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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)



現在は中島にお住まいの川村邦博さん。85歳だそうです。お元気!
この写真を撮影したのは上津川。邦博さんは背景に写っている家で生まれ育ったそうです。30年ほど前に中島に引っ越したのですが、今でもこうして家屋の整備をしに上津川へたびたびいらっしゃるとのことでした。
邦博さんの少年時代は、現在の舗装路もなく細い山道が家の前を通っていました。その道を辿って山を越えると大川村の白滝鉱山に着いたそうです。
そこを徒歩の人やリヤカー、馬を引いた人などが行き来して、上津川には旅人が宿泊できる旅館もあったそうです。

昭和12年生まれ。本山町の汗見川育ちの川村璋さんは、20歳のときに地蔵寺にお嫁に来られたそうです。
以来、時代の変遷とともにずっと地蔵寺を見てきた璋さんです。

着物が素敵な野村昌子さんは、日本舞踊の若柳流をもう23年も続けてこられたそうです。
地蔵寺に生まれ、現在は地域のお仕事もたくさんされていて毎日楽しい日々なんだそうです。

大川村出身の川田佐代子さん。昭和32年にお嫁入りで地蔵寺に来ました。
当時、田んぼが少なかった大川村ではお米を食べることはほとんどなく、「地蔵寺ではお米が食べられる」と聞いて嫁いできたということです。

滋賀県生まれの宮村芳子さんは、地蔵寺育ちのご主人とご結婚され、40年ほど大阪に住まわれていたそうです。
ご主人のご両親が亡くなられたのを機にこちらに移住、以来26年地蔵寺に暮らしています。
地蔵寺での生活は、山に囲まれ空気がきれいで、とにかく毎日楽しく過ごしているそうです。

隅田育男・田岡政秀・川村房子・篠原守
地蔵寺のあったかふれあいセンターで健康麻雀に勤しむ皆さん。房子さんは普段参加していないので、通常は3人麻雀をしているそうです。
4人目の参加者を常時募集しているとのことです。

文一さんは昭和25年本山町生まれ。中学校を出てすぐ大工の森岡忠賢さんの下へ弟子入りしたそうです。
忠賢さんの3番目のお弟子さん。
以来、60年近く大工さんとして、また棟梁としてお仕事されています。
これまでいくつ建てましたか?という質問には、「もう数えられないぐらい建てた!」と笑って答えていました。近隣には文一さんの手がけたお家が数多く建っています。

左から 中山一利・シド・そら・美月・ネロ
田井に住む中山一利さん(カズさん)は、グラフィックデザインの会社「ナカヤマデザイン」を営まれています。
町の中で見るポスターやデザイン、お店のロゴなどは、カズさんの手がけたものも少なくありません。
お母さんの美月さんも、娘さんのそらちゃんも美術・クリエイティブ畑。
美月さんはとさちょうものがたりで連載中の「95年間のキヨ婆さんの思い出」で絵を担当していただいています。
そらちゃんは高校で写真部所属だそうです。
写真の右手に見える「ナカヤマデザイン」の色鮮やかな青いのれんが目印です。