「95年間のキヨ婆さんの思い出」でいつも素敵な文章を寄せてくれる近藤潔さん。今年100歳!!
美容師(当時は髪結いと呼んだ)や道路工事などいろいろなお仕事をされていた潔さんは、高知新聞での電話交換手をされていたこともあったそうです。
ところが空襲で全てが焼け、故郷の相川へ戻ってきたそうです。その後、栗木の方とご結婚され、今でもお家は栗木にあります。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
「95年間のキヨ婆さんの思い出」でいつも素敵な文章を寄せてくれる近藤潔さん。今年100歳!!
美容師(当時は髪結いと呼んだ)や道路工事などいろいろなお仕事をされていた潔さんは、高知新聞での電話交換手をされていたこともあったそうです。
ところが空襲で全てが焼け、故郷の相川へ戻ってきたそうです。その後、栗木の方とご結婚され、今でもお家は栗木にあります。
「とさちょう山岳紀行」とは名ばかりの散歩道紹介コーナーになっているこの連載ですが、そのぐらい土佐町には素敵な散歩道が多いということでもあります。
元気な時も、少ししんどい時も、こういった自然豊かな散歩道を歩くことで、静かに整っていくことが多々あります。
今回はそんな散歩道の中から、田井山の東端の道をご紹介します。
上の写真の赤の三角のあたりから、下の写真のような素敵な細道が上に続いています。
登っていくとこんな感じ。おそらく幾世代も前の人たちが積み上げたであろう石垣に挟まれた小道が続きます。
登っていくとこの先には舗装路と合流します。田井山の奥に入っていく道にぶつかります。
下の写真のような、舗装はされていて歩きやすい道であると同時に、豊かな自然を感じることができる道。
少し目線を上げると、田井の街並みが一望できる高さまで上がってきました。右下の建物がマルニです。
生えている植物や風景はどんどん変わりますが一貫して「山の小道」。このような場所が日常生活の中にあることに幸せを感じます。
特に不調の時期には、朝のちょっとした時間にこういう場所を歩くことで、少しずつ調子を取り戻すといったことがあり、その価値を言葉で表すことは難しいのですが、とても貴重な環境だと実感します。
眼下にはハゼ干し中の稲束が。そしてその奥にはさめうらダム。前の世代、そしてさらに前の世代の人々が守ってきた風景です。