
石川のご近所さんシリーズ。
和田務さんは、私が10年住んでいるお家のすぐ隣の方。
この写真の撮影場所は、私の自宅のすぐ横です。
実は10年前にここへ移ってきてから、この写真に写っている石垣がずっと好きなんです。
僕の育った新興住宅地ではなかなか見ることがないですが、地域にあるこういう石垣が、地域の歴史の積み重ねと、先人たちの労力の上に今の暮らしが成り立っているということを教えてくれるような気がします。
和田さんは、この辺りの山の所有者で、暑い盛りに草刈りに出かける前だったようです。
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掲載開始日
土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)

石川のご近所さんシリーズ。
和田務さんは、私が10年住んでいるお家のすぐ隣の方。
この写真の撮影場所は、私の自宅のすぐ横です。
実は10年前にここへ移ってきてから、この写真に写っている石垣がずっと好きなんです。
僕の育った新興住宅地ではなかなか見ることがないですが、地域にあるこういう石垣が、地域の歴史の積み重ねと、先人たちの労力の上に今の暮らしが成り立っているということを教えてくれるような気がします。
和田さんは、この辺りの山の所有者で、暑い盛りに草刈りに出かける前だったようです。

石川のご近所さんシリーズ。
田上稔洋さんは、実は私が10年近く住んでいるお家の大家さん。
そしてこの写真のこの場所も、我が家から歩いて30秒ぐらいの距離。
ここは田上さんの土地で、来年ここで稲を育てるために今から草刈りをしているそうです。
なかなか広大な面積なのでご苦労が想像できますが、昼間のお仕事が終わってから涼しくなる日暮までをこの草刈りの時間にあてているそうです。
うちの犬の散歩で通りかかるとよく草刈りをしている田上さんの姿を見る最近、声をかけて撮影させていただきました。
立ち話で、以前は航空自衛隊のメカニックとしてお仕事されていて、日本のあちこちに赴任するような生活だったそうです。
この話も私が全く知らない世界でとても興味深く、ここにいろいろ書きたいのですが、今回は我慢しておきます。

7月1日から、吉野川の鮎釣りが解禁だそうで。
森のヘリポートの近くの川辺に行ってみると、やはりいました。鮎釣り名人。
お名前は西村保さん、82才。
少し横でお話しさせてもらいました。
生まれは石原で、現在は伊勢川にお住まいだそうです。
お仕事は大工さんをされていたそうですが、「若い時分からいろいろやったで〜」と豪快に笑っていました。
そんなことを話ししていると、釣り竿に引きが。その瞬間を撮影しました。
私が離れる際には、「これ持っていきや〜」と、たくさん入ったケースの中から数匹の鮎をいただきました。

春の、ある晴れた日。犬と散歩をしていると、私の自宅からすぐ近くのお家からカン、カン、カンという音がします。
通りかかった時に覗いてみると、それは石川基三さんが作業場でノミを叩く音でした。
基三さんは大工さん。お客さんから依頼のあった柵を作るため、こうして木材にホゾを彫っているところでした。
聞けば、最近はあまり手でホゾを掘ることは少なくなったが、今回はなぜか手で掘ろうと決めた、とのことでした。
私は大工仕事には憧れだけがあって、知識も技術も無いのですが、大工さんがノミを叩くカン、カン、カンという音が響くご近所付き合いは気持ちがほっこりします。

藤田光三さんは、私(石川)のすぐご近所にお住まいの、山の達人。
道つくりの日には班の全員が鎌を手に集合しているところ、光三さんだけは草刈機やチェーンソーを持って現れる。
私がいつもの犬の散歩道を歩いていると、ふだん人影を見ることのない細い山道に光三さんの人影が。
聞くと、ツル野菜のツル用の網を作るため、竹を採りに来たという。
確認はしなかったけれど、ここも光三さんの山?なのかもしれない。
いつ会っても、なんか楽しそうにニコニコしている大先輩です。

西内理さんは土佐町中島生まれ。高校卒業後、役場職員になるも四国電力に勤める方とご結婚されたことで転勤生活が始まります。
土佐山田→梼原→吾北→高知市、そして高松に落ち着いたそうです。現在は土佐町に戻り中島に暮らしています。

「95年間のキヨ婆さんの思い出」でいつも素敵な文章を寄せてくれる近藤潔さん。今年100歳!!
美容師(当時は髪結いと呼んだ)や道路工事などいろいろなお仕事をされていた潔さんは、高知新聞での電話交換手をされていたこともあったそうです。
ところが空襲で全てが焼け、故郷の相川へ戻ってきたそうです。その後、栗木の方とご結婚され、今でもお家は栗木にあります。

森岡浅子さんは中島育ち。現在86歳。
役場に長く勤められていたそうです。とんからりんの立ち上げから関わり、「楽しく生きることを生きがいにしています」と楽しそうに仰っていました。

土佐町北境育ちの森幸子さん。土居小学校から森中学校へ通いました。
6人兄弟の長女で、19歳の頃結婚。小学校の時に終戦を迎えますが、実家は農家さん。「後で言われるように、あの頃ひもじい思いをしたことは一度もなかった」と言っていました。

山中淳子さん、おん年84。昭和16年生まれ。
田井で生まれ育った淳子さんは、田井のことを最もよく知る方のひとり。
当時の田井の子供たちは田井小学校、田井中学校に通います。子どもが多い時代で、1クラスに35~40人ほどの人数がいたそうです。
その後は嶺北高校。田井のお家から自転車で通っていた、というところは現在の高校生と変わりませんね。
卒業後は女子専門学校で被服(縫製)を1年間勉強し、田井に今もある山吉屋でしばらく洋服を作る仕事をしていたそうです。