石川拓也

“4,001”

土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)

注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。

“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。

念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。

土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。  (敬称略・撮れたときに不定期更新)

4001プロジェクト

近藤潔(田井)

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95年間のキヨ婆さんの思い出」でいつも素敵な文章を寄せてくれる近藤潔さん。今年100歳!!

美容師(当時は髪結いと呼んだ)や道路工事などいろいろなお仕事をされていた潔さんは、高知新聞での電話交換手をされていたこともあったそうです。

ところが空襲で全てが焼け、故郷の相川へ戻ってきたそうです。その後、栗木の方とご結婚され、今でもお家は栗木にあります。

 

 

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4001プロジェクト

森岡浅子(田井)

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森岡浅子さんは中島育ち。現在86歳。

役場に長く勤められていたそうです。とんからりんの立ち上げから関わり、「楽しく生きることを生きがいにしています」と楽しそうに仰っていました。

 

 

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2025 Mar. 西石原

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長い冬が終わり、少しずつ春の訪れを感じる昨今。西石原あたりを走っていて見つけた風景です。

川の水がとてもきれいに輝いているように見えました。春の日差しになってきているからでしょうか?

仲良く岩の上に座っているのは、竹政望乃ちゃんと那央くんの姉弟です。

 

 

 

 

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4001プロジェクト

中町禮子(田井)

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中町禮子さんは土佐山村育ち。現在88歳。土佐山村のお百姓さんの家で育ち、子供の頃はお米はほとんど食べたことなかったと笑っていました。

土佐山村からだと高知市の空襲の時は上から見渡せて、空が真っ赤になり怖かった、忘れることはできん、と言っていました。

 

 

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4001プロジェクト

矢田美佐子(田井)

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本山町山﨑生まれ。89歳の矢田美佐子さん。木能津小学校から本山町立中学校で学びました。当時、同級生は13人だったそうです。

9歳の時に終戦。一度だけ校庭にジープに乗ったアメリカ兵が来たことがある、何か話しかけられたんだけど、その時は怖くて屋内に飛び込んだと言っていました。

 

 

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4001プロジェクト

西村民子

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西村民子さん、昭和5年生まれ(1930年)。現在は大谷に住われている民子さんは、元々は南川生まれ。

同じく南川のご親戚に子供がいなかったため、子どもの頃に養女になったそうです。

南川の方と結婚し、お子さんも4人育てられたそうです。北泉で田んぼを持っていたのでそちらに引っ越し、その時代はさめうらダムがちょうど着工の年だったと言います。

 

 

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とさちょう山岳紀行

田井山の散歩道

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田井山の散歩道

「とさちょう山岳紀行」とは名ばかりの散歩道紹介コーナーになっているこの連載ですが、そのぐらい土佐町には素敵な散歩道が多いということでもあります。

元気な時も、少ししんどい時も、こういった自然豊かな散歩道を歩くことで、静かに整っていくことが多々あります。

今回はそんな散歩道の中から、田井山の東端の道をご紹介します。

 

入り口はマルニの向かい側

上の写真の赤の三角のあたりから、下の写真のような素敵な細道が上に続いています。

登っていくとこんな感じ。おそらく幾世代も前の人たちが積み上げたであろう石垣に挟まれた小道が続きます。

登っていくとこの先には舗装路と合流します。田井山の奥に入っていく道にぶつかります。

下の写真のような、舗装はされていて歩きやすい道であると同時に、豊かな自然を感じることができる道。

少し目線を上げると、田井の街並みが一望できる高さまで上がってきました。右下の建物がマルニです。

生えている植物や風景はどんどん変わりますが一貫して「山の小道」。このような場所が日常生活の中にあることに幸せを感じます。

特に不調の時期には、朝のちょっとした時間にこういう場所を歩くことで、少しずつ調子を取り戻すといったことがあり、その価値を言葉で表すことは難しいのですが、とても貴重な環境だと実感します。

 

眼下にはハゼ干し中の稲束が。そしてその奥にはさめうらダム。前の世代、そしてさらに前の世代の人々が守ってきた風景です。

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2024 Aug. 森

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森 | 田中愛茉

 

8月の日差しの強いある日。森地区のヘリポート近くから川に降りた場所で泳ぎました。

撮影の最中にもカメラを一旦置いて川で泳ぎ、またカメラを手にして撮影という繰り返しを何度か行いました。

一緒に行って川遊びをしてくれたのは田中愛茉ちゃん。

慣れた素振りで元気に楽しそうにあちこち泳ぎ回ってくれました。

 

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4001プロジェクト

高橋敦子 (田井)

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高橋敦子さんは南川地区の生まれ。当時の南川地区の子供たちは川奈路という地区にあった南川小中学校に通っていたそうです。

その後いったん岡山の会社に就職した敦子さんは、高知に戻ってきて20歳頃に結婚。

お相手は大川村の方で、数年大川村に住んでいたそうです。

22,3歳ごろには田井に移り、以来ずっと田井に住われているそうです。

 

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4001プロジェクト

川村幸 (田井)

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川村幸さん、83歳。昭和15年生まれです。

古味地区で生まれ育った幸さん。さめうらダム建設の際に当時の古味地区はダムの下に沈み、新しい古味地区がさらに山の上方にできました。

幸さんのご家族、ご主人と二人のお子さんはそのタイミングで田井に移り、以来約60年、田井に住われています。

 

 

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