種子さんのアルバム
ここ数年、種子さんは体調を崩しがちになり、定期的に病院へ通う生活を送っている。以前は週に3回は稲叢山周辺へ行き、木々の手入れをしていたが、今は山へ足を運ぶことが少なくなっている。
私が種子さんのお話を聞きたいと連絡したのは4月の中頃だったが、そのとき、種子さんはまだ今年の桜を見ていなかった。
種子さんは車を運転することができない。一緒に車に乗って山へ行き、一緒に木を植え続けてきた友人も歳月とともに年を取り、話をしてもわからない状態になっているという。この数十年の間に亡くなった人もいる。自分の山の土を分けてくれた和田さんも亡くなった。
時とともに木は育つ。その一方で、人は歳をとり、衰えていく。
種子さんは、アルバムを見せてくれた。植樹した年ごとにまとめられた数十冊のアルバムには、花や木々、共に木を植えた人たちの姿が丁寧に納められていた。
「楽しかったからできた」
その言葉には、種子さんが注いできた全てが込められている。
種子さんの願い
稲村ダムへ向かう道沿いに、一つの記念碑が立っている。
それは「ふるさとの森を育む会」の設立15年目に建てられた碑で、種子さんをはじめ、会が行ってきた植樹について書かれている。
この記念碑にある一文を指差して、
「私の願いはこれなんです」と種子さんは言った。
その一文はこうだ。
「次世代への伝承を祈念し、この碑を建立します」
木を植えるということは、今日・明日という単位のものさしではなく、もっと長く、もっと深いものさしで見据えた未来を描くことなのだと思う。自分がもう生きていないだろう未来を信じ、木を植える。それは、他の人に簡単に頼めることではないし、簡単に手を挙げられる話でもない。だからこそ「跡を継ぐ人がいなくて…」と種子さんは話す。
そして、以前はボランティアで関わってくれる人も大勢いたが、「今はボランティアでお願いするのが難しい時代になった」と種子さんはいう。人口が減ったことで一人が担う仕事が増え、ボランティアで関わる余裕がなくなっている、と。
時の流れとともに、変わらずにそこにあるものと、変わっていくものとがある。
引き継ぐ人を探して
今年の5月、種子さんが植えた木々の間を歩いた。その日は朝から雨が降っていて、急に雨足が強くなってきた。雨宿りをしようとケヤキの木の下に入ると思いのほかまぶしくて、頭上を見上げた。
細く枝分かれしたところから、小さな雨の雫が枝を伝い、滑るように流れていく。そして枝先で一粒となり、順番にひとつ、またひとつと、土の上に落ちていくのだった。
ここは、ふるさとの森。
23年間、種子さんが植え続けた木々は森となり、この山に水を蓄える。
今、種子さんは、自分に代わってふるさとの森を引き継いでくれる人を探している。
今年の春、種子さんと一緒に原石山に咲く桜を見に行った。
「春は桜が咲いてきれいでしょう?秋もきれいですよ。山は真っ赤に紅葉しますから。夏も来てみてください。緑がいっぱいです」
2021年、今年は植樹が始まってから24年目になる。
谷種子さん、88歳。
種子さんは、今年も木を植える。