2024年1月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

西野内小代

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なぜヒトだけが老いるのか」 小林武彦 講談社

2024年になり、早々に一つ年齢を重ねた。体力的な事、記憶力もしかり、色々な衰えを認識するお年頃である。「老い」がちらつき、少し弱気になってくる。

この本を読む限り、老化する事によって、人類は進化してきたらしいので、受け入れるしかない。そこには「シニア」としての役割もあるので、経験し受け継いできた知恵・知識を後世の人々に伝えていく義務がある。

「ゲノム」的見地からすると、55歳位が肉体の限界らしいが、現在の人類はそこを30年は優に超えている。寿命は総心拍数によりある程度決定されるという仮説もあるので、穏やかに生きたい。

また85歳を過ぎた辺りから、心がとても平安になるので、決して悲観する必要はないらしい。

総心拍数を使い切って、健康に寿命を全うするには、日々コツコツと動き続ける事が秘訣らしい。今後は庭の手入れにも積極的に取り組もうと、気持ちを新たにした2024年の始まりです。

 

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四国内で一番大きな図書館「オーテピア」。高知市追手筋にあり、高知市民図書館と高知県立図書館により共同運営されています。プラネタリウムや声と点字の図書館も併設された、とても立派な図書館です。もし近くに住んでいたら毎日通いたい!

そのオーテピアで、土佐町の絵本「ろいろい」が貸出できるようになっています。

 

場所は3階、高知資料コーナー。西村繁男さん、田島征三さん、中脇初枝さん…。高知にゆかりある作家さんの絵本が並んでいます。こちらに加えていただいて、とても光栄です!

 

こちら、貸し出されている「ろいろい とさちょう」です。写真右が絵本が入っている袋。この袋に絵本本体が入っていて、本棚に並べられています。

 

この「ろいろい とさちょう」。「オーテピアに寄贈したい」と自ら本屋さんで購入したものを寄贈してくれた方がいたそうです。オーテピアの職員さんが話してくれました。

なんと!

どなたかは分からないのですが、本当にありがとうございます。この場をお借りして、心からのお礼をお伝えしたいです。

作り手の知らないところで心を寄せてくれる人がいる。この一冊を大切に思ってくれる人がいる。何より嬉しいことです。伝えてくれたオーテピアの職員さんにも感謝です。ありがとうございます!

「ろいろい とさちょう」はこれからずっとオーテピアにあり、長い間、多くの人に手にとっていただけるのかと思うととても嬉しくなります。

 

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私の一冊

西野内小代

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ガウディの遺言」 下村敦史 PHP研究所

ガウディ建築に心惹かれる私は、咄嗟にこの本を手にした。志半ばで事故により亡くなったガウディの遺言があれば世界中が大騒ぎになる。そんな心理を見事についた作品です。

主人公の女性は両親の関係に疑念を抱き、父親を敬遠し、サクラダ・ファミリアで石工として働く父親がのめり込む彫刻に嫌悪感を抱く。しかし、どうしようもなくガウディに引かれていく自分もいる。

そんな中、サクラダ・ファミリアの塔内部で殺人事件が起こる。

父親に犯人の嫌疑がかかり、様々な出来事が登場人物を翻弄し、誰もが怪しく見えてくる。思いがけない人物の犯罪、幼い時強盗により殺害された母親の事件も関係していたと判明する。ガウディの建築に対する意思も明確となる。

主人公は父親と和解し、新たな気持ちで人生を立て直す。ミステリでありながら、主人公の葛藤も見事に描写している。

 

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4001プロジェクト

Evan Aroko・Faith Aroko (森)

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土佐町小中学校のALT(英語教師)であるエヴァン。

2年ほど前に土佐町に赴任してからというもの、とさちょうものがたりの活動にもとても興味を持ってくれていて、時には手伝ってくれたり、度々編集部を訪問してくれたり。

ずっと仲良くしてもらっています。

そんなエヴァンのお母さんがFaith(フェイス)。アメリカ・マサチューセッツに住むお母さんが、日本に住む息子Evanを訪ねてきた、というわけです。

Faithは、アフリカのナイジェリア育ち。20代でアメリカに移住。紆余曲折あったものの、長年看護師として働いてきました。

母国ではない国で生き抜いて、子供たちも育て上げたFaithは、様々な苦労があっただろうと想像しますが、そんなことは微塵も感じさせないほど豪快な「肝っ玉母ちゃん」なのでした。

 

 

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とさちょう植物手帖

ナンテン(南天)

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常緑の葉と真っ赤な実。

普通に見かける誰でも知っている植物ではないでしょうか。

ナンテン(南天)は読み方から「難を転じる」縁起の良い木としてよく利用されます。

正月飾りでは定番のように松竹梅と同等に使われ、普段でも人家の庭や寺院などの庭木として利用されています。

 

南天の木は幹の先端に葉が集まってつく独特の姿をしています。

特徴は長さ20~60㎝の羽根状になる巨大な葉で、ふつうに私たちが葉っぱだと思っている幅2㎝前後の小さな葉のようなものは「小葉」と呼ばれるもので「葉」ではありません。

 

次の写真の場合、「赤い実のついた果茎が、1枚の葉の茎(葉軸)から出ている」というふうに見てもらえれば、ナンテンの葉の特徴が分かってもらえるかも知れません。

正式名称を「3回奇数羽状複葉」と言います。

因みにこの1本のナンテンには葉が5枚あり、最大の葉の長さは60㎝でした。

ナンテンは日本の中部以南に自生するという説がある一方で自生は疑問とする意見もあります。

平安初期に弘法大師(空海)が遣唐使としての帰路に持ち帰ったとされる説もあります。こういった渡来説の場合には、古くに持ち込まれた栽培種の実を鳥たちが食べて各地に広まったということになります。

確かに人の手によって植栽されたとは思われない場所で悠々と育つナンテンを目にすることは珍しくありません。

 

 

次の写真は道路沿いの法面でコンクリートの隙間から顔を出しているナンテンです。

南西向きの「日向ぼっこには持って来い」のような場所で、冬の日射しをいっぱい浴びて葉っぱも赤く紅葉しています。

紅葉したナンテンは大谷地区の県道17号沿いの法面でも見ることが出来ます。色々な木や草と絡みあいながら崖にへばりついています。

枯れ色の中で赤い実が目立ちます。

ヒヨドリたち野鳥は真っ赤なこの実を目掛けてやって来るのでしょうか。それにしてはナンテンの実はなかなか無くなりません。

いつまでも長持ちして枝に残っていることから、酒席に最後まで残って席を立とうとしない人々のことを「ナンテン組」などと言ったりします。

 

車窓からも見えますが、運動がてら歩きながらいろんな角度から眺めてみるともっともっと楽しい発見があるかもしれません。

余談ですが、この場所の下側は「みんなの森」です。

森地区集落活動センターが景観整備のために造林木を伐採してハナモモを植えていますが、ここにもナンテンがいっぱい生えています。

もともと植わっていたのかも知れませんが、下草刈りで刈り飛ばされても株が残っているので苗はまた生えてきます。

鳥が運ぶのか、人が運ぶのか、風が運ぶのか。ナンテンの実があちこちへ飛ぶことに間違いはなさそうです。

そのことを一番身近に感じさせてくれる場所だと思います。

 

 

三島地区にある林の下層ではまた違った味わいを持つナンテンを見ることが出来ます。

うっそうとした40~50年生の人工林で、下層の優占種はアオキ(青木)です。青々とした葉と赤い実が特徴の常緑低木ですが、実はまだ色づいていません。

その中にあってナンテンの赤い実がとても印象的に輝きます。葉は緑色と一部黄葉、これがまた周辺の景観にぴったり溶け込んで美しさを一段と増大させていました。

 

ナンテンは本質的には有毒だそうです。

ところが生の葉には殺菌作用があるそうで、赤飯や皿鉢料理にはふつうに飾られます。

赤い実は煎じて飲むと咳止めになると言われます。

有毒である一方、薬草植物でもあるのです。

 

ナンテンは、口にはしないよう気をつけましょう。

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読んでほしい

野焼き

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12月から1月、土佐町では煙たなびく風景をよく目にします。

田にカヤ(ススキ)やカジを集めて火を放つ、野焼き。集められた何箇所かに火を入れると、すぐにパチパチと小さな音をたて、たちまち火が広がっていきます。オレンジ色の炎が高く立ち上がるのはほんの一瞬、しばらくすれば火も音も少しずつ静かになっていきます。

「田んぼの中の方へ草を入れちょいて、火を付ける。田の岸の際で火をつけたら、岸へ燃え移っていくから。燃やしている時は見ちょかんといかん」

野焼きをしていた人がそう教えてくれました。

「燃やさんと、田をトラクターでたたけない。巻き付くきね」

「昔は“秋肥”といって、稲刈りが終わったら、草を刈って田に入れていた。昔は稲刈りが終わったら、食み切り(*はみきり)でザクザク草を切って、田んぼに入れていた。肥料の代わりやね。今はそんなする人は、おらなあね」

燃えた草は灰となって田の土を肥やし、次の年の稲を育む土壌となります。

「雨がぽろぽろするような日に火を付ける。風がビュービュー吹く時にやったら、岸にでもうつったらもう大変よね」

ふと顔を上げると、遠く山間の田からも煙が上がっているのが見えました。

毎年、毎年、繰り返されてきた営み。一年という時間が巡っていくことを感じさせてくれる風景です。

 

 

*食み切り…固定された受刃と持ち手のついた包丁の間に藁や草を挟んで切る道具。牛や馬などの餌を「食み(はみ)」と言い、その餌を切ることに使われていたため、そう呼ばれる。ペーパーカッターのような形状。

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笹のいえ

十回目の米つくり

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新年のご挨拶を申し上げます。

地震や事故が続き、驚きとともに明けた新年。被害に遭われた方々のことを思いながら、今年はどんな一年になるのかと心配が先に立つ。心がモヤモヤするが、それでも巡る季節とともに自分ができることをやっていこう、といつもの結論に至る。

 

つい先日稲刈りを終えたと思っていたのに、いつの間にか年が変わり、最初の月も三分の一が過ぎた。

高知に来て田植えをはじめたのが2014年と記録にあったから、去年で十回目の米つくりだった。

米つくり一年目は、笹の敷地内にある五畝ほどの田んぼではじまった。知識も農具もほとんど揃っていない状態だったから、ご近所さんにお知恵や道具をお借りしたり、見よう見まねで作業していた。時間と労力は掛かっていたが、新しい暮らしの中で、家族が食べる主食を自給する喜びは大きかった。失敗も多々あったが、有り難くも毎年収穫をすることができた。その田んぼの様子を認めてもらえたのか、その後地域の方々に声を掛けてもらって、いまは四枚約二反半で稲作している。家族で消費する以上の量が採れ、余剰分は物々交換したり、ポン菓子や米粉などの加工品にして活用している。

引越し前の千葉でも田んぼをやっていたが、場所が違えば、気候もやり方も違う。地域の方にアドバイスをもらいつつ、自分が理想とする農法を十年たった今でも模索している。

なるべく道具に頼らないようにと、田んぼに作った苗床に直接種を播き苗を育てた年があった。農機械が登場する前の農法で苗箱などの資材を必要としないが、作業が大変だった。手で苗を一本一本引き抜き束にしなければいけないし、いつの間にか隣に生えている稲そっくりの稗(ひえ)を選らなくてはならず時間がとても掛かった。腰は痛くなったが、意外と苦ではなかった。陽春の中、友人たちとおしゃべりしながらの作業は心地よいひとときだった。

ポット式の育苗箱(*1)約80枚に種籾を三四粒手で蒔いた年は、ひとりで作業をはじめたが、これはとても間に合わないと急遽友人たちに連絡とって手伝ってもらい、五六人で丸二日掛かった。またある年は竹で建てた「はで(*2)」が台風で倒壊し、濡れて重くなった稲藁束を掛け直したこともあった。ピンチを脱したのはいまでは良い思い出だし、翌シーズンへの改善点となった。

最近では、より長く続けられるようにと考え、ある程度の機械化をしている。

田植え機や稲刈り機は古い型ながらも利用しているし、前作ではコンバインを友人から借り、あっという間に稲刈りが終わってしまって、今更ながら機械の力に脱帽した。

ここまでの道のりを振り返ってみると、日本の稲作の歴史をこの十年で辿ってきた感がある。

いろいろ試してみて、「地域の農家さんのやり方が一番」という結論に落ち着きそうだ。彼らが長い時間を掛けて改善してきた結果がいまの農法やシステムであり、それは人の負担を大幅に減らしてきた。各作業にはそれぞれ理由がある。そんな当たり前を自分の身体で実感できたのは貴重な経験だ。

 

そんなこんなで、十一回目の米つくりがはじまる。

今回はどんなやり方をしようか、収量や味はどう変わるか。

いまから心配しつつ、楽しみにしてる。

 

 

写真は、2013年の稲刈りの景色。はでの竹竿に寄りかかる当時三歳の長女・ほの波は、この春で中学校二年生になる。

 

*1:ポット式育苗箱 地域では苗箱と呼ぶ。苗を育てる育苗箱一枚に448個の穴が空いており、そこに専用の機械で育土と種籾を入れて、田んぼの苗床に置き育苗する。田植え時に根を切ることがないので、活着しやすい。

:2:はで 刈り取った稲束を掛けて天日乾燥させる干し台。地方によって様々な形があり、「はぜ」「はざ」「稲木」などとも呼ばれる。

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調  13

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

同郷

11月、京都国立博物館前で信号待ちをしていた時のこと。後部座席の息子が隣に停車した車に手を振っていた。「どうしたの?」と言いながら見ると、60代くらいのご夫婦が親しげにこちらを見ていた。その表情につられるように私も窓を開けてあいさつすると、お二人はますます笑顔に。

運転席の男性が一言、「妻は仁淀川町の出身です!」。

え!こんな所で高知出身の方と出会うとは!

「私たち、土佐町から来てるんです」と答えると、助手席の女性が身を乗り出すように「近いですね!来年5月に帰ります!」。

次の瞬間、信号は青に。「また!」と互いに手を振り、走り去る京都ナンバー。

多分お二人は停車する際に、隣が高知ナンバーだと気付いたのだろう。同郷と知り、もうそれだけで親しみを込めた視線を送ってくれたのだった。

「高知」。この言葉には強力な引力があると思われる。同郷というだけで声をかけずにはいられない。声をかけられたら応えずにはいられない。時には握手を交わすような勢いさえある。気持ちが伝わってくるようなその人間らしさが、とてもいいなと思う。

わずか30秒ほどの出来事。お二人の優しいまなざしを今も忘れられないでいる。

(風)

 

2023年12月12日、高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

前月に訪れた京都での出来事を書きました。高知ナンバーを見ただけで、親しみを持ってくれる。話しかけてくれる。そして、それに応える私。こういった出来事が生まれてしまうのがなんとも高知の人らしい。京都にいるのに、強烈に高知を感じた出来事でした。

なんというか、こういった何気ないやりとりに救われるような気持ちにもなりました。

 

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4001プロジェクト

田井の神祭 (田井)

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前列左から 矢田美佐子・宅間芳仁・吉川高文・和田正夫・山中康子 後列左から 矢田悦子・小笠原留美子・北村真一・高井聖一・小笠原景司・森幸子 (敬称略)

 

土佐町の様々な地区で開催される「神祭」。田井地区は11月18日に開催されました。

特に初冬のこの季節に行われる神祭は、収穫祭という位置付けの、一年の豊作を感謝する儀式です。というのは、写真中央に座る宮司の吉川高文さんのお言葉。

私(石川)個人は、こうした儀式と無縁の新興住宅地で育った人間なのですが、感覚的にとてもしっくり来る感じが、この神祭という儀式にはあるように思います。

一年に一度、こうして宮司さんに来てもらい、農の神(氏神様)と繋がり直す。

繋がり直す相手は、古くから土地にいる神さまなのかもしれないし、土地のご先祖さまかもしれない。または土や農そのもの、全てひっくるめて「自然」と言ってもいいのかもしれない。

定義はもしかしたら人それぞれで良いのかも、とも思いますが、なんとも言いようのない「しっくりくる感じ」は、日本人のDNAレベルで感じているものなのかもしれません。

そんな良い時間を過ごさせてもらった、年に一度の「田井の神祭」。写真は参加者の地域の方々です。

 

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