とさちょうものがたり

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土佐町オリジナルポロシャツ、高知新聞に掲載されました!

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高知新聞に掲載されました!

2025年4月18日、土佐町オリジナルポロシャツ2025の制作についての記事が掲載されました。

高知新聞嶺北支局の川嶋幹鷹さんが取材に来てくださいました。

土佐町は「水で活きる」という言葉を掲げ、山の恵みである水を大切にしてきました。その「水」が2025年のオリジナルデザインです。

ライトブルーとターコイズで印刷するデザインは、とても爽やか!

取材日、土佐町の就労継続支援B型事業所のどんぐりのメンバーさんである石川寿光さんと川井希保さんが、一枚ずつ丁寧に手で印刷してくれました。

昨年はオリジナルポロシャツの制作をお休みしました。「なんで作らなかったの?」「作ってほしい。わたしゃ、毎年楽しみにしてるのに」と、町の方が声をかけてくれることが度々ありました。その声がどんなに嬉しかったか!

声をかけてくれた方に「今年は作ります!」とチラシを手渡すと、とても喜んでくださって、早速ご注文をいただきました。町の皆さんに背中を押されるように、現在どんどん制作中です。

新聞掲載後、高知市や大月町の方からもお問い合わせやご注文をいただきました。ありがたいことです。色々な場所で、「水」を背中にまとった方と出会えることがとても楽しみです!

 

 

【販売開始】土佐町オリジナルポロシャツ2025

 

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くだらな土佐弁辞典

ようよう

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ようよう

【副詞】やっと

 

例:ようよう持ちあげた

意味:(重い物を)やっと持ち上げた

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今年は「水」がテーマ

カラーは4色・Tシャツのご注文も承ります

土佐町オリジナルポロシャツ2025販売スタートです!

昨年は一休みしましたが、春なので今年も販売開始です!

*このページの下部からも直接ご注文できます

とさちょうものがたり(合同会社 風)から”土佐町オリジナルポロシャツ2025”販売開始のお知らせです。

土佐町のこの取り組みももう8年目。毎年ご購入いただいている町の住民の皆さま、いつもありがとうございます。

 

原材料の高騰や諸経費の値上がりなどの理由で、この春からシルクスクリーンの商品の価格改定をさせていただいています。ポロシャツ・Tシャツ(XS~2Lサイズ)は、3,410円(税込)になります。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

今年は「水」がテーマ

今年の背中の絵は土佐町の合言葉「水で活きる」から、水をテーマにしました。

原画はもちろん、土佐町の絵本「ろいろい」を描いてくれた“絵描き”の下田昌克さんの手によるもの。

 

 

下田昌克さん

 

ライトブルーとターコイズという2種類の「青」を使って、土佐町が大切にしている「水」を表現しています。

いつもすぐそばにある、水。

山からの水、一滴ずつが清らかな流れとなっていきます。

このポロシャツから、土佐町の水の美しさが伝わればうれしいです。

 

印刷は障害者就労支援事業所

印刷を担当するのは、嶺北の障害者就労支援事業所の利用者さんたち。

土佐町のどんぐり・大豊町のファースト。シルクスクリーン印刷で、手作業で一枚一枚印刷します。

この取り組みが始まってもう8年。

その間ずっと同じメンバーでやってきたこの事業、彼らの腕前はもう熟練した職人さんのようになっています。

この商品の売り上げから、賃金・工賃がお支払いされます。

 

 

カラー・サイズ

カラーはホワイト・グレー・インディゴ・ブラックの4色です。

 

*3L〜5Lサイズは価格が異なります。
・3L  3,520円(税込)
・4L  3,740円(税込)
・5L  3,850円(税込)

 

Tシャツも作ります

ポロシャツだけでなく、Tシャツの発注も承ります。ご注文の際に「Tシャツ」「コットンまたはドライ」をお伝えください。

Tシャツのお取扱いサイズは、
・コットン100%、4Lまで
・ポリエステル100%、5Lまで

となります。

 

 

以下はポスター・発注書です。発注書は、団体・複数人でご注文いただく場合に、ご自由にお使いいただければありがたいです。

 

ご注文・お見積もり・お問い合わせは

0887-72-9260

E-mail:  info@tosacho.com

 

 

今年もたくさんの方々からのご注文をお待ちしております!

以下のご注文フォームからも注文できますのでご利用ください。

土佐町オリジナルポロシャツご注文フォーム

Tシャツをご希望のお客様は備考欄に「Tシャツ」とご記入ください。

カラーを選択してください。
サイズ・枚数・素材の入力欄が表示されます(複数選択可):

商品のお受け渡し方法 (必須)

お支払い方法 (必須)

 

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連載「ふるさと教育」では、土佐町小学校で行われている郷土を知るための授業の様子を取り上げていきます。

 

土佐町小学校の5年生は、1年間を通して「山の学習」を行います。

実際に町内の山へ行き、林業に従事している人に話を聞いたり、10月には間伐体験を行います。この時に伐採した木は現在乾燥中。6年生になった時、土佐町で生まれた赤ちゃんのおもちゃを制作するために使います。

2025年1月21日、5年生は「宝箱」を作りました。

高知産のヒノキを使ったものづくり。先生は土佐町の宅間宏治さん。町内で「Forest」という木工工房を営んでおり、5年ほど前から土佐町小学校の子どもたちに、木を使ったものづくりを教えてくださっています。

「僕は肺がんが見つかって、今治療中です。しんどいので、今日は土佐町の大工さんたちに手伝ってもらいながらやりたいと思います」

宅間さんのこの言葉から、授業は始まりました。

 

 

宝箱を作る

最初に、事前にカットされた板と部品が一人ひとりに配られました。

子どもたちが組み立てやすいよう、宅間さんは各板にほぞをつけています。ほぞの形が揃っていないとうまく組み立てられないので、正確にほぞを作る必要があるそうで、「これがなかなかめんどくさいのよ」とのこと。

まずはほぞを組み合わせ、箱の部分と蓋の部分を作っていきます。ほぞにボンドを付け、一面ずつ組み立てていきます。少しずつできていく、箱の形。最終的に箱と蓋を組み立てられたら、蝶番で開け閉めができるようにします。ちなみに、蝶番は形がチョウチョみたいだからその名がついたそうです。

 

 

さあ、どうする?

ボンドを付け、組んだところにさらにビスを入れて行きます。

一人の男の子が、宅間さんに何やら相談していました。ビスの頭が折れ、ネジが板の中に入り込んでしまったとのこと。

「どうしたらいいですか?」

「さあ〜、どうしようかねえ」

と宅間さん。

顔を突き合わせるように、入り込んでしまったビスをじっと見る二人。しばらくその様子が続きました。そして長い沈黙を破るように、男の子が一言、「もうやめますか?」

宅間さんは我に帰ったように顔を上げ、「あきらめたら終わり。さあどうしよう、って考える。それが木工の面白いところ」

イタズラ坊主のような、生き生きとした表情でした。

 

宅間さんは手を動かし始めました。

手元の板の切れ端を小さく切り、ビス穴のサイズに合うか確認。
少し大きすぎたので、さらに小さく切る。
サイズはこれくらいでOK。
その板をさらに削ってみる。
ビス穴に入る大きさになるか?
うん、これでOK。
それをビス穴に埋め込み、さらに木クズも加えてみる。

お、これでいけるんじゃないか?
指でぎゅ、ぎゅっと抑え込む。
おお!穴が空いてしまったところが、見事もう一度平らに!

少しずらした場所へ、もう一度ネジを回し入れる。
さあ、今度はうまくいくか…。

あ、うまく入った!
やった!!

男の子は、宅間さんの顔と宝箱を交互に見ながら、宅間さんの手元をじっと見守っていました。ネジが入った後、「おお〜!」と一気に二人は笑顔に。

「ありがとうございます!」
そう言って飛び跳ねるように、男の子は自分の席へ戻っていきました。

 

失敗しても、修復できる。失敗しても、もう一度。
途中で投げ出さない。何とかする。あきらめない。

ビス穴の修復は、願いにも似た、試行錯誤の積み重ねでした。
宅間さんはずっと、この姿勢でものづくりをしてきたのです。

担任の磯﨑晃(ひかる)先生が話してくれました。「土佐町小学校の子どもたちは、一人一台パソコンを持っていることもあり、分からないことがあれば、子どもたちはすぐに “調べていいですか?”と聞いてきます。調べることはもちろん大切ですが、調べる前に、一度立ち止まらせてあげること、自分で考えることを大切にしてあげたいと思っています」

自分で体を動かして考える。その経験が本当に大切だと思う、と。

誰かが出した答えを、すぐに自分の正解にしない。本当にこれでいいのかな?と考え、実際に試してみる。さまざまな情報が溢れる今、こういった姿勢は、これからを生きていく子どもたちにとってとても大切なことだと思えます。

 

完成した宝箱を手に、何度も蓋の開け閉めをしてみたり。持ち上げてみたり、とても嬉しそうな子どもたち。

中に何を入れたいか、聞いてみました。

「手紙を入れようかな」「不思議の国のアリスのハガキを入れたい」「まだ決めてないけど、自分の大事なものを入れたいな」

高知県産の木材を使ったものづくり。

なぜ、宅間さんは子どもたちと「宝箱」を作ろうと思ったのでしょう?

「僕が好きだから。楽(たの)しゅうないとね」

宅間さんは、にやりと笑ってそう言いました。

 

 

あなたの名前

最後に、宅間さんからプレゼントが。子どもたちそれぞれの名前が入った木のキーホルダーでした。

「宝箱につけてごらん」

自分の、自分で作った宝箱。

子どもたちの誇らしげな、嬉しそうな顔。宅間さんも大工さんも先生も、みんなが笑顔でした。

「こういった経験ができるのも、土佐町に山があり、木を切る人がいて、加工する人がいて、ものづくりをしている人がいるからこそ。この環境はどこにでもあるものじゃない。こういった環境があるから、子どもたちも体験ができる。素晴らしいことだと思います」

磯﨑先生はそう話してくれました。

土佐町で日々目にする山。山の一本一本の木の向こうに、木を育てる人や切る人がいる。製材した木で、新たなものを作る人がいる。その一連のつながりが見える環境は、都会ではなかなか手に入りません。

ものを手にした時、これはどこから来たのか?誰が作っているのか?そのつながりが見えるか否か。それは、世界の見え方を変えることである、と強く思います。

「体調が万全でないので、これが最後の授業になると思います。宝箱、大事に使ってくださいね」

宅間さんはそう話し、手を振りながら教室を後にしました。

 

 

子どもたちはきっと、宝箱の蓋を開けるたび作った日のことを思い出すでしょう。

大事なもの、ワクワクするもの。これから出会う大切なもの。自分の宝物をたくさん見つけてほしい。子どもたちと「宝箱」を作ろうと思った宅間さんの思いが、伝わってくるようでした。

 

宅間さんの1日も早いご回復をお祈りしています。

 

左から 植田潤一さん, 小笠原啓介さん, 山中晴介さん, 宅間宏治さん

 

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4001プロジェクト

森幸子(田井)

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土佐町北境育ちの森幸子さん。土居小学校から森中学校へ通いました。

6人兄弟の長女で、19歳の頃結婚。小学校の時に終戦を迎えますが、実家は農家さん。「後で言われるように、あの頃ひもじい思いをしたことは一度もなかった」と言っていました。

 

 

 

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くだらな土佐弁辞典

ほこる

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ほこる

【動詞】ほこりがたまっている

 

例:すごいほこっちゅうね。

意味:すごくほこりがたまっているね。

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4001プロジェクト

山中淳子 (田井)

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山中淳子さん、おん年84。昭和16年生まれ。

田井で生まれ育った淳子さんは、田井のことを最もよく知る方のひとり。

当時の田井の子供たちは田井小学校、田井中学校に通います。子どもが多い時代で、1クラスに35~40人ほどの人数がいたそうです。

その後は嶺北高校。田井のお家から自転車で通っていた、というところは現在の高校生と変わりませんね。

卒業後は女子専門学校で被服(縫製)を1年間勉強し、田井に今もある山吉屋でしばらく洋服を作る仕事をしていたそうです。

 

 

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14号ができました!

 

とさちょうものがたり ZINE14が完成しました。土佐町在住の方々には近日中に配布される予定です。

14号目は「土佐町の人々」(鳥山百合子)。

土佐町で暮らす5組の方々にお話を聞き、その暮らし方の一端を見せていただきました。

 

1, クロを積む

土佐町の田んぼのあちこちで見かける「クロ」。真夏に刈った草を積んでできている。

クロは昔から使われてきた肥料だが、時代の流れと共にクロを積む人は減っている。

長年、土佐町地蔵寺の田で、クロを積み続けてきた西村卓士さんと 田岡袈裟幸さん。

この場所の50年の変遷を知る、お二人の思いとは。

 

2, 南川のカジ蒸し

一年で最も寒い2月、土佐町の南川地区で行われているカジ蒸し。

木の甑(こしき)から立ち上る湯気のそばでカジの皮を剥ぐ風景は、土佐町の冬の風物詩。

北風が吹く中、カジを蒸し、カジの皮を剥ぐ。それが山の貴重な収入源だった。

担う人は高齢化、いつまで続けられるか分からない。南川のカジ蒸しの風景を、ここにちゃんと残しておきたい。

 

3, シシ肉をいただく

冬、猟犬と共に山に入り、見つけたイノシシの足跡を見極め、しとめたイノシシを自ら捌いて肉にする。山を駆け回っていたイノシシの肉は鮮やかな紅色で、瑞々しい。「命をいただく」とは?

土佐町栗木地区の猟師である近藤雅伸さんに、イノシシ猟について話を聞いた。

4, ハチミツを採る

ミツバチを飼い、ハチミツを採る。土佐町で昔から行われてきた営みだ。

土佐町上津川地区に住む高橋通世さん。お父さんもミツバチを飼っていたという。

ミツバチの声に耳を澄まし、必要なお世話をし、自然の営みを得る。

通世さんが教えてくれたミツバチの世界、自然との暮らしの意味とは。

 

5, お山のお母さん

標高500mの場所にある、土佐町溜井地区の和田農園。トマトを中心に野菜やお米を作っている。

訪ねれば食卓に並ぶ手作りの山の幸、旬のもの、山の恵みを活かし、作れるものは何でも作るお山のお母さん、和田計美さん。温暖化や急激な環境の変化が続く中、計美さんは今日も畑に立ち続ける。

 

とさちょうものがたりZINEは、いつも通り高知県や首都圏の施設や店舗などで配布されます。土佐町外には少し時間差で届きますので、ご希望の方はご確認の上、入手してください。

 

配布施設はこちら

 

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
(2024年5月27日追記:潔さんは現在98歳。この連載を開始したのが95歳の時だったので、題名はそのままとしています。)

 

筍売り

昭和21年終戦の翌年、和田ケ谷での初めてのお正月を過ぎた四月。大雪降らず、母も熱も咳も出ず、家族にとっては何よりも安心でした。四月は筍の生える季節。住んでいる所の少し上に、広いハチク竹の竹藪があって、筍が生え初めても地主が来ないので、父が千円で全部買い取り、妹と交替で、毎日中島、田井、森方面へ売りに行ったのです。

負い子一杯十貫位、大きなおいしそうなのを選んで、売れる売れる。毎日行っても、塩漬けにするとか、干しておくとか私達の事情を知ってか、疲れを忘れる位、嬉しい毎日でした。

妹は体格が良くて、十貫位は平気でしたが、私はチビ、負けず嫌いで頑張ったのでした。後から後から生える筍、思いがけない金儲でした。

中島に、チョウさんという朝鮮人が狭い軒先で魚を売っていて、毎日変わった魚を買って帰り、皆を喜ばせるのが楽しみでした。

77年昔の事です。たった一人生き残って、申し訳無く思ったり、遠い昔の思い出に涙し懐しんでいます。人の情を有難く感じ始めた若い頃の思い出です。

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4001プロジェクト

伊藤千代野  (中島)

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大川村で生まれ育った伊藤千代野さん。15歳まで大川村の学校に通い、卒業後は岡山の織物工場で働いたそうです。時代は1960年頃。

6,7年岡山での暮らしをした後に、一度大川村に戻り、その後22歳で土佐町の方の元に嫁いできたそうです。

当初のお住まいは柚木。バスで中島の縫製工場に通い、縫い子としての仕事を17年続けました。

松島被服、タカラ繊維といった大きな工場が中島にあったそうで、70人もいる社員とともにスキー服の縫製などをされていました。

 

 

 

 

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