山中淳子さん、おん年84。昭和16年生まれ。
田井で生まれ育った淳子さんは、田井のことを最もよく知る方のひとり。
当時の田井の子供たちは田井小学校、田井中学校に通います。子どもが多い時代で、1クラスに35~40人ほどの人数がいたそうです。
その後は嶺北高校。田井のお家から自転車で通っていた、というところは現在の高校生と変わりませんね。
卒業後は女子専門学校で被服(縫製)を1年間勉強し、田井に今もある山吉屋でしばらく洋服を作る仕事をしていたそうです。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
田井の高橋康子さん、昭和17年生まれ。田井の商店「岡部」さんのお家に生まれた康子さん。
当時の田井の子どもたちと同様、田井小学校から田井中学校へ進みます。
そのまま嶺北高校を卒業した康子さんは、当時中島にあった「文化服装学院」という洋裁の学校へ。2年かけて洋裁の勉強。その後は田井の「山中百貨店」で洋裁の仕事をしていたそうです。
当時は既製品が現在のように溢れている状況ではなく、服を買うと言えば「山中百貨店」のようなお店に行き、採寸から始めて作ることが普通だったようです。