2023年8月

笹のいえ

なんでー?

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末っ子(二歳半)が「なぜなぜ時期」に突入し、もう数週間になる。一般的には二歳から六歳に起こる行動で、人生で一番好奇心旺盛な期間であるらしい。

僕はこれまで四人分の体験があるが、期間や頻度、質問の内容がそれぞれの子によって違うのが面白い。

 

例えば、ある日の午前中、母屋での会話。

末っ子「なんで、にいにいとねえねおらんがー?」

(どうしてお兄ちゃんとお姉ちゃん(家に)いないの?)

僕「学校と保育園に行ってるよ」

末っ子「なんでー?」

僕「そこで、お勉強したり、運動したり、お友達と遊んだりするんだよ」

末っ子「なんでー?」

僕「うーん、なんでだろうね。行っても行かなくてもいいと思うけど」

末っ子「なんでー?」

僕「うーん、それは、、、」

 

いつも僕が答えに困って黙ってしまうか、適当にお茶を濁すかして会話が終わったり、次の話題に移ったりする。納得のいく回答が得られなくても、彼女はさほど気にしていないようで、別の遊びに夢中になってたりする。僕はやれやれと自分の仕事に戻る。

二歳児に対して、これぞ名答!という返答ができず、悶々とすることもあるが、彼女の好奇心が萎んでしまわないようにできるだけ真摯に、向かい合っておしゃべりしたいと思ってる。ただ、多くの場面において、たまたま忙しいタイミングだったり、他の話の途中だったりして、「ちょっと待ってて!」と彼女を置いてけぼりにしてしまうこともしばしば。後になっていつも反省する。

そんな頼りない父ちゃんを見限ってか、最近の彼女はひとり遊びをする時間が増えた。

おもちゃや人形を両手に持ち、それぞれの役になりきって、お話している。親バカながら、とても可愛い。

 

写真:なんとも映えない構図で申し訳ないが、飾らない僕らの暮らしの一コマ、ということでご容赦いただきたい。洗濯物の前でぶどうを頬張る下の三人。普段しょっちゅう喧嘩するが、口に美味しいものが入っているときは物静かで、極めて友好的である。

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 7

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただくことになりました。
このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載される予定です。

 

ねむの花

今年のねむの花が咲いた。梅雨から本格的な夏へ移り変わる頃、圧倒的な万緑のなかに優しげな桃色が加わる。

よく見ると元は白く、まるで小さな花火のようなその花は、田のあぜや川近くの大きな木にいくつもいくつも現れる。

まぶしい夏空を背景に咲くこの花を見つけると思い出すことがある。

「ねむの花が咲いたら、大豆のまきどきだよ」

近所のおばあちゃんが教えてくれた言葉だ。大豆や小豆などの豆はこの時期にまくとよく育つという。

おばあちゃんは前の年に収穫して取っておいた種をまいて小豆を育て、あんこを炊いておはぎを作っていた。届けてくれるたびに子どもたちは「おばあちゃんのおはぎだ!」と小躍りしていた。今年もきっと、ねむの花を目印に種をまいたことだろう。

この地の花や木々、空や風、山の色が「この仕事をする季節がきましたよ」と教えてくれる。それはデータや決められた予定とは違う、この地で生きる人たちが培ってきたその土地ならではのカレンダー。

その暦が身体の内にあるかないか、知っているかいないかだけで目の前の風景も世界の見え方も変わる気がする。それは人間にとって大切なこと。そんな気がしてならない。

(風)

 

2023年7月19日、高知新聞に掲載された記事「閑人調」です。

7月、土佐町の道々でよく見かけるねむの花。ふわふわっとした、優しげな桃色の花を枝にいくつもつけます。高知に来てから初めて知った花で、とても好きになりました。

以前、近所のおばあちゃんが、その花を見ながら「そろそろ大豆をまかないかんねえ」「ねむの花が咲いたら、大豆のまきどきだよ」と教えてくれたことがありました。そう聞いてから、毎年咲くねむの花を見るたび、おばあちゃんの言葉を思い出します。その言葉を思い出すたび、おばあちゃんの顔と佇まいが心に浮かびます。

木や花、空や風を感じながら季節の移り変わりを知り、その時にするべき仕事をする。おばあちゃんのような培われてきた知恵と体感を持つ人をそばに感じるだけで、何か大切なことを思い出させてもらっている気持ちがします。

 

 

 

 

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 24

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

カンピンでお酒を買いに

父はお酒が大好きでした。相川にいる時も、近所のお祝い事に呼ばれて行っていました。

始めの内はいい機嫌で、歌を唄っています。だんだん酔ってくると理屈を言い出して、人が理解してくれないと怒り出す癖があるので、時間を見計らって迎えに行ったと母から聞いたことがあります。家にいても、仕事に行った日も、晩酌を楽しんでいました。

一升瓶で買っておけば良いのにお金が高いので、買うときは、二合位入り、湧かすことも出来る「カンピン」ガラスに入れてもらいました。

江ノ口小学校の赤レンガの堀に沿って南へ、日赤通りへ出て、学校の正門前を過ぎ愛宕町迠の中程の左側に井上酒店があって、「玉緑」という看板がありました。

綺麗なおばさんが、大きな樽の栓を抜いて「ダップダップ」と入れてくれました。カンピンは薄いガラスなので、少しでも物にあてると割れるため、帰り道が心配でした。

おいしそうに飲む父の顔を見て、ホッとしたことでした。

小学校五、六年生の頃、八十年余り昔の思い出です。
 
 

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2024年カレンダーの制作が始まりました!

高知県の障がい者支援施設のみなさんと一緒に作るカレンダー、今年は4年目の製作に!なります。

土佐町の方々のみでなく、様々な場所の本当にたくさんの方々に支えていただき、今回は4年目の挑戦!

 

以下は「高知新聞で振り返る3年の歩み」です。

高知新聞に掲載されました!

高知新聞に掲載されました!2022カレンダーTAIBOKUHEN!

「USAGI カレンダー2023」、高知新聞に掲載されました!

 

変化は少しずつ

3回のカレンダー製作は、全くの手探りで試行錯誤を重ねた結果、毎回少しずつ違った方法を取っています。

道具のことだけでも、絵の具やクレヨン、マジックから始まり、折り紙をちぎってみたり木の葉を使って数字を作ったり。

自由に考えて自由に手を動かす。大事なことは「みんなで楽しんで作ること」。

昨年からは参加施設が嶺北外の高知市や香美市などの施設にも広がり、少しずつよりたくさんの方々と関わって作れるようになってきています。

売り上げも上がったり下がったりしながら‥笑、なんとか続けていけるよう少しずつ改善中です。

そんなみんなで作るカレンダー、今年は例年になく早い製作スタート。今回の最初の製作は大豊町の施設「ファースト」の皆さんです。

時は8月7日。今年の特徴は材料としてたくさんの「花」を使ったこと!

 

 

色彩豊かなたくさんの数字ができあがりました。

そういえば今回のカレンダーで大きな変化をひとつ。

2024年のカレンダーはフルカラー印刷

これはぜひカレンダーの完成を楽しみにしていただきたく思っています。

 

参加予定施設

● 就労継続支援B型事業所 りんどう  本山町

● 就労継続支援B型ワークセンター ファースト 大豊町

● やまびこ倶楽部  土佐町

● 障害者支援施設 白ゆり 香美市

● 社会福祉法人 土佐あけぼの会 サポートぴあ 高知市

● 高知県立山田特別支援学校  香美市

● NPO 法人 梼原竹ぼうきの会 梼原町

 

 

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 6

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただくことになりました。
このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載される予定です。

 

スモモ

中学生の息子は大のスモモ好きである。まだ保育園児だった頃、収穫に行って好きなだけ取って好きなだけ食べ、スモモ好きに拍車がかかった。

それから早10年、「昔、取らせてもらったことがあったよね」とスモモ片手に懐かしそうに話す。幼い頃から相変わらず、畳に寝転びながら幸せそうに食べる姿は我が家の風物詩だ。

先日、近所の人が「スモモ取りに来や〜」と声をかけてくれた。大きなカゴを抱え、娘と収穫に行った。遠くから見てもたわわに実っているのが分かる。

真っ赤に熟れたスモモからは甘い香りがして、たまらずガブリ。みずみずしく、口の中が甘酸っぱさでいっぱいに。娘が「スモモが木になるなんて知らなかった」と言った。娘にとっては、今回が初めての収穫だったのだ。

娘も息子もスモモの深い紅色を忘れることはないだろう。それが甘くおいしいことも、枝をつかむように実をもいだことも、斜面を転がるスモモを追いかけたことも。

コンクリートの上では得られない体感を得られていることを幸せに思う。高知で生まれ育った人には当然と思える物事かもしれない。けれど私には、かけがえのないものとして輝いて見える。

(風)

 

2023年7月3日の高知新聞に掲載された「閑人調」の記事です。今回の記事の題名は「スモモ」。

6月はスモモの季節。土佐町の人から「これ、うちでとれたもんやけど」とスモモをいただきました。淡い黄色のもの、うっすら紅いもの、真っ赤なものと色もさまざま。ガブリとかじると、甘酸っぱい果汁がポタポタ。もう一個、と手が伸びます。

6月のある日、近所の人が「スモモ取りに来や〜」と声をかけてくれました。これは、その時のことを書いたものです。

高知新聞の「閑人調」の担当者の方に原稿を送ると、「斜面を転がるスモモを追いかけた」というくだりを「そうそう!」と共感してくださいました。高知ではよくある風景のようです。6月、高知のあちこちでスモモを追いかけている人がいるのかと思うと、何だか楽しいです。

高知で暮らしている人たちは、案外、同じような原風景を共有しているのかもしれません。

 

 

 

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2023 Aug. 高須

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場所は高須の「弁才天」の前。地元の人は「べらいてん」と読みます。

弁才天を背景に、と思って行ったところ、手前のこの風景に目を奪われました。

青々とした夏の緑、まさに夏!の雲と空。朝から汗だくになるような蒸し暑さの中、空の広さと高さ、その下に広がる緑の鮮やかさに撮影場所を急遽変更。

まだ小さな式地春陽ちゃんは、お母さんから離れた一瞬にもうこの表情。文字通り、一瞬のシャッターチャンスで撮れた一枚です。

 

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とさちょう植物手帖

ナツエビネ(夏海老根)

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夏に花が咲くことからナツエビネ(夏海老根)と呼ばれます。

地下茎がまるでエビのような形をしており、日本の「エビネ」類の中で唯一夏に咲く種類です。

土佐町で自生が確認されているエビネ属は春が花期のエビネとサルメンエビネ、そしてこのナツエビネの3種です。

いずれも生育地が限られており、個体数も少ないため高知県では絶滅危惧種(※ぜつめつきぐしゅ)に指定されています。

葉は縦ジワが目立つ長い楕円形で3~5枚が束生します。

花茎を伸ばして淡い藤色の花を多数つけますが、この花の持つエレガントな雰囲気は他のエビネ属では味わえないかもしれません。

主に渓谷や山地の樹林下に自生するようですが、私が知っている土佐町の自生地は全箇所スギヒノキ人工林内のやや湿り気のある林床です。

花期になると自生地のどこかへ花を見に出掛けてみるのですが、ナツエビネは毎年様子を変えています。

良い悪いは別にして、完璧な写真の撮れない確率が高いような気がします。

 

 

昨年は8月中旬にA地へ赴きました。

A地のナツエビネ(2022年)

ちょっと様子が変です。花茎が途中で黒く変色しています。蕾の状態で腐ったり、咲きかけながら朽ちてしまったり、どの株もまともに開花していませんでした。

高温障害か植物ウイルスの感染か、どちらかの病気のようです。

因みにナツエビネは乾燥と真夏の高温が大嫌いだそうです。

 

一昨年はB地へ。

B地のナツエビネ(2021年)

8月下旬のことでちょうど花の盛りです。

草丈が低く花数も多くはありませんが、どの株もやや濃いめの花が優美に咲いていました。

今年は、4月に葉を見つけていた新たな場所です。標高900mほどの平らなスギ林で、ざっと20~30株はありそうな気配でした。

7月下旬には蕾のついた花茎の確認も済ませており、満を持して盆明けに花好き4名のグループで出掛けましたが‥

何と‥

どの株も病気、全滅です。

 

病気のナツエビネ(2023年)

 

 

やや気落ちしての帰途。

メンバーの一人が斜面に楚々として立つナツエビネを見つけました。

きれいに花を咲かせています。

この1株ですっかり気分は変わり、心地良い下山になりました。

健全なナツエビネ(2023年)

 

※絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ):絶滅のおそれが生じている野生生物のこと。植物の場合の危機要因は ①園芸用採取 ②森林伐採や土地の開発 ③シカなどによる食害 等々

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私の一冊

西野内小代

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「ゼロからの『資本論』」 斎藤幸平 NHK出版

はじめに・・・『資本論』を読破するのは、かなりの難行です。と書かれているように、タイトルだけで尻込みをしてしまう。

この本は“ゼロから”の入門書として役立てていただきたい、そして近年のマルクス研究を踏まえてまったく新しい視点で読み直す、と説明がある。それならば私なりに読めるかなと思い買ってみた。

分かり易く解説してくれてはいるが、読み終えるには多くの時間が必要だった。

「SDGs」が盛んに唱えられる昨今であるが、マルクスが考え、結論を出せずにいた持続可能な理想社会の基本と同じであるように感じた。目新しく見えても、危機感をもって、目指し求める社会は、過去も現在も共通であり、困難な道のりである。

「本書はひとつの問題提起です」と、著者は述べている。

 

 

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土佐町歴史再発見

⑤ 「民具資料館」という個性

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 4領目にとりかかった12月、懐かしい来客があった。少し背が伸びた中2のT君だ。

その日は人手が足りず、あまり作業が進んでいなかったので、早速彼にも手伝ってもらった。元々センスがあることは分っていたが、とにかく飲み込みが早い。作業の手順をすぐに覚え、即戦力になった。

 そう言えば、中学校の授業でも、T君のように飲み込みの早い生徒が多かったので、授業がやりやすかった。

 社会科はよく暗記物といわれる。確かに覚えることは必要だが、肝心なのは自ら視点を持って分析すること。・中学生のうちに地域の生の資料に触れる機会がもっとあればいいのにT君を見ていてあらためて思った。

 作業は終盤に差し掛かっている。解体した甲冑のパーツは本来の収納場所へ帰らねばならない。ところが、当然あるはずの鎧櫃が見当たらない。もう無くなってしまったのだろうか。いや、あったあった。見つけたのはくだんの委員会の精鋭たち。「せんせー、あった。でも「衣紋箱」って書いちゅうで」と、まるで中学生のような声がする。

 この作業をしていて一つ気付いたことがある。それは、ここはここの流儀があるということだ。以前触れた「種子島銃」の話とも共通するが、たとえ管打式に改造されていたとしても、所蔵者がそう呼んでいたのならそれでよいのではないか。狭小な資料観で地域資料の個性を消すことは、意味がないのではないか?

 迷った挙げ句、鎧櫃はそのままにした。所蔵者は明治以降、使われなくなった甲冑を鎧櫃と別置きにし、大切な着物を入れる衣紋箱(衣装箱)として使った。それはそれで家の歴史だ。民具資料館としては、そこを大事にすべきだと思う。

 とは言え、未練がましく鎧櫃の蓋を開けたり、閉めたりしていたら、見たこともないものが目に止まった。蓋の裏に貼り付けられた守札(まもりふだ)である。なぜこんな所に守札が?「武士が命より名を惜しんだというのは建前。そうありたいという願望。実際には死を恐れ、生き残ることを神仏に祈った」と、ある専門書に書いてあるのを思い出した。

 や胴に「南無阿弥陀仏」と刻んでみたり、兜の内側に守札を、胴の内側には小さい鎧仏(よろいぼとけ)を忍ばせることもあったらしい。武士も人間。考えてみれば当然だ。この鎧櫃の守札も死を回避するための神頼みに他ならない。

 郷士が、郷の外に出るのは、土佐藩の恒例行事「御馭初」(おのりぞめ)か、特別な演習の時だけである。戦さもない時代なので、命を懸けるほどの奉公はなかったはずだ。ではこの守札は何のために貼り付けられたのか。

 西村家の「家譜」によれば、幕末の当主・西村昌蔵が、藩命により大坂警備に従事している。恐らくこの鎧櫃を担いで住吉の土佐藩陣営か堺警備に赴いたのだろう。この守札をそっと偲ばせたのは、夫の身を案じた妻だったのかもしれない。

 数ヶ月後、無事昌蔵は帰還している。その目には、江戸幕府が崩壊していくさまをまざまざと刻み付けてきたことだろう。

 何気ない一つの資料から、日本史が透けて見えてくる。

 これだから資料整理はやめられない。

 

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とさちょうものがたりをご覧いただいている読者の皆様。いつもありがとうございます。

とさちょうものがたりは8/11-20まで夏休みに入ります。

記事の再開は8/21になります。

皆様もすてきな夏をお過ごしください。

 

とさちょうものがたり編集部

 

 

 

 

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