とさちょうものがたり

くだらな土佐弁辞典

かく

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

かく

【動詞】 持つ

▼使用例:

「ちょっと、机かいて!」

(ちょっと、机持って!)

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

3月18日〜3月30日、ハンガリーからやってきた高校生のカヌー選手たちが土佐町に滞在していました。

2017年にハンガリーから土佐町へ移住したカヌーの世界チャンピオン、ラヨシュ・ジョコシュさんと共にさめうら湖で練習を積みながら、高知県や嶺北ならではの場所へ足を運び、とても良き時間を過ごしていたようです。

その高校生たちに「土佐町のお土産として、ポロシャツとトートバックをプレゼントしたい!」と土佐町教育委員会から声がかかり、早速制作に入りました!

チームカラーがグリーンということで、緑色のポロシャツにプリントしました。2018年土佐町オリジナルポロシャツのデザイン、下田昌克さんが描いてくれた「土佐町の春の食べもの」をプリントしました。

そして、トートバックも。たくさん荷物が入る方がいいだろうと、マチ付きタイプを選びました。こちらもチームカラーに合わせてインクはグリーンで!

 

高校生6人とコーチへの贈りものができあがりました!

 

 

土佐町の風景やこの地で生きる人たちの姿を伝えたいと、とさちょうものがたりZINE02号も一冊ずつプレゼント。

 

高校生たちの練習の場であったさめうらダム湖。編集長の石川が撮影したさめうらダム湖のポストカードに、選手ひとりひとりへメッセージを書きました。

最初にある「Kedves」は、英語でいうと「Dear」。

「ハンガリーから土佐町にきてくれてありがとう! 広い広い世界の中で、あなたとご縁ができたことをとても嬉しく思っています。 またいつでも土佐町に来てくださいね。お待ちしています。」
と書いてあります。

うーん、ハンガリー語は難しい!
選手たちの食事を作ってくださっていた須崎在住の竹崎エルジェーベトさんに、ハンガリー語の文章がこれで合っているか見てもらいました。

 

このポロシャツとトートバックを制作したどんぐりの寿光さんときほさんを紹介し、和田守也町長から手渡されるとみなさんとても喜んでくれていました。

海を渡り遠くハンガリーで、このポロシャツやトートバックを使う人がいると思うととてもワクワクします。
受け取った選手やコーチが心から喜んでくれている姿を見ていて、シルクスクリーンを始めて本当に良かったと思ったのでした。シルクスクリーンが人と人をつなぎ、町と国をもつなぐようなものになるとは、始めた時は考えてもみませんでした。

 

写真左からLajos Gyokos, Pusztay Istvánコーチ, Csanki Márk Bese, Kardos Levente, Tóth Bálint, Révész Péter, Nagy Bianka, Molnár Csenge )

最終日の午後、高知市へ観光へ行った選手たち。高知城で早速ポロシャツを着てくれたそうです。なんてうれしいことでしょう!涙が出てしまったくらいです(笑)。

高校生たちはハンガリーのジュニアのトップ選手たちなのだそうです。2020年東京オリンピックのハンガリーの代表選手になるかもしれませんね。楽しみです!

宿泊先のおこぜハウスにて

ハンガリーの皆さん、お食事を作ってくださった竹崎さん、またいつでも土佐町に来てくださいね!ありがとうございました!

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
くだらな土佐弁辞典

おっこう

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

おっこう

【形容詞】 大げさな、派手な

▼使用例:

「そんな、おっこうにはせん」by Ikko
(そんな大げさにはしない)

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

南一人

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone


「よろこびの種を 南正文画集」 南正文 万葉舎

 

「しないとできないは違う」

僕の父がよく言っていた言葉でした。新しい事を挑戦するときは不安や出来る事の保証が無い事に時間を費やすかもしれない言う思いから物事を始める前に

「無理、出来ない」

と、口走りがちでした。しかしそれこそが何も生み出さない自分への楽な逃げ言葉だなと父の言葉から気付かされました。

僕の父である「南 正文」は小学3年生の時に父親の製材所での事故で両腕を失いました。その時代は救急車もなく仕事用のトラックで病院に運ばれました。何とか息子を助けて欲しい言う祖父母の願いに医師は

「命は助かっても両腕無しでは生きていく事さえも・・・」

このまま処置しないほうが良いと提案を出されました。しかし祖父は

「命だけはどうか助けてください!!」

と土下座をして悲願したそうです。

一年後何とか一命を取り留めた父は自宅に戻りました。トイレもご飯も着替えも自分一人では出来ない。今まで普通に出来た事が何一つ出来ない現状を突き付けられました。

何にも出来ない、生きていても仕方ない、生きていくのが辛い・・・

そんな事を思う日々が続きました。

しかしそんな父に転機が訪れます。中学2年生の14歳の時に京都山科にある仏光院にいる尼僧「大石順教尼」に出会った事です。大石順教尼も父と同じく両腕が無く、幼い頃自分の父親に両腕を日本刀で切り落とされた過去がありました。

一緒の境遇で育った人に初めて会ったせいか父の口から出るのは弱気な言葉ばかりでした。

「あれもこれも出来ない、僕は何も出来ない」

そんな父の言葉に大石順教尼は静かに言いました。

「私の弟子になりなさい。ただしそれには条件がある。一人でここまで通いなさい。口で絵を描きなさい。それが守れるなら弟子にする。」

その当時大阪の堺から仏光院までは約3時間。電車バスを5回も乗り換えなければなりませんでした。もちろん切符を買うには他の人に頼まなければならなかったのです。見知らぬ人に勇気を振り絞って声をかけると両腕がない父を見て、気持ち悪がって逃げる人、怒鳴る人、優しく切符を買ってくれる人、次の乗り換え場所までついてきてくれる人や色んな人に出会いました。

「世の中には色々な人がいる。切符を買ってくれた人も買ってくれなかった人も自分にとってみんな先生なんだよ。」

と、大石順教尼は教えてくれました。

「禍福一如」(かふくいちにょ)

大石順教尼は折に触れてその事を教えてくれました。

「両腕がないから不幸なんじゃない。考え方一つで幸せにも不幸にもなるんだよ」

父は生涯この「禍福一如」を心に持っていました。何か嫌なことがあっても

「こうやって勉強させてもらってる」

と、笑顔で言い人に酷いことを言われても嫌な目にあっても

「こういう事は人にしてはいけないとこうして嫌な役をして僕たちに教えてくれている」

そう家族によく言っていました。
本当に父は腕がないと言う事に負い目や悔しさを感じさせず愚痴をこぼすのを聞いたことがありませんでした。実際その生き方が素直に出ているせいか本当に両腕が無いと感じさせない人でした。僕自身も一度重い荷物を持っている時に父に

「ごめん、ちょっと手を貸して」

と言ったことがあり父は

「ごめん、手は無い」

と笑いながら返されたことがありました。

僕自身両腕がない人生と言うのは考えられず何故父がそう言う風に考え生きていけるのかが不思議で仕方ありませんでした。しかし父はいつでも毅然と

「僕は両腕がない障がい者だけど、心の障がい者にはなりたくない」

と、言っていました。そんな父だからこそ色々な職種、性別、国籍の方が父を慕って会いに来てくれたような気がします。人に対して常に優しくあった父の生きてきた姿勢は一枚一枚の絵に溢れています。その生き方の軌跡とも言える絵をこれからも沢山の方に見て頂ける事が私達家族の今後の役割だと思います。決して楽な道のりではではないと感じていますがその時はいつでも父の言葉

「しないとできないは違う」

を思い出し活動していきます。皆様に父の作品をご紹介できた時、その作品で心の中に何かを感じ取って頂ければ幸いです。

南一人

 

南一人

大阪府枚方市出身 高校卒業後単身オーストリアへ。その後、料理を学ぶ為渡英。帰国後はサービスの勉強の為ホテルで婚礼サービスの仕事に従事。レストランやカフェでの仕事を日本各地で行なっていたが父の勧めもあり帰阪。どうせならと飲食の世界から離れサラリーマンに。 父の死後、自分の生き方に疑問を感じサラリーマンを辞め仏門へ。その後、長年の友人の手伝いの為に高知県に。短期滞在の予定だったが色々な縁が繋がり嶺北に定住。料理人の道に戻り地元食材を使ったラーメンやお土産を開発したりを行なっている。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.1

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

1.  GNHコミッション

 

さあ、ここからはGNH関連の人物や取り組みなどを、ブータンの風景などとともに紹介していきます。

順不同で、独断と偏見により石川が紹介したい順に書いていきます。

まずはGNHコミッション(GNHC)

これがティンプーの中心にほど近い、GNHコミッションの建物。

いきなりGNHの総本山のようなところに来てしまいました。

GNHコミッション」はブータン政府の政策が、GNHに基づいた策定がなされているかというチェック機能を持った国権の最高機関です。

GNHの哲学に則した、ブータン全国民にとっての「幸福度の促進」を目指す公的な機関なのです。

 

GNHコミッション入り口。ちなみにブータンの建築物は全て伝統的な外観を保つように義務付けられています。

GNHコミッションのデチェン・ペルモ(Dechen Pelmo)さん。

 5ヶ年計画とブータン・ビジョン2020

 

ブータン政府は、1961年より5年毎に 「5カ年計画」(“The 5 Year plans of Bhutan”) を作成し、それを指針にして国を運営しています。

2018年にその11番目の計画が終了し、2019年度から新たに12番目の「5カ年計画」が始まります。

その5ヶ年計画ももちろんGNHに則ったものであり、それぞれがGNHの理念をどう具体化するかという指標です。
またブータンには1999年に策定した長期ビジョン、通称「ブータン・ビジョン2020」があり、これには都市部と地方部の格差是正、貧困削減、産業振興等が大きな目標として設定されています。

2020年までの目標設定ですね。

 

そういった5年ごと、20年ごとの大きな流れの中で、GNHコミッションは特にGNH(国民総幸福度)をどのようにブータンに浸透させていくか、またはどうGNHの理念と現実を噛み合わせていくかという観点で仕事をしている機関です。

いわばGNHの運用面と言ってもいいかもしれません。

 

第12回5カ年計画 12 FIVE YEAR PLAN 1 NOVEMBER, 2018 – 31 OCTOBER, 2023

Bhutan 2020 : A Vision for Peace, Prosperity and Happiness  Part 1

Bhutan 2020 : A Vision for Peace, Prosperity and Happiness  Part 2

 

  GNHインデックス

 

ブータンのGNHは、GNHインデックスという指標を使い、GNHアンケート調査(前回は2015年に実施)の結果をこれにより分析発表しています。(Center for Bhutan Studies & GNH

GNHインデックスによると、前々回のアンケート調査に比較して、前回のものは例えば‥

  • 身体的な健康は上昇⤴︎
  • 精神的な健康は下降⤵︎
  • コミュニティへの所属意識は下降⤵︎

というような結果が出ているので、この結果に沿った現実的な施策やプロジェクトを行っていくという考え方です。

 

2015年ブータン幸福度調査報告書 A COMPASS TOWARDS A JUST AND HARMONIOUS SOCIETY | 2015 GNH Survey Report 

 

  政策のチェック機能 ポリシー・スクリーニング・ツール

 

またGNHコミッションは幸福度の観点から見た政策それぞれのチェック機能も担っています。

ポリシー・スクリーニング・ツール(Policy Screening Tool)というのがそれにあたり、22種類のチェック項目が、各4点満点で設問されています。

 

上の図のように、1. ストレス 2. 文化 3. 身体的運動‥‥とチェック項目が22個あり、それぞれ4点満点で採点する

 

つまり全てにおいて4をもらえれば、88点満点になります。これを閣僚とGNHコミッションのメンバーの15人〜20人で検討し、66点以上取れればその政策はオッケー!ということになります。

66点以下の場合は策定者に差し戻され、修正のうえ再度のチェックになります。

これはGNHがどうしても「理念」の話であるが故に、どうやって現実的に効力を持たせるかという点においてとても大切なことだと、個人的には思います。

正直に言えば、今回ブータンにはるばる来た理由もそこにあります。

「幸福になった方がいいよね〜」というようなことは、誰でも口で言うことはとても簡単なことな訳です。

「より幸福になりたい」という思いも全人類で共有できるものでしょうし、言えばある程度の共感は得られる。

ただそのために、じゃあ何をどうやっていくのか、が難しい。現実とどのようにぶつかっていくのか、どうしたら言いっ放しにならないで現実的な行動に繋げられるのか、そういった観点からGNHの運用面を知るためにブータンまで来たのです。

そしてこのポリシー・スクリーニング・ツールも、現実とGNHを噛み合わせるための仕組みのひとつと言えるでしょう。

 

 政策(ポリシー)のチェックとプロジェクトのチェック

 

GNHコミッションのデチェン・ペルモさんによれば、政策(ポリシー)のスクリーニングは上記のような仕組みで行っているのですが、その政策に付随する形となる具体的なプロジェクトまではスクリーニングを行っていないということ。

「そうね、プロジェクト単位でもスクリーニングはすべきだと私も思います」

そうデチェン・ペルモさんは話していました。

今後のGNHコミッションの動きとして実現するかもしれません。

 

 

 GNHとビジネス

現在、新たな動きとしてGNHコミッションが取り組んでいるのが「GNH サーティフィケーション (GNH Certification)」と呼ばれる、ビジネスにおいてGNHの観点を当てはめていく仕組み。

これは2018年より稼働し始めた新しい取り組みということです。

ブータンで新たなビジネスを始める際にこの認証を受ける必要があり、この認証はGNHの価値観にそのビジネスが沿っていることを証明するものだそうです。

 

 いきなり堅い話になった!

このブータン・GNHリポート、第一回からいきなり堅い話になりました。

書いている当人もちょっとツライ。。。頭がついていかない。。。

ブータンのGNHのことを見聞きするためのブータン行なので、これはこれで必要なのですが、ずーっとこんな調子でいったらぼくの頭が爆発してしまう。。。

次回は、もう少し柔らかい記事にすることを誓います!!

 

パロ近郊の村での1枚。女の子は「キラ」と呼ばれる民族衣装を日常的に着ています。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 おかげさまで1115枚! みなさまありがとうございました!

とさちょうものがたりと障がい者就労支援施設どんぐりのシルクスクリーン事業がスタートして早1年、いろいろと試行錯誤や小さな失敗を経験しながら、1年間で以下の表のような成果となりました。

これもひとえに、温かい笑顔で(ときにきびしく)応援してくださった方々、そして商品のひとつひとつを購入していただいた方々のおかげです。

本当にありがとうございました!

とさちょうものがたりとどんぐりから、特大の感謝をお伝えしたいと思います。

 

画像 名称 枚数
土佐町 x 下田昌克ポロシャツ 402
  高知大学地域協働学部ポロシャツ 8
  大豊町社協ポロシャツ 132
   ・れいほく博ポロシャツ  30
 ・土佐町小6年生運動会Tシャツ  46
   ・湖畔マラソンTシャツ  238
   ・土佐町ハッピ(産業振興課)  10
   ・野中祭ハッピ  50
・川田ストア駅伝チームTシャツ  43
  ・下田昌克Tシャツ  52
 

トートバック(Edition)

16
  トートバック(マチ付き) 50
・トートバッグ(ブルー) 30
   ・エプロン 8
合計 1115枚

 

 2019年度の新作をお楽しみに!

そして昨年もやりました「土佐町オリジナルポロシャツ」、今年もまた新たな絵柄で新作を販売します!

背中の絵は、もちろん絵描きの下田昌克さん、印刷はどんぐりのメンバー。

もうまもなく詳細を発表いたします。お楽しみに!

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
くだらな土佐弁辞典

ばあ

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

【副助詞】

〜ぐらい(位)

▼使用例:

「ばあちゃんは、そればあのことしっちゅう」
(ばあちゃんはそれぐらいのこと知ってる)

「友だちは2時ばあに来る」
(友だちは2時ぐらいに来る)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町の高須に綿々と伝わる古歌「土佐柴刈り歌」。

田んぼに混ぜ込む柴を刈るときに歌ったものとして、現在にも伝わっています。

今回、歌い手のおひとりである池添博喜さんに、カメラの前での歌唱をお願いしました。

この歌の起源となった民話(前編後編)とともに、ぜひあわせてご覧ください。

 

歌:池添博喜 制作:とさちょうものがたり 録音:Laura Harpio-Kark  佐々木理世

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

土佐柴刈り唄 後編(高須)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

ここでこの柴刈り唄のモデルとなった話を一つしてみようかのう。

江戸時代の終わりの頃、高須の台という所に常右衛門と言う、部落の世話をようやっておいでた人がおった。
ある日、笹山を越えて高知へ行く途中、土佐山村の菖蒲と言う所でお兼と言うべっぴんさん(美人)に出合おたそうな。

それからというもの常右衛門は、“寝ては夢、起きてじゃうつつの幻の”だったかどうか定かではないが、とにかく一目惚れをしたそうじゃ。そんで、どうしても自分の女房にしとうなって、口説きに行ったと。

そしたらお兼が答えて、「百晩ここまで通うて来たらおまさんの言うとおりにしちゃる。」言うたそうな。

そんで常右衛門は、次の日から笹山を越えてお兼の所へ通うことにしたそうじゃ。
今でこそ車があるが、当時のこと頼りになるのは自分の足だけで、それも険しい坂道で、片道約三時間はかかったであろうから、並大抵のことではなかった。

家族にも内緒で、仕事が終わるとすぐに出掛けて、朝方には誰にも気付かれぬように帰って来る毎日が続いた。

家族のもん(人)も、えらいぞうりがちびるがおかしいと思いよったと言うことじゃ。

ある日には、途中で子連れの猪に出合い、それを次の日おおかた言いかけて、ばれたらいかんので

「笹山には子連れの猪が………おりゃせんやろうかねえ。」

言うてごまかしたと言う話もあるそうな。

やがて九十九日通った晩のこと、お兼が「おまんさんは九十九日も通うて来たんで明日は来んでも来ることはわかっちゅう。」言うて常右衛門の熱心さに打たれて、めでたく結婚し、仲良く暮らしたいうことじゃ。

 

「土佐町の民話」より 池添好幸

 

土佐柴刈唄

無形民俗文化財  昭和四十一年五月十七日 町指定

《歌詞》

田肥ノー よしよやれ
よしよやれ た肥
ヨイショー ヨイショー
田肥よしよやりや ユホー
実がやどる
ハア ヤレショー ヤレショー (以上繰り返し)

来いとノー 誰が言うた
笹山こえて
ヨイショー ヨイショー
露に御袢の ユホー
紐ぬれた


来いでノー 来いでと
待つ夜は 来いで
ヨイショー ヨイショー
待たぬ夜に来て ユホー
門に立つ


鮎はノー 瀬に住む
鳥や 木にとまる
ヨイショー ヨイショー
人は情の ユホー
蔭に住む

朝のノー 露草に
刈り込められて
ヨイショー ヨイショー
鳴いて上るは ユホー
きりぎりす

柴刈れノー 草刈れ
やれ はげめ
ヨイショー ヨイショー
今年や米取ろ ユホー
嫁も娶ろ

俺がノー 土佐の
柴刈り男
ヨイショー ヨイショー
鎌の光でユホー
山へ行く

行きはノー 朝星
帰りは夜星
ヨイショー ヨイショー
昼は利鎌の ユホー
星が飛ぶ

土佐はノー よい国
南をうけて
ヨイショー ヨイショー
年にお米が ユホー
二度とれる

今年やノー 豊年
穂に 穂が咲いて
ヨイショー ヨイショー
道の小草も ユホー
米がなる

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

土佐柴刈り唄 前編(高須)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

むかしむかし、まだ化学肥料のないじぶん(頃)には、五、六月になるとサッーと萌え出た、やりい(やわらかい)柴を刈って肥料として田んぼに入れよりました。

牛を使ってこなし、水を張った田んぼに柴を刈って来て入れ、鉈でこいつを二十センチメートルぐらいに叩き切りよりました。

田んぼの中でやったんで、下が泥ですろう。ボッシャン、ボッシャン頭から泥だらけになって叩き切るわけですらあ。

六月じぶんじゃったら、田んぼに柴を置いただけじゃなかなか腐らんですがねえ。
そんでオアシ言うて大きな障子の枠みたいに組んだ下駄をこしらえて、叩き切って拡げた柴をザンブリザンブリ踏んで行くわけですらあ。

柴刈りは男も女も家族総出でやりよりました。それから季節労働者を雇うたりもしよりました。
大栃の菲生(にろう:現在の香北町)あたりからもだいぶ来よったがねえ。

柴を刈るのも、田んぼで叩き切るのもどっちも重労働じゃった。刈った柴は、三束ずつくくって、六束をサス(突き刺し棒)で担うて来ましたのう。

一日刈る量は普通「一日六荷(一荷は六束)」と言いよったが、一反(約十アール)には二十荷ばあ入れよったろう。
よけい入れる場合もあって田んぼの水が見えんば入れることもありましたねえ。

こうした重労働の中で、「柴刈り唄」は、山のこっちでも向こうでもお互い励まし合うという格好で唄うたもんですのう。

「土佐町の民話」より 池添好幸

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
1 / 4112345...102030...最後 »