274 高知県宿毛市小筑紫町栄喜566-66     090-5914-9174(河原多絵さん)

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「集まれどうぶつの森」みたいなタイトルになってしまいましたが、今回は鹿の角の話です。

以前からお伝えしています「鹿の角ガチャ」、現在は土佐町のうどん処繁じさんと高知市の高知蔦屋書店さんに設置させていただいています。

 

「鹿の角ガチャ」はじめました!

 

おかげさまで売れ行きも好調な今日この頃ですが、こうなってくると問題がひとつ発生。

材料(鹿の角)が足りなくなる?

そう、この「鹿の角御守り」、材料が鹿の角。ホームセンターなどで買えるものではありません。

鹿の角が安定して手に入るという状況が継続のための大きなポイントなのです。鹿の角がなくなってしまったら商品が作れません。

そういった問題の解決策をぼんやり考えていた時期に、高知新聞嶺北支局の竹内記者がこの取り組みを記事にしてくれました。

鹿の角ガチャ!高知新聞に掲載されました!

 

町の方々から連絡が‥

高知新聞の記事が出て数日、編集部は何本かの電話やメールを町の住民の方々からいただきました。

内容は「新聞読んだけど、鹿の角が必要だったらあるよ〜」とか「知り合いの猟師さんがたくさん持ってるはずだから頼んでおこうか?」といったもの。

この展開は編集部としては予期していたものではなく、町の方々の暖かな気持ちがじんわり伝わってくるような出来事となりました。

 

大豊町の方々も‥

そして同時に、一緒にお仕事をしている大豊町のファーストでも、以下のようなチラシを町内で配ったり貼りだしたりしてみたところ‥

「驚くほど大量の鹿の角がファーストに届く(笑)」という、これもまた予想外の展開となりました。

この取り組みに対して、柔らかく背中を押していただいているような感覚を覚えるのと同時に、「どんぐり」や「ファースト」という障がい者施設のメンバーさんを応援する、地域の方々の気持ちも受け取ることができました。

こうしてたくさんの方々に応援・ご協力いただきながら「鹿の角ガチャ」という取り組みは可能になっています。

 

多くの方々からいただいた鹿の角(ほんの一部)

 

 

そもそも町の方々の力を借りっぱなし

この取り組みのスタート以前も、町の職人さんである川田康富さんに力をお借りしています。鹿の角の加工の方法を教えてくれて、一緒に解決法を考えてくれて、工具まで貸してもらって(今もその工具で作っています)、それでこの「鹿の角御守り」を作れるようになりました。

言ってみれば、多くの住民の方々の力でできあがったこの取り組み。今回のこの記事は、これまでちゃんと説明ができていなかった裏側のそんなことをお伝えしたいということと、実際にそうして力をお借りした方々に感謝の気持ちを伝えたいことが目的です。

みなさまが力を貸していただいたおかげでこうした取り組みができています。ありがとうございます!

 

 

ありがとうございます(敬称略)

川田康富 小松エイ子 高橋通世 澤田清敏 上田義和 仁井田亮一郎 こんどうストアー 小松恵子 秋山豊市 森博利 岡崎博臣 田岡一志 山内喜栄 川村勝清

 

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第9回目は、香美市で作られている郷土料理「蒸し鯛」です!

 

「蒸し鯛」は、鯛を丸ごと一匹を使った大迫力の郷土料理。鯛のお腹に、葉ニンニクや卵、砂糖などで味付けしたおからを詰めて蒸しあげます。昔から、冠婚葬祭などお祝い事の席で作られてきたそうです。鯛一匹盛られた大皿がドーン!と出てきた時の歓声が聞こえてくるようです。

 

手書きの料理名

郷土料理の動画の冒頭に出てくる料理名は、高知県嶺北地域の障がい者支援施設のメンバーさんに描いていただきました。「蒸し鯛」の文字は、土佐町にある「どんぐり」のメンバーさん作。クレヨンやマジックなどを囲んで、みんなで賑やかに描きました。「蒸し鯛」は、マジックで描かれています。

 

ウロコは大根で取る!

「蒸し鯛」づくりは、鯛のウロコを取るところから。ウロコを取るための道具を使うのかと思いきや、香美市のお母さんが手にしたのはなんと大根!輪切りにした大根を鯛の表面に滑らすと、あら不思議!面白いようにウロコが取れていきます。「大根だとウロコが飛び散らないし、一気に取れる」とお母さん。ウロコ取りでウロコを取ると辺りに飛び散り、数日後、カラカラに乾いたウロコが思いも寄らないところにくっついているのを見つける、ということがありますよね?大根だとその心配はありません!

なるほど〜!

目からウロコのお母さんの知恵でした。

 

おからの名前は「おたまちゃん」

鯛のお腹に詰めるのは味付けしたおからです。刻んだ葉にんにくや木綿豆腐、すりごまなどを混ぜ合わせ、鯛のお腹に詰めていきます。

「蒸し鯛」を作ってくれた香美市生活改善グループの代表、西内さんが「おからはお腹に詰めると、“おたまちゃん”になるんです」と話してくれました。おからに他の材料が加わり、鯛のお腹に収まった時、呼び名が変わる。それが「おたまちゃん」。

まるで、手のひらに大切な宝ものをのせているような手振りで「おたまちゃん」と話す西内さんの姿から、この蒸し鯛の存在を大切に思っていることが伝わってきました。

 

 

お母さんの知恵 その1

鯛を蒸す工程には、お母さんの知恵が詰まっています。

まず一つ目。

鯛を蒸し器に入れるとき、蒸し器に藁を渡します。その上に「はらん」という葉をひいて鯛を載せ、鯛の上で藁を結びます。蒸し器から鯛を出すときに、持ち上げやすいようにするためです。

香美市はお米どころ。お米が身近な土地ならではの知恵なのでしょう。

 

お母さんの知恵 その2

その1で出てきた葉、「はらん」。

「はらん」は、笹の葉を大きくしたような葉のことで、家の庭先などでよく育てられています。根元から切って、皿に載せ、飾りつけに使ったりします。高知では「はらん」は、料理をよくする人の家の庭に必ずあると言われているほど、馴染みがある葉です。

藁の上に「はらん」をひくのは、鯛が蒸し器にくっつかないようにするためです。

 

お母さんの知恵 その3

お母さんの知恵、三つ目。

鯛の蒸し上がりがわかるよう、さつまいもも一緒に蒸します。

「おたまちゃん」をたっぷり詰められて太った鯛は、一体どのくらいの時間、蒸したらいいのでしょう?

「蒸し上がったかな?」と何度も串を突き刺すと、鯛が崩れてしまいます。

そこで登場するのがさつまいも!

さつまいもに串をさし、柔らかく蒸し上がっていたら、鯛も蒸し上がっているという訳です。

 

撮影中、「へえ〜!」と何度つぶやいたことでしょう。郷土料理は、お母さんたちが長年積み重ねてきた、知恵の結晶なのだなと感じます。

 

 

お客さまには一番美味しいところを

蒸し上がった鯛を取り分けるとき、まずはお客さまに「一番美味しいところ」を取り分けるのだそうです。

それは胸びれのうしろ。それから、みんなでわいわいと少しずつ取り分けていく。昔、山に面した香美市は魚が手に入りにくかったので、魚を使った郷土料理「蒸し鯛」は、きっとみんなが楽しみにしているごちそうだったことでしょう。

 

若き後継者

今回の撮影で訪れた高知県各地では、郷土料理の後継者がなかなかいないという声もよく聞きました。この「蒸し鯛」を作ってくれた「香美市生活改善グループ」では30〜 40代の方たちも活躍していました。今回の撮影でも、先輩のお母さんたちが料理をしているところを見守りながら必要なときにサポートしたりと、細やかな気配りをしてくださっていました。作る現場を共にすることで後継者が育っていくのだなあと実感したことでした。

 

編集部も「蒸し鯛」をいただきました。

葉ニンニクが効いていながら優しい味でもあり、今でも「あ〜、もう一度食べたい!!」と記憶の味をかみしめています。

思い出す「蒸し鯛」の向こうに、お世話になった香美市のお母さんたちの姿が見えます。

迫力の「蒸し鯛」、その中には培われてきた知恵と美しさが詰まっています。

ぜひご覧ください!

 

 

 

 

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第7回目は、東洋町で作られている郷土料理「こけらずし」です!

 

人参、うす焼き卵、しいたけ、人参葉などの具材で飾られた、この彩りゆたかなお寿司の名前は「こけらずし」。高知県の最東端に位置する東洋町で作られてきたお寿司です。

びっくりするほどお米を使うお寿司で、とにかく大きい!まるで四角いケーキのよう。昔から冠婚葬祭などのお祝いごと、親戚や近所の人たちが集まるときに作られてきたそうです。

 

 

「こけら」の意味は?

「こけらずし」の「こけら」。これには「木っ葉」、「木片」という意味があるそうです。「木っ葉」のようなものを重ねた寿司、また「木片」を重ねたこけらぶきの屋根に似ている、など、この名の由来はいくつかあるようです。(諸説あります)

こけらずしは、木型に寿司飯を詰め、具材を並べる。その上にしきり板を置いて押す。それを繰り返していきます。寿司飯や具材を重ねていく様子は「幸せや喜びを重ねていく」という意味にもつながっているそうです。

 

寿司飯の味付け

寿司飯の寿司酢は、お馴染みの柚子酢に加え、焼いた鯖の身をほぐしたものを加えます。これを「酢にごし」といいます。鯖から出るだしが、寿司飯の味に深みを与えてくれているような気がしました。海が近い土地だからこその知恵なのでしょう。

東洋町のお母さんたちは、3枚におろしたさばを新聞紙に包んで焼く、という昔ながらの方法を見せてくれました。「新聞紙を剥がすと、鯖の皮も一緒に剥がれて楽」とのこと。う〜ん、なるほど!

 

人参は、こけらに入れるために植える

こけらずしに欠かせない彩りのひとつ、人参葉。東洋町では、こけらずしに使うために人参を育てている人も多いのだとか。撮影のために、お母さんの自宅の畑を見せていただきましたが、確かに人参が!

その土地で収穫できるものを使って、より美しく、より楽しく。作り方とともにその工夫も引き継がれてきたのでしょう。それはその土地ならではのかけがえのない文化であると思います。

 

「こけらずし」の文字は、どんぐりのメンバーさん

動画の冒頭、料理名「こけらずし」の文字は土佐町の障がい者支援施設「どんぐり」のメンバーさんが描いてくれました。手描きの文字は、動画全体に温かみを添えてくれました。

 

 

たたき切る!!!

なんと言っても見どころは、こけらずしの切り分け方!「たたき切る」という言葉がピッタリ当てはまります。

昔、祝いごとのある日は、こけらずしをたたき切る音が村のあちこちから響いてきたそうです。

軽やかな音を想像していましたが、「トン!トン!」というようなかわいらしい音ではありません!それは地面に響くような重力ある音で、高知という土地の持つ豪快さ、懐の深さを感じた瞬間でもありました。

編集部も切らせてもらいましたが、等間隔にたたき切るのは、なかなか難しい!でもかなりクセになります笑

「たたき切る!」、ぜひご注目ください!

 

 

 

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くだらな土佐弁辞典

ケーキ

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ケーキ

【名】アイス

*高知ではアイスのことを「ケーキ」と呼びます。

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第7回目は、安芸市入河内地区で作られている郷土料理「かしきり」です!

 

かしきりってなあに?

かしきりは、かしの実で作られた豆腐のこと。干したかしの殻をはぎ、実をミキサーにかけ、三日三晩水をかえながらアクを抜きます。そして、それを煮詰めて、固めるという手間隙がかかる郷土料理です。

昔、朝鮮半島から伝わったといわれ、韓国では「トトリムッ」という名で今もよく食べられているとのこと。かしの実を粉にしたものも販売されていて、各家庭でよく作られているそうです。

撮影のために、高知県安芸市入河内地区でかしきりを作ってくれた有澤淑江さんは、現在87歳。子どもの時はミキサーなどはなかったので、かしの実を石臼で挽いていたとのこと。「昔、若い人たちが仕事に出ている間、家で留守番しているおばあちゃんがよく作っていた」と教えてくれました。

当時は、石臼で挽いた粉を布袋に入れ、山水に晒してあくを抜いていたそう。食料が少なかった時代、身の回りにあるもので何とかやっていこうと知恵を絞った人たちの苦労が偲ばれます。

 

 

高知名物「葉にんにくのぬた」をかけて食べる

かしきりは、そのままだとほぼ味がないので、「葉にんにくのぬた」をかけて食べます。畑で収穫したばかりの葉にんにくをすり鉢ですりすり…。辺りには、にんにくの香りが広がります。続いて、味噌やごま、砂糖、柚子酢などを加え、かしきりにかけて食べます。

 

想像していた以上に美味しくて、ぬたの風味を味わいながらいくつも食べました。

かしきりの風貌がくず餅のようにも見え、家で黒蜜をかけて食べてみましたが、こちらも美味しかったです!

 

 

動画タイトル作者は本山町・りんどうのメンバーさん

動画のタイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の隣町、本山町の障がい者支援施設「りんどう」のメンバーさんたちです。とても楽しんで描いたり作ってくださったと聞いて、とてもうれしかったです。ありがとうございます!

 

 

かしの実は笑う

毎年10月頃、有澤さんはたくさんのかしの実を拾います。「天気の良い日に拾ってきたかしの実を干すと、『ぱちっ、ぱちっ』と殻が割れるんよ」と話してくれました。その割れ目がにっこりと笑っているように見えることから、殻が割れることを「かしの実が笑う」というそうです。

こういった言い方ひとつとっても、自然とともにある生活の中に、ちょっとした楽しさを見つけようとしていた人たちの心意気を感じます。

 

郷土料理の後継者

有澤さんは、現在87歳。安芸市入河内地区でかしきりを作ることができるのは、有澤さんだけだと聞いています。郷土料理を作ることができる人が高齢化し、後継者がなかなか見つからないという現状は、安芸市だけではなく高知県全体、日本中が抱えている問題でもあるのだと思います。

今回、高知県各地で動画を製作したのは、その地の郷土料理の作り方や、作り続けてきた人の姿を残したいという高知県庁の思いがあってのことでした。

各地で引き継がれてきた郷土料理はかけがえのない文化です。その文化を引き継ぎ、次の世代へバトンタッチする。

そういったことが少しでもできたらいいなと思っています。

 

 

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メディアとお便り

JA広報通信に掲載されました!

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ある日、編集部に一本の電話がかかってきました。

それは農協の冊子「JA広報通信」のライター、則竹知子さんからでした。

「地方のメディアを取材しています。ウェブで『とさちょうものがたりZINE』を知り、気持ちを込め、こだわりをもって作っていることを感じました。創刊の経緯や思い、どのように製作しているかを取材させてほしいのですが」とのこと。

則竹さんは「とさちょうものがたりZINE」を読み込んで、取材してくださいました。

 

インタビュー記事の一部をご紹介します。(全文は写真で読むことができます。)

 

 

−創刊の経緯を教えてください。

石川

創刊の1年ほど前に、町のウェブ サイト(以下サイト) をオフィシャルとは別に新しく作りたいという話を町役場 の人から聞きました。 話の流れで私がや ることになったとき、 名所やおいしい店 紹介など、ネットで検索すれば出てくる ような情報ではなく、もっと深くて捉えどころのない田舎の価値や、言葉になりにくい良さを伝えるサイトにしたいと思 いました。 サイト開設後は、コンテンツを増やしたり、リアルの企画と連動させたりと、 土佐町の魅力を発信するためいろいろと取り組んでいました。

あるとき、東京で活動する知り合いの絵描きを町に呼び、 1週間の滞在の間に 町の人たちの絵を描いてもらう企画を立 てました。 描いてもらった本人はもちろん、周りもとても喜んでいる姿を見て、 これをまるごと一冊にしよう! という話が出てきました。お年寄りの多い町なので、皆に見てもらうにはサイトだけでは限界があります。形として残せるものとして、『とさちょうものがたりZINE』が誕生しました。2018年7月のことです。

(中略)

 
 

−インタビューや撮影で心掛けていることはありますか。

 
鳥山
今まで話を聞いた人たちは、以前から関係のあった人たちが多く、その関係を踏まえて深い話を聞くことができた気がします。 今後はあまり接点がなかった人からも話を聞く機会が増えると思うので、先入観を持たず、その人に共鳴する部分、琴線に触れる言葉を見つけられたらと思います。

たまたま土佐町に来て、暮らし、その人と出会えたことは奇跡みたいなこと。記しておかなければという使命感、会えて良かったという思いを込めて今まで話を聞いてきたつもりですし、これからもそうでありたい。
どんな風に聞き、書いたら、その人となりが伝わるか。もっと言葉の幅を広げたいです。

 

石川
写真も一緒です。 「とさちょうものがたり ZINE」という場所をいただき、仕事として関わる以上、技術を高める一方で、マニアックにこだわるのではなく、土佐町の土から育つ農産物のような写真を撮りたいと思います。人を撮るときって、相手との人間関係まで写る気がするので、そのときの楽しい雰囲気が写真から伝わるといいですね。

 
 

−ローカルメディアの魅力はどんなところにあるのでしょうか。 

 
石川
写真を使って、自分の手が届く範囲で物を作って届ける。それが相手をちょっと笑顔にすることができた、そんな手応えを感じることがあります。土佐町みたいなローカルの規模が自分にちょうど良い。「冊子が届いたよ!」「サイトの記事、更新したね!」などの声も直接聞けますし、町の人が「とさちょうものがたりZINE」を自分たちのものとして考えてくれていると気付いたとき、意外なうれしさがありました。この町に移住して、自分はこういうことをやりたかったんだと気付かされました。


鳥山
町の子どもも喜んで読んでくれている。友だちが載っていて、「次は僕も出たい」などと自分からリクエストしてきた子もいました。また、ご自宅に伺うと自分の写真が載ったページを切り取って部屋の壁に貼ってあったり、しわくちゃになるまで何度も読み返してくれていたり。言葉だけでないこうしたことも、やり続けるモチベーションになります。

 

 

今までやってきたことや普段考えていることを言葉にすることで、あらためて初心に帰るような気持ちになりました。

とさちょうものがたりが始まって5年目に入りましたが、今立っている場所から来た道を振り返る、このような機会をいただいて感謝しています。

則竹さん、ありがとうございました!

 

 

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