2021年4月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ふたつめのほんと」 パトリシア・マクラクラン作、夏目道子訳 福武書店

事実と真実って似ているけれどイコールではないよなあ、と思うことが時々あります。例えば事実のデータを例示して書かれた記事が真実とはいえないこともあるし、創造の話である神話や民話の中に普遍的な真実が語られていることがあったり…。この似て非なる事実と真実の狭間で戸惑いながら成長する少女の姿が素敵に描かれた物語がこの『ふたつめのほんと』です。

主人公のミナーの母親は小説家。机の前のボードには、様々な言葉を書いた紙を貼りつけています。その中の「事実と小説は 、それぞれに真実」という言葉がミナーは気になって仕方ありません。作りごとの話である小説ってうそのことでしょう?それなのにどうして真実なの?11歳のミナーには納得できません。

でも、目下の問題は習っているチェロにビブラートがかけられないこと。一緒に習っているルーカスはビオラに素敵なビブラートがかけられるのに、どうして私はかけられないの?? 音楽の神様、ウォルフガング様、どうか私の力をお貸しください!

目に見える真実だけでない、もう一つの真実“ふたつめのほんと”に気付き始めた少女の揺れが、モーツァルトを伴奏に軽快に描かれています。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

城郭考古学の冒険」 千田嘉博 幻冬舎

とても楽しそうにお城の紹介をしてくれるキャラでお馴染みの千田先生の著書です。

学者としての幅広く豊富な知識と根拠に基づいて解説してあります。観光中心の間違ったお城再建に苦言を呈する場面も度々です。

天守閣の「閣」は後世付けられた名称であって、学術的に正しくは「天守」だそうです。様々な年代・種類の石垣・土塁・堀…などの深い見方も解説。

「馬だし」と呼ばれる軍事上とても重要な区域は家康でほぼ完成形になっている。やはり天下を獲ったのは綿密な作戦と準備にあったのだと納得です。

シンボルとして天守があるのが「お城」と思い込み、その華やかさのみを追い求め、軍事空間である事をすっかり忘れ、お城の上面しかみていなかった単なる城ファンの感想です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

シバテン(高須・地蔵寺)その3

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

(「シバテン その2」はこちら

 空腹にヒダル食いつく

空腹で山道を通ると「ヒダルが食いつくぜよ」と、言われる。

このヒダルもシバテンと同格ばあ、恐かった。腹を透かして山道を歩きよると、輪差にした葛が、山の中の枝からぶら下がってきて、「ちょっこりこれに、首を突っこんでみや」と言うたそうな。

突っこんだら最後、ギューギュー締め上げられておしまいぜよ、と言うのだった。

 

エンコウ、子どもの尻を抜く

正木の宮の渕にゃ、エンコウらがおってのう。そりゃ、頭のテンコス(てっぺん)に皿をのせちょる。

それに水がたまっちょるそうな。皿が傾いて、水がまけるとまったいが、水がたまっちょるエンコウはめっぽう強うて、川で泳ぎよる子どもの尻を抜くげな。

手と足の指には水かきがあって、泳ぎもうまい。キュウリが大の好物じゃけん、瓜を食べたら川へ遊びに行かれんぜよ、とも話してくれた。

 

 

私はシバテンもヒダルもエンコウも同一のものか、あるいは従兄弟同士の間柄ぐらいのもんじゃと、ずーっとこの事が長い間、頭に染み込んで、強がっていた者であることは真実である。

「シバテンの棲んでいたあたりにビルが建ち」

こんな川柳がテレビに出た事がある。

昔のシバテン街道の赤羅木峠には、今、県民の森、国民宿舎が建っていて、伊藤さんという方が、ひとりで番をしているそうだが、「シバテンは出んかね」いつか機会があってその方に会えたら、一ぺん聞いてみようと思っている。

式地俊穂

  土佐民話の会編「土佐民話(特集しばてん噺)」より

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「ぼくのぱん わたしのぱん」 神沢利子文, 林明子作 福音館書店

我が家の3人の子どもたちが何度も開いてきた「ぼくのぱん わたしのぱん」。読むたびに「パン作りたい〜」と子どもたちが何度声をあげたことか!

この本に出てくる3姉弟の真似をして、パン生地を机にたたきつけるはずが、勢い余ってパン生地は床に落下。でも実は、そういった思いがけないことが楽しい。

ボウルに入れて暖かい場所においた生地がちゃんと膨らむのか?さっき見に行ったのに、またすぐ見にいく。子どもたちのその後ろ姿がとても可愛かったことを、まるで昨日のことのように思い出します。

お腹を粉で真っ白にして、ドタバタドタバタ。作るのにあれだけ時間がかかったのに、食べるのはあっという間。自分たちで作ったパンは、何だか特別美味しくて子どもたちは大満足。その顔を見て私も大満足。

「また作ろうね」という約束をしながら、子どもたちはいつの間にかどんどん大きくなっていきました。

最近はもっぱらパン焼き器に頼りきりになってるので、また一緒に粉まみれになりたいなと思います。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ポストカードプロジェクト

2021 Mar. 南泉

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

南泉 | 森岡藍・知世

 

このポストカードには初登場の南泉。4月初旬に車を運転していて目に入った艶やかな桜の花に導かれるようにしてこの場所にたどり着きました。

今年は桜が早くて、町の桜はもう終わりかけています。山の上の方の桜はこれからでしょうか?

桜の前で遊びまわっているのは森岡藍ちゃんと知世ちゃんの姉妹です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

浪越美恵

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「沈まぬ太陽(五)会長室篇・下」 山崎豊子 新潮社

時の総理からのバックアップにより、安全の確立と組合統合という目的に向かって、国見会長と恩地は苦労を分かち合って行くのだが、航空会社の利権にかかわるありとあらゆる人間達の妨害により改革は進まない。

強力なバックアップを約束した総理でさえ、最終目的は航空会社の民営化に備え、再建による好材料を揃えて、然るべき利権を得ようとしていることに、国見は改革の無力を感じ、最後は司直の手を借りなければとまで追い詰められて辞表を書く。

しかし、最終的には会社の一人の職員が利権をあばいたノートを東京地検特捜部へ送って自殺した事により、司直の手が入る事になる。

そして恩地は、ご遺族係としての仕事を全う出来ず、会長室のメンバーとして重要な役割を果たせない立場にたたされ、再びアフリカへ追いやられたところで、物語は終わった。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

シバテン(高須・地蔵寺)その2

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

お婆さんは話を続けた。

『村には誰やら言うて、宮相撲の甲をとり、うまい、力の強い男がおった。

家の牛屋の口へ置いちゃある青石の盤持石は三十五貫(一貫は約3.7㎏)あるが、ひいといの事、あの石を、さし下駄はいて、肩口で二へんばあ、ゆすっちょいて、スッと肩へ持っていったばあの大力持ちじゃった。

 

シバテン、相撲を挑む

その男がある日、高知からお客に使うブエン(生魚)を買うて、ザルに担うて、戻りかかったげな。官山を廻ったくで、向こうの方から、こんまい子どもみたいな男が、ひょこひょこやって来た。小男は「オンちゃん、相撲とろう」と言うたげな。

「なにをいや、こびんす、相撲になるかや」と、一ぺんは断ったが、
「ほんなら、まあ来てみよ」と、胸をはった。

「そればあ言や、ちったあやるかや」と、魚カゴをそこへおろして、
「一番こい」と身がまえた。

相手は細うて、妙に生臭うて、のらくらしたような小男で、力もない奴じゃったけん、一ぺんにぶちつけたと。

ほいたらどうぜよ、小男は「オンちゃん、相撲とろう」と言うて、やちものう(限りがない)かかって来るちゅうが…。
こうやって、夜っぴと二人で相撲をとりゆう内に、夜が白々と明けたと。

力士もその頃になると、だれたけに「もうおこうぜや」と言うて、ザルを担うて帰りがけに、ひょいと魚のことに気がついて、フタを開けてみると、こりゃどうぜよ。魚はザルの前、後とも、全部、柴に化けちゅうと。今まで目の前におった小男が、スーッと消えて、周りには誰っちゃおらざったと。

男は「こりゃ、シバテンにやられた」と気付いて、フラフラになって家へ帰って来た。

「おら、ゆんべ、赤羅木でシバテンに会うたぜや。やりすえられた。朝まで相撲とらされたぞ。おまけに、ザルの魚が、みんな柴に化けてしもうたぜや。お客どころかそこすんだりよ。たかあやりすえられたぜや。おら、相撲がとれるき、けんど、おんしらあは、めったにあこ(あそこ)を通られんぞ」

向こうずねをこすりもって、こう話したと。

その話を聞いてから私は、そのシバテンに一目置くようになった。

「一番や二番は勝てても、朝までねばられちゃ、こりゃかなわん」

それからと言うものは、夕方、山道を通ることは止めにした。』

 

シバテンその3に続く)

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「論語物語」 下村湖人 講談社

今回の大河ドラマ「渋沢栄一」に影響されて論語を読もうとしても、言い回しの難しさ、日本語なのに言葉の壁に阻まれてちっとも理解できない。「論語物語」は文章が平明という事で読み始めた。

孔子と弟子のやり取りやその場の情景が分かり易く展開していて、理解したかのような錯覚に陥るが、実は深い思想の理解には到達できない。

しかし、論語に一歩踏み込んだという自己満足は残った。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

春のしずく

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

山々の中腹をつなぐように、うっすらとした雲がたなびく春の朝。

家の裏の小さな畑へ向かう。

1週間ほど前にいちごの苗を植えた。まだ小さな苗たちが小さな動物たちに掘り返されていないか、虫に食われていないかを確かめることが日課になっている。

いちごの苗と苗の間から、何かの草の芽が出ている。

昨日は姿がなかった草が今日はもうここにあるということに、いつも驚かされる。

その草を抜こうとしゃがみ込むと、頬にしっとりしたわずかな風を感じた。それまで気づかなかったが、辺りは、さっきまで夜が包み込んでいた水分で満たされているのだった。

 

いちごの隣の畝にすぎなが生えていた。すぎなは、ツクシの後に伸びてくる茎のことである。

数日前からすぎなの存在に気づいていたが、もう10センチくらいの高さになっていた。

すぎなは、土から一本、真っ直ぐ伸びる茎の途中に短い枝々をつけた格好をしている。

このままにしておくとどんどん増えるので抜いてしまおう、といったん手を伸ばしたが、その手が止まった。

淡い緑の枝々の先に、ころんと丸い、しずくが光っていた。それはまるで小さなクリスマスツリーのようだった。今にも小さな一滴が土の上に転がり出しそうで、しばらくそっと眺めていたのだが、しずくは当たり前のようにその場所で光り続けていた。

そうこうしているうちに、雲の間から太陽が顔を覗かせた。朝の光が、しずくを照らす。

今日も1日が始まる。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ケレー家の人々」 ケート・D・ウィギン作,村岡花子訳 角川文庫

何か失敗して気が滅入ってしまった時の特効薬は、昔懐かしい家庭小説を読むこと。日常生活の中から、何かしら美しいものを見つけ出しては子どもらを楽しませ、自分の失敗は笑い飛ばしてしまう主人公たち。そんな彼らにいつの間にか感化され、落ち込んだりささくれていた気持ちもいつしか落ち着いてくるのです。

よき父でありよき夫でもあったケレー氏を亡くし、貧しい田舎暮らしを始めるケレー一家。けれども一家はケレー母さんを中心にまとまり、貧しさをも楽しむたくましさとユーモアを持っていました。とにかく、このケレー母さんが惚れ惚れとする素敵な大人なのです。なかでも、自分の大学進学のためならば家族が犠牲を払うのは当然だと主張する長男に対する言葉は、最高にステキです!

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
3 / 41234