前編からの続き
さて、引っ越し先の千葉県にある住まいは築40年ほどの昭和の家。母屋と離れと倉庫がある。前の持ち主が大工さんだったからか、増築や建て増しがされていて部屋数が多く、七人家族でも十分な広さがあるのはありがたい。
数ヶ月前、新しい生活にあたって、「どう暮らしたいのか?」を夫婦で話し合ったことがあった。ポストイットに思い思いのイメージを書き留めてまとめていった。五右衛門風呂、釜戸料理、コンポスト、あるもんで、もったいなくない暮らし、等々。キーワードを並べてみる。なんだ、いまの「笹のいえ」の暮らしそのままじゃないかと、思わず笑ってしまった。つまり、ここでの暮らしは、僕たちの理想そのものだったのだ。ただ、新しい(といっても中古だけれど)家では、より快適に、より健康に暮らしたいというのが、ふたりの意見の一致するところだった。まずは断熱性を高め、冬は暖かく、夏は涼しい家にするところからDIY計画が始まる。暮らしのエネルギーは、薪や太陽光、廃油などを利用し、床暖房にも初挑戦する予定だ。
生業は、土佐町での経験を生かしていくつもりだ。田畑を耕し、自分たちの食べるものを自給する。そして余剰分があれば加工して仕事につなげる。いろんな人と関わりながら、「三方よし」の働き方を模索していく。やれること、やりたいことがたくさんありそうだ。
家の改修、裏山や果樹の手入れ、田畑での作業。僕たち家族だけではとても手が回らないから、ここでもたくさんの方々に関わってもらうことになるだろう。僕は自分のやりたいこと得意なことに集中し、それ以外の分野ではその道の達人たちに頼むとしよう。僕らはそこでできたつながりの一部となり、相互に楽しく健康に生きていける関係が築けたらとイメージしている。
子どもたちは地元の小中学校に通う。中学三年の長女、中学一年の長男、新小学一年生の次女。土佐町での友人と離れ、新しい環境に馴染んでくれるだろうか。
あと数年もすれば、子どもたちは上から順番に親離れしていくだろう。親の介護も始まるかもしれない。そんなことも見据えながら、新しい土地で新しい暮らしでの出来事を、ひとつひとつ淡々と、季節が巡るように暮らしていきたいと思っている。
さて、「とさちょうものがたり」の「笹のいえ」連載も、これでおしまい。
連載開始当初、編集の鳥山百合子さんが「一年したら土佐町の歳時記になるね」と言ってくれた。それから五年以上、ここまで続けられたのは、鳥山さんや石川拓也さんのおかげだ。誤字やわかりにくい表現を指摘してくれたり、更新が滞ったときには「できるときで構わないよ」と優しく声を掛けてくれたり、ときには一緒にお酒を飲みながら土佐町の未来を語り合うこともあった。
そんな時間の積み重ねが、この文章の礎になったのだと思う。
読んでくださった皆さんにも、心から感謝を。
「読んでますよ」と声をかけてもらうこともあり、嬉しいような、ちょっと気恥ずかしいような気持ちだった。この文章たちが、どこかで誰かの目にとまり、何かのヒントになりますように。
そして、僕たち家族を温かく迎え入れ、見守り、分け隔てなく関わってくださった土佐町のみなさまへ、ありがとうございました!
この町での出会いとつながりは、僕たちにとってかけがえのない宝物です。
最後に、いちばんの感謝を家族に。
この11年間、ときには夫婦で、ときには家族で、いろんな波を乗り越えてきた。
いま、家族全員が元気で、こうして共にいられることは、奇跡のように思える。本当にありがたいことだ。
そして何より、家族の健康を支え続けているシネマへ。
最大の感謝と尊敬と愛を贈りたい。
2025年三月某日
渡貫洋介
写真:
数日後に留学を控え、ひと足先に「笹のいえ」を離れるほの波がいるタイミングで、土佐町最後の家族写真を撮った。写真を撮ってくれたしげみちゃんはプロの写真家で、僕らの暮らしを深く理解し、いつも応援してくれる存在。何度も笹のいえを訪れ、僕たちの日常の一コマを撮り続けてくれている。その時間と記憶に、心からのありがとう。