2020年9月

笹のいえ

秋分の日に

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

秋晴れの9月22日の秋分に、やっと最初の秋冬野菜の種を蒔いた。

随分前から「やらなきゃ、やらなきゃ」と気ばかり焦っていたのだが、向き合えずに先延ばしにしていた。このところ最低限の家事や用事だけを済ませるくらいで日々が過ぎていた。何となく心が前に向かず、夜布団に入ると「このままでよいのか」と言う思いに鬱々とする毎日だった。

熱気のなか走り回っていた夏が去り、秋がやって来た。涼しくなって、ふと気持ちが立ち止まったのかもしれない。なんとなく物悲しく、たまに漠然とした不安に襲われる。こんなことじゃいけないと思いつつ、翌日また同じことを繰り返す、自分の中のアンバランスさを感じていた。

秋分の日の朝、SNSのタイムラインに友人が「これからは夜が長くなる、切ない」と書いていた投稿を読んだ。そうかこれは季節のせいなのかと思った。

この言葉で踏ん切りがついた気がして、その日久しぶりに畑に入り、草を刈り畝を整え、去年採った大根と人参の種を蒔いた。

たくさんの日光を浴びていると、モヤモヤしていた心の中にも光が差し込んで来るようだった。相変わらず考え込むことはあるし、向き合うべき事もたくさんある。けれど、抜け出した感は一歩前進と言うべきか。

いま通っている整体の先生が「気持ちと身体は季節とともに変化する。それに応じた運動や飲食をし、精神と肉体を整えていけば良い」というようなことをおっしゃっていたのを思い出した。季節とともに、僕の心と身体も少しずつ秋冬仕様になって来ているのかもしれない。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

大谷山の怪奇(大谷)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町の森に竹やんという人がいました。

竹やんは炭焼の名人と言われるほど、炭を焼くのが上手であったと。炭焼は窯に木を立てて火をつけると、四日も五日もしないと窯の火を消すことができないので、夜の夜中でも窯の火の番をすることが多かった。

竹やんはひとつも淋しゅうない人であったそうなが、ある夏の夜、大谷山の山の中で一人、窯の番をしていたのは風もなく静かな晩であったそうな。夜中頃になった頃、俄に山の上の方からザーザーというかすかな音…。草木も眠る丑三つ時(夜中の二時頃)、どんな小さい音も聞こえてくる、そのザーザーいう音は次第に近づいてくる。

さすがの竹やんも身に危険を感じ、あわてて炭窯の前にあった桜の木に登って様子を伺っていると、その音は次第に大きく近づいてくる。

ザー、しばらくして、ザー。

月の薄明かりにすかして見ると、なんとその音の物体は四〜五メートルもあろうか、道いっぱいになって動いている。

ザーザーいう音と共に次第に身にせまってくる。

さすがの竹やんも恐ろしくなって木の上にしがみついて、ブルブルふるえていたと。

いよいよその怪物は窯のすぐ前までせまってきた。これはいよいよ、この怪物に食われるのかと覚悟をきめた時でした。

炭窯の燃える火の明かりでチラっと見えたのは、なんと大谷山のふもとに住んでいる長さんというおんちゃんである。長さんは、この夜中に竹ぼうきを作るための竹を束にして、足が不自由なものだから、両手をついて一歩進み、一歩進めば竹の束をザーッと引寄せ、引寄せては一歩進むその音であった。

竹やんも怪物の正体がわかり、やれやれと思って木の上からひととびに飛び降りたと。すると、今度はビックリしたのは長さんである。急に大きなものが木の上から落ちてきたので、足の不自由なおんちゃんが二間(四メートル)も一気に飛んでいたと。

竹やんは生まれて今まで、こんな恐ろしい目にあったことはなかったと。

 
 

*この昔話を教えてくれたのは志和保三郎さんです。

志和保三郎(上ノ土居)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ポロシャツの追加注文をしたいのですが」

ある日かかってきた一本の電話。それは、大阪府の豊中市社会福祉協議会の飯野さんからでした。

土佐町・どんぐりの石川寿光さんが胸に「コロナに負けるな!」の文字をプリントしていきます

今年の7月、豊中市社会福祉協議会から「コロナ支援として、寄付金付きのポロシャツを作りたい」という相談がありました。その寄附金でコロナウィルスの影響で生活が困窮している人たちの食材支援をしたいとのこと。「コロナに負けるな!」という言葉を胸にプリントし、お送りしました。

 

今回の電話は「豊中市の民生委員さんたちのポロシャツを注文したい」。

豊中市の街中でポロシャツを着ている人たちを多く見かけるようになり、民生委員さんたちから、自分たちも作りたいという声があがったのだそうです。

 

 

大豊町・ファーストの大尾剛さんは白いポロシャツにプリント

 

たくさんのご注文をありがとうございます!

コロナの状況が落ち着いたら豊中市を訪れ、ポロシャツを着ている人たちにお会いしたいです!

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「廉太郎ノオト」 谷津矢車著 中央公論社

上野の東京芸術大学音楽学部校舎の前を通るたび、ここで学ぶ人達を羨ましく思っていました。音楽の才能に恵まれ、努力することを厭わない、選ばれし人たちのための学びの舎。なんて素敵な別世界!

とはいえ、芸大にも文化や音楽が理解されない不遇の時期があり、教授陣や学生たちが一丸となって艱難辛苦を乗り越え「音楽の府」の地位を築いたのでした。その中にいた一人が滝廉太郎です。日本の音楽家の中で燦然と輝く大作曲家の一人の滝ですが、彼だって初めから大作曲家だったわけではありません。 西洋音楽の洗礼を受け、自らの音楽を求める廉太郎と音楽学校の歴史が絡み合い、音楽を通じて芸術黎明期の時代をあぶり出している切ない青春物語。

秋の夜長にいかがでしょうか?

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

稗取り

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

少し前の出来事。

出穂した稲穂に少しずつ実が入り頭を垂れはじめたころ、周りと異なる葉っぱと実が付いている株があることに気づいた。近づいてみると、稗だった。

稗は田んぼで出会いたくない草のひとつで、大発生すると、お米の収量が著しく減ると言われる。また、たくさんの種を付け、それが落ちると翌年以降に大量発芽する。雑穀として栽培されているものとは種類が異なり、この稗は美味しくないらしい。

見つけたときは、穂がまだ緑で若かった。種は熟すと色が濃い黄土色になり、遠目でも米と見分けがつきやすいので、普段はもうしばらく経ってから刈り取る。だけどこのときは、数日後に大型の台風10号が近づくと言われていて、強風に煽られ、稗の種が田んぼにばら撒かれてしまったら大事(おおごと)と考え、ぬかるむ田んぼへ稗退治に入って行った。

稗を見つけては、地際から手鎌で刈っていく。少しでも茎が残っていれば、そこから生えてきて再び種を付けてしまう。足元が悪い中、稲を倒したり踏んだりしないように気をつけつつ、稗を刈り取るのは集中力が必要で、終わったときはグッタリと疲れていた。

田んぼによって状況は異なるが、ある田んぼには三抱えくらいもあった。集めた稗は種を落とさないよう慎重に持ち出して、処分した。

さて、この稗はどこから来たのだろう。

去年まで、僕がお借りしている田んぼで稗を見ることはほとんど無かった。あっても稚苗のうちに除草してしまうか、穂を付ける時期まで見逃していても種がこぼれる前に刈ってしまう。それでも、実をつけ種を落とした稗があるかもしれない。落ちた種は土の中で何年も生き延びることが可能で、気候や土の状態などの条件が合ったときに一気に発芽すると言う。

今回、稲株と同じように条に並んで生えていたから、田植えのとき稲と一緒に植えてしまったんだろう、と言うことは想像がつく。苗が小さいと稲も稗もよく似ているから、苗取りで間違えてしまったと言うこともあり得る。しかし、なぜ苗床に稗が生えていたのだろう(今年の苗床はこんな感じでした)。種もみは農家さんから譲っていただいたもので、別の種が入っている可能性はほぼゼロ。もし万が一、稗の種が混じっていたら播種のときに気づいていたはずだ。そして、苗床のあった田んぼには稗が生えていない。

田んぼで起こったミステリー、なのだ。

 

写真:刈り取った稗。ツンツンとした種が特徴だ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「在来植物 高知嶺北F 」 山中直秋

いつもお世話になっている山中直秋さんが作った本「在来植物 高知嶺北F」。

山中さんが、高知県嶺北地域の野山に根を張る在来植物を探して道々を歩き、コツコツと撮影した写真が全5冊にまとめられています。これはそのうちの4冊目、8月から9月編です。ちょうど今の季節にいいなあと思い、こちらを購入しました。

ページを開くと「星みたいな形のあの黄色い花は、“ヒメキンミズヒキ”という名前だったのか!」とか「地面を這うように葉を巡らせていたのは、“スベリヒユ”っていうのか!」と、まるで大発見をしたような、懐かしい友達に会ったような気持ちになります。

これだけの植物と出会うために、山中さんは一体どれだけの時間を費やしてきたのでしょう。

いつも庭先から、新しく見つけた植物のことや今取り組んでいることを話してくれる山中さん。それはそれは楽しそうで、私は元気をもっています。

山中さん、素敵な本をありがとうございます!

 

*山中さんのこの本は、土佐町の青木幹勇記念館で購入することができます。
(青木幹勇記念館:〒781-3401 高知県土佐郡土佐町土居437 TEL.0887-82-1600)

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

三足の下駄

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

今から50年ほど前に建てられたという家を片付けている。

瓦屋根で、和室が南に2つ、北に2つ並ぶ平家の家である。この家には大きなものから小さなものまで、山ほどの荷物が残っていた。洋服ダンスや布団、衣装ケースやマッサージチェア。人のことは言えないが、人が生きていく上でこんなにも荷物が必要なのかと思うほどだった。

納屋には皿鉢やお餅を並べるもろぶた、野菜を干すえびらや火鉢があり、納屋の隣にある壁には畑を耕す鍬や草刈り鎌がかけられている。

片付けていると、その人がどんな暮らしをしていたのかが感じられるものに出会う。

 

この家に住んでいたのは、最後にはおばあちゃん一人だったそうだ。お風呂や廊下、玄関には手すりが取り付けられている。手作りなのだろう、台所の作りつけの戸棚の扉の内側には「昭和47年○○製作」と黒いマジックで書いてある。「○○」はおそらく、大工だったという連れ合いさんの名前だろう。それはひとつやふたつではなく、茶箪笥の引き出しや玄関の靴箱の扉にも書いてあった。作った年と名前が書いてあるだけなのだが、その文字はそれ以上のことを語りかけてくる。

家の中には明かりが2つ付いた6畳の部屋がある。どんな部屋でも大抵そうであるように、ひとつは天井の真ん中についている。もうひとつは、縁側に面したその部屋の天井の隅についていて、紐を引っ張ると電気がつくようになっている。なぜひとつの部屋に明かりがふたつもあるのだろう。

その謎は、息子さんと話しているときに解けた。

おばあちゃんは洋裁の仕事をしていたのだ。和室の天井の隅から下がる灯りの元に座って、いつも仕事をしていたそうだ。なるほど、庭に面した縁側の隅には鉄製の足踏みミシンが置いてあったし、近くには小さな文机があって引き出しには色とりどりのマチ針や糸がしまわれていた。頼まれて着物を仕立てたりもしていたそうだ。

手元を照らしながらちくちくと針を進めていただろうおばあちゃんが、すぐそこにいるようだった。生きているうちにお会いしてみたかった。

 

靴箱を片付けていたら、奥から下駄が三足出てきた。それは女性用の下駄で、桐でできていてとても軽い。鼻緒の色は紅色やオレンジ、紫がかった桃色で、はっとするほど可愛らしい。きっとおばあちゃんが履いていたのだろう。

近所の人が言っていた。

「おばあちゃんは料理がとても上手な人で、よくおかずを持ってきてくれた。とてもようしてもらった」

おばあちゃんは、もしかしたらこの下駄を履いて近所を訪ねていたのかもしれない。

この下駄を、今度は私が履かせてもらおうと思っている。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ポリぶくろ、1まいすてた」 ミランダ・ポール文 エリザベス・ズーノン絵  藤田千枝訳 さ・え・ら書房

7月1日から始まったレジ袋有料化。大量のプラスチックごみ削減に対する貢献度はささやかなものだとも聞きますが、意識改革のとっかかりとしては有効なのではないかな、と思います。

ポリぶくろ(プラスチックバッグ)は便利なふくろです。けれどもすてられたポリ袋を食べた動物が死んでしまったり、庭に埋めたら草が生えなくなったり、大量の蚊の発生の原因になったりと様々な問題を引き起こしています。できるだけ使用しないことはもちろんですが、すでにあるポリ袋はどうすればよいのか?

ゴミにするのではなく、リサイクルすることで、環境改善に貢献するだけでなく、女性の収入の道を切り開き、女性の地位の向上の一助となった活動がありました。

ガンビア共和国(西アフリカ)のンジャウ村から始まったポリ袋のリサイクル活動は、近隣の住民の環境問題への関心を喚起し、公共図書館開館にも繋がったそうです。 小さな取り組みが、大きな流れを生み出すことにつながることを示してくれる絵本です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

さめうらカヌーテラス・オリジナルTシャツを作りました!

毎年、土佐町オリジナルポロシャツの絵を描いてくださっている下田昌克さんが、カヌーのロゴを描いてくださいました。実際にカヌーを見て「こんな感じかな?どうかな?」と何枚も描いていた下田さん。クレヨンで描かれたこのロゴからあたたかさが伝わってきます。

印刷は、どんぐりの石川寿光さんと川合希保さんがシルクスクリーンで一枚ずつプリントしました。

 

Tシャツは、さめうらカヌーテラスで販売しています。

Tシャツは綿100%、全部で4サイズあります。XS(160)・S・M・Lサイズ。各3000円(税込)です。

 

9月19日オープン!さめうらカヌーテラス

2020年9月19日にオープンしたさめうら湖畔の「さめうらカヌーテラス」。併設されている「さめうら荘レイクサイドホテル」と共に「湖の駅 さめうらレイクタウン」として、さめうら湖でのカヌーやSUPなど、水があるからこその体験を提供していく施設です。

 

19日のオープン当日は、カナディアンカヌーやSAP、湖畔でのサイクリング体験が行われ、多くの人たちで賑わっていました。

湖面の風と光がとても気持ち良さそう!

土佐町の方はもちろん、町外の方、多くの方たちに親しまれる場所となりますように。

ぜひ、さめうら湖ならではの体験をしてみてくださいね!

(さめうら湖でのカヌーやSUPの体験は、10月までです。)

 

 

湖の駅さめうらレイクタウン  高知県土佐郡土佐町146-1    Tel:0887-72-9919

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「シュナの旅」 宮崎駿 徳間書店

「シュナの旅」は、宮崎駿さんがチベットの民話「犬になった王子」を元に描いた短編漫画。「風の谷のナウシカ」と同時期、1983年に出版されています。どうしてもナウシカと重ねて読んでしまうのですが、宮崎さんの根底に流れるものは、いつも揺るぎないのだとあらためて感じます。

黄金色の穀物の種を探して西の果てへと旅に出たシュナが、人の愚かさや醜さ、生きる厳しさと出会いながら何度も立ち上がり、自分の信じるものへと向かって歩いていく。

市場で売られていた少女・テアに出会い、最後、生きる希望を見出すシュナの姿は静かに胸に響いてきます。

「行くか 行かぬか それは そなたが決めることだ」

旅の途中に出会った老人が話す一言が心に残ります。

宮崎駿さんにとってこの漫画をアニメーション化するのがひとつの夢だったそうですが、今からでもぜひその夢を実現させてほしいです。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
1 / 41234