2022年2月

土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 7

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

美味しかった母の作ったお弁当

小学校三年生の秋の運動会。お天気も良くて、楽しみの少ない田舎の小学校の運動会、お年寄りや父兄たち総出の一年に一度の楽しみでした。

当時は広いと思った運動場も、85年過ぎた今はすっかり様変りしましたが、幼かった当時の姿形は今だに消えません。

当日、父は朝から行って競技に出、来年入学の妹は好き勝手に走り回り、母は皆のお弁当を作って来ることになっていました。

お昼になっても来ないので、帰って食べようかと坂道を半分くらい帰った所で、弟を背負って、両手に重箱らしいものを持って汗びっしょりで下りてくる母に会いました。近くの従兄弟の家の縁側を借り、熱いお茶を出して貰って、大きな重箱を開けてびっくり。家では見たことも食べたこともなかった五目めし。お皿代りの大きな貝殻。美味しいのと腹ぺこで忽ち一つは空っぽ。汗を流しながらよそってくれた「カカヤン」の顔が浮かびます。

年中麦飯だったのに、運動会用にお米を残してあったのか想像しながら、母の優しい心遣いに子供なりに感謝したのでした。

美味しいお弁当のおかげで、午後の競技も頑張れたのでした。

何につけても色白で丸顔、鼻筋の通ったカカヤンの顔が浮かんで涙々です。

やがて私も天国へ。その時は絶対、皆のいる相川の家へ帰ろうと思っています。

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2022 Feb. 和田

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和田 | 和田ことね

 

雪が積もった2月のある日。

田井あたりでは朝方には溶けて消えた雪が、和田ではしっかりと積もっていました。

和田地区の西和田八幡社の参道で。西和田八幡社(子守神社とも)は、地元の方々からは「八幡さま」と呼ばれる古い神社です。

和田に住む方は和田姓が多いのですが、この日の写真に映ってくれたのも地元に住む和田ことねちゃんです。

 

 

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みんなのアルバム

1956年の田井

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山々の麓に田畑が広がる一枚の写真。さて、ここはどこでしょう?

山の形にご注目。よくよく見れば、どこかで見たような…。

そう、この場所は、1956年(昭和31年)の土佐町田井地区です。右に吉野川が流れています。

土佐町で畳店を営む、谷さんが写真を見せてくれました。

以前「みんなのアルバム」で紹介した、「清水屋旅館」「冨士見館」「山中百貨店」は、写真中央左側の道沿いにあります。ここがかつての土佐町のメインストリートでした。

 

こちらは現在の田井地区。右には1973年(昭和48年)に完成した早明浦ダムの堰堤が見えます。広がっていた田畑の真ん中に国道439号線が走り、両側に店や家々が並んでいます。

この国道ができたことで、人の流れも生活も大きく変わりました。

変わらないのは、町を見守り続けてきた山々です。土佐町の山々は、65年後の今の町の姿をどんな風に見ているのでしょう。

 

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笹のいえ

予約卵

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二年前友人から三羽を譲り受けてからはじまった我が家の養鶏。二羽の雌鳥たちは毎日一二個の卵を産んでくれたが、七人家族の消費には追いつかず、また子どもたちの要望もあり、去年春に中雛を四羽購入、現在は八羽飼っている。

産卵するペースが鈍る冬の間にも関わらず、最近の母さん鳥たちは多いときには五つ以上の卵を産み落としてくれることもある。

巣箱をチェックすると、床にちょこんと鎮座している卵様。その佇まいに何故か癒される。

採れたものはサインペンで日付を書いて、台所の専用カゴに入れる。

ある程度数が貯まってくると、長女あたりから「そろそろ、いいんじゃない?」と提案がある。

家族全員で食べるのに一二個では足りないから、余裕をみてまあ十個くらいあれば夕食のおかずの一品として満足できるくらいの量になる。

しかし、大人気食材である卵には、「家族のおかず」よりも優先順位の高いイベントがある。

それは、「お弁当の日」である。

保育園や小学校では年に数回、お弁当を持参する日がある。

我が家では、お弁当のおかずはかなりの確率で、その子のリクエストが聞き入れられる習慣がある。そして、卵料理はこれまたかなりの確率でおかずランキング上位を占めるのだ。

自分のお弁当の日に卵のストックが無いと、とても悲しい気持ちになる。

なので、知恵のついてきた長女長男なぞは、その日が近づいてくると、卵を予約するようになった。

「明後日お弁当の日だから、卵二個取っておいてよ!」と言った具合だ。

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とさちょうものづくり

【土佐町の絵本】資料集め④

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ただいま進行中の『「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!』というこの企画。

絵を描くために必要なことはいくつもありますが、その内のひとつは「資料を集めること」。

土佐町の絵本には、宮古野地区で行われる行事「虫送り」の場面が出てきます。土佐町の伝統行事の一つで、その絵を描いてもらうためには必要な資料がいくつもあります。

ほら貝や太鼓を持った人たちがつくる行列の並び方、田んぼの畦に立てる「五色の旗」の意味については、前回の記事「資料集め③」でお伝えしました。

今回は、「五色の旗」の元に置かれる「お供え物」についてお伝えします。

虫送りのお供え物

この写真は、ある年の虫送りの日、田んぼの畦に置かれていたお供え物です。

お供え物は、柿の葉の上に置かれたみかんとしば餅。他にも、柿の葉とお菓子、お米を供えている場所もありました。

柿の葉など、各場所に共通して置かれているものもあり、「お供え物のひとつひとつは、一体何を意味しているのだろう?」という疑問が新たに生まれました。

編集部は再び、「五色の旗」についての話を伺った宮元千郷さんの元へ伺いました。宮元さんは、宮古野にある白髪神社・第41代目の宮司さんです。

 

お供え物の意味

宮元さんによると、お供え物はそれぞれの場所や家によって違うのだそうです。「何をお供えしても、それは祈りのかたち。何が正しくて、何が間違いということではない」と話してくれました。

でも、基本となるお供え物の形はあるとのこと。それぞれの意味を教えてくださいました。

柿の葉

上の絵が基本のかたちです。
まずは「五色の旗」の元に立てられている「柿の葉」について。

「田んぼの畦によく柿の木が植えられていますね。それはなぜだかわかりますか?」

宮元さんにそう聞かれ、そういえば宮古野地区に限らず、土佐町のあちこちの田んぼの畦に柿の木があるな…、と思い当たりました。

「柿渋というものがあるでしょう?渋柿を発酵させて作るもので、防虫作用がある。昔から、漆の下塗りや衣服を染めたりと使われてきたものです。田んぼの畦に柿の木があると、田んぼに落ちた柿が柿渋となって土に染み込む。柿渋の染み込んだ土には、畦に穴を開けるオケラが潜らなくなる、そう言われていた。だから皆、田んぼの畦に柿を植えたんです」

オケラは、地中に穴を掘って生活しているバッタの仲間です。畦に穴が開くと水が漏れて米が育たない。畦に穴を開けるオケラは、人間にとって厄介な生き物だったのでしょう。

昔は農薬なんてありません。そのオケラを何とか追い出したい。その一心で考えた策だったのかもしれません。

 

栗の葉

「栗には、あのチクチクしたイガグリがあるでしょう?あのイガグリが田んぼに落ちて、畦に穴を開けるモグラに当たりますように、モグラがいなくなりますように。そんな願いが込められているんです」

と宮元さん。

土の上にちょうど顔を出したモグラに、ちょうどイガグリが落ちて、「イタタタ…」。

…なんて漫画のようですが、お米を作る人の苦労や願いが痛いほど伝わってきます。

田んぼの畦を守ること。それは稲を育てる水を守ることであり、すなわち米の実りを守ることでもあったのです。それがどんなに大切なことだったか。今のように機械も農薬もない、人間の力だけで何とかしないといけなかった時代、藁にも縋る気持ちだったことでしょう。

「なんとかこの一年の実りを得て、皆が食べていけますように。生きられますように」

栗の葉も柿の葉も、その時代の人々の切なる願いそのものです。

 

お盆の上のお供え

その柿と栗の元には、丸いお盆に載せたお米、御神酒、しば餅が置かれています。

なぜ、この3つをお供えするのでしょうか?

 

・お米

現在は白米を供えることが多いそうですが、以前は種籾や黒米を供えていたそうです。

「これはお米の種を意味するものです。どうか良いお米をください、という祈りなんです」

と宮元さんは教えてくれました。

なるほど!

・しば餅

しば餅は、サルトリイバラの葉(しばの葉)でお餅を挟んで蒸したものです。この辺りでは、産直市やスーパーでよく売っています。

餅はお米の収穫があって初めてできるもの。逆を言えば、お米の収穫がないとお餅はできない。だから、しば餅は「収穫」の象徴なのです。

「『どうか、今年の収穫を授けてください』。お米を作る人々の願いが込められているんですよ」

と宮元さん。

なるほど、なるほど!

 

・御神酒

お酒もお米があるからできるものです。しば餅と同様、お米がないとお酒もできない。だから御神酒を供えることで、今年の実りを祈る。

御神酒、お米、しば餅。全てはお米があるからこそできるものです。

「全てのものに、その時代の人々の願いや祈りの心がつまっているのです」

宮元さんはそう話してくださいました。

お米があれば。
お米さえあれば。
生きていける。
生きたい。

この地を耕し続けてきた人たちの声がこだまのように響いてきます。

 

宮元さんは何度も「祈り」「願い」という言葉を口にしました。

当時の人々は、何に向かって祈っていたのでしょう?自然に対してでしょうか?それとも、何かの神さまに対してでしょうか?

 

次の記事ではその「祈り」について、宮元さんに伺ったお話をお伝えしたいと思います。

 

宮元千郷 (宮古野)

 

【土佐町の絵本】資料集め③

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私の一冊

西野内小代

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「ラプラスの魔女」 東野圭吾 KADOKAWA

不思議な能力を人工的に授かった10代の男女2名を中心に話は進行していく。

時代は現代だが少し近未来的な推理小説と感じる。

事件により記憶喪失となった少年、手術によって授かった非凡な能力(頭脳)を駆使し復讐を実行するために行方をくらます。

彼の孤独に寄り添いたいと同じ手術を父親に施してもらった少女が彼を追跡。謎解きを依頼された大学教授。

読み始めたらもう止まりません。

 

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Photography, Writing, Exploration!

The Role of a Traveler…

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I was recently told that as an international resident, my fresh perspective of the environment and community around me can provide local residents with new ways to view and possibly engage with what has been so familiar to them. I loved hearing this!

Keeping this insight in mind, I thought of moments spending time with guests and international travelers where I am from, in between college semesters with an eagerness to use my camera to capture beautiful and familiar sceneries in and around the city.

Given my strong passion for photography and growing interest in writing, I am looking forward to continuing my exploration of Tosa-cho as well as the greater Kochi prefecture…the days, the nights, the landscapes, the animals, the residents, the stories…

Obviously travelers can be MORE than just tourists. With common sense, empathy, a strong sense of curiosity and a willingness to venture out, travelers can reinvigorate small or big towns and cities with a plethora of things.

During my car ride to and through Tosa for the first time, I couldn’t help but think of Radiator Springs, the fictional Arizona town and main setting in the Disney/Pixar film Cars. Like Radiator Springs, Tosa is a beautiful small town, with a small population.

Both towns are surrounded by beautiful landscapes and contain great business owned and employed by people who put their minds, hearts and souls into their work. Travelers and permanent residents will continue to breathe new life into Tosa, just as Lightning McQueen breathed new life into Radiator Springs.

Dear travelers,

Continue to venture out and explore. Be grateful. Express gratitude. Express your talents and use them to return kindness and to present new perspectives that can remind, illuminate and leave a powerful, positive impact wherever your temporary destination may be ✌🏾.

海外からの移住者として、新たな環境でのコミュニティに対する私の視点は、地元の人々の「ふつう」という感覚に、新しいものを提供できるはず、ということを最近言われた。とても良いと思う!
 

その洞察を念頭に置きながら、私は出身地での、大学の学期の合間、ゲストたちと海外からの旅人たちと一緒に過ごした時のことを考えていた。地元のあちこちで美しく親しみのあるシーンを捉えたいという、カメラに対する熱意があった。
 

写真に対する強い情熱と大きくなる文章への興味を手にして、私は土佐町と高知県でのこの滞在を心待ちにしていた。その日中、夜、風景、動物たち、住民たち、そしてその物語‥。

 
明らかに旅人はただの観光客というもの以上の存在になれる。良識、共感、強い好奇心、未知への探究心などを使って、旅人は過剰に物質的な大小の町や都市を再定義できる。
 
初めての土佐町での車の運転中は、ラジエーター・スプリングスのことを思い出さずにはいられなかった。ディズニー・ピクサーの映画「カーズ」の主舞台である、架空のアリゾナの町だ。土佐町はラジエーター・スプリングスのように、美しく小さな町だった。
 
両方とも美しい風景に囲まれて、人々がその心と魂を込めた素晴らしい営みに満ちている。旅人と住民たちは土佐町の暮らしに新たな息吹を吹き込み続けるだろう。ちょうどライトニング・マックイーンがラジエーター・スプリングスにそうしたように。
  
親愛なる旅人たちへ
 
ぜひ探求をし続けてください。感謝の気持ちを持ち、それを表現しましょう。あなたの能力を発揮して、受けた親切にお返ししましょう。新鮮な視点を提供しましょう。そしてあなたの目的地がどこになるとしても、パワフルでポジティブなインパクトを残していきましょう✌🏾

 

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みんなのアルバム

古味地区の楮はぎ

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さめうらダム建設の際に、ダムの底に沈んだ古味地区。この写真は、古味地区出身の濱口幸弘さんが見せてくれた一枚です。

写真の裏には「昭和41年.3.12. 楮(こうぞ)はぎ」とメモされています。

楮は「カジ」とも呼ばれ、紙の原料になるものです。山で育てた楮を切り出し、蒸して、皮を剥いで出荷します。この一連の作業「カジ蒸し」は、山の貴重な収入源でもありました。

写真の大人たちは、蒸し上がった楮の皮をせっせと剥いていますね。写真手前の白い枝は皮を剥いだ後の「かじがら」。よく燃えるので今もお風呂の焚き付けなどに使われています。

土佐町の人たちは「子供の頃、よく手伝ったよ。一緒に蒸すお芋を食べるのが楽しみやった」と話す人も多くいます。

皮を剥いでいる大人たちの周りで、子供たちは手伝っているのか、それとも「遊ぼうよ〜」と駄々をこねているのか。どちらにせよ、その幼い眼にこの風景が焼き付いていることは間違いありません。

 

昭和41年の楮はぎ

「早明浦ダム」という本によると、「昭和42年12月15日 」にダムの基礎掘削が開始されたとのこと。

だから「昭和41年の楮はぎ」は、ダムに沈む直前の楮はぎだったのでしょう。

昭和23年生まれの濱口さんは、子供の頃から「古味地区はダムに沈む」と聞いて育ったと言います。「昭和41年の楮はぎ」の時も、もちろん人々は自分達の暮らしている家や土地がダムに沈むことは分かっていたでしょう。それでも、人々は今まで繰り返してきた営みをやめることなく、最後まで自分達の暮らしを続けていたことをこの写真は教えてくれます。

 

 

*「カジ蒸し」は、現在も土佐町の南川地区で行われています。

南川のカジ蒸し(前編)

 

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鹿の角で作った御守りをガチャガチャに入れた「鹿の角ガチャ」。

昨年4月から販売開始し、土佐町の「うどん処繁じ」さんや、高知市の「高知蔦屋書店」さんに設置させていただいています。

10月からは高知市の日曜市にも出店、小さなお子さんから80代の方まで、たくさんの人たちにガチャガチャを回していただいてきました。

その「鹿の角ガチャ」に新たな進展が!

 

まるごと高知へ!

2022年1月末より、この鹿の角ガチャが、東京・銀座にある高知のアンテナショップ「まるごと高知」に置いていただけることになりました!

「まるごと高知」は、『高知の情報発信拠点として、物産品の販売のみならず、文化、観光情報など、高知の魅力をまるごと発信』している場所で、店内には高知ならではの商品や食材が並び、連日、多くの高知ファンの方たちが訪れます。

実は昨年秋、編集部は「まるごと高知」の商談会に参加、今回の設置が決まったのでした。

お店の入り口に置いてくださっているようです

先日、まるごと高知の方が写真を送ってくださいました。

売れ行きは、なかなか好評!とのことで、先日追加の注文をいただきました。

 

高知ならではの御守り

高知ならではの御守り「鹿の角ガチャ」。

以前もお伝えしたように、材料の鹿の角は、土佐町や大豊町、本山町の猟師さんからいただいたものです。

その角を切り、穴を開ける作業は「笹のいえ」の洋介さんが担当してくれています。

その角にひもを通し、御守り紙を切って折って、カプセルに入れる作業を担うのは、大豊町の障がい者支援施設「ファースト」と土佐町の「どんぐり」のメンバーさんたち。作業する方々には、その収益から作業代がお支払いされる仕組みになっています。

 

たくさんの人の存在があって、この「鹿の角ガチャ」はできています。

東京近郊の皆さん、ぜひ、ガチャを回してみてくださいね!

高知という土地の懐の深さ、そのゆたかさが少しでも伝わりますように。

 

*高知県アンテナショップ まるごと高知

 

鹿の角、ください

というわけで、編集部は近隣の方々に不要な鹿の角をいただけませんか?というお願いを常時しています。

あくまで「不要なもの」をいただけたら大変ありがたく思います。左右揃っていてなくても、立派でカッコの良いものは手元に置いておいていただいて、割れていたり小さくて使い道のないものとか大歓迎です。

もし「あるよ〜」という方がいらっしゃったら、こちらからお引き取りに伺いますので、ぜひご一報いただけたら大変ありがたいです!

ご連絡は電話でもメールでも。以下の画像に掲載している連絡先にお願いいたします。

 

 

 

 

 

*高知新聞の記事です

鹿の角ガチャ!高知新聞に掲載されました!

シカのシンカ 高知新聞に掲載されました!

 

 

 

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私の一冊

川村房子

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「青空と逃げる」 辻村深月 中央公論新社

深夜一本の電話が平凡な日常を突然奪った。追い詰められていく母「早苗」と息子「力」。

舞台は知人を頼って逃げた高知県四万十からはじまる。最近選んでるわけじゃないのに、小説の中に高知県の出てる場面にいきあう。やっぱりちょっとうれしくて頬がゆるんでしまう。

その四万十に、父親の行き先を尋ねてきた怪しい男たち。お世話になった方々へのお礼も伝えられずに、必要最小限の荷物だけをもって、恐怖におびえながら逃避行を続ける早苗と力。

高知県の四万十、兵庫県の家島、大分県の別府。

秋田県の仙台に父親がいるらしいと知って、羽田空港をさけ名古屋空港からと思ったが、早苗が風邪で倒れこんでしまう。逃避行の間に、右に左にゆれながらも成長していく力の姿に胸うたれる。思春期の感性に、年甲斐も無くつい入り込んでしまう。

青空から逃げるのではなく、青空と一緒に逃げる。

救いと再生の物語。

 

 

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