2020年6月

土佐町ストーリーズ

弁才天(高須)その2

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むかしむかしあったげな。

樫山の小栗さまと言うてのう。そばじり谷から水を引いて、田を掘ったり、むらづくりに、しっかりやって下さったえらいお方じゃったげな。

この小栗さまにお姫さまがありなされた。ある時わらびを取りに山に登らしゃったが、その晩から熱を出して寝込んでしまわれた。

夜中になると、笑ったりこそばがったり、うれしがったり、ボソボソ独り言を言うようになった。どういうものかと、かもんさま(お父さん)もおなんさま(お母さん)もえろう心配、年ごろの娘が夜中に、寝床で独り笑いしだいた言うて人にも話せん。よわっておいでたら、ちょうど、大峰山で修行されて高知へ帰る真如寺のお坊さんがお泊まりなされた。ご相談なさると、お坊さんが祈っておいでて、さて、寝床をのぞくと、誰の目にも見えざったのに、赤い錦のふとんの上に、金色の小んまい蛇が、トグロまいて、お姫さんの顔の方へ、ペロペロ、ペロペロ舌を出していると。お姫さんはそれと話でもしよるかのように、うれしがっていたそうな。

坊さんは、この札を貼っちょきなされと、おまじないの札をくれなさったそうな。そこで次の日、それを日のあるうちに門に貼っちょいた。

それからお姫さんの夜中の独り物語はぴったりやまったが、その次の晩から、夜半に、お姫さんが出かけるようになった。後をつけても、じきに、スーッと消えてしまうようで、さっぱり見定めがつかん。朝は着物のスソがべったりぬれちょったとぉ。

そこでおなんさんが、こっそり、着て行かっしゃるお姫さんの着物のタモトの底に、ハタおりのカセ糸をしっかりぬいつけておいたと。

夜半にそっとぬけ出すお姫さまに、おなんさまがカセ糸玉のおゴケ(糸を入れる物)を持ってついて行かしゃった。

ところが一うね超えて、引地の弁才天さまの池の方へぬけちょったげな。

やんがて大きなとちの木にかこまれた黒い穴のように見える池の端が、ボーっと明るく、そこにお姫さまがしゃがんでのう、じいっと池を見つめて、話しておられるそうな。

おんなさまが「姫おまんは、」と言うと、なんとお姫さまが、すっと立てって、両手を合わせて、おなんさまの方をおがむと、池にひょいっと入り、水の上をすうっと、とっとの奥の方へ、ボーッとうす明かり持って消えてしもうた。

さあ、おなんさまはびっくりおくれなされてすぐひっかえして、ゼエゼエ山を登って帰られたそうなが途中、山の神の森の所で目がまわって、とうとう亡くなられたそうな。

昔、血おり場というたが、けがれを忌む(きらう)と言うことで、このはえを「しおればえ」と言い、池は「住吉池」という。

小栗さまの家のあった所が「かもんの屋敷」谷から用水を取ったのを「小栗ゆ」と今に名前が残っているんじゃと。

むかしまっこうたきまったこう、サルのつべきんがり

和田久勝(町史)

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私の一冊

鳥山百合子

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「土佐町資料」 前田和男編者 土佐町教育委員会発行

昭和54年(1979)、土佐町教育委員会が高知市の高校の先生である前田和男さんに町内の神社や寺院、祠堂の調査を依頼、その調査結果が収録されています。

今年の土佐町オリジナルポロシャツのデザインとなった「地蔵堂の大龍」の作者を調べている途中、土佐町教育委員会がこの資料を見せてくれました。

2枚目の写真は、地蔵堂にある棟札の内容です。建立された年、大工さんや関わった人たちのお名前が書かれています。

年代ごとに記録を追っていくと、棟札の裏側に「水災風陸風災風」「水災金意災金蓮」という文字がいくつも書かれています。台風などにより地蔵堂が壊れ、地域の人たちから寄付を募って改修や再建したのではと想像します。

地蔵堂の中に入らせてもらった時に見せていただいた棟札には、木の板に墨で文字が記されていました。昔の人が記した文字が、もう見ることのできないその時代の風景を伝えてくれます。

鳥山百合子

 

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笹のいえ

梅しごと

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梅雨と書くくらいだから、この季節は昔から「梅しごと」と決まっていたのかもしれない。SNSのタイムラインには「梅干し仕込んでます」「今年はシロップ漬けにしました」など、友人からの梅にまつわる話題が多かった。

ありがたいことに、今シーズンは友人から梅もぎに誘っていただき、たくさんの梅を収穫することができた。普段から「いただく」ことの多い我が家。移住当初はお返しするものが少なく、ありがたいながらも、申し訳けないような後ろめたいような気持ちが強かった。

しかし、地域の方とのお付き合いが深くなるにつれ、多くの場面で「相手はお返しを期待していない」ことに気が付いた。たくさん収穫したから、使わないから、もったいないから、単純にそんな理由から声を掛けてくれる。廃材や廃油など、そのまま捨ててしまってもいいが、利用できる人がいるなら活用してもらおうとわざわざ連絡をくれる。場所を取っていたものや処理に困っていたものがなくなれば、相手は嬉しいし、もらった僕らはそれを有効に活用することができる。

もちろん、うちもお返しできるタイミングがあればする。でも、それはあの時のお返しです、とか、これくらいくれたから、このくらいお返しします、ということではない。普段の交流の中で自然に行われる特別でない風習。この地域にこんな付き合い方が続いているのは、暮らしが豊かで気持ちに余裕があるからだろうと考えている。

話が逸れたが、今回の梅で、

梅干し

梅ジャム

カリカリ梅

を作った。家中が梅の良い匂いに包まれ、なんとも幸せな気分になった。

梅ジャムやカリカリ梅の仕込みを手伝った子どもたちは、普段目にすることのない大量の砂糖に興奮し、扱いに緊張していたので笑ってしまった。計量する砂糖を少しでもこぼしたら、他の兄弟から「もったいない!」とツッコミが入る。そんなやりとりを見ながら、食事のとき落としたご飯粒は気にしないくせにと心で呟く父ちゃんだった。

地域の暖かい場所にあるネムノキの花が咲きはじめてる。もう夏も近い。

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私の一冊

鳥山百合子

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「おによりつよいおれまーい」 サトワヌ島民話 土方久功再話,画 福音館書店

これは、南太平洋のミクロネシア諸島の中にある小さい島、サトワヌ島に伝わるお話です「おれまーい」は、サトワヌ島に住んでいる男の子。おれまーいは、「生まれるとすぐにはいはいし、4日経つと歩き、8日経つと椰子の葉で編んだ戸を破り散らした」というほどの強い男の子です。

あまりにも強すぎるおれまーいに恐れをなした島の大人たちは、おれまーいを森に連れて行きおれまーいの上に木を切り倒そうとしたり、海に沈めようとしたりしますが、その度ににこやかに帰ってくるおれまーい。ついに、「やにゅう」という鬼が住んでいる「ぴーくしま」に置いてきてしまおうということに。

さてさておれまーいはどうするか?

それはぜひこの絵本を読んでもらえたらと思います。

この本を開くことで、日本とはまた一味もふた味も違うだろう南の島の暮らしの一片を見せてもらっていた気がします。子どもの頃、本に出てくる「ぱんのみ」を一度でいいから食べてみたいと思っていましたが、今でもその気持ちを持ち続けています。

鳥山百合子

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土佐町のsanchikara

秦泉寺護・操さん夫妻の『絶品干し芋』

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南国高知と言われておりますが土佐町の冬は雪も降るなど寒い地域です。

主に夏秋栽培(夏・秋に出荷物を栽培する)の地域であり、夏には米ナス、ししとう、カラーピーマン等を中心とした野菜が多く栽培されています。それに比べて冬場は寒さも厳しく生産物は夏・秋に比べて極端に少なくなります。

今回はそんな冬場でも、地元で愛されている秦泉寺夫妻の愛情のこもった手作り『干し芋』を紹介したいと思います。

 

丸一年かけてつくられる

土佐町の中心地より山を登ること15分、土佐町の南東に位置する溜井地区。

集落のほとんどは山間部斜面に位置しており、秦泉寺ご夫妻のご自宅もそんな山々に囲まれた標高500mほどの場所にあります。

護さんで3代目となる農家さんで、お米や四季折々の様々なお野菜を栽培しています。その中の冬のメインの出荷物が干し芋。

製造・出荷時期は冬場の1-4月までの約4か月です。

しかしながらこの絶品の干し芋は、商品になるまで実に一年の期間を要します。

春に旦那さんの護さんと息子さんが土佐町産のたい肥や有機肥料を使い、しっかりと土づくりをした圃場(野菜を作る場所)に紅はるかという品種のさつま芋を、ご夫婦で一本一本丁寧に手作業で定植します。

雑草対策やしっかりとした栽培管理をしながら暑さの厳しい夏を乗り越え、秋にいっきに掘り上げます。そのお芋たちを冷暗所でじっくりと2か月間寝かせます。

お芋からじんわりと芋蜜が出始める年の瀬になると次は奥様の操さんの出番です。

寝かせることで甘さが増したお芋を冬の寒さで手先がかじかむ中、地域のお母さん達と手作業で一つ一つ余分なところを切り落とし、皮を剥き、釜に入れます。

この釜の作業にも秘密があり、水以外に一切何も入れません。しかしながら芋からでる蜜が水に溶け、お芋に絶妙な味付けをするのです。釜で一晩じっくりと煮詰めたものを取り出し、手切りをして乾燥させる。

そうしてできた干し芋たちを、朝早くからの芋の加工作業で疲れている操さんが、皆さんの手に取ってもらいおいしく食べてもらう事を想像しながら、夜中に一つ一つ袋に詰めていくのです。

干し芋に込められた想い

こうして春に植えた、芋の苗たちが一年をかけ、秦泉寺夫妻の手によって『干し芋』という形になっていきます。

食感は固すぎず、柔らかすぎず、噛めば噛むほどお芋本来の甘味が広がる干し芋。黒くなった干し芋は、甘みの凝縮の証です。

地元ではお子さんから年配の方まで幅広い世代に愛されております。

ご夫妻の想いは、地域の良い商品をもっと知ってもらいたい、農業でしっかり稼いで地域の雇用を生み出し、次の世代につないでいきたい。そんな様々な想いがこの絶品『干し芋』には詰まっています。

 

そんな秦泉寺夫妻が作る、干し芋は地元の直売所や高知市内のスーパーで販売しています。県外の方には、インターネットでの購入やふるさと納税でも手に取って頂くことができます。『干し芋』を食べる機会がある際には、そういった想いも一緒に食べて頂けるとありがたいです。

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私の一冊

鳥山百合子

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「手づくりのすすめ」 自然食通信編集部 自然食通信社

版画の絵と手書きの文字で、豆腐や醤油、お麩、こんにゃくなどの作り方が掲載されています。数年前、柿酢と麹を作った際にはこの本に大変お世話になりました。

最も気になっているのは「水あめ」。さつまいもと乾燥麦芽で作るそうですが、いつか挑戦したいと思っています。(ページを開くだけで作った気になってしまうのが不思議です。)

私がこの本が好きなのは作った人たちの愛情と熱を感じるからです。あとがきに「生産の場と生活の場が切り離され、身近な物の成り立ちさえ見えなくなった都会の中で、都市育ちの私が、単なる知識でない、存在感を持った生活の知恵と出会えたこの取材。それは一面、二人の子の母としての実力を養う得難い場でもありました。」という編集者の方の一文があり、とても共感します。

1987年に出版された本を2006年に新装改訂したものがこの本で、その間19年間。改訂版あとがきには「初版当初からすると私たちの暮らしは、なんと遠いところに来てしまったのか」と書かれています。この時から14年後、2020年の今、私たちの暮らしはどんな風に変化しているのでしょう。

土佐町には、生産と生活の場が共にある環境が今もまだ残っています。その環境があるからこそ培われて来たお母さんたちの知恵も、あちこちに存在しています。町のお母さんたちの家を訪ねて学び、次の世代に残していきたいと思っています。

鳥山百合子

 

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私の一冊

川村房子

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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 ブレイディみかこ 新潮社

これはイギリスの、荒れているといわれている地域に住んでいる家族。

小学校は市のランキング1位の小学校を卒業し、中学校入学に元底辺中学に入学した優等生の僕。銀行員から前からやりたかったとダンプの運転手になった父と前向きでちょっぴり破天荒な母の3人家族。

元底辺中学校は毎日が事件の連続。人種差別、ジェンダーに悩む少年、何より貧富の差があって、食事でさえ満足にとれない、超底辺の友人のやりきれなさを見つめる僕。パンクな母ちゃんと考え悩んだりしながら、前をむいて毎日を暮らす。

EU脱退か否かで荒れる政治。国から忘れられてしまったような底辺での日常を果敢に乗り越えていく。子育て中のお父さん、お母さんには、是非是非読んでもらいたい一冊です。

老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている。子どもはすべてにぶち当たる。

川村房子

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中島観音堂クラウドファンディング、終了しました。応援ありがとうございました!

クラウドファンディング、始まります!

昨年9月に土佐町を襲った台風17号の強風により、土佐町にある中島観音堂の樹齢1200年の金木犀が倒れ、近くの通夜堂と石灯籠を直撃、石階段の手すりも大きな被害を受けました。

観音堂でのお祭りはもうできないかもしれない…」

地域の人たちの声を聞いた土佐町役場の若手職員が、それならば「クラウドファンディングに挑戦しよう!」と仲間を募り、修復のための資金を集めることにしました。

観音堂のある中島地区は土佐町の中でも人口が多い地区ですが、地域のお祭りや行事を担う若い後継者がいないという問題を抱えてきました。彼らはこのCFを成功させ、その問題を解決するきっかけにしたいという思いも持っていました。

 

5月30日をもって、中島観音堂クラウドファンディング(以下CF)は終了しました。寄付してくださった皆さま、応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。

CFがスタートした4月15日から5月30日までの間、中島地区長である山中泉夫さんや土佐町役場若手職員は新聞やテレビ取材を受け、寄付を募るため地域内を回りました。

この期間は、コロナウィルスの感染拡大を防ぐため政府から緊急事態宣言が出された時期とも重なっていました。

「外出もままならず、これからの先行きも見えない、世界中が大変な時期に寄付を募っても良いものだろうか…、果たして寄付してくれる人はいるのだろうか…という思いもあった。大変な状況の中、寄付してくださった皆さんに本当に感謝しています」

中島地区長の山中泉夫さんはそう話していました。

インターネット上のCFサイトから寄付してくださった方だけではなく、中島地区や町内外の方からの直接の寄付もいただきました。役場の担当者へ直接寄付金を持ってきてくださった方、現金書留で送ってくれた方…。泉夫さんも土佐町役場の若手職員たちも、多くの方からのお気持ちに心が震えるような思いだったと思います。

 

クラウドファンディングの結果

・インターネット上のCFサイトから… 3,006,000円
・中島地区の方・町内外の方から…1,587,100円

計411人の方から、総額4,593,100円のご寄付をいただきました。

いただいた寄付は通夜堂や石灯籠、石階段の手すりの修繕費やCF手数料に使わせていただき、先日、修繕が無事に完了しました。本当にありがとうございました。予想を上回る金額をご寄付いただいたため、修繕費や手数料を引いた残りの金額は、今度の修繕などための基金として大切に貯蓄させていただきたいと考えています。

 

■応援のメッセージ

寄付とともにたくさんのメッセージやお手紙、お電話をいただきました。

皆さま一人ひとりのお気持ちが原動力でした。

ここに一部ご紹介します。

南国市で細勝寺という寺の住職をしております。当山も土佐西国三十三観音霊場の第14番札所として聖観音をお祀りしております。同じ高知で観音さまにお守りいただいてる者として他人事とは思えず寄付させていただくことと致しました。些少ではありますが、復興の一助となれば幸いです。いつの日かお参りさせていただきたいと思います。

 

土佐町出身です。小さい頃から馴染みのあった金木犀と中島観音堂がこのような状態になっていることはショックでしたが、修復に向けて沢山の人々が動き始めているのを知って勇気を与えられました。応援しております。

 

中島地区に住んでいました。少しでも足しにしてください。応援しています!頑張ってください!

 

「同じ“中島”だから人ごとだと思えない」と、高知市内の中島工務店の方がわざわざ寄付を届けてくださったこともとてもうれしいことでした。

 

 

今回の「中島観音堂クラウドファンディング」は、世代や暮らしている場所の距離を超えて、人と人との繋がりをもう一度結び直すようなことだったように感じています。
一つの場所に心を寄せ、次の世代へも引き継いでいきたいという思いは先人たちが持ち続けてきた願いでもあったでしょう。その願いは時代を超え、私たち人間の心の深いところに在るものに響き、互いに共鳴し合うものなのかもしれません。

 

今年の中島観音堂の夏の大祭は、コロナウィルス感染拡大を防ぐため、残念ながら中止が決定しました。来年の夏の大祭は開催することができますように。その時には、ぜひ多くの方に中島観音堂に足を運んでいただけたらと思っています。

心を寄せてくださった皆さま、応援してくださった皆さまに心から感謝しています。本当にありがとうございました。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「ゆうこのあさごはん」 やまわきゆりこ作,絵 福音館書店

きっと多くの人が、この本の作者・やまわきゆりこさんの絵を目にしたことがあると思います。やまわきさんが絵を、やまわきさんのお姉さんである中川李枝子さんが文章を書いた「ぐりとぐら」や「そらいろのたね」はあまりにも有名です。お二人の著書は懐かしい思い出と共に、私の本棚に何冊も並んでいます。

この「ゆうこのあさごはん」は、やまわきさんが文章と絵の両方を担っています。

このお話は簡単に言うと、朝寝坊をしたゆうこが朝ごはんの「ゆでたまご」と冒険に出かけて帰ってくるという内容なのですが、このお話を面白くしているのは、ゆうこが卵と同じ大きさになるためのおまじないの存在です。小指に塩をほんの少しつけてぺろりと舐めると、あら不思議!ゆうこは卵と同じ大きさになりました。そして、卵はにっこり笑って言うのです。「“びゆことおし”のまほうさ!」。

少し前にこの本を読んだ時、このセリフを聞いて「???」となった末っ子。最後まで読んで「“びゆことおし”を反対から読んでごらん!」と伝えると「し・お・と・こ・ゆ・び…。塩と小指!そっか!!」。謎が解け、晴れやかな顔をしていました。

冒険から帰ってきた後、元の大きさに戻る時には「びゆやおとおし」。そう、今度は親指に塩をほんの少しつけて、ぺろりと舐めるのです。

出かけて、ちゃんと帰ってくる。この安心感はなんでしょう。やまわきさんの子どもたちへの優しいまなざしが伝わってきます。

この本は、私が幼い頃にも母が繰り返し読んでくれました。何十年も読み継がれている本の底に流れているのは、作者の愛情そのものではないかと思っています。

鳥山百合子

 

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4001プロジェクト

町田健太・早百合・碧峰 (田井)

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町田健太、a.k.a マチケン。先日とさちょうものがたりでもお伝えした「中島観音堂クラウドファンディング」ではリーダーとしての務めを全うしました。

みなさまのおかげでクラウドファンディングも無事終了、現在は中島観音堂の通夜堂・石灯篭・階段の手すりもすでに修復済み。改めてお礼申し上げます。

クラウドファンディングの記事を作る際に、ある小春日和の午後、みんなで中島観音堂に集まった際に撮影した一枚です。

奥さんの早百合さん、見るたびに日々大きくなる息子の碧峰くん。中島観音堂を背景に3人で撮った家族写真です。

 

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