2021年4月

笹のいえ

七人家族

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七人家族になって、「家族増えたなあ」と実感するときがある。

 

ひとつは、寝るとき。

六畳部屋に布団を三組敷く。「親子川の字」なんて言うけれど、うちは五番目が生まれて「川」の字二つを超えて、「川川1」となった。実際にはこんな風に整然と並んで朝を迎えることはなく、同じかわでも、「河」みたいになってることも多い(河は八画だけど、布団に潜り込んでくる猫が加わるとぴったり)。

狭いからあっち行ってだの、この毛布は僕のだの、言ってるうちに寝息が聞こえる。

 

ふたつめは、お風呂に入るとき。

流石に七人いっぺんに入るのは無理なので、ふたグループに分かれる。

最近は以下のメンバーが基本だ。*()内は年齢です。

先発隊は、父ちゃんと長男(8)次男(6)次女(3)。

遊び盛りの三人は、狭い風呂場でも楽しそう。潜ったり、お湯を掛け合ったり、まあやかましい。風呂に入るのが好きな僕だけど、このメンバーとゆっくり湯に浸かるのは不可能だ。飛沫がかかり、足を踏まれ、それでも動かずに(動けずに)ジッとしているのは、ほとんど修行。そのうち誰かがのぼせてきて、次のグループと交代する。

後発隊は、母ちゃんと長女(10)、そして三女(4ヶ月)。

こちらは湯船のスペース的にだいぶ余裕があると想像する。しばらくすると、長女の「たね出まーす」の合図で父ちゃんが迎えに行き、ホカホカになった三女をタオルに包み、母屋に戻る(風呂とトイレは別棟)。どういう理由なのか、彼女は服を着せられるのがたいそう嫌いで毎回泣かれてしまう。父ちゃんは毎回試行錯誤、あやしたり着せ方を変えてみるが未だ正解に至っていない。

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私の一冊

鳥山百合子

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「宇宙兄弟 心のノート」 小山宙哉 講談社

私の愛する漫画、「宇宙兄弟」。現在39巻まで発売されていて、私は全巻持っている。その39冊に加え、この「心のノート」、さらに「心のノート2」もあり、合計41冊が私の本棚の一番いいところに並んでいる。

「宇宙兄弟」は南波六太と日々人という兄弟が、紆余曲折を経て、宇宙飛行士という幼い頃からの夢を叶える。宇宙という憧れの舞台に立つまで、そして、その舞台に立ってからも生じる多くの試練や葛藤。日々の喜びや仲間たちへの信頼…。六太と日々人だけではなく、あらゆる登場人物の心のひだが丁寧に描かれ、39巻全てにグッとくるようなシーンと言葉が散りばめられている。「うん、わかるわかる…」と涙ぐんでしまったことは数知れない。

さて、この「心のノート」。「宇宙兄弟」第1巻から37巻までに描かれている名場面・名言、“心のノートにメモしておきたくなる”言葉たちが収められている。

何が素晴らしいかというと、37巻分の名シーンが一冊にまとめられているので、本編全巻読み返さずとも感動の名場面にすぐに再会できるということだ。「あのセリフをもう一度読みたい!」という時、すぐに探せてとても便利であるし、探していたセリフの前後のページもつい読んでしまい、忘れていた名場面をもう一度味わえるという醍醐味がある。

この「心のノート」には、1巻から16巻までの名言100個が収められている(「心のノート2」は17巻から37巻までの名言100個)。100個全てを紹介したいくらいだが、それも大変なので、1つだけ紹介したい。

天文学者であり、六太と日々人の良き理解者であるシャロンが、どちらを選択したらよいかを迷う六太にかけた言葉だ。

『迷った時はね「どっちが正しいか」なんて考えちゃダメよ 日が暮れちゃうわ 「どっちが楽しいか」で決めなさい』。

人は迷った時、悩んだ時、余計な力が入って、つい難しく考え過ぎてしまう。本当は単純な物事を複雑にしてしまう。そんな時、ちょっと深呼吸して、シャロンのこの言葉を思い出す。

もちろん「どっちが楽しいか」だけで決められないこともある。でも、この言葉は幾度となく私の肩の力を抜き、自分の本当の気持ちに気づかせてくれた。

「心のノート」を開いてその名言だけを読むつもりだったはずが、その前後の話の詳しい確認をしたくなり、やはり本編を読み返してしまうことになる。「宇宙兄弟」は、やはり素晴らしい。

 

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山峡のおぼろ

夜網

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カーバイドランプ

私は少年時代、渓流で楽しむことが多かったが、父も渓流が好きであった。

夏には潜ってアメゴ突きもしていたが、50歳頃以降はもっぱらウナギのひご釣りであった。

竹を割って2メートル近い細ひごにし、その先端に釣針を付け、太いみみずを餌にして釣るのである。

ウナギの潜んでいそうな岩の下にひごを差し入れ、食いつくとひごをたぐり寄せ、岩から出てきたウナギを水中でつかむ。右手にひご、左手にウナギをつかんで、釣針がはずれないように引っぱり合う。

その恰好で父は、河原に置いてある魚籠の方へ、笑顔で何度もうなずきながら、小走りで行っていた。

私も何回となくひご釣りをやったが、どうしても成果が上がらず、結局諦めた。

私が中学生の頃、父が投網を買った。そして何日も庭で練習をして、渓流に行った。

私も網を投げる練習をしたが、なかなかうまく拡がらなかった。時には網の裾に付いている鉛のおもりが額に当って血を出したりして、諦めた。

父が投網を打ちに行くのは昼間だったが、私が高校生の時の夏休みに、夜打ちに行ってみたいと言いはじめた。明かりを持つ人が必要なので、私がついて行った。

まだ戦後の物資不足の頃だったので、懐中電灯は手に入らなかった。ちょうちんか石油ランプしかなかった。

しかし、ちょうちんのろうそくは明かりが弱く、石油ランプでは硝子カバーを岩に当てて、割れてしまうおそれがある。

迷っている時、夜打ちの経験者が、

「カーバイドがええ」

と教えてくれた。カーバイドは炭化カルシウムで、これに水を加えるとアセチレンガスが発生し、火をつけると燃えて明かりになる、と聞いた。

幸いその照明用器具も手に入り、それを持って、何度も渓流に行った。

夕食を終えてから行くので、帰りは真夜中になる。しかし楽しく、面白かった。

カーバイドの灯はランプより明るい。私がそれを差し出して水面を照らし、そこへ父が網を打つ。

明かりが届く僅かの範囲外は真っ暗である。網が水面に落ちる音と、瀬の流れと、水が渕に落ちる音以外は静かである。カーバイドの燃える匂いが2人を包んでいた。

両岸は森林で、その枝が渓流に覆いかぶさって、時々風でざわつく。その中で網を打つ父の動きが、大岩に影絵となって映る。まるで巨大な怪物が踊っているようであった。

そんな幻想的な雰囲気の中で、私は父のたぐり寄せる網から、アメゴやイダなど、時にはウナギまで拾い集めた。アメゴもウナギも岩から出て、夜遊びをしていたのか、とも思った。

暗闇の中だっただけに、思い出も遠い夢のようだ。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「ふたつめのほんと」 パトリシア・マクラクラン作、夏目道子訳 福武書店

事実と真実って似ているけれどイコールではないよなあ、と思うことが時々あります。例えば事実のデータを例示して書かれた記事が真実とはいえないこともあるし、創造の話である神話や民話の中に普遍的な真実が語られていることがあったり…。この似て非なる事実と真実の狭間で戸惑いながら成長する少女の姿が素敵に描かれた物語がこの『ふたつめのほんと』です。

主人公のミナーの母親は小説家。机の前のボードには、様々な言葉を書いた紙を貼りつけています。その中の「事実と小説は 、それぞれに真実」という言葉がミナーは気になって仕方ありません。作りごとの話である小説ってうそのことでしょう?それなのにどうして真実なの?11歳のミナーには納得できません。

でも、目下の問題は習っているチェロにビブラートがかけられないこと。一緒に習っているルーカスはビオラに素敵なビブラートがかけられるのに、どうして私はかけられないの?? 音楽の神様、ウォルフガング様、どうか私の力をお貸しください!

目に見える真実だけでない、もう一つの真実“ふたつめのほんと”に気付き始めた少女の揺れが、モーツァルトを伴奏に軽快に描かれています。

 

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私の一冊

西野内小代

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城郭考古学の冒険」 千田嘉博 幻冬舎

とても楽しそうにお城の紹介をしてくれるキャラでお馴染みの千田先生の著書です。

学者としての幅広く豊富な知識と根拠に基づいて解説してあります。観光中心の間違ったお城再建に苦言を呈する場面も度々です。

天守閣の「閣」は後世付けられた名称であって、学術的に正しくは「天守」だそうです。様々な年代・種類の石垣・土塁・堀…などの深い見方も解説。

「馬だし」と呼ばれる軍事上とても重要な区域は家康でほぼ完成形になっている。やはり天下を獲ったのは綿密な作戦と準備にあったのだと納得です。

シンボルとして天守があるのが「お城」と思い込み、その華やかさのみを追い求め、軍事空間である事をすっかり忘れ、お城の上面しかみていなかった単なる城ファンの感想です。

 

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土佐町ストーリーズ

シバテン(高須・地蔵寺)その3

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(「シバテン その2」はこちら

 空腹にヒダル食いつく

空腹で山道を通ると「ヒダルが食いつくぜよ」と、言われる。

このヒダルもシバテンと同格ばあ、恐かった。腹を透かして山道を歩きよると、輪差にした葛が、山の中の枝からぶら下がってきて、「ちょっこりこれに、首を突っこんでみや」と言うたそうな。

突っこんだら最後、ギューギュー締め上げられておしまいぜよ、と言うのだった。

 

エンコウ、子どもの尻を抜く

正木の宮の渕にゃ、エンコウらがおってのう。そりゃ、頭のテンコス(てっぺん)に皿をのせちょる。

それに水がたまっちょるそうな。皿が傾いて、水がまけるとまったいが、水がたまっちょるエンコウはめっぽう強うて、川で泳ぎよる子どもの尻を抜くげな。

手と足の指には水かきがあって、泳ぎもうまい。キュウリが大の好物じゃけん、瓜を食べたら川へ遊びに行かれんぜよ、とも話してくれた。

 

 

私はシバテンもヒダルもエンコウも同一のものか、あるいは従兄弟同士の間柄ぐらいのもんじゃと、ずーっとこの事が長い間、頭に染み込んで、強がっていた者であることは真実である。

「シバテンの棲んでいたあたりにビルが建ち」

こんな川柳がテレビに出た事がある。

昔のシバテン街道の赤羅木峠には、今、県民の森、国民宿舎が建っていて、伊藤さんという方が、ひとりで番をしているそうだが、「シバテンは出んかね」いつか機会があってその方に会えたら、一ぺん聞いてみようと思っている。

式地俊穂

  土佐民話の会編「土佐民話(特集しばてん噺)」より

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私の一冊

鳥山百合子

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「ぼくのぱん わたしのぱん」 神沢利子文, 林明子作 福音館書店

我が家の3人の子どもたちが何度も開いてきた「ぼくのぱん わたしのぱん」。読むたびに「パン作りたい〜」と子どもたちが何度声をあげたことか!

この本に出てくる3姉弟の真似をして、パン生地を机にたたきつけるはずが、勢い余ってパン生地は床に落下。でも実は、そういった思いがけないことが楽しい。

ボウルに入れて暖かい場所においた生地がちゃんと膨らむのか?さっき見に行ったのに、またすぐ見にいく。子どもたちのその後ろ姿がとても可愛かったことを、まるで昨日のことのように思い出します。

お腹を粉で真っ白にして、ドタバタドタバタ。作るのにあれだけ時間がかかったのに、食べるのはあっという間。自分たちで作ったパンは、何だか特別美味しくて子どもたちは大満足。その顔を見て私も大満足。

「また作ろうね」という約束をしながら、子どもたちはいつの間にかどんどん大きくなっていきました。

最近はもっぱらパン焼き器に頼りきりになってるので、また一緒に粉まみれになりたいなと思います。

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4001プロジェクト

2021 Mar. 南泉

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南泉 | 森岡藍・知世

 

このポストカードには初登場の南泉。4月初旬に車を運転していて目に入った艶やかな桜の花に導かれるようにしてこの場所にたどり着きました。

今年は桜が早くて、町の桜はもう終わりかけています。山の上の方の桜はこれからでしょうか?

桜の前で遊びまわっているのは森岡藍ちゃんと知世ちゃんの姉妹です。

 

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私の一冊

浪越美恵

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「沈まぬ太陽(五)会長室篇・下」 山崎豊子 新潮社

時の総理からのバックアップにより、安全の確立と組合統合という目的に向かって、国見会長と恩地は苦労を分かち合って行くのだが、航空会社の利権にかかわるありとあらゆる人間達の妨害により改革は進まない。

強力なバックアップを約束した総理でさえ、最終目的は航空会社の民営化に備え、再建による好材料を揃えて、然るべき利権を得ようとしていることに、国見は改革の無力を感じ、最後は司直の手を借りなければとまで追い詰められて辞表を書く。

しかし、最終的には会社の一人の職員が利権をあばいたノートを東京地検特捜部へ送って自殺した事により、司直の手が入る事になる。

そして恩地は、ご遺族係としての仕事を全う出来ず、会長室のメンバーとして重要な役割を果たせない立場にたたされ、再びアフリカへ追いやられたところで、物語は終わった。

 

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土佐町ストーリーズ

シバテン(高須・地蔵寺)その2

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お婆さんは話を続けた。

『村には誰やら言うて、宮相撲の甲をとり、うまい、力の強い男がおった。

家の牛屋の口へ置いちゃある青石の盤持石は三十五貫(一貫は約3.7㎏)あるが、ひいといの事、あの石を、さし下駄はいて、肩口で二へんばあ、ゆすっちょいて、スッと肩へ持っていったばあの大力持ちじゃった。

 

シバテン、相撲を挑む

その男がある日、高知からお客に使うブエン(生魚)を買うて、ザルに担うて、戻りかかったげな。官山を廻ったくで、向こうの方から、こんまい子どもみたいな男が、ひょこひょこやって来た。小男は「オンちゃん、相撲とろう」と言うたげな。

「なにをいや、こびんす、相撲になるかや」と、一ぺんは断ったが、
「ほんなら、まあ来てみよ」と、胸をはった。

「そればあ言や、ちったあやるかや」と、魚カゴをそこへおろして、
「一番こい」と身がまえた。

相手は細うて、妙に生臭うて、のらくらしたような小男で、力もない奴じゃったけん、一ぺんにぶちつけたと。

ほいたらどうぜよ、小男は「オンちゃん、相撲とろう」と言うて、やちものう(限りがない)かかって来るちゅうが…。
こうやって、夜っぴと二人で相撲をとりゆう内に、夜が白々と明けたと。

力士もその頃になると、だれたけに「もうおこうぜや」と言うて、ザルを担うて帰りがけに、ひょいと魚のことに気がついて、フタを開けてみると、こりゃどうぜよ。魚はザルの前、後とも、全部、柴に化けちゅうと。今まで目の前におった小男が、スーッと消えて、周りには誰っちゃおらざったと。

男は「こりゃ、シバテンにやられた」と気付いて、フラフラになって家へ帰って来た。

「おら、ゆんべ、赤羅木でシバテンに会うたぜや。やりすえられた。朝まで相撲とらされたぞ。おまけに、ザルの魚が、みんな柴に化けてしもうたぜや。お客どころかそこすんだりよ。たかあやりすえられたぜや。おら、相撲がとれるき、けんど、おんしらあは、めったにあこ(あそこ)を通られんぞ」

向こうずねをこすりもって、こう話したと。

その話を聞いてから私は、そのシバテンに一目置くようになった。

「一番や二番は勝てても、朝までねばられちゃ、こりゃかなわん」

それからと言うものは、夕方、山道を通ることは止めにした。』

 

シバテンその3に続く)

 

 

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