土佐町の上津川地区は、現在、3世帯6人が暮らしている。
早明浦ダムができた頃(1978年)は、約30世帯120人ほどの人がいたそうだ。
5月のある日、上津川地区の川村栄己(えいみ)さんを訪ねた。
同じく上津川の高橋通世さんが「うちんくの上の家の人が、大きな釜でお茶を煎るよ。」と紹介してくれたのだ。
この日は五月晴れ、絶好のお茶摘み日和。
上津川地区に入ると山の中をくぐり抜けていくように道が続く。右へ、左へ、上へ、上へ進んでいくと道の脇に一本のすももの木があって、そのすももの木の横の細い道を上がっていくと栄己さんの家がある。日当たりのいい庭にはエビラがいくつも並び、たけのこや、お茶が干してあった。
「まあまあ、こんにちは。」と家の中から出てきて迎えてくれた。
川村栄己さん、90歳。
玄関のそばには山からの水が流れ、その水が流れ込む池にはアメゴが泳ぎ、さっき採ってきたばかりというイタドリがぷかぷかと浮いている。
「イタドリの皮はぐ間もないもんじゃけ、水につけちょいたらあぎん。」
標高1000メートルの地点から水を引いてきているそうだ。
「ゆたかな場所ですねえ。」と言うと「猿も来る、たぬきもイノシシも、鹿も来る。家のヤジまで来るぞね。」と栄己さん。
「まあ、まず行ってみようかねえ。」と家の下にあるお茶畑に案内してくれた。
細い土の坂道を下っていく途中には鶏小屋があって中からコケコケコケッと鳴き声が聞こえる。
最初の曲がり角の先にある畑にはじゃがいもや夏野菜の苗が植えられていて、丁寧に支柱が立ててある。
踏みしめられた道。人の気配のする道。
栄己さんが毎日ここを歩き、その日の仕事を重ねていることが伝わってくる。
さらに下がるとぱっと視界が開かれ、そこがお茶畑。
美しい黄緑色のお茶畑の中で、すでに息子さんご夫婦がお茶の葉を摘んでいた。
私もいざお茶畑へ。
「一芯三葉」といって、一本の芯に3枚の葉が付いているところを摘んでいく。この摘み方はとても贅沢な摘み方のようだ。
(量を増やすために、今年の新芽の部分を手のひらでむしり取るように摘む人もいます。人それぞれです。)
栄己さんはこの時期に1年分のお茶を作る。
あたりはとても静かで、聞こえてくるのはお茶の葉を摘む音、すぐそばを通り抜ける風の音。時おり、うぐいすやヒヨドリ、トンビの鳴き声も聞こえてくる。
ぷちん、ぷちん、ぷちん。
ぷちん、ぷちん、ぷちん。
「そこら辺に、うぐいすの巣があるろう?」と遠くから息子さんの声がした。近くを探してみるとお茶の木の茂みの中に隠れるように、こんもりとした柔らかそうな小枝と葉で作られた丸い巣があった。これがうぐいすの巣!
うぐいすは丁寧な仕事をするなあと感心していると「中におらんろう?卵がかやるには早すぎるき、蛇かなんかが飲んだんかもしれん」。
栄己さんもそばへやってきた。
「朝霧がかかって来るようなところはお茶が美味しい。ここは標高が600メートル。日当たりがえいからね、雲海がでる。山が全部島みたいになってね、霧がずうっと上津川の川から上がってくる。雲海で海みたいになる。それがお茶を美味しくする。ここのお茶は美味しいと、出ていった人たちもお茶を採りに帰って来る。」
栄己さんはそう言うと「まあ、帰ってお茶でも沸かしよります。」と、母屋への道を登っていった。
その間、息子さん夫婦と私はせっせとお茶を摘み、袋に入れたお茶の葉の重さを肩に感じるようになった頃、母屋の方へ戻った。
(つづく)