土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
オジヤン、マシカヨ
相川尋常小学校に入学した時、カカヤンに言われたことがあった。
「学校の帰りに『オジヤン』くへ寄って、『オジヤン、マシカヨ』と声をかけて来や」。
他に帰る道はあったが、カカヤンの言うことを聞いて、毎日寄っていた。
「オジヤン、マシカヨ」
と障子の外から声をかけると、
「オー、キヨカ」
と言って上半身起き上がって障子を開け、皺だらけの顔を見せて、枕元のお菓子を一掴みくれた。
その時のお菓子は何時も同じで、三センチ位の蚕のような形で、ヨモギ色をしていました。きっとお気に入りだったかもネ。
年齢は何歳か知らなかったが、いつのまにかお葬式だったことは覚えています。
何時もくれたお菓子は、今は見かけません。
写真もないけれど、目を閉じるとはっきり浮かんできます。
オジヤン、もう少し待ってよ。
(オジヤンは、父のお父さんです。)
この記事を書いた人
大正15年9月27日、土佐郡森村相川麦山生まれ。3歳上の兄、3歳下の妹、赤ん坊の弟がいた。父の生家は米作りの農家だったが、どういう訳か分家して「石屋さん」をしていた。お米のご飯は食べられず、年中麦ご飯で育ち、小学4年の時、高知市に移住。10年後、あの空襲で被災。不治の病で入院中の母共家族7人、着の身着のまま故郷土佐町の山奥の生活。故郷の皆さまの温かいお情けに助けられ、幼い妹の母代わり、病母の看病。3年後、気がついたら母と妹は天国へ。悲しみの中でも生まれ育った故郷に住んでいることが何よりもの心の支えになり95歳。天国の肉親との思い出に涙することも供養になろうかと、まだまだ元気でガンバローと思っています。
絵を描いた人
土佐町生まれの土佐町育ち
2009年に国際デザインビューティカレッジのグラフィックデザイン科を卒業
30代の現在は二児の母で兼業主婦。
家事や育児の合間をみて、息抜きがてらに好きな絵を描いています。