山村育ちの友人たちと話している時、よく出る話題は、山の村ならではの音や、鳥や虫の声などのことである。
まず春。
庭の池の氷が割れる音を聞けば、厳しい冬も終りに近いと、気分が先へ開ける。
そして陽射しが暖かくなると、あの家この家から、冬の間に凍った畑の土を掘り返す鍬の音が聞こえてくる。
晩春には鶯の声を聞いて、頭の中でも体感でも春が定着してくる。
夏の夜、忘れ得ぬのは唐黍の葉ずれの音である。風の強い時はすごいほどだった。
殆どの家で唐黍を植えていたが、その葉が伸びてくると、風に揺られてこすれ合い、交響曲となる。風につれて、遠くの家の畑から段々と近寄り、我家の畑で踊るように音をたて、次第に遠ざかる。暗闇の中だけに、怖い思いがするくらいだった。
秋はなんと言っても脱穀の音である。別の機会にも書いたが、爽やかな秋空の下での収穫賛美歌とでも言えるものだった。
もちろん、すず虫、くつわ虫の鳴き声も、秋の夜の主役である。その主役の音にまじってこおろぎが“俺も居るぜ”とばかりに存在を主張していた。
そして冬。
最近は雪が余り積もらないが、私の子供の頃は、30センチの積雪は珍しくなかった。そんな日はよく、「尺は積もったのう」という会話が交わされた。
雪が生み出す音も今は懐かしい。家を守る家囲いの木の枝が、雪の重みで折れる鋭い音や、屋根に積もった雪がどさっと落ちる重苦しい音も、まだ耳に残っている。
年中通して聞こえたのはー。
これも別記したが、谷や湧き水から引いていた懸樋の水の音である。
炊事場の水桶や池に日夜落ちる水音は、生活の伴奏曲とでも言えるものだった。
水といえば渓流の瀬音である。特に夜はその音が家にまで届いていた。高知市から来た客などは眠りをさまたげられていた。その渓流で回る水車のギーッという音は、村の人々の食生活を支えていた。夜は風向きによっては、米を搗く杵のトントンという音も、やさしいリズムを伴って届いてきた。
朝の目ざまし時計代りの役割を担っていたのは、家々から聞こえる鶏の声である。どの家かの“一番鷄”が鳴けば、次は家という家から一斉に鳴き声が湧いた。それで目をさますのは人間だけでなく、なぜか牛が鳴いた。鶏ほどではないが、次々と鳴き声が拡がってゆく朝もあった。
地球温暖化で、色んな面での変化、変動が言われる。それに伴って、「あの頃は、こうだった」という思いが、さまざまな面で浮かんでくる。