2024年1月

土佐町歴史再発見

① 白髪山から町内を俯瞰する

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新学期だ。今年もピッカピカの1年生が入学してきた。どんな子どもたちかとワクワクしていたら、いきなりのコロナ休校。出鼻をくじかれた。教員も平日は自宅待機を命じられたが、ふと「休日ならいいか」と思い立ち、外に出てみた。

実は、赴任した頃から本山町の「白髪山」が気になっていた。校舎の窓から見える、古めかしい宮古野の「白髪神社」(しろひげじんじゃ)と関係があるのではないかと当て推量していたのだ。

右手奥に白髪山が聳える

車で途中まで行けるとガイドブックにあったので、近所の里山にでも行く気分で出かけたのが間違いだった。元々山城が好きで、全国各地の城を巡ってきたが、白髪山は1000メートルを軽く越える山。そんな所に山城はない。慣れぬ素人登山で、気持ちが悪くなり、頭がガンガンしてきた。「やめとけばよかった」と後悔し始めた時、気が付けば白骨樹林帯のど真ん中にいた。「白髪」の由来(※)はもしやこれかもと思いながら、最後の難所の岩場にさしかかった。ロープを掴んで慎重によじ登ると、数分で頂上に到着。そこから見た景色。まさに絶景だった。

白髪山から見た宮古野・南泉地区

「手の平サイズじゃん」。遙か遠くに見える土佐町は、マッチ箱のように小さく見えた。早明浦ダムが出来る前は、もう少しワイドに見えていたのかもしれないが、今は宮古野から南泉周辺しか見えない。かつては「白髪神社」を取り巻く杉の木立もはっきり見えていたことだろう…。

何となく信仰上の繋がりが感じられ、「よしよし」と、自分の見通しに満足し、悦に入って下山を始めた。ツガやヒノキの巨大な根っ子が山道を這い回っているせいで、油断するとすぐ足を取られる。3回ほど思い切りずっこけ、悪態をつきながら起き上がったその時、人外の気配を感じた。「鹿だ!」。思わずカメラを向けると、信じられない跳躍力でファインダーから外れ、一度だけこちらを振り向いたあと、悠然と森のなかに消えていった。

数週間後、やっと学校が再会した。早速、学括の時間に休み中の動静を語り合う時間があったので、土佐町が「手の平サイズ」に見えた話をしてみた。だが「そんな訳ないやろ!」というK君の一声にクラス全員が失笑し、これは笑い話で終わってしまった。

一番伝えたかったのは、自分たちの住んでいる町を俯瞰してみること。ドローンや衛星からみる景色ではない、高山からみる景色だ。この景色は、土佐藩の山奉行、さらには山猟師や修験者らも見た景色。何百年も変わらぬ景色なのだ。いつか自分たちの町を俯瞰してみてほしい。そう願いながら地理の授業を始めたのだった

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私の一冊

山門由佳

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「高知 アヴァンギャルド」 東京ニュース通信社

書店に入ってすぐの一番目につく棚にバーン!とずらずら並べられたこちらの雑誌?いやガイドブックに手をとらないでいるほうが難しいほどに冴えたデザインに目を奪われました。そしてページをめくると、なみなみと溢れる高知のディープな面白さ… そう!わたしはこのラテンで濃厚な感じに惹かれて引っ越したんだったってことを思い出しました。

高知県はすばらしい大自然と共に生きる人々の温かさ、細かいことは気にしない器の大きな県民性に魅力を感じています。そんな高知県人の方々がつくりあげた場所やお店に商品、カルチャーがたくさん紹介されています。

なかには訪れたことのある場所や店、食べたことのある品、話したことのある人が載っていました。まちがいなくその方々、品々、場所場所はどれもナイスで素晴らしいので、きっとこのガイドブックの情報に間違いはございません…。

さっそくこのガイドブックを手に南国市にある『白木谷国際現代美術館』を訪ねました。載っていた写真の作品は想像をはるかに上回るスケールで、そこからたちこめる熱量に圧倒されました。 館外にある作品群は、山や川の自然と共生&共鳴しながらもびんびん伝わってくる生命力の塊のような作品でした。

鑑賞し終わったあと、作者でいらっしゃる武内光仁さん御本人が作品とは裏腹に穏やかにたたずみ、そのそばでやさしく微笑まれている奥様はガイドブックの写真どおりでありました。そして淹れてくださった珈琲をいただくひとときに、まさに《高知》をひとしお感じました。高知県は自然と、情熱と、やさしさでできています。

 

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調  14

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

芋つぼ

近所のおばあちゃんの畑には芋つぼがある。畑の脇に立つ三角屋根の戸を開くと、大人2人が入るくらいの深い穴が現れる。そこは岩で囲まれ、厚く敷き詰められたもみ殻の中にサツマイモを入れておくと、冬の間も傷むことなく保存できる。

しゃがんで滑るように穴へ入る。足元はふかふか、もみ殻の中に手を入れると「ぬくいろう」とおばあちゃん。かき分けると大小さまざまな芋が出てくる。探すのに夢中で不意に立ち上がると、屋根に頭をぶつけるので要注意。ネズミがかじった芋もあるけれど、その部分は除けばよい。

さあ帰ろう、と芋の入ったカゴを抱え、見上げた入り口向こうの空はまぶしかった。

家に戻って山の水で芋を洗い、湯をゴンゴン沸かした大釜でゆでる。皮をはいで薄く切り、わらを敷いたえびらの上に並べる。わらのおかげで裏面にも風が通り早く乾く。日の当たる特等席に並んだ黄金色の芋たちは何だか誇らしげで、ずっと眺めていたかった。

これは7年前の出来事だが、昨日のことのように思い出せる。願わくばもう一度、おばあちゃんと芋つぼに入り、あったあったと言いながら芋を探したい。続くと思われた日々は戻ってこない。だからこそ今日という日が尊く、まぶしい。

 

2024年1月25日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

今回は「芋つぼ」について。芋つぼは、冬の間、サツマイモやカボチャ、里芋などの芋類が傷むことがないよう保存する場所のこと。記事掲載後「懐かしい」「家にもあったよ」という声が届きました。もしかしたら、今も現役で使っているよ、というお家はあまりないのかもしれません。近所のおばあちゃんの芋つぼに入らせてもらったことは貴重な経験でした。

2024年のスタートは地震や事故など心痛む出来事が続きました。朝を迎え、日常を過ごせることは決して当たり前ではないのだと痛感しています。

「続くと思われた日々は戻ってこない。だからこそ今日という日が尊く、まぶしい」。

このことを忘れないように、この記事を書きました。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「私の源氏物語ノート」 荻原規子 理論社

1988年に壮大な古代ファンタジー「空色勾玉」でデビューして以来、幅ひろい年代層から絶大な支持を得ている作家の荻原規子さん。物語のつむぎ手としてだけではなく、古典文学にも造詣が深い荻原さんが、源氏物語を大胆に再構築した「荻原規子の源氏物語」(全7巻)を上梓ししたのは、今から10年前のことでした。

源氏物語五十四帖を現代語訳し、読みやすく分量を減らす工夫として途中の帖を抜いて編集し直し、源氏と紫の上・藤壺の宮の主軸にした上だけで進む「紫のむすび」(全3巻)をはじめて読んだ時の驚きは今でもまざまざと覚えています。

その後、玉蔓に焦点をあてた「つる花の結び」(上下)、薫の屈折した性格がドラマチックなメロドラマを引き起こしたのではないか、と思わせる「宇治の結び」(上下)が出版されました。

本書では、原文から五十四帖の全訳を成し遂げたからこその感慨、細部に及ぶ記憶の深まり、帖から帖へとつながる連想などを奔放に綴られています。この荻原流鑑賞の手引きを手元に置き、もう一度「紫の結び」から再読してみようと思っています。

 

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先日、高知市にある高知県産業振興センター(通称 ぢばさんセンター)へ伺いました。

入り口には、昨年12月に発表された「高知県地場産業大賞」の受賞商品と活動内容が展示されていました。

「高知県地場産業大賞」の「地場産業奨励賞」を受賞した、とさちょうものがたり編集部。どこに展示されているかな?と探すと…、あったあった、ありました!

 

棚の右下をご覧ください!

 

制作している「とさちょうものがたりZINE」や土佐町の絵本「ろいろいとさちょう」、県内8ヶ所の障がい者支援施設の皆さんと制作したカレンダーやシルクスクリーン印刷で制作したTシャツなどが展示されています。

書類審査後のプレゼンテーションでは、『「とさちょうものがたり」を起点に〜地域と共に地域を耕す〜』と題し、日々の活動や仕事を紹介しました。受賞理由としては、地域社会と深く関わり、障がいのある方とのものづくりに取り組み、雇用の場や活躍できる場を創出している点が評価されたようです。

 

「地場産業大賞」をはじめ、「産業振興計画賞」「地場産業賞」「地場産業奨励賞」を受賞した企業や団体の商品や活動も展示されています。とても興味深い!2月に表彰式があるので、企業や団体の皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

新たに人と場と繋がることで活動が広がり、何倍にも意味を成していくような気がします。

この賞を受賞できたのは、私たち編集部の取り組みに心を寄せてくれる人や大切に思ってくれている人がいるからです。本当にありがとうございます。あの人も、この人も。幾人もの人たちの顔が浮かぶことが、私たちの財産です。

 

〇〇賞を受賞しました!

 

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私の一冊

山門由佳

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「セツローさんの随筆」 小野節郎 信陽堂

 高知県香美市のお山に暮らす布作家・早川ユミさんのお舅さんにあたる小野節郎さんの著書です。

早川ユミさんの文章を読んでいるとたびたび出てくる『セツローさん』のお名前。いったいどんな方なのかしらと前々から気になっておりましたら、なんとありました。土佐町図書館に『セツローさん』の著書が。

岡山に生まれ愛媛で長くレントゲン技師をなさっていたそう。子どもの頃の懐かしい思い出話や、家族や親戚のよもやま話をのんびりとした語り口でありありと情景が浮かびます。読みすすめながら私もおもわず『セツローさん』の隣にいて一緒に時を過ごしてるような気分になっていました。

載っている挿画や木彫り、手びねりでつくられた土人形はどれも『セツローさん』がつくられたもので愛らしくそばに置いておきたいなぁとおもう作品ばかりでした。お会いしたこともないのに、親近感を感じる不思議な『セツローさん』。お会いしてみたかったです。

−幼かった日、私は幾度か垣間見たことがある。 寒い夕暮れ、漬け終わった糠の上を、母がひたひたと、手のひらで、優しく、愛おしむように叩きながら、「おいしく漬かっておくれ」「いいダイコだから、きっと、おいしく漬かっておくれね」 と、漬物に話しかける姿を。

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2024 Jan. 地蔵寺 河内神社

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地蔵寺 | 田畑朔・迅

 

地蔵寺の河内神社。

河内神社は、上・中・下地蔵寺と平石・立割の方々が氏神として敬う神社です。

この撮影のため1月中旬の夕方4時ごろに伺うと、冬の夕陽は真っ直ぐに鳥居の向こうから差していました。

この河内神社には何度も来ているのですが、これまで方角を意識して来たことはありません。

鳥居はまっすぐ西に向いていて、参道は西から東に伸びているということですね。

聞いたところ、神社が建てられる方角に一定の決まりがあるわけではないということですが、こうして鳥居の向こうに夕陽が少しずつ落ちていく様子を見ていると、何かしら方位に関わる古代の見識が、この河内神社の設計の土台に関わってるいるような気がしてなりません。

参道を行ったり来たり、駆け回ってくれたのは田畑朔くんと迅くんの兄弟です。

 

 

 

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読んでほしい

猪肉

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猟師さんから猪肉をいただいた。

昨日猟に行ったそうで、大きな肉の塊を届けてくれた。一塊が入れられたスーパーの袋の内側にも外側にも血がついている。

銃で撃った猪は、共に猟をした仲間と平等に分けるそうだ。持ち帰った分をさらに知り合いに分ける。私はその内のひとつをいただいたという訳だ。

厚い脂身、薄紅色の肉。ところどころゴワゴワした白や黒色の硬い毛もついている。これは昨日まで山で生きていた体だ。

今晩、この肉は私の胃袋に入る。

一番美味しいと思う食べ方は薄く切り、塩胡椒して焼く。たったそれだけなのだが、食べれば身体内に注ぎ込まれるようなエネルギーを感じる。猪の肉は私の細胞をつくり、身体を支える一部となるのだ。

猟の期間は三月末まで。その間、捕らえられた猪はこの地で生きる人間の糧となる。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「元気?世界の子どもたちへ」 長倉洋海 朝日新聞出版

本年の映画初めに「鉛筆を銃 長倉洋海の眩(め)」(河邑厚徳/監督)を鑑賞しました。写真家を志したきっかけや、写真家として何を目指すのか思い悩んだ日々、そんな中で出会った人たちへの想いや現在に至るまでの交流などが丁寧に描かれており、その真摯な生き方を知って、ますます長倉ファンになりました。

1980年より世界の紛争地や辺境の地を取材したくさんの作品を発表している長倉さんですが、なかでも『いのる』『はたらく』『まなぶ』(いずれもアリス館)など、子どもを主人公とした写真を撮らせたら長倉さんにかなう人はいないのではないか?と思わせるくらい、本物のこどもの表情を捉えていらっしゃいます。

本書は、2021年4月から2年間にわたり「朝日小学生新聞」に連載されたものを「自然の中で」「あそぶ・まなぶ」「夢に向かって」「いっしょに」の4つに再編集されたものですが、写真はもちろんのこと、子どもたちとの出会いや思い出を綴られた長倉さんの文章も素晴らしく、何度でも読み返したくなる写真集でした。

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 26

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

恩師の涙永久に

昭和13年、6年生の1学期、毎年行われているマラソンがあった。

男女別、5,6年合同コースも決まっていた。正門を出て、左へ、日赤通りを東へ、相生町を北へ、比島橋を渡り、久万川の堤を西へ、秦泉寺通りを南へ、元の日赤通りに出て、正門まででした。

スタ-トする時は、仲良し組7人で、「最後まで一緒ゾネ」と約束したのでしたが、何時の間にか気が付いたら一人になり、少し前をノッポの人が一人走っていた。「ヨシ、あの人に付いて行こう」と頑張ったが、追い付げずゴール。ビリだと思ったがそうではなかった、二着だったのです。

5,6人の先生がいて、担任の中島先生が真先に駆け寄って来て「エラカッタ、エラカッタ、よく頑張った」と、両肩に手をかけてくれました。先生の顔が私の目の前にあって、両目に涙がいっぱいたまって、今にも流れ落ちそうでした。外の先生も拍手を送ってくれました。

一着の人は、組違いの背の高い、走るのが早いと評判の人でした。

その後85年余り、戦争ゆえの苦労を体験しました。

人生の中で、あの時涙と「エラカッタネ」の一言が、胸の奥深くこびりついて、人生を諦らめず頑張ってこれたのです。「エラカッタネ」の一言と目一杯の涙が、教え子の人生をまもってくれたのです。

(当時の私の服装は体操服とは程遠い、ヨレヨレの上着に、ヒダの無いスカ-ト、すり切れたズックでした。思い出というよりも、思い出さずに忘れずに、が正解かも知れません。いつ天国よりお迎えがあるかも知れませんので、書きました。)

 

 

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