2日目、朝からみつば保育園へ向かう。
明日、子どもたちと一緒に絵を描くために顔合わせをすることになっていた。
「絵、描こうかなあ。」という下田さんの声に「描いて描いて!」と子どもたちの手が次々と挙がる。
下田さんが「目がぱっちり合った」という明坂美音ちゃんと和田澪くん。
床に座ってクレヨンのふたを開き絵を描き始めると「そっくりや!」「似いちゅう!」子どもたちの歓声があがった。
「明日、一緒に絵を描こうね!」と約束してみつば保育園を後にする。
土佐町社会福祉協議会の上田大さんの案内で、相川地区の川井一穂さん・信枝さんの家を訪ねた。
何日か前に伺った時、一穂さんはユンボに乗って家の敷地を掘り返していた。道を作っているのだという。
都会では自分のユンボを持っている人はまずいないだろう。木を切り倒し、ユンボを乗りこなし、自分の敷地に道を作るなんて本当に驚かされる。
地に足をつけ自分の生活は自分で作る。一穂さんをはじめ、土佐町にはそうやって暮らしている人がたくさんいる。
一穂さんと信枝さんは縁側に並んで座った。それだけで仲の良さが伝わってくる。おふたりは気づいていなかったけれど、同じ色のストライプのシャツを着ていた。
「お揃いですねえ、ペアルック。」と下田さんに言われると「え?あら〜、そんなこと思いよらんかった。」と恥ずかしそうにしていたのが微笑ましかった。
「どうかな?大丈夫かな?」と描きあがった絵を見せると拍手が起きた。
「すごいね。クレヨンでそんなに描けるなんて。」と一穂さん。「一穂さん、男前になった。」と信枝さん。
絵をしみじみと眺めながら、一穂さんは「どうもどうも、ありがとう!」と目を細めた。
黄金色の稲穂についた水滴ひとつひとつがきらきらと輝いている。
立割地区の筒井博太郎さん・苗子さんの家へ向かった。
裏山の急な斜面を歩いているあかうしがいた。
山で放牧する育て方をしているのは、土佐町ではもう博太郎さんの家だけなのだそうだ。
「こーい、こいこい!」と山へ向かって苗子さんが呼びかけると、山の上からあかうしがゆっくりと降りてくる。
「こうやって呼ばれると何かもらえると思ってるんよ。」と苗子さんが教えてくれた。
「すごい!インドみたい!」と下田さん。
「林内放牧いうてね、高知県でも初めてでね。韓国や中国から何回も視察に来たで。柵に有刺鉄線を引いて出んようにしてある。夏のぬくい日はちゃんと上へあがって、風通しのええところに行って涼んでる。山の上の小屋で水を飲んだり、雨降りには雨宿りして、また天気になったら外へ行く。」と博太郎さんは教えてくれた。
あかうしの牛舎の前で博太郎さんと苗子さんの絵を描いた。
何日か前に話した時はとても陽気でユーモアたっぷりだったのに、今日は緊張しているのか言葉少ない博太郎さん。
白い紙にその人が現れてくるこの瞬間はいつもゾクゾクする。
絵を描きながら下田さんは「うわ!でっかい手!」と言った。
「仕事しちゅう証拠よ。」と博太郎さん。
指はゴツゴツとしていて子どものグローブみたいだ。指の爪ももちろん大きい。働き者の手。
下田さんも手を広げて指を見せ合う。下田さんはクレヨンやペンを持ち続けて右手の中指にタコができている。手にも働き方が現れる。
「どうかな?」と下田さんが絵を見せる。
「すごい!若い時の顔みたいに男前になった!」と苗子さんが言うと「もっと色が白いんじゃが、(絵の顔には)色がいっぱいついたわ(笑)」と博太郎さん。
苗子さんが「元気そうやね。血色がええね。おんちゃん、ええ帽子きちゅうけ。」と言うと「クボタの帽子きてたら、宣伝になって宣伝費もらえるかもと(笑)」と博太郎さん。「色々考えゆうんやね(笑)」と大さんは笑うのだった。
ユーモアたっぷりの博太郎さんとお話しするのは楽しい。
博太郎さんがハーモニカを披露してくれた。
『ふるさと』『南国土佐を後にして』『青い山脈』。博太郎さんの心意気に泣きそうになった。
「ギターも弾かんといかんやろうか?」軽トラックの助手席のドアを開けるとちゃんとギターが積んである。
「遠路はるばる来てくれちゅうんやけ、ギターでも弾いちゃろうかと思って。」
同じ立割地区に住む大さんが「博太郎さんのギターは初めて聴いた。」と言っていたから、やっぱり今日は特別だったのだ。
「これ、今朝採ったんよ。食べや。」苗子さんが栗をどっさり、そして柿やあけびも持ってきてくれた。
ユーモアたっぷりでサービス精神に溢れた博太郎さん。
博太郎さんに絶妙の間で合いの手を入れる苗子さん。ふたりの息はぴったりだった。
美味しいお昼ごはんを高須地区の近藤泰之さん・久野兆佳さんの家でいただいた。
土佐町の野菜をたっぷり使ったお昼ごはん。
・チラシ寿司
・レンコンとなすの天ぷら
・りゅうきゅうの柚子醤油和え
・さつまいものフライドポテト
・大根菜の煮浸し(しらす入り)
・人参とごぼうの鶏肉巻き
・ベーコンとバジルのパスタ
・柿とアボカドのサラダ
・よもぎもち
いつも温かく迎えてくれて本当にありがたいなあと思う。
あかうしに食べさせる草を軽トラックの荷台にたくさん載せて、家に遊びに来た沢田清敏さんが縁側に座った。作業着姿に麦わら帽子をかぶった清敏さん。
絵を描くことになって、少し照れくさそうにしながら下田さんの手元を見つめていた。
色を重ねていくごとに清敏さんが浮かびあがる。
「どうですか?」と絵を見せる下田さん。
周りで見ていた人たちから歓声があがる。
「最初の一色で描いた時から清敏くんやったわ。よかったねえ!」と泰之さん。兆佳さんは、カメラが絵を顔認識していたことにびっくりしていた。
霧雨がやんで晴れ間が出てきた。雲と雲のすき間から白く輝く光が長く長く、黄金色の棚田に差し込んだ。
みんなが「わあ!」と思わず声をあげ外に出て、目の前のその風景を見つめる。
帰り道「こういう町だったら人間関係がちゃんと作れそうだね。」と下田さんは話していた。
(清敏さんがかぶっていた麦わら帽子をいいなと思ったのか、次の日、下田さんはAコープで麦わら帽子を買った。)
棚田の間の道を抜けて伊勢川地区へ。
澤田誠一郎さんの家へ向かう。
誠一郎さんが作った「やまなみ雲海展望台」、標高500メートル。
展望台ではラジオが聴ける。誠一郎さんが電気を引いたのだ。
誠一郎さんは早明浦ダムを作る時に溶接の仕事をしていた。仕事の関係でたくさん廃材が集まるためそれらを溶接し、たくさんのものを作ってきた。
展望台の上には誠一郎さんの作ったバーベキューハウスがある。もちろんバーベキュー台も机も手作り。3300個のお酒の蓋で、カウンター上の暖簾まで作っている。
棚に雲海や子どもたちの写真が飾ってある。ここで多くの人たちとよき時間を過ごしただろうその余韻が、あちこちに残っていた。
母屋の敷地には『スナック山小屋』。こちらも誠一郎さんの手作りで、作ってもう50年になるという。
「100人役(ひゃくにんやく)かかった。」と誠一郎さん。(1人役は大人1人が1日にやる仕事量。「100人役」は1人で仕事をして100日かかったということ。)
入り口の階段を登ると180度以上の棚田の大パノラマ。山小屋の中にはカウンター、泊まることのできる部屋もあり、外には露天風呂まである。
「ここで夜がふけるまでやったものよ。」
お酒や食べ物を持ち寄り、食事係や掃除係など当番制にしてみんなで寝泊まりしたそうだ。
いつのまにか外はもう夕暮れ。山の向こうに沈もうとしている太陽が見える。
その場所だけ空はオレンジ色とピンクを混ぜたような色に染まっている。
山小屋のオレンジ色の灯りの下、下田さんは誠一郎さんの絵を描き始めた。
誠一郎さんは言った。
「このままの格好で構わん?わしの制服は“つなぎ”やき。つなぎをざっと50年着てきたきね。」
昨年、誠一郎さんは脳梗塞で倒れた。山で仕事をしている時に異変を感じ、家まで自分で歩いて戻って来た。何十回も転びながらやっと家にたどり着いた時には全身血だらけだったそうだ。
その誠一郎さんが今ここに座って話をしている。誠一郎さんが元気でいてくれて、下田さんが誠一郎さんの絵を描いている。
実はこの日の2日前に電話した時「何だか頭がふらふらするけ、家に来てもらうのはやめておこうと思う。」と誠一郎さんは言っていた。でも娘さんから「大丈夫だと思うから」と聞き、調子はどうか伺うくらいのつもりでこの日は来たのだった。
この日、誠一郎さんは待っていてくれた。
慈しみとどこか余裕のあるまなざしで下田さんを見つめている誠一郎さんを見て、泣いた。
今まで誠一郎さんが積み重ねてきたものを下田さんがとらえている。この絵が誠一郎さんの生きてきた道のりを伝えてくれる。
変な言い方かもしれないけれど「間に合った」と思った。
そのことが、ただただうれしかった。
外に出るともう暗くなり始めていた。名残惜しくてなかなか帰れない。
「お身体を大切に。」と言うと「仕事しすぎんかったらええのよ。しすぎたら明くる日いかんのよ。この病気は治るわけがないがやき。」と誠一郎さん。
下田さんは言った。「でも、きっとうまく(病気と)付き合っていけるから。」
「こればあ付き合っとったら上等よ。90(歳)近いけ。」誠一郎さんは笑って見送ってくれた。
「誠一郎さんおやすみなさい。ありがとうございます!」
この日、誠一郎さんがいるこの場所へ来ることができて本当によかった。
人が出会って同じ時間を重ねる。それぞれの人の心の中にこの日の記憶が紡がれる。
そのことはなんてかけがえのないことなんだろう。
つづく