2024年7月

図らずもTPP。あっちのTPPではありません。

土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。

2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。

各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。

写真:石川拓也 宛名面デザイン:品川美歩

土佐町ポストカードプロジェクト

2024 June 田井山

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田井山 | 竹政奏汰

 

梅雨の終わり頃の田井山。空気はしっとりと湿っていますが、緑は元気。本格的な夏に向けて水分を蓄えているような印象です。

田井山は田井の町の南側に位置する山。田井の市街地から歩いてすぐ写真のような山道が始まります。

日常生活の中にこのような自然があることに豊かさを感じます。

緑の中を元気に走っているのは竹政奏汰くんです。普段から陸上競技をやっているそうで、走りが逞しいです。

 

 

 

 

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Photography, Writing, Exploration!

The Mountains…(a haiku)

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Shaped by tectonics.

Contemplative evergreen.

A grand sight indeed.

 

山々…(俳句)

プレートで形作られ

静かにたたずむ常緑樹

実に壮大な景色

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レイホクゴロワーズ

レイホクゴロワーズ開催‼️ その3

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3  レイホク・ゴロワーズ❓ その中身とは⁉︎

 

まず大会名から。

世界で初めて開催されたアドベンチャーレースの名前が「レイド・ゴロワーズ」。

世界初であり世界一過酷なアドベンチャーレースの大会名を文字ってレイドをレイホクに変え「レイホク・ゴロワーズ」と名前をつけました。

では、アドベンチャーレースって何⁉︎ となりますよね…

アドベンチャーレースとは⁉︎

(Wikipediaより引用) アドベンチャーレース(Adventure racing) とは、山、川、海など、各地の自然をフィールドに、多種目なアウトドア競技をこなしながら、ゴールを目指すレースである。チーム戦で行われるものが多い。

 

概要

アドベンチャーレースは、本来、スタートからゴールまで、夜間行動もある3日以上の超長距離レースである。

国内では、1~3日のレースが開催されている。 主な種目は、オリエンテーリングを伴うトレッキング・マウンテンバイク・パドリング・ロープワークなど。

各レースにより、競技種目、チーム人数が異なる。1チーム3~7人(男女混成)で構成されるレースが多いが、個人戦(競技者1名+同行者1名)で争われるレースもある。

 

歴史

フランス人のジェラール・フュジーが、1989年にニュージーランドで開催した 「レイド・ゴロワーズ」が世界初のアドベンチャーレースとされている。

このような大会がアドベンチャーレースとなっております。 なお、細かい内容は、スタートからゴールまで決まったルートがある訳ではなく、コンパスと地図を使い、決められたチェックポイントを必ず通過して最短ルートでより速くゴールを目指すのがアドベンチャーレースです。

 

ただ… このような過酷で危険を伴う競技を子供達にとって、いくら「良い思い出」や「良い経験になる」と言っても、子供達のイベントとして開催するには危険だしリスク回避も準備も大変になります。

そこで私は考えた💡

 

様々な競技、(アクティビティ)をコンパスや地図を頼りに何日もかけてゴールを目指すのではなく、同じようなアクティビティをひとつずつの競技とし、その競技の順位にポイントを付け、最終種目のトレイルランニングまでポイント制でみんなが安全にチームで協力してミッションをクリアしていく手法を考えました。

ポイントランキング制を取り入れる。

各種目の順位、ラフティング、カヌー、sup、マウンテンバイクのレースの順位、ロッククライミングではチームメンバーで移動した距離の合計で順位をつけます。

それだけでなく集合時に早く集合できたチームや片付けの早いチームから良い点数が付いていきます。

本場のレイド・ゴロワーズの要素だけでなく、子供達の成長過程に必要な経験と面白いモノもプラスしています。 そのひとつにオモチャの「黒ひげ危機一髪」を入れています。メンバー全員で何本刺せるか?コレは運任せではありますが、子供達は話し合いドキドキしながら行います。

また、なぞなぞのペーパー問題集を作り、チームで答えていく問題を考え、待ち時間を使ってできるようにしています。 問題の題材は、子供が解きやすいように考えて面白くアニメやゲームから出題しております。

 

また、1日目の宿泊場所である大豊町のみどりの時計台は、旧川口小学校校舎なので、長い廊下があります。

その長い廊下を利用して、チームごとのメンバーで雑巾がけのレースを行って、この雑巾がけの順位にもポイントがあり、加算されます。

最終種目のトレイルランニングまでこのようなアクティビティーのポイントを合計し、ポイントの高いチームからトレイルランニングをスタートしていきます。

2位以降は30秒ずつ時間差でスタートしていき、ゴールに入った順位がそのままの大会の順位となります。

またゴール時は必ず5人全員が手を繋いでゴールしないとチームが失格となるルールにしています。

最後の最後まで気を抜かずに協力してゴールする事、仲間を置き去りにしない事、SDG’Sの「誰ひとり取り残さない」みたいですが、そういった大切な事を目標としています。

 

この大会手法は、大人がやっても安全に楽しく真剣に助け合いながら協力して取り組めるアウトドアイベントとして成立します。

なので、婚活イベントで大人版ゴロワーズを開催したら、男女5人がチームを組み、男子3人、女子2人で1チームとして開催したら面白くなると思います。

話はそれましたが^_^

もっともっとこの大会の魅力的な中身を書いていきたいと思います。

次回は更に、レイホク・ゴロワーズという大会の中身の中身(構成)を話したいと思います。

お楽しみに!

 

つづく

 

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4001プロジェクト

西村民子 (森)

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南川生まれの西村民子さん。昭和5年生まれの93歳! お元気です。

南川で暮らしていた民子さんご家族、さめうらダム建設時に森地区へ移りました。

田んぼのない南川で暮らしていたご主人は、「森で田んぼがしたい!」と2反の田んぼがついたお家を購入。

その後は森でお米を作る暮らしをしていたそうです。

 

 

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 31  語り残す戦争の記憶 〜帰ってきた母の話〜

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 土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。(2024年5月27日追記:潔さんは現在98歳。この連載を開始したのが95歳の時だったので、題名はそのままとしています。)

 

語り残す戦争の記憶 〜帰ってきた母の話〜

 

昭和20年7月4日、高知大空襲。

突然の爆音に飛び起きて、廊下へ出た。他の患者も、「空襲、空襲」と大声で走り回っていた。

南の筆山の方は一面に真っ赤。熱気を感じ、見上げた空は真っ黒。ゴーゴーと爆音。シャーシャーと焼夷弾の落ちる音。地響き、真っ赤な火の玉。一瞬、気を失いそうになった。

何とかタオル、綿入れのソータ、筍の皮の草履を履いて道路に出た。その時はまだ、病院は火がついていなかった。

南の鏡川の柳原に出たら防空壕がいっぱいあることは知っていたので、必死で走った。目の前に焼夷弾の火の玉が大きな音と共に飛んできて「しまった」と思った瞬間に、目の前の側溝に飛び込んだ何人かと一緒に、隅っこにピッタリと伏せて、耳を指で潰した。このまま死ぬのではないかと思った。

市といっても、B29何機もで攻められたら短時間で焼け野原になるだろう。

頭の上からは爆音が遠のいたが、起き上がってみるのも危険と、しばらくして周囲の建物の倒れる音、焼ける音を聞き、立ち上がることもできず、このまま終わりかと思った。

やっと時間が過ぎて立ってみると、側溝の深さが自分の身長よりも高くて、足がかりも手掛かりもないことに気が付き、うろうろしていると、山内神社の社務所へ渡る狭いコンクリートの橋が見つかり、やっと参道を横切り、川沿いの防空壕へ。

周囲の変わり果てた様子に身震いした。衣服に火のついた人が叫びながら走っていたり、道路の真ん中に倒れた人が火だるまだったり。川に入っている人、草の上で倒れている人が大勢いた。体に火がついて川に飛び込んだ人、焼死した人たちだったのです。

道の両側の家の形はなく、残り火が燃えていた。その熱気、臭い。

消防団の人に、近くの第六小学校へ収容され、熱いお茶とおにぎりでホッとしたのも束の間、江ノ口の六人の家族の心配。早く確かめたい。もし家と共に焼け死んでいたら探しにも来ないだろう。病人が一人、生き残っても仕方がない。早く安否が知りたい。何とかして帰ろうと決心。

夕方、残り火のまだ熱い中を、道路の中央の整理されたところを一歩一歩と昭和町の我が家へ。愛宕町らしいところも焼け野原。

木造の江ノ口小学校もあるはずもなく、赤レンガの堀に沿って見渡す限り、真っ黒白。人影もない。もう少しで堀が終わろうとした時、突然「お母ちゃん」。6年生の次男が飛びついてきた途端に「フニャフニャ」とその場に座り込んだ。

家族皆が取り囲んで、涙の合唱。しばらくして「よう生きちょったネー」と父が一言。二度も探しに行ったが見付からなかったのでした。

何にも知らない赤ちゃんの妹は、姉の背中でスヤスヤと。

昭和20年7月4日、高知大空襲の思い出です。

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 22

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

らっきょう

毎年6月に友人たちと行う「らっきょう仕事」をこよなく楽しみにしている。お山のお母さんに頼まれている恒例行事で、もう7、8年になる。

午前中はらっきょうの葉とひげ根を包丁でひたすら取る。らっきょうが少しずつかごに重ねっていく様子はなかなかいいものだ。

つーんとした香りが辺り一面に広がる中、仕事する手はもちろん、おしゃべりの口もせっせと動く。アカショウビンの鳴き声がこだまし、そばには山水の流れる音がする。

お楽しみは昼ご飯。お母さんが作ったちらしずしやゼンマイの炒め煮、タケノコ煮と切り干し大根、新タマネギの塩もみ、タマネギと芋の天ぷら。大皿にどーんと盛られて並ぶ。お母さんが朝4時から準備してくれた。

おなかいっぱいで閉じてしまいそうなまぶたを開き、午後の仕事に取りかかる。かごいっぱいのらっきょうを1粒ずつ、山水で洗い上げる。

行水できそうなほど大きなトロ箱に水をため、らっきょうを放り込む。しゃがんで1粒ずつ土を洗い落としていく。つるり、きらりとらっきょうは光る。

今年も無事に仕事を終えた。お母さんはその日の晩に塩漬けし、乳酸発酵させてから本漬けする。

(風)

 

2024年6月25日、高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

6月はらっきょうの季節。毎年恒例、土佐町溜井地区の和田農園さんを訪れての「らっきょう仕事」のことを書きました。

「らっきょう仕事」の前日、畑で育てたらっきょうを収穫し、お昼ごはんを作って待ち構えてくれているのが和田農園の計美さん。私のお山のお母さんです。

次の日「らっきょうは全部で10kg以上あった」「みんなに助けてもらって、ありがとう」と伝えてくれた計美さん。こちらこそありがとうございます!

来年の「らっきょう仕事」が待ち遠しいです。

 

 

 

 

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4001プロジェクト

小笠原百合子 (田井)

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小笠原百合子さんは、大正15年生まれ。98歳です。お元気!

相川の高須に生まれ、現在は長らく田井にお住まいです。

農家さんをやったり、炭を作っていたこともあったそうです。

看護師の資格を使い、40歳の頃から田井内科で10年、その後老人ホームの職員として10年お仕事をされていたそうです。

田井内科時代の患者さんから声をかけられることが今でもあるそうです。

 

 

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2024年3月1日〜3月11日、とさちょうものがたり編集部の鳥山が、長年、土佐町と交流のある京都大学(東南アジア地域研究研究所)が実施しているJICA草の根技術協力事業に同伴し、ブータンを訪れました。これはその滞在記です。

 

長年、土佐町と交流のある京都大学(東南アジア地域研究研究所)が実施しているJICA草の根技術協力事業に同伴することになり、2024年3月1日、高知龍馬空港からブータンへ出発しました。

まずは関西国際空港へ向かい、タイのバンコク行きの飛行機に乗ってバンコクで一泊。次の日、ブータンへ向かう飛行機に乗り込みました。

飛行機の翼にはブータン国旗に描かれている龍が描かれています

 

3月のブータンは乾季。ブータンに近づくにつれ、上空からは急峻な山々、その斜面に建つ家や延々と続く一本の道が見えました。

ブータンには田んぼがあり、米作も盛んです。6〜7月には、青々とした田んぼが広がることでしょう。

 

パロ国際空港

3月2日早朝、ブータン・パロ国際空港に到着しました。現在の国王様ご家族の写真が飾られ、木の柱や壁に描かれた絵の色彩がとても美しく、一体何色の色が使われているのだろうと眺め入りました。

入国審査をする人が座るカウンターも木造で素朴。民族衣装を着た若者がパスポートチェックをしていました。

煌々としたきらびやかな光と物に溢れたバンコクの空港とは全く違う、静かで純朴な雰囲気のパロ国際空港。振り返ってみれば、ブータン滞在中に各地で感じたある素朴さは、この国際空港にも表れていました。

 

単位はNUR(ニュルタム)

空港で、ブータンの貨幣に両替を。

貨幣はお札のみで、単位はNUR(ニュルタム)。100NURは、日本円で約200円。NURを2倍すると(大体の)日本円に換算できます。ちなみにミネラルウォーター500mlが10NUR 、約20円位で買えます。

 

 

ブータンの方が土佐町にいらした時、シルクスクリーン印刷でTシャツを作る体験を数年前からしてもらっていました。そのご縁が今回の訪問のきっかけに。人生は何が起こるかわかりません。

 こんな機会をいただき、感謝です。

 

(続く)

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