2019年7月

“4,001”

土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)

注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。

“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。

念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。

土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。  (敬称略・撮れたときに不定期更新)

4001プロジェクト

西村まゆみ (南泉)

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とさちょうものがたりの連載のひとつ「ほのぼのと」は、だいたい1950年代・土佐町生まれ土佐町育ちの同級生がリレー形式で書いているお話です。

先日、西村まゆみさんが初参加。「ハイヒール」と題した幼き日の思い出を文章にしてくれました。

この写真はその時にまゆみさんのプロフィール写真として撮らせていただいた一枚。

南泉のお家に伺うと、とても丁寧に手の入ったお庭の前で笑顔で迎えてくれました。

 

 

ハイヒール

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私の一冊

藤田英輔

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「師匠は針 弟子は糸」 古今亭志ん輔 講談社

「遊ぶ時期に遊んでおかなきゃ水藻も苔も生えないんですよ」。
きれいな水槽に当たる光は反射せずにただ通るだけ。透明な落語になる。行儀は良いけど詰まらない。

そんな考えから「如何にも芸人らしい」生活を送ることで「生涯を漠然と生きる」ことの怖さにフタをしてきた。

師匠(古今亭志ん朝)が63才で亡くなる(2001年10月)。当時48才の弟子の自分との年の差が15。「15年という期限付きで生きてみよう」。そう決心する。1年にひとつの落語を完成させたとして、15年でたった15席。しかし、完成はあり得ないと本人は云う。「死んだ気になって」とは、こういうことかと思いながら実践した。

そして道半ばの現在(2011年)改めて気づいたことが「他人は他人。自分は自分」。もうひとつ「落語を普通にやる」。
「端っから判りきったこと、そのままじゃん」と正直な処、思った。しかし、考えてみると、「改めて気付く」ということは『過去を含めて肯定すると考えられるので、早く気付くに越したことはないが遅すぎることはない』が本当の処だと解釈したい。そして、自分自身「改めて気付く」ということが大事なことだと改めて気付いた。

志ん輔さんは落語家。
・1953年9月 東京生まれ(大塚英夫)
・1972年3月 志ん朝に入門(朝助)
・1977年3月 二ツ目昇進(朝太)
・1985年 9月 真打昇進(志ん輔)

現在の高座を一落語ファンとして楽しみにしている。できればLiveでね。(テイク・ファイブ. スターダスト♫ つい聴いちゃった)

藤田英輔

 

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2019年7月27日、高知市TSUTAYA中万々店にて、シルクスクリーン・ワークショップを開催しました !
参加してくださったお客さま、TSUTAYA書店のみなさん、ありがとうございました!

お客さまに
・「TSUTAYA中万々店オリジナルイラスト」
・「とさちょうものがたりx下田昌克 “夏” イラスト」

のどちらかのデザインを選んでいただいて、Tシャツかトートバッグに印刷します。

 

TSUTAYA中万々店のデザインは、店員の山中由貴さんがこの日のために描き下ろしたもの。「TSUTAYA中万々店にとって初めてのオリジナルグッズになりました!」と喜んでくださいました。トートバックは、TSUYAYA中万々店にて、現在販売中です!

インクは茶色。TSUTAYA中万々店オリジナルキャラクターの名前は「ブックン」

 

 

開始時間前から待っていてくれたお客さまは、土佐町のオリジナルTシャツをプリント。

 

土佐町から小さなお客さまが来てくれました。

 

「トートバック、仕事で使います!」と喜んでくれました。

 

「トートバックが作りたくて来ました!」という方も。

 

印刷して版をあげた時、みなさんが、ぱっと笑顔になるのがいいなあと思います。ものを作るということは楽しい。誰かが喜んでくれたらうれしい。その気持ちを交換しているような気がします。参加してくださった方、TSUTAYA書店のみなさん、ありがとうございました!

店内を歩く人から「あ、『とさちょうものがたり』や。湖畔マラソンのTシャツを作ってるところだ」という声が聞こえてきました。(そうです!今年も準備してますよ〜! )

 

長い間、熱心に作業を見ていた女の子がいました。

土佐町のTシャツの絵を描いてくれた下田昌克さんの絵本、「とさちょうものがたりZINE」や土佐町オリジナルTシャツ、CD「Live in 土佐町」も販売しました。引き続き、お店で販売しているので、お近くの方はぜひ!

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私の一冊

藤田純子

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「昭和こども図鑑」 奥成達 文,  ながたはるみ 絵 ポプラ社

昭和30年代、当時は全員で映画を観るという小学校の学校行事がありました。田舎の小学校で、子どもたちに文化的な娯楽のチャンスを与えてくれたのでしょうか。私の小・中学生の頃、それはそれは時間の流れがゆったりしていました。

この本に載せられている生活の道具や様々なあそび。庶民の暮らしぶりは本当に懐かしい。今よりずっと不便で貧しかったけれど、素朴であたたかい人情があり、暗黙の規律やルールが人々の中にあって生きやすかった気がする。

セピア色になってしまった今は亡き家族、かわいがってくれた親族、近所の人々、子どもだった自分の様々な出来事が、くるくるくるくる蘇って、何だか胸がいっぱいになりました。

 

*「マタンゴ」という映画を見たことがありますか?
難破船が流れ着いた島で食物を探していると、森の奥にキノコが大量に生えており、それを食べると体からニョキニョキとキノコが生えて、ついにはキノコのバケモノになってしまう…。「おいしいよ、おいしいよ」と手招きしつつ、体がキノコに侵略されてゆく気味悪さ。世にも恐ろしい内容で、子ども心に強烈な恐怖心が植えつけられ、夜中のトイレがイヤだったこと(笑)。この映画を小学校の総見で1年生から6年生まで全員で観たのです。「先生、どうして“マタンゴ”を選んだの?」と今でも不思議(笑)ですが。

藤田純子

 

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笹のいえ

おにぎり

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いつからか、僕はおにぎりを握るのが好きになった。

例えば、塩おにぎりを作るには、ご飯と海苔、塩、手水を入れるボウルが必要で、具を入れるなら更なる準備がいる。以前はこれが面倒だった。茶碗にご飯入れて、海苔と一緒に食べれば一緒じゃん、と思っていた。

そうだ、子どもたちの間食やおやつにおむすびを作るようになってから、握るのが億劫ではなくなったのだ。うちの子たちはおにぎりが好き。学校や保育園から帰って来るなり、「お腹空いた、なんかない?」「塩むすび、握ろうか?」「僕、大きいの二つね!」「わたしは、小さいの三つ!」。さすがに連日だと飽きてきて、「おにぎり以外がいい」というリクエストもあるが、おにぎりの登場回数は上位に入る。

口をいっぱいに開けて、おにぎりを美味しそうに頬張る姿を見ていると、こちらのお腹まで空いてくる。そんな時は、もちろん自分で握る。

握ったご飯は、茶碗に盛ったご飯よりも何故か美味しい。

握ることで、その人の「気」のようなものが入るのだろうと思う。

 

写真:末っ子・月詠(つきよみ)最近のお気に入りの食べ方は、ご飯と海苔を別々に味わうこと。口に入れたのと同じ数の米粒が顔や手足にくっ付く。

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私の一冊

西野内小代

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「消えた21億円を追え」 NHKスペシャル取材班   朝日新聞出版

 

日本の高度成長期、「コンピューター付きブルドーザー」・「今太閤」等、数々のキャッチコピーを冠した経済発展の中心人物「田中角栄さん」。カリスマの代名詞のような総理大臣でした。

そして彼の政治人生終盤での落とし穴「ロッキード事件」は新聞・テレビで連日報道された大疑獄事件でした。詳しい経緯も不明なまま幕を閉じたように記憶しています。

ロッキード社から戦後最大のフィクサーに渡ったとされる21億円の謎が解明されていない為に、焦点の定まらない結果となったままなのです。

この本はNHKスペシャル「未解決事件」シリーズの為に40年ぶりに再取材した内容を活字にしたものです。経済をコントロールする政界、更にその裏で暗躍する黒幕達への直接取材等で明らかになった新事実が展開していきます。

人間の欲望が世界を駆け巡り、政治をも操作する怖さ・国家の深き闇が行間からにじみ出てきます。

西野内小代

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以下の文章は、2019年7月20日に発行したとさちょうものがたりZine04「山峡のおぼろ」文:窪内隆起の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

 

 

「山峡のおぼろ」のこと 文:鳥山百合子

 

手渡された茶封筒には、一話ずつクリップで束ねられた直筆の原稿用紙が詰まっていた。少し黄味がかった用紙に青いインクの万年筆で記された物語。大切な何かを託されたような気がして、私は姿勢を正したのだった。

 

土佐町西石原地区出身で司馬遼太郎さんの編集者だった方がいると聞き、高知市のご自宅に伺った。その人、窪内隆起さんは小学校を卒業するまで過ごした石原での思い出をそれは懐かしそうに話してくださった。自分で作ったという金突鉄砲、わら草履、アルマイトの水筒など思い出の品々を応接間の隣の部屋から出してきては語られる物語。その話は実に80年前のことであるのに、まるでつい最近の出来事のように感じられるのだった。

「石原で過ごした時のことを書いてくださいませんか」

窪内さんは快諾してくださった。

それが「山峡のおぼろ」の始まりだった。

 

「こんな話を思い出したんですよ」と折に触れて電話をくださり、それが記事になっていった。引き出しに大切にしまわれていた思い出の数々は、いつもどこかで繋がり合い、新たな記憶の扉を開く鍵になっているようだった。

この本に掲載したのは20話だが、実は全部で39の話を書いてくださっていた。一冊にするにあたりどの話を掲載しようか考えていた時に「この話だけは載せてほしいというものはありますか」と尋ねると「いえ、特にありません。みな、思い出の中で平等です」

はっきりとそうおっしゃった。

 

 

「人名渕」という話がある。この話に出てくる「モリタカ渕」と「セイゴ渕」がどこにあるのか知りたくて、窪内さんに地図で印をつけてもらい、その場所へ行った。「川へ降りる道は、もう草に覆われているんやないかな」という言葉の通り、どこかわからずじまいだった。石原の人たちにも聞いてみたのだが、皆、口を揃えたように、渕の名前は聞いたことがあるけれども場所はわからない、と言う。

最終的に窪内さんに土佐町に来ていただいた。渕を探して歩いている時、数日前に弟さんと石原に来て渕の場所を確認してくださったことを知った。「兄ちゃん、この辺りやないか?」と行ったり来たりしながら探したのは楽しかったですよ」と笑ってくださった。

渕がある川は道からずいぶん下にあり、木々の枝葉や草で覆われ、簡単に降りることはできなかった。あそこがモリタカ渕だ、という場所を見下ろしながら窪内さんは言った。「昔はあの尖った石はなかったから、きっとこの80年の間に上流から転がって来たんでしょう。川の瀬は昔のままです」

藁ぞうりを履き、つり竿を担いだ窪内少年は、80年後、自分が過ごした川をこんな風に眺めるだろうことを想像していただろうか。重ねてきた毎日のさりげない出来事の数々は、いつどこでどう繋がっていくかわからない。

 

後日、山の斜面に生い茂る草と竹を掻き分けながら川へ降りた。
「モリタカ渕からセイゴ渕へ川沿いを歩いて移動した」と聞いていたので川岸を歩き、モリタカ渕を目指して上流へ向かった。深い緑の木々。透き通った水のいくつもの筋が一定のリズムでゆるやかなカーブを描きながら足元に流れ込んでくる。魚が光の中を泳ぎ、キュロキュロキュロと何かの鳴き声がする。

突然、轟々と水音が聞こえた。行く手を見ると、岩と岩の間から勢いある水しぶきがあちらにもこちらにもあがっていた。それを避けながら岩の上を歩き、本当に渕にたどり着けるのか不安に思い始めた頃、ふと、鏡のような銀色の水面が広がる場所に出た。

ここだ、と思った。

岸に張り付いた大岩の元は深く澄み、近づくと見た目よりもずっと深いように思われ、じりじりと後ずさりした。気安い気持ちで近づいてはいけないような気がした。

ここがモリタカ渕だった。

 

小さな砂地に座って、しばらくぼんやりと渕を眺めた。窪内少年はここで生まれて初めてアメゴを捕らえた。その時「小学校入学5日前」。窪内さんは実に細やかなことまで覚えている。形こそ違えど80年前にも渕はここにあった。静かな碧さを湛えた渕はこれからもここにあり、同じように水は流れていくのだろう。

モリタカ渕からの帰り道、夏を告げる雲が山の稜線の向こうへと消えていくのを見た。80年前、窪内さんもこの風景を見ていたのではないか、というどこか確信めいたものを感じた。

 

 

窪内さんが過ごした西石原の家に行った。「爪・髪の毛」を埋めたお墓、彼岸花団子を作った「お勇ばあちゃん」の家が隣にあった。あの道この道に窪内さんの記した足跡が見えるようだった。「山峡のおぼろ」の舞台は、ずっと前からここにあったのだ。

移りゆく時代の中で、私たちは、いつのまにか手のひらからこぼれ落ちていく何かを見逃してはいないだろうか。

 

連載が始まってしばらくした頃「産経新聞福井支局の記者だった頃の友人が、20年ぶりに連絡をくれた」と窪内さんが弾んだ声で話してくれた。インターネットで「山峡のおぼろ」の記事を見て「いやー、お前の写真と名前をみてびっくりしたぞ!」と電話をかけてきてくれたという。

窪内さんの記した物語「山峡のおぼろ」が、懐かしい人や大切な人とのたて糸とよこ糸を紡ぎ直すような存在になるのであれば、こんなにうれしいことはない。

そこからまた新しい物語がつくられていくのだろう。物語が生まれるということは、きっとそういうことなのだ。

 

 

 

Zine 04号を発行しました!

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「街と山のあいだ」 若菜晃子 アノニマ・スタジオ

岡山県にある「スロウな本屋」さんでこの本を購入しました(スロウな本屋さんでは「とさちょうものがたりZINE」を置いてくださっています)。大きな町に行く時には本屋さんや図書館へ足を運びます。今まで知らなかった、思いがけない本と出会えることが楽しみのひとつです。

以前、親しい友人が言っていました。「本屋や図書館の棚を眺めていると、ふと手を伸ばしたくなる本があって、それがその時の自分に不思議とぴったりの本だったりする。私、本の神様がいると思うんだよね」。

その気持ち、よくわかります。

この本も、きっと本の神様が出会わせてくれたのでしょう。

山の雑誌の編集者だった若菜さんが、これまでに登ってきた数々の山での記憶を記した本です。

『それは子どもの頃の初夏の記憶だったか、大人になってからの山での出来事だったか、定かではないけれども、私の内に昔からある、自然のなかで美しいものを見たときに決まって心中から湧き上がる、言葉にはしがたい懐かしみを伴った、喜びの感情であった。それは生きてきた長い年月の間に蓄積された感覚のようでもあり、生まれたときからもっている感情でもあるようで、あるいは期せずして現れるこれが、たましいのふるえなのかもしれない』

私も確かに若菜さんと同じような気持ちを味わったことがある、と思えます。

この地で暮らしている今、山に登らずとも、田んぼの畔を歩いている時に見つける小さな花や、雨上がりの夕方に山にかかる雲の隙間からのぞく桜色の空からも、その「ふるえ」を感じるのです。

鳥山百合子

 

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ほのぼのと

赤い棒グラフ

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小学校の5~6年生の頃だったと思います。

読書推進月間のような企画が私の学年でもありました。一冊読めば、黒板の右横に張り出されている棒グラフを一冊分塗りつぶす、というわかりやすいイベントでした。

点数では評価しづらい読書という事柄が、赤いマジックで「見える成果」へと可視化したのが嬉しくて、図書室で借りては読み、読み終わるや否や赤いマジックで、嬉々として棒グラフを伸ばしていきました。

 

ところがある時、休み時間中もず~っと本を読み続けている男子を発見、盗み見するとタイトルは毎日のように違うのです。そして図書室の貸出カードは複数枚目を驀進中!

でもでも、彼の棒グラフは常に3番手位をキープしているのです。

 

小学生ながらに考えました…。

「努力は他人に誇示するものではなく、自分の内面に蓄えておくものだ!」

目的を少々はき違えてはいたものの、多くの活字に触れる機会を与えてくれたこの「赤い棒グラフ」が、読書に対するハードルを下げるきっかけとなったのも事実です。

 

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私の一冊

藤田英輔

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「犬と歩けば」 安岡章太郎 文春文庫

安岡章太郎(1920.4.18~2013.1.26: 高知市生まれの作家・評論家)は、この本のあとがきで『コンタ(紀州犬♂1966.8.?~1981.1.17)とは15年の付き合いであるが、人間との付き合いよりもよほど長い気がする。しかし、一瞬のうちに過ぎてしまったようにも思う。私の壮年期は、コンタと共にあり、コンタと共に去った。コンタは実に善い犬であった。しかし、どう言い表してよいか表現の術を知らない。つまり、コンタの中に私を超えた優れた資質があったということであろう。コンタを見ていると、何となく慰められたり、励まされたり、そして、生きていることはありがたいことだと思った』と記している。

この本の解説の中野孝次(1925.1.1~2004.7.16: 作家・評論家)は『我々が犬を愛するのは、何千年来、人間に飼われ、馴染んだ生き物でありながら、自然そのものであるからであろう』と。そして「ひとすぢに われを見つむる犬の眼を おろそかにして 生くべきならず(平岩米吉:1898.2.4~1986.6.27 :東京生まれの動物学者・歌人)」を引用し最後に添えている。

さあ、そろそろ良い時間だ。雨は降っていない。

「よう、ポール(ウィペット♂2009.11.12~)。一丁やるか」とジョンになって声をかける。(ポールは耳をたて、頭を上げた)

アップテンポの楽しい時間が始まる。

ずっとこの本は側に置くだろう。

藤田英輔

 

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