土佐町ストーリーズ

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95年間のキヨ婆さんの思い出 

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

楮の匂いの染み込んだお芋

昔々その昔、今から八十五年位昔、昭和の時代、私が小学三年生位の時の事です。年老いても、四季を通じてその季節になると、必ずどこからともなく浮かんでくる幼い頃の思い出は、私の一番の楽しみ、元気の素となっています。

農家ではお米の収穫が終わり、後へ播いた麦が青々と伸びた頃、畠や田の周りの楮を切って、蒸して、皮をはいで乾燥させて売ることは大切な収入源でした。

隣近所が一ヶ所に集まって釜床を作り、協同で働いていました。

私の家の上の郡道渕の広場に釜床があって、谷も近くて、大事な水も便利で、毎年その時期には賑やかというよりも私の楽しみの一つでした。

学校から帰ると、宿題を済ませ食事もソコソコ、狭い下敷きと膝あてを持って行って、邪魔にならない所で、切り落としの小枝の束をもらって一生懸命はぐのが面白かったです。

そしてもう一つ嬉しい事があったのです。

楮の大きな束の上に、籠にカラ芋を入れて乗せ、二時間位蒸して出した時、楮の匂の沁み込んだ熱々のお芋。涎が出そうです。お菓子等珍しかった時代、その味は今でも口の奥に残っています。一度でいいから食べたいと思います。

現在は、楮さえ見かけなくなりました。土佐和紙の大切な原料として、いつまでも続いてほしいと思います。

 

 

*昔は各地で楮を蒸していました。土佐町では現在、南川地区で行われています。

南川のカジ蒸し(前編)

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 20

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

江の口昭和町へ引越し

一学期の終わり頃だったと思う。両親の都合で、昭和町19番地髙知駅の北へ引越しました。江ノ口小学校の近くの周囲には、大きな二階建ての家ばかりでした。学校へは少し遠くなったが20分位で行けるので、今年度が終るまでは通う事にしたのでした。

昭和12年には南国博覧会が開かれていて、ゴム靴を笑われながら、破れたらズックが履けるのにと思いながら、四年生全員で見物に行ったのです。

場所は、当時、柳原の「市のグラウンド」といっていた現在の高知球場でした。初めて渡る沈下橋入口には、大きな高い門が、見た事もないように色々と飾られていて、それだけで胸がワクワクして、入るとすぐ左側に小さな家がありました。

顔も体も真黒、目の玉と歯だけ白い、身長は私位の人が立って居て、恐ろしくて、身震いした記憶があります。

広い会場には、世界中の見た事も聞いた事もない物ばかり、夢の世界の様だった事、84年も昔の事、自分にも信じられません。

そして大好きな兄が居なくなった事。将来のため手に職をと、大阪の散髪屋へ四年契約で行った事。淋しくて涙した事。一人前の職人になり髙知で働いていたが、戦争故の徴用で病死。19才の命でした。きっと兄の寿命を妹達にくれたのかも知れません。やがては天国で会えるでしょう。

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 19

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

高知の生活の始まり

高知で最初に住んだ家は、相生町という高知駅の少し東でした。学校は、家から十分位の所の第二小学校でした。校門の前に堀川があって、川向うには、山田八幡宮がありました。運動場も広くプ-ルもあるし、生徒の多いのにびっくり。一学年が三級にA、B、Cと別れていて、私はB組女子ばかりで、先生は百田先生。中年の優しそうな先生でした。

チビなので一番前、岡村輝子さんと並びました。学級毎にスピーカ-があり、給食も注文で食べられて、相川の学校とは何もかも違っていました。

馴れるまで一番困った事は、言葉使いでした。何か喋ると皆に笑われるのです。その点、一年生の妹は、平気で相川弁で喋っていました。

一番先に仲良しになったのは、村上さん、西澤さんでした。二人共、色々と教えてくれて助かりました。今でも目を瞑ると浮んで来ます。

父は当時「土陽新聞」の仕事で郡部を廻っていたらしく何日も帰らず、母は牛乳屋の壜洗いに一生懸命働いていました。

今から八十四年も昔々の思い出です。

 

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 18

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

自分達の住む所へ

疲れも取れ気持ち良く目が覚め、親切なおばさん達に見送られて、日本晴れの高知の空、今夜から「寝る所、住む所はどっちか」「何という町か」と何とも言わない父の後に、母兄弟はついて行った。

父の同級生のおじさんが相生町という所の製材の工場で働いていたので、近くで空家を見付けて、相川の家財道具一切運び込んでくれていたのでした。

何町がどっちかも分らぬまま初めて歩く高知の街、一目で田舎者と分っただろうと想像しています。

落ち付いた所は相生町という所で、何と汽車の線路の近くで「シュッシュッポッポ」と煙をはいて通る度に家が揺らぐのです。でも生れて初めて見る汽車、通る度に窓を明けて見たり、手を振ると手を振り返してくれるのが嬉しかったです。特に幼い弟が大喜びでした。

学校は近くの第二小学校へ、ABCの三学級で女子ばかりのB組百田先生。優しい女先生で、一学期通知簿を貰った時「良く頑張ったネ」と誉められた事が忘れられません。

相川小学校の松岡先生の「高知に行っても頑張れよ」の一言のお陰様でした。

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 17

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

住み馴れた相川を出て

初めて見る高知の街、昭和11年4月の初めでした。現在の様にテレビ、新聞、ラジオも無い時代。

85年も昔の事、思い出さえも薄れかけた中での一人暮らし、頑張って書きました。

田舎で育ったので足には自信があって、両親が思ったより早く着いて、その夜は愛宕町の親戚の家で泊ることになっていたのです。

椎野の峯から下の秦泉寺まで三人で駆け降りて、周囲を見ると一面の田園でした。稲が青々と伸びているのを見て驚きました。

相川では、まだ田仕事は始まっていなかったのです。半日歩いて山を越しただけで、気温がこんなにも違うのだろうかと感じたのでした。

初めて履いたゴム靴もだんだん慣れて来たのでした。

その夜、親切なおばさん達のお世話になりました。

高知での初めての夜、自分達の住む所、家はどんな所だろうと気にしながらの一夜でした。

 

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 16

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

未知の世界、高知市へ

昭和11年4月初め、私は11歳、4年生。兄は小学校卒業。妹は小学校入学、弟は4歳でした。

生まれ育った土佐郡相川の小さなあばら屋から、未知の世界、高知市へ。

両親の考えで、子供たちには何にも分からず。二度と帰ってはこないのか、少し不安のまま、高知行きの衣装、履いたことのなかったゴム靴、黒いスカート(ヒラヒラするのが嬉しかった)。持てるだけの荷物を持って、家の上の郡道に出た。周囲を見回して、サヨナラをした。

今まで考えたことのなかった寂しい気持ちがして涙が出てきたが、兄には見られたくなくて、そっと隠れて涙を拭いた。

高知まで八里と聞かされていたが、足には自信があった。幼い弟は山道は母に負われ、歩けるところは喜んで歩き、赤良木のトンネルを抜け、お昼前には土佐山の小さな食堂で一休み。

何年も使っていたおひつには、朝食の残りごはんが入っていて、そのおひつは、高知に住み着いてからも何年も使っていて、懐かしい思い出いっぱいのおひつでした。

椎野の峯までは道幅も広くて、坂道も少なくて、思ったよりも早くて「もうちょっとで椎野じゃ。高知が見えるぞ」という父の声に、兄、妹と3人で荷物をぎっちり抱えて走った。

峯近くなると、道幅も広く、車の通ったタイヤの跡もあった。

とうとう峠に着いた。

「ウワー」

3人で万歳をした。

初めて見る高知の街、85年過ぎた今でも蘇ります。小学校4年生の春のことでした。

それから85年過ぎて、現在95歳。

過去の思い出に、嬉しいことよりも悲しいことの多かった人生を振り返る毎日です。

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 15

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

ケンボケンボ

これだけで理解できる人が現在いるでしょうか。

昼食後、病院のベッドの上でボケっとしていると、少し開いた窓からでもなく、テレビの中からでもなく、まるで風船のようにぽっかりと浮かんできました。

95年間の間、苦しい環境の中、真っ先に働いてくれた曲がりくねった左右の手の指。特に、右手の人差し指、それが「ケンボケンボ」の主役だったのです。

同級生13人の小さな学校。何か失敗すると、右手の人差し指を曲げたり伸ばしたりして「ケンボケンボ」と大きな声で揶揄いながら追っかけるのです。

特に運動会のかけっこでビリだったりすると、その日中、休み時間には運動会や校舎の周りを「ケンボケンボ」と言いながら追いかけたり、逃げたりするのです。

昔々の田舎の子供たち、遊び道具も少なく、家に帰れば、妹弟の子守り。95年過ぎた現在の生活と比べて、全ての生活の変化と、人間同士の愛情の変化、命の大切さを考えると悲しくなります。

「ケンボケンボ」の時代が、心の底から懐かしく思い出されます。

 

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 14

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

叱られて

目の前にいるときは「オトッチャン」で、いない時は「オトウ」と呼んでいた。物心ついた頃から「オトウのおこり」というようになっていました。

学校から帰って父が家にいると、嫌な感じでした。

予習、復習を済ませて弟の子守り。昭和10年頃、電気は通っておらずランプだったので、夜更かしはせず、布団の中へ。だがその日は夕飯が済むと

「キヨ、よみかたの本を持って来い」(ソラ来た)

自信はあったがビクビク、漢字の書き取り習ったところはスラスラと書いて、やれやれと思った時「次いくぞ」と言って、まだ習っていない欄外の字を言ったがそこまでは無理。

「書いたか」

「まだ習ってない」

と言い終わらないうちに、いきなり筆箱が飛んできた。その筆箱は父が作ったもの。白い桐の板で、頭に当たって中のものが飛び散った。こうなると逃げるが勝ちと、薄暗い外に飛び出て、上の郡道へと走ったが、追いかけてこないことはわかっていたので母が迎えに来るのを待っていた。

しばらくして「キヨ、もうもんて来や」待っていた母の声。帰って黙って布団に潜り込んだ。

そんな父も妻や子に先立たれ、不幸な一生でした。

 

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 13

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

おこりのオトッチャン

オトッチャンは六人兄弟の末っ子、長男の兄は日露戦争で戦死、兄の娘、姪と四つ違いで、四年制の小学校を卒業。米作りの農家を継ぐべきだったが石屋になって実家を出た。

頭が良くて字が上手、近くに昔からの大きな石山があってお墓を掘る職人が大勢いた。当時のお墓の字は、ほとんど父が書いていたようです。

母と結婚して子供が次々と生まれ、生活が苦しくなると何でもかんでも怒るようになり、「オトッチャンのおこり」から「オトウのおこり」隣、父の目の前では「オトッチャン」。いない時は「オトウ」というようになった。こんなオトウとどうして結婚したのか、母に聞いた。母が18歳の時、一方的に父が逆上せて、母の父親に申し込んだが断られ、そこで無理やり連れてきたらしい。そうすることを当時は「かたぐ」といったらしい。

何時も「オトッチャン」でいてほしかった。でも天国では30年早く逝った母と仲良く「オトッチャン」でいるかもネ。

 

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出 12

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

たいつり

昔々のその昔、小学校2,3年生の頃、年に一度の節分の日(山奥の農村では旧暦でした)。夕暮れ時、子供だけの楽しい嬉しい、昔からの行事がありました。

近所の子供たちが誘い合ってグループを組んで、近所の家を回るのです。手に手に「カジガラ」を一本持って、節分の夕暮れ時の楽しみでした。

「カジガラ」とは、楮の皮を剥いだ後の白い棒。節分の日、学校から帰ると「カジガラ」を20㎝くらいにひき切って、先の方に少し割れ目を入れて、オニバラの葉っぱを一枚挟み、家の外回りの柱の元の石の上に立てる。鬼が家の中に入らないように、という昔からの風習だそうです。兄と二人で作ったのでした。

そして、夕暮れになると、大きなポケットのついた「ソータ」に着替え、小さな手提げ袋をそれぞれ持って、空き腹で皆の集まる場所へ。皆で決めた順番に各家を回るのです。

まず最初の家は、大きな「カジガラ」で、上級生がそっと行って、縁を4、5回叩くのです。そして素早く物陰に隠れるのです。そしたら家の人がお盆に山盛りのお餅や赤飯、干し柿、お菓子など出してくれるのです。

外の皆は、屋囲いや石垣の陰から素早く出ていって、ポケットや袋に何も残さず頂くのです。そのスリルも面白かったし、何軒も回って、頂き物を家に帰って食べるのが嬉しい楽しみでした。

この風習は、ずっと昔から続いていたそうで、各家ではお供え物を前日から準備して、空っぽになったほど、縁起が良かったそうです。我が家は非農家だったので、頂くばかりでした。

懐かしい思い出、語り合う人のいないのが残念です。

 

 

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