渡貫洋介

笹のいえ

たね、一歳

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12月16日で一歳になる五番目のたね。

よちよちながら二足歩行ができるようになり、益々目が離せない。意味のある言葉はまだ発せられないけれど、「ちょうだい」「いや」などの意思を身振りと表情で伝えられるようになってきた。感情が豊かで仕草も可愛く、家族のアイドル的存在だ。

さすが末っ子、上の子をよく観察しているのか、これまでの子たちに比べると物覚えが早く要領が良い気がする。一歳前でこんなこともできるのかと驚かされる場面もあった。

 

玄関の前で、たねを膝に載せて遊んでいたときのこと。

目の前を通り過ぎる猫を指差して、彼女が「にゃーにゃー」と言った。

僕「そうそう、ねこちゃんだねー」(すごい!一歳で、もう猫を認識して鳴き真似するぞ!)

そこに鶏が登場。

僕「それじゃー、あれは?」(こっこって言うかな?)

たね「にゃーにゃー」

僕「・・・」

僕「じ、じゃあ、これはだれかな〜?」(と僕を指差す)

たね「にゃーにゃ」

 

どうやら、生き物は全て「にゃーにゃー」らしい。

「うちの末っ子、天才説」は、親バカの幻想だった。

 

 

 

彼女が生まれたときの記事はこちらから。

たね

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笹のいえ

薪についた虫の話

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薪にした木は薪棚に積み重ねて、水分を抜くため数ヶ月放置する。

使うときは数本を薪用のコンテナに入れて、火口から手の届くくらいの場所に置いておき、適宜必要な分を焼べていく。

燃え盛っていく火に追加の薪を放り入れるが、そのとき、木に虫が付いていることに気が付くことがある。

虫は住処としていた木が突然動いたので、最初じっとして様子を伺っているが、そのうち触覚を動かしてそろりそろりと動き出す。木自体に火が回ってくると、事態を察してかあちらこちらに素早く移動をはじめる。木から離れることはないので、ついに退路は塞がれ、哀れこの小さな生き物の運命や如何に!となるのだが、僕はその辺に落ちていた枝を虫の隣に突き立て、そちらに誘導し逃してやる。九死に一生を得た虫さんは、僕にお礼を言うこともなく、どこかに行ってしまう。

薪暮らしをはじめたころ、虫なんかではなく、かまどや燃焼室で揺らめく炎に心を奪われていた。ついつい見惚れて時間を忘れてしまうほどだった。ある日、焼べた薪の上で迫る炎と熱から逃げ惑う虫に気がついた。大して気にも留めていなかったが、だんだん自分がその虫のような気持ちになってきて、助けずにはいられなくなってしまった。もちろん今でも火を見ているのは好きだが、目線は虫を探していることも多い。

気づいた範囲なので、木と一緒に焼けてしまう虫全体の何割を救助できているのかわからない。そもそもその行動がどんな意味を持つのか自分でもよくわからない。ただ、目の前で燃え尽きてしまう命を見るときの胸に残る苦い感触を味わいたくないのだ。

 

写真:長男はときどき思い出したように「薪割りしたい」と言う。最初の数回はそれこそ手取り足取り教えていたのだが、最近は筋力も付き、節の少ない薪を選べばかなり上手に割れるようになってきた。慣れたころが一番危ないので油断禁物ではあるけれど、コツを掴んでくると面白いように割れるようになるので、本人も楽しんで暗くなるまで続けてることがある。

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笹のいえ

ひろくやりゆう

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ある野菜が旬の季節になると、ご近所さんからお裾分けをいただく。くださる方は「笹でもたくさん採れちゅうろうけんど、ごめんねえ」と申し訳なさそうに野菜の入った袋を渡してくれる。でもうちは食べる口(くち)が多いので、本当にありがたい限りだ。

柿に大根、サツマイモ、チャーテにパプリカなどなど。山盛りになった野菜用コンテナを眺めながら、うちも「広くやるようになったなあ」とあの日の会話を思い出して心の中で笑う。

その日、いつもお世話になっている地域のおばちゃんに「渡貫さん、いただきもんのお裾分けで申し訳ないけど、〇〇いらん?」と野菜(何の野菜だったかどうしても思い出せない)でいっぱいになったダンボール箱を手渡された。

僕「こんなに!いつもありがとうございます」

おばちゃん「いやいや、うちも畑を広くやりゆうもんやき、どうぞもらって!」

と言って、おかしそうに笑った。

その笑いの意味は?さらに会話は続く。

おばちゃんは、あちらこちらの知り合いの畑から採れた野菜をもらう。自分で栽培している畑に加えてご近所さんのやっている畑の収穫物がお裾分けとして集まってくる。だから、その畑も「自分の畑」と考えて、「広くやりゆう」と言う冗談だった。

なるほど、そういうことか。

土佐町に来てはや九年。冒頭のように、僕たちも地域の方々から旬の野菜などをいただくことが増えた。それは、単に食材が手に入ると言うだけでなく、僕ら家族の存在がこの土地に受け入れられてきたことを実感できる大切な交流でもある。

 

写真:笹には柿の木がないので、毎年友人宅の敷地内にある渋柿を採らせてもらってる。これも僕らが広くやりゆう場所のひとつ。収穫した柿のヘタと小枝の形を剪定鋏で整え、皮を剥き、熱湯に数秒浸したら、専用の吊るし具を使って竹竿に干す。二ヶ月もすれば美味しい干柿のできあがり。でも、写っている小猿さんたちに気を付けないと、完成する前にどんどん減っていってしまう。

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笹のいえ

ふたりの散歩道

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10月中旬秋晴れのある日、母屋では先生と生徒数名が集まりヨガ教室があった。

お母さんとやってきた三歳のN君、家族ぐるみでお付き合いしていることもあって、笹ではもう顔馴染み。最近はひとつ年上のうちの次女と歳が近いこともあってよく遊んでる。

ヨガがはじまってもそれぞれのお母さんにべったりだった彼らだが、そのうち飽きたらなくなったようで、外に内にと遊んでいた。作業をしていた僕はふと思い立ち、起きたばかりの末娘を乳母車に乗せ、N君と次女を散歩に誘った。

うららかな秋の光が差し込む日、集落までのいつもの道は、自然の音に溢れ、心を落ち着かせてくれる。ふたりは僕に付かず離れず、あちらこちらへ走り回ってはいろんなことを発見してる。

おしゃべりな三女は、落ちている枝の使い道、咲いている花の形と色の理由、それらを身に纏っている自分の役どころを次々に説明してくる。もちろんその場で思いついたストーリだから、しばらく経つと別のお話になっていたりするのだけれど、僕も一緒に彼女の世界に入り込んで想像を膨らませる。N君は口数は多くないが、三女の後をついて回って、楽しそうにしてる。たまに取り合いの喧嘩もするが、しばらくするとそれぞれのやりたいことに集中して次の宝物を見つける。真っ赤に紅葉した葉っぱ、見た目美味しそうな木の実、見たこともない蝶々。

折り返し地点となる集落で、飼われている赤牛に挨拶したり、神社でお参りした。どんぐりを拾っては僕のスボンポケットいっぱいに詰め込んだり、アスファルトでペタンコになってる蛇の亡骸を大切に持ち歩いたりしていると、午後の日がだいぶ傾いて来た。乳母車の0歳児は西日の暖かさでまた寝てしまっていた。そろそろ家に戻ろう。

帰り道、そろそろ「疲れた、歩けない」とぐずりだすかと思っていたが、意外にもそのまま笹まで歩き通してしまった。家に到着するとちょうど教室が終わっていて、友人たちが帰るところだった。ふたりはお母さんたちの姿を認めると、今日の宝物を抱えて一目散に駆け寄っていった。

 

写真:ふたりから少し離れていた僕は、目の前の景色を興味深く見つめた。道の両脇から鬱蒼と茂る木々がトンネルのようになり、前を進むふたつの小さな魂を見守り、その先にある光の世界にいざなっているようだった。

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笹のいえ

薪ストーブ稼働

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記録を見ると、去年は10月半ばには点けていたうちの薪ストーブ。

今年はこの時期になっても火をいれられなかった。

屋外の煙突を断熱する作業がなかなか完成しなかったからだ。

煙突を二重にして間に断熱材を詰めると、排気が冷えにくくなり、薪の燃焼率が上がり効率良く燃えるようになる。

ストーブだけでなく、五右衛門風呂やかまどで薪を使う我が家で、薪はいくらあっても重宝する。周りを木々に囲まれている土地柄、薪となる木は比較的入手しやすい。が、使う量が少なくて同じ効果が得られれば必要な労力や時間を軽減でき、より長い期間薪人生を満喫できるはずだ。冬の間毎日稼働する薪ストーブの改良で、僕たちの暮らしはより快適になる。

ネットで検索して、ざっとした設計図を描き、使える部材があるか倉庫をウロウロし、友人に不要な材料がないか聞いて回り、無いものは購入する。少し作っては微調整し、インターネットで先輩の知恵をお借りし、また作業を進めて、、、とやっていたら完成が大幅に遅れ、いよいよ朝の冷え込みが強くなってきた。

朝起きてくる子どもたちに「父ちゃん、ストーブ、まだ?」と言われるたび、聞こえないフリをしていたが、それもそろそろ限界と言う11月上旬。なんとか設置にこぎつけた。煙突直径と燃焼の関係やより簡易な掃除メンテナンス方法など、すでに次回への改善点も見えているが、今回は時間切れ。これで運用してみよう。

試し運転をして問題がないことを確認。その翌日早朝、ストーブに薪を焚べた。

木が燃える良い匂いとパチパチと爆ぜる音で、僕の気持ちと身体がやっと冬仕様になった気がする。

僕の次に起きた長女が「あ、ストーブ点いてる!あったか〜い」とストーブに、身をピタリを寄せてきた。ひとりまたひとりと布団から出てくる家族がストーブの周りに集まる。薪の熱で温まった朝食を食べ、おしゃべりをして、それぞれ今日一日の支度をする。

いつもの冬の朝風景だ。

 

写真:朝四時過ぎ。前の晩に仕込んだパン生地を成形し、温まりはじめたストーブの近くに置いて、二次発酵を促す奥さん。今朝は美味しいパンが食べられそうだ。

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笹のいえ

新米!

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今年も無事お米の収穫ができた。

 

春、種を播いて苗を育て

梅雨来る前に、田植えして

夏汗を拭きながら、草取って

風に秋を感じつつ、稲刈りをして天日干し

 

振り返ってみると、今年も走り抜けた米つくりだった。

新米の入った米袋を縁側に積んでいく。

数を数えると、去年よりも少しだけ収量が多いみたいだ。

新米と聞くと心が躍るのは、日本人だからだろうか。

早速精米する。

普段は五分搗きにするが、今日はお祝いとばかり、白米に。

土鍋で炊いて、出来たてをいただく。

さっぱりとした甘さで、おかず無しでも充分満足な味わいだった。

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笹のいえ

コンポスト

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笹に引っ越してきたときから、コンポストを自作して使ってる。コンポスト、とカタカナで言うとなんだかお洒落なイメージだが、要するに堆肥場のことだ(余計わかりにくいかな)。暮らしで出た有機物を一か所に集めて、微生物や昆虫などに分解してもらうことで、自然に還す。その土を利用して野菜を栽培し、収穫し、食べる。自分たちが排泄したものもコンポストに入れて土に戻し、それがまた野菜を育てる栄養の一部になる。

うちでは刈った草や生ゴミ、排泄物などを積んでいる。数ヶ月に一回天地返しすると一年くらいで土に還る。分解しきった堆肥は土そのもので、嫌な臭いもしない。こんな小さな循環を身近で体験することで、自分が口にするものに興味を持ったり、環境負荷についても考えるようになった。

初代コンポストは、割いた竹で囲いをしただけの簡易なもの。これはこれで十分仕事をしたが、屋根が無いため土に含まれる養分が雨で流れてしまい、もったいないと思っていた。数年が経ち、側の竹が脆くなってきたため、新しく作ることにした。

ネットで見つけたこの重箱型コンポストを、うちにある端材で作る。

幅20〜25cmくらいの板をビスで留めて、底のない箱をいくつか組み立てるだけ。中身がいっぱいになったら箱を重ねていく。たまに適量の水や米ぬかを入れて発酵を促す。

使いはじめて三ヶ月ほど経った先日、天地返しをすることにした。

トタンで屋根をしていたので水分が足りず、かたい草や野菜の残渣などは思ったより分解が進んでいなかったが、地面に接していた部分は土になっていた。今後、水分量など調整して使い込んでいけば、良い堆肥が作れそうだ。

生ゴミや自分たちの排泄物を処理できるのは、ゴミの削減に大きく貢献してくれるが、問題もある。未発酵の時は臭いがすることと、ミズアブやハエなどの虫が発生してしまうこと。だが、住まいから離した場所に設置すればさほど気にならないし、生き物たちが渡貫家の循環に一役買って出てくれていると思えば嫌いになるどころか感謝しかない。

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笹のいえ

くるみ

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五月、我が家に子猫がやってきた。

友人が保護している子猫の里親募集投稿をSNSで見た長女が「コネコ可愛い、飼いたい!」と言い出したのがきっかけだ。

「子猫はいずれ大人の猫になるんだよ」と諭したのを理解したのか、してないのか、「大丈夫、ちゃんと世話するから」と自信満々の彼女を信じて引き取ることにした。

猫に詳しい友人は、うちに居る雄猫との相性を考えて、一週間のお試し期間を設定してくれた。七日間一緒に暮らして問題が無ければ、無事家族として迎えることができる。

やって来た三毛猫は生後一二ヶ月。先輩猫であるいねおがどう反応するか分からなかったので、室内に小さなゲージを作って飼いはじめた。うちの子どもたちは柵の前に群がり、よちよち歩きの幼猫に興味津々だ。

食事は哺乳瓶に入れ適温に温めた粉ミルクを与え、排泄は日に数回、布で刺激して促す。自分の妹弟もこれくらい甲斐甲斐しくお世話をしてほしいものだと思うほど、長女はマメに面倒をみていた。

一方、突如現れた雌の子猫をいねおは最初訝しがりながらも、数日のうちに気にも留めなくなり、普段通り行動するようになった。これなら大丈夫と、お試し期間を終えて、ゲージから解放された子猫。身体にある茶色い斑がそう見えるからという理由で、長女に「くるみ」と名付けられた。さらに数日して、格好の遊び相手と判断したのか、いねおにちょっかいを出すようになった。尻尾に飛びついたり、耳を噛んだり。いつか怒られるのでは無いか、とヒヤヒヤしている周囲の心配を他所に、年上猫として適当にあしらういねおとの様子は非常に微笑ましく、僕らも子猫の存在に癒されていくのであった。

笹の猫となってから数ヶ月。実はとてもお天馬であることがわかってきた。

障子は引っ掻き傷でボロボロ、蚊帳に突進して大きな穴を開ける等々。ときには、いねおと喧嘩かと思うくらい激しい取っ組み合いや追いかけっこをして家中を走り回る。最近では狩りもするようになり、どこからか大きなカエルや虫を捕まえてきては、家の中で追いかけ回している。

そんなわけで、うちはまた少し大所帯となった。

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笹のいえ

出穂

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8月10日早朝、いつもの田んぼチェックに行く。

田水は適量あるか、水漏れはないか、稲の生長は順調か、病気は出ていないか、蜘蛛や蛙などここに棲む生き物たちの様子はどうかなと畔を歩きながら観察する。

この日ひとつの株から稲穂が出ていたのを見つけた。出穂(しゅっすい)がはじまったのだ。

視線を遠くに移すと、あちらにひとつ、こちらにひとつという感じで、数株同じように穂が顔を出していた。空気を大きく吸い込むと、お米の花の独特な甘い匂いも微かに感じるから、すでに開花もはじまってるみたいだ。

数日後、同じ田んぼに行くと、より多くの穂が出ていた。出穂のスピードに驚く。

インターネットある人が「出穂前の稲は茎の元で穂の素ができて、妊娠状態になってる。だから出穂は出産のようなもの」と話していたのを聴いて、なるほどと思った。

出穂期を迎えた稲は、全てのエネルギーを穂に使うと言われている。穂を出し、花を咲かせて受粉し、実を熟させるためにこれまで蓄えた養分を利用する。それは、お母さんがお腹で胎児を育てる様子を彷彿させる。お米の粒が大きくなるにつれ、栄養を吸われた葉や茎、根は徐々に枯れていく。子孫を残すために力を使い果たして親は老いるのだ。それは子育てそのものだ、と自分の姿と重ねて思う。

お米は糧であると同時に種でもある。籾のまま保管し、翌年田に蒔けばまた芽を出して米をつくる。これもまた、遠い昔から、祖先たちが僕たちに繋いでくれた生命のバトンと一緒だ。いま僕がしていることはここで終わりではない。子どもの世代、孫の世代、そしてもっと先の未来に引き継がれていく。子の成長に一喜一憂し、日々子育てに悩む僕。目の前の稲に「それでいいんだよ」とそっと勇気づけられた気がする。

その後、穂は順調に増え、出穂期を迎えている。穂には可憐な白いおしべが見える。しかし、今年はこの時期には珍しい長雨となっており、受粉そして登熟がうまくいくか心配してる。

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笹のいえ

コーヨー先生

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「押忍!」

練習場の入り口で一礼して入る息子。

挨拶や返事は「押忍」。彼が週一回通っている、空手教室のしきたりである。

天井から空間を照らしてる水銀灯が懐かしい体育館には、すでに数名の人たちが集まっている。大人と子ども合わせて10人くらいの生徒に、教える師範はふたりいる。地域に長く続くスポーツクラブのひとつだ。

生徒たちが親しみを込めて呼ぶ「コーヨー先生」の本名は、西谷紅葉(にしたにこうよう)。実はうちの奥さんの従兄弟なのです。

六年前、当時静岡県に住んでいた紅葉と彼のパートナは移住先を求めて、笹のいえに三ヶ月ほど居候していたことがある。土佐町を拠点に四国内外のいろんな場所を訪ね、人生の新天地を見つけようという計画だった。

滞在が長くなるにつれ、周りに知り合いや友人ができた。あれよあれよと仕事や住まいを紹介してもらい、笹から車で15分ほどの地区に引っ越すことになった。ふたりが籍を入れたときは、友人たちと手作りのサプライズ結婚式して喜び合ったこともある。四年前には娘を授かって、地域の一員としてこの地に根を張り、広げている。

あるとき、空手教室で先生を探している、と紅葉に声が掛かる。

師範の資格を持っていたが、久しく空手から離れていた彼。迷った末、地域のためならばと一念発起して、このオファーを受けた。試行錯誤して続けて行くうちに口コミで生徒が増え、いまでは町外からも生徒が通う。また当初一箇所だった練習場所は、住民の希望で別の地区でも開催することになった。保育士の経験もある紅葉先生の指導は子どもにも好評で、練習は真剣ながらも時折笑い声が響き、生徒たちは楽しんでこのスポーツに慣れ親しんでいる感がある。興味のある人や保護者は見学が自由にできる。参加者の妹や弟が空手の型を真似してみたり、走り回ったりして和気藹々とした雰囲気だ。

うちで居候していたときはまさか同じ町に住むなんて思ってもみなかったけれど、親類として友人として、そして、同じ町民として付き合えることが嬉しい。農作業や力仕事など、事あるごとにコキ使って、、、もとい、とても頼りにしている。

 

写真:練習会場である石原地区体育館で。息子は昇級試験に合格し、黄色帯となった。

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