寒い寒い、土佐町の冬。足元からの冷気に身震いし、ついつい手を擦って背中を丸め「冷やい冷やい」と呟いてしまう。つい数日前も、朝起きるとうっすら雪が積もっていた。おかしなことに、特に家の中が寒く、吐く息は白い。外に出た方が暖かいのはどういう訳なのだろう。
春への準備
こんな冬真っ盛りの土佐町でも、既に春に向けた準備が始まっている。
1月7日、近所の田んぼに堆肥の山ができていた。朝日を浴びて、表面からゆらゆらと湯気が立ち昇っている。堆肥はちっとも臭わず、しっとりとした土の粒はきらきらと光り、とてもきれいだった。そっと手で掘ってみると驚くほど柔らかく、中に入った指先はじんわり暖かくて気持ちがいい。きっとまもなくトラクターで田をたたき、この堆肥をすき込んで、今年の稲を育てる土壌をつくるのだろう。
私がストーブの前から離れない間に、お米を育てる人たちは春に向けての段取りを考えて行動しているのだ。そうと思うと、冷やいなんて言ってばかりいられない、と背筋が伸びた。
この地の循環
田んぼの持ち主の人に聞くと、それは土佐町の堆肥センターで作られたもので、主に牛糞でできているのではないかと話してくれた。
堆肥の中には藁も入っていた。土佐町で育つ牛の糞が集められて堆肥として生まれ変わり、お米を育てる土壌となる。「この辺の人は、この堆肥を使っている人が多いよ」と教えてくれた。もし何か一つでもなかったらこの循環は成立しない。この地のゆたかさをあらためて感じる。
この冬を抜けた先には、ちゃんと春が待っている。そのことがはっきりわかるのは、自然を相手に仕事をしている人たちがこの土地にいるからだ。その人たちの仕事や姿を見聞きするだけでも季節を感じ、時の流れを知る。それは、私にとって欠かせない、ありがたい体感となっている。