渡貫洋介

笹のいえ

信号待ち

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朝、車で次男を保育園に送りに行く道中、赤信号で止まることがある。

すると彼は、思い出したように、僕に顔を向けて、

次男「また父ちゃんのパワーで、青にして!」

僕「よーし、見てろよ」

う〜ん、とそれらしく手の先に力を込めつつ、目の隅で、青になっている歩行者用の信号が赤になるのを待つ。

そして、丁度良いタイミングで、「ハア!」とかなんとか言って、正面の赤信号にパワーを飛ばす。当然、信号は青に変わる。しかし、5歳の息子は驚きを込めて、

次男「わあ、父ちゃん、すげー!」

別の日、見よう見まねで彼が挑戦してみるのだが、信号の仕組みはまだ理解できてないから、大抵いくらやっても赤のまま。

僕「じゃ、父ちゃんが青になる呪文を唱えるぞ。ナンタラカンタラ、、、ハア!」

またしても、信号が青になる。

次男は目をキラキラさせて、「どうやったらできるが?」

僕「修行だな」

思えば、このトリックは最初の子のときからやってる。長女も長男も面白がっていたが、そのうちカラクリが分かってしまうと、魔法は消えてしまう。彼らの反応が楽しくて、僕は性懲りもなく、次の子に同じことをするだろう。

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笹のいえ

キアゲハ

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ある日、長男が枝に付いたふたつのサナギを持って帰ってきた。学校で見つけて、家で蝶にさせたいと言う。サナギをじっくりと観察したのなんて、何十年振りだろう。見れば見るほど奇妙な形。無駄の無い機械的な曲線は何かの部品のような印象だ。なんの種類だろうね、うまく蝶が出てくると良いねと話をした。

容器に入れたサナギたちを、その辺に雑に置きっぱなしにしていた息子。僕も存在をすっかり忘れていた。何日かが過ぎ、いつまでも羽化しないサナギの扱いに、ついに困ったのだろう。「これどうしたらいい?」と僕に見せに来た。しかし、昆虫に疎い僕にもさっぱり分からない。枝に付いているサナギを支える糸は切れかかっていて、放っておいても羽化できるのか心配だっし、まだ生きているのかも不明だった。

手に取るとカラダをよじらせたので、生存が判明。ならば何とか誕生させたいと、色々調べたがこれだという情報に行き着かない。考えた結果、サナギのお腹の部分をセロテープで枝に固定し、花瓶に挿して、見守ることになった。前を通るたび状態をチェックし、お参りするように心の中で手を合わせて「無事出てきますように」とお祈りした。

さらに数日が経ったある朝、外に出ると、朝露の付く草に一羽のキアゲハが留まっていた。

枝を確認すると二匹とも抜け殻だけになっていたので、きっと夜の間に羽化したのだろう。

長男に伝えると他の子どもたちも起きてきて、皆で蝶を囲んだ。黄色と黒をベースにした体色が草の緑に映える。卵から生まれたイモムシがサナギになって、色鮮やかな蝶になる。改めて考えてみれば、なんというドラマティックな完全変態。生まれてからこの世を去るまで大きさくらいしか変化しない人間からすると、なんて不思議な生き物だろうと思う。

触りたいと言う次男の手に、そっと載せるとしばらくじっとしていたが、間も無く羽ばたいて飛んで行ってしまった。

思いつきだったセロテープ作戦が成功して、ホッとした一日のはじまりだった。

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笹のいえ

無題

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飼い猫のイネオが何かを咥えて、僕の視線の端っこを通り過ぎた。

トカゲかな、いや影が大きかったから、ネズミかモグラか、、、とぼんやり考えたあと、ハッとして後を追いかけた。

彼の口から首を咬まれたヒヨコが力なくぶら下がっていた。

「イネオ!」と叫ぶと、すぐにヒヨコを離して、どこかへ行ってしまった。やってはいけないことをやってしまった、と感じ取ったのかもしれない。

地面に横たわった小さな身体はもう動かなかった。

 

誕生から二ヶ月半が経った二羽ひな鳥たちは、身体も大きくなって、もうヒヨコの面影はない(分類的には中雛と呼ぶみたいだ)。卵のときから子どもたちが世話をしていたので、人によく慣れ、巣箱から出しても逃げることはなかった。今まで入っていたダンボール製の小屋は狭くなってきたし、そろそろ外で飼おうかと家族で話していた。ただ、うちには猫がいるし、夜になると狸やハクビシンなどの獣も来るかもしれない。親鳥に虐められる可能性もあったので、鶏小屋の空間を半分に区切り、大きくなったひなたちの新しい住まいにして数日が経っていた。

きちんと仕切りをしたつもりだったが、どこかに隙間があって、そこから外に出たところを狙われてしまった。家族が目を離していたのは短い間だったが、不幸中の幸い、もう一羽は無事だったので、前の巣箱に戻した。

真っ先に走り寄って来た長女は、まだ温かい亡骸を抱きしめ、泣き続けていた。外の小屋で飼うことを提案し、仕切りを作ったのは僕なので、彼女に謝ったが、何を言っても耳に入っていない様子だった。

しばらくして学校から帰宅した長男に事の顛末を話すと、じっと黙ってしまった。死んでしまったひなは長男が特に可愛がっていた子だ。お別れをするか?と尋ねると、「見たくない」と言った。

自分たちが育てていた「いのち」が一瞬でどこかへ行ってしまった。いままでそこにあったものが消えてしまった。子どもたちが「死」を強く実感した出来事だったと思う。僕は、起こったことを彼らが受け入れるまで、待つことにした。

そのうち、長女と長男は、ふたりでお墓を作る場所を探しはじめた。どこにするのか迷っていたが、家の前にある花壇に埋めることになり、土を掛けた上に石を置き名前を書いた。

 

 

ヒヨコが生まれたときの話はこちら。

ひよこ

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笹のいえ

梅しごと

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梅雨と書くくらいだから、この季節は昔から「梅しごと」と決まっていたのかもしれない。SNSのタイムラインには「梅干し仕込んでます」「今年はシロップ漬けにしました」など、友人からの梅にまつわる話題が多かった。

ありがたいことに、今シーズンは友人から梅もぎに誘っていただき、たくさんの梅を収穫することができた。普段から「いただく」ことの多い我が家。移住当初はお返しするものが少なく、ありがたいながらも、申し訳けないような後ろめたいような気持ちが強かった。

しかし、地域の方とのお付き合いが深くなるにつれ、多くの場面で「相手はお返しを期待していない」ことに気が付いた。たくさん収穫したから、使わないから、もったいないから、単純にそんな理由から声を掛けてくれる。廃材や廃油など、そのまま捨ててしまってもいいが、利用できる人がいるなら活用してもらおうとわざわざ連絡をくれる。場所を取っていたものや処理に困っていたものがなくなれば、相手は嬉しいし、もらった僕らはそれを有効に活用することができる。

もちろん、うちもお返しできるタイミングがあればする。でも、それはあの時のお返しです、とか、これくらいくれたから、このくらいお返しします、ということではない。普段の交流の中で自然に行われる特別でない風習。この地域にこんな付き合い方が続いているのは、暮らしが豊かで気持ちに余裕があるからだろうと考えている。

話が逸れたが、今回の梅で、

梅干し

梅ジャム

カリカリ梅

を作った。家中が梅の良い匂いに包まれ、なんとも幸せな気分になった。

梅ジャムやカリカリ梅の仕込みを手伝った子どもたちは、普段目にすることのない大量の砂糖に興奮し、扱いに緊張していたので笑ってしまった。計量する砂糖を少しでもこぼしたら、他の兄弟から「もったいない!」とツッコミが入る。そんなやりとりを見ながら、食事のとき落としたご飯粒は気にしないくせにと心で呟く父ちゃんだった。

地域の暖かい場所にあるネムノキの花が咲きはじめてる。もう夏も近い。

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笹のいえ

てうえのたうえ

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去年に引き続き、今年の田植えも手植えすることにした。

苗は種まきから35日くらい経ったときが植えごろと言われる。田植えに向けて、代かきや水の管理などを調整し、田を整えて、その日を迎える。

田植えは5月下旬からスタートした。とてもひとりでは間に合わないので、友人数名に声を掛けて手伝ってもらう。

まず植える苗を用意しなくてはいけないのだが、その作業がとても大変だった。

水を張った苗床に手を突っ込み、一本一本引き抜いて、カゴに入れていく。引き抜くときの力加減が難しく、がいに(強く)引っ張ると必要以上に根や葉を切ってしまう。稲に紛れて、雑草も生えているから、それらを取り除くために集中力もいる。座っている椅子は半分田んぼに沈み、お尻は濡れる。長時間同じ姿勢なので、腰が痛い。そのうち全身泥だらけ。「オレは、なんでこんなことしてるんだろう」と疑問が何度も頭を過ぎりつつ、ひたすら苗を取っていく。

ある程度苗をまとめたら、今度は田植えだ。

去年は苗を一本ずつ植えていったが、苗の成長や気候の影響もあって、あまり良い収量ではなかった。地域の方たちのアドバイスから、今年は「三本植え」を基本とした。単純計算で苗の量が三倍になったから、採れる米の量も三倍!と言いたいところだけれど、そうはならないのが米つくりの難しいところ。

線を引いた田面に苗を一か所一か所、手で植えていく。苗を選び、腰を曲げ、苗を刺し、一歩進んでは、また苗を選び、、、

永遠とも思える単純作業だが、友人と四方山噺をしながらだと気も紛れる。苗を取っては植え、植えては苗を取る日々が一週間ほど続き、二反半の田植えをなんとか終えることができた。

苗が整然と並び、水を張った田んぼは美しい。手で植えているので、苗の列が曲がっているところもあるが、苦労をした分、それすら愛おしい。

余情を味わいながら、田んぼを見ていると、すでにちらほら草が見えはじめている。ほっとする間もなく、除草作業に取り掛かることになりそうだ。

 

 

写真:田植え前にお供え物をして、田んぼの神様に豊作をお願いする。

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笹のいえ

代かき

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新緑と青空のコントラストが気持ちいい時期となった。

ここ最近は、田んぼで代かきをしてる。

農家さんにもよるが、一般的には二三回代かきをして田面を整え、田植えの準備をする。水を入れて耕すことで、水持ちを良くし、空気を含ませて、稲の成長を促すの意味がある。

今年は、代かきのあとに三寸ほどの角材をロープで耕運機に結び、引っ張ることにした。田んぼをあちこちへと移動しながら、なるべく平らに均す。

高低差が少ないと、適量の水を田んぼ全体に行き渡らせることができる。山から引いた冷たい水が太陽熱で温まる。均一の深さなら水温も一律、苗全体もまんべんなく育ってくれるはずだ。一方、田んぼが凸凹していると、水を入れたときに、こっちの苗は水没しちゃったけど、あっちは土が露出してるという状態になる。深く水没した苗は腐ってしまうし、水が無いところは雑草が生えてしまう。余計に水を入れることで、水温が下がり、雨が少ない年は管理が難しくなる。田んぼが平らということは、大事なことなのだ。

 

耕運機や角材に押されて水面に波が立つ。紋は放射線状に広がり、田んぼの端まで届く。その様子で、土がうまく均されたかある程度分かる。

一定の深さで起こる波は、同じ大きさとスピードで広がっていく。その動きを見て、僕はいつも海の波を思い出す。

小笠原に住んでいたとき「波は水が動いているのではなく、エネルギーの塊が海中を移動しているのだ」と教わった。風や潮の力によって発生したうねりは、大きくなったり分かれたりして、長い長い間旅を続け、どこかの海岸に到達する。海底が浅くなるにつれて、うねりは波となり、砕けて消える。

波を目で追いながら、今このときも生まれては消えている大海原のうねりや波のことを想像するのはなかなか贅沢な時間だ。

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笹のいえ

ひよこ

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一ヶ月ほど前から鶏を飼いはじめたのだが、実はほぼ同時にヒヨコも卵から孵化させて育てている。

雌鳥たちは貰われてきたときからすでに卵を産んでいて、雄もいるので有精卵。子どもたちに「これを温めるとヒヨコが生まれるんだよ」と話した。「いのちあるものだから、大切にいただこうね」という意味を込めたのメッセージだったのだが、子どもたちは「じゃあ、ヒヨコ育てる!」と言いはじめた。はじめての養鶏で世話やら何やら大変なのに、加えてヒヨコもなんて!と反対を試みるが、子どもたちの輝いた目には逆らえない。そして、ああなんということか、手元には以前友人に譲ってもらった孵卵器があるではないか。

とりあえず、二個の卵を温めてみることにした。

ネットで調べてみると、鶏の卵は孵化まで21日ほど掛かるが、途中いろんな原因で成長が止まり死んでしまうことも多いらしい。僕らにとってはじめてのことだから、生まれたら嬉しいし、うまく孵らなくてもそういうことって世の中にたくさんあるんだよ、子どもたちに話をした。

ビギナーズラックが働いたのか、果たして20日目に一羽目が、21日目に二羽目が生まれた。

生まれる前日、卵の内側から、か細いピヨピヨという声が聞こえたときは、感動だった。そして数時間を掛け、嘴でコツコツと殻を割り、自力で生まれてくるのだ。ヒヨコ、すごい。羽が乾いた一日後にはもう歩きはじめたので、用意しておいたダンボール箱の部屋に移した。ダンボールには小さな穴を開け、中の様子が見えるようにした。子どもたちは代わりばんこに顔を押し付けて観察する。ヒヨコたちは数分ごとに寝たり起きたりを繰り返していた。さらに数日後には盛んに動き回るようになったので、「触りたい」と言う子どもの手のひらにそっと置いてみる。逃げることなく、静かにしている。孵化のあと最初に目にしたものを親と思い込む「すり込み」によって、僕たちを親と思っているのかもしれない。

誕生から三週間が経ち、ひと回りもふた回りも成長したヒヨコたち、よく食べよく鳴きよく動く。天気の良いときは、カゴを逆さにした即席の小屋を屋外に置いて、中で遊ばせている。

さて、鶏たちがやって来て一ヶ月半ほど経ったが、実は、飼う前に心配していたことがあった。

ひとつは、飼い猫イネオと鶏の関係。獲って食べられてしまうのではないか、襲われて怪我をするのではないか。実際、最初の数日はお互い警戒を露わにしていたが、一定の距離を取ることで落ち着いたようにみえる。たまにイネオに追いかけられているが、上手に逃げてる。イネオも本当に獲ろうとしているわけではなく、ちょっかいを出しては、すぐ諦める。その後鳥たちが「なんだあの生き物は」とでも言いたそうに、不満の声を上げるので笑ってしまう。

もうひとつは、雄鶏の鳴き声。まだ暗いうちから朝を告げる雄の叫びに家族の安眠が妨げられるのではないかと心配していた。実際朝4時ごろに鳴き声を何度か聞いた。しかし、僕以外、目を覚ますものは誰もいなかった。

 

鶏の話はこちらから。

こっこ

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笹のいえ

米つくり

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四月の下旬にお米の種蒔きをした。

七日間山水に浸けておいた種籾の入った袋を、お風呂あとのぬるま湯に丸一日沈めて発芽を促す。種全体が水分で膨らみ、クチバシのような根が少し出たタイミングで湯からあげ、水分を切る。

これを田んぼにはあらかじめ作っておいた苗床に播種する。

去年は水を入れずに床を作る「乾床(からどこ)」だったが、今回は「水床(みずどこ)」という方法を試している。田んぼの一角を畝で囲い、水を入れ、耕運機で代かきする。水を張ったまま、前述の種をパラパラと蒔いていく。昔はこの地域でもよく見られたやり方だと聞いた。一番のメリットは資材がほとんど要らないこと。基本的に田んぼと種があればお米が作れる。唯一、食害対策として鳥用網を購入し、廃材で支柱を立てた。

去年は苗が余り大きくならず、また数も足りずに田植えを迎えてしまい、結果収量も少なかった。

その経験を踏まえて、今年は苗床をより広くして、去年より一週間ほど早く準備をはじめてた。

が、段取りに時間が掛かったり、気温の読み違いなど、予想外想定外の連続で(毎年の言い訳だけど)作業がじわじわと遅れ、すでに去年並みのペースになりつつある。

苗はいまのところ順調に育ってくれているのだが、これから病気などの生育不良や鳩などの食害がないか、田植えまで気が抜けない。田植え後も、病気や草に負けず、稲刈りまでちゃんと育ってくれるか、結局ずっと気が抜けないのだ。

毎年トライアンドエラーな米つくりだが、僕自身とても楽しんでいる。特に、田んぼを見守ってくれる地域の人たちとの何気ないおしゃべりが好きだ。通りがけに、アドバイスをくれたり、昔の稲作の情景を語ってくれたりして、とても興味深い。

僕の住む平石地区の農家の方たちは、集落から数キロ離れた名高山に田んぼを何枚も持っている方が多い。機械の無い時代は、牛を連れて田んぼまで行き、牛耕したという。作業が続くときは近くにある小屋で寝泊まりしていたそうだ。お手伝いで来た子どもたちは田んぼから学校に通うこともあったという。

そんな会話のあとに、忙しくものどかな当時の時間を想像するのが楽しい。

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笹のいえ

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ここ数日、山で筍を掘ってる。

あのツンとした穂先が地面から顔を出しているのをみると、気分が高揚し、筍狩りモードに入る。DNAに刻まれている採集民族の本能が呼び覚まされるのかもしれない。
笹の周りには筍が採れる場所が三ヶ所くらいあって、そこを日替わりに巡回しつつ、収穫してる。
今年は当たり年なのか、あちこちに生えてる。

「む、あそこにあるな、あ、むこうにも!」

専用の鍬で足元の筍を掘りながら、次の獲物を探す。目印の少ない山の中では、目を離すと二度と見つけられなくなるから、最近乏しくなってきた僕の記憶力をフル回転させ場所を覚える。

収穫できるのが嬉しくて、後先を考えずに掘りすぎてしまう。採りたてのは水分を多く含んでいて重く、厚い皮がかさばる。

リュックいっぱいになった筍を、よっこらせいと背負って帰ろうとした目線の先に、また筍を発見。
放っておけばいいのだけれど、いつもの貧乏性か、「もうひとつだけ」と、鍬を振り下ろす。もうリュックには入らないので、両手に抱えて、ふうふう言いながら山を降りる。

一息ついたら、今度は下ゆでだ。

包丁で皮に切れ込みを入れて、水を張った寸胴に筍を詰め込んで、かまどで一時間ほど煮る。米糠や唐辛子は使わない。
一晩置いて灰汁抜きできたら、皮を剥く。茹でた後の皮は柔らかく、子どもでも簡単に剥くことができる。散らばった皮に鶏が集まって、盛んに突いてる。裸になった筍はさっと洗って、水に晒す。

中華風筍粥
筍キムチ
揚げ筍ボールのあんかけ
筍とわかめの煮物
タケノコスルメ*

毎日毎食、奥さんがバリエーション豊かに料理してくる。
一部はスライスして、天日で乾燥させ保存用に。

旬の食材として重宝する筍だけど、体質によっては体調に影響が出ることもあるから注意が必要。口の中が腫れたり、便秘になることもあるとか。

とは言え、この時期限定の新鮮な筍。噛んだときのあの歯触りに負けて、今日も食べすぎてしまうのだった。

 

*タケノコスルメ 食感がスルメみたいで、おやつやおつまみにオススメ。人参や大根でも。

【材料】
・筍 作りたい量。けっこう小さくなります。
・タレ 生姜醤油を水と本みりんで割ったもの。出汁醤油でも、麺つゆでも塩麹でも、お好みの漬けタレでお試しを。

【作り方】
1. 下ゆで、アク抜きしたたけのこを5-8mm幅でスライス
2. お好みのたれに約10分漬け込む
3. この地点では味が薄く感じるかもしれませんが、ザルやバットに移して広げ、お好みの堅さまで天日干し(天気によって1日から3日くらい)*残った漬けタレは煮物などに利用できます

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笹のいえ

こっこ

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我が家に鶏がやって来た。

友人宅を訪ねたとき、「ニワトリ、持ってく?」と聞かれ、「ほしい!」子どもたちは二つ返事した。いやいやいや、小屋もなければ、餌もない状態で、鶏もらってきてどうする、と言いたいところだったが、これもご縁なのだろう。まあなんとかなるか。いつもの根拠ない楽天的思考で、雄一羽雌二羽合計三羽を連れて帰って来た。

幸いなことに、友人経由でもらえる鶏小屋があったので、運び入れて、飼いやすいよう少し手を加えた。餌はうちにある豆や野菜のくず、コイン精米機からもらえる糠で賄うことができる。定期的な産卵に欠かせない栄養素であるカルシウム分はホームセンターで牡蠣殻を購入した。

鶏を飼う最大の目的は、卵取りだ。

うちの子たちは卵が大好き。卵料理のお手伝いなら進んでやってくれる。市販の卵は滅多に買わないので、これまでは養鶏している友人に頼み込み、くず豆や米との物々交換で卵をゲットしていた。だから、今まで卵は超貴重食材だった。卵の自給のため、いつかは鶏と一緒に暮らしたいとずっと考えていた。それが急展開で現実となったのだ。

飼いはじめてまだ数週間だが、鶏のいる生活は想像以上に心地よいものだった。

子どもたちは餌をあげたり、水を取り替えたり、毎日甲斐甲斐しく世話をしてくれる。小屋の前を通る度に中を覗き、卵が産まれたかチェックを怠らない。産み落とされたばかりの温かい卵を見つけたときは、「うまれたよ!」の叫び声とともに、大事そうに手の平で包み込んで見せに来てくれる。その表情を見るだけでも、飼ってよかった、と思う。鶏たちは、遊び相手となってくれる。末娘は「こっこ、こっこ」と彼らの後ろをついて回ってる。

子どもだけでなく大人も、彼らの存在とその癒し効果の恩恵を受けている。

家の周りを鶏が歩き、餌をついばんでいる姿は、どういう理由なのかリラックスする。コッココと鳴く声も耳に馴染み、BGMとして最高である。奥さんも僕も、小さな生き物を身近に感じて毎日ほっこりしてる。

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