2024年5月

土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 29

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

(2024年5月27日追記:潔さんは現在98歳。この連載を開始したのが95歳の時だったので、題名はそのままとしています。)

 

せりとり

小学5,6年生の頃だったと思う。高知市の家のすぐ北側から、久万川の堤までずっと田んぼでした。現在は立派な都会になっています。

稲を刈った後は、一面の草で真青で雑草に混ざって大きなセリが生えていて、故郷では、時々食べた美味しかった味を懐かしく、思い出して、地主さんに相談して時々食べた思い出があります。

当時5,6才だった弟がせりに良く似た雑草をひいて、いばったこと。たまにはお白和えにして、美味しかったこと。時期と共に思い出が蘇ってきます。

 

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くだらな土佐弁辞典

しょう

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しょう

【副詞】とっても

 

例:おまん、しょう、背が高いのう

意味:お前、とても背が高いなあ

 

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ほのぼのと

思い出の六年間

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先日、ご近所に住む純ちゃんが「これ、家にある?」と、古い赤茶けた冊子を見せてくれました。

それには「文集  杜の子  卒業特集号  土佐村立森小学校」と、表紙に書いてあります。

私が小学6年生の時に卒業作文を編集したものでした。

おもむろにページをめくっていくと、同級生で近所に住むチィちゃんの作文が出てきました。チィちゃんは、「日曜日の事」という題で、日曜日に裏山で遊んだことを書いていました。

お弁当を作って、お菓子を買って、裏山へ登り、木で囲いを作って、その中でお弁当を食べ、それぞれの家を作って遊んだこと。(当時、私たちは、その遊びを「基地作り」と言ってました。)「そうすると、雪がチラチラ降ってきたので、寒くて家に帰った」との経緯が、丁寧に書かれていました。

面白いのは、その時遊んでいたのはチィちゃんと私と私の妹と、もう一人、近所の咲ちゃんという子の4人だったことでした。

あれから60年。咲ちゃんは高知市の方へ行ってしまわれたので、その後は疎遠になりましたが、チィちゃんと私と私の妹とは、今も近くで遊んでいます。

 

ところで私の作文はというと、「思い出の六年間」という題です。一年生から振り返り、六年生までの思い出を書いてありますが、4年生からが興味深い。

4年生になると勉強がとても難しくなり、5年生になると急に怠けてばかりいた。すると父が机のそばのふすまに紙を貼っていた。

それには「五年生になってから、どうも遊びがすぎるようです。三代さんがその気なら、お父さんにも考えがあります。」と書かれていた。

そして6年生になると、母が二言目には「勉強しなさい!」と言うようになった。しかも、高知の塾へ行かされた。・・・と。

しかし、一回、二回ならいいが、だんだん行くのが嫌になり、足が重たくて塾へ着くのがとても近いように思えた。ついに夏休みには、塾へ行くのはやめた。・・・と。

しかし、私は何事につけても、いっしょうけんめいにやりたいと思う。と書いてある。

その思いとは裏腹に、中学に進む私に、母は「いっしょうけんめい勉強せんといかんぜよ!」と言ったらしい。

でもさすがに三学期になってからは「もう遊ぶばかりはしていられないな。」と思い、勉強の時間も多くし、手伝いもよくするようになった、と書いてあるが、またまた、母やおばあちゃんには「三学期になってあわてたち、いかなあね!」と言われたらしい。

それでも、最後に「これからは、母たちにそんなことを言われないように、だんだんとわたしの悪い点をなおしていきたいと思う。」と締めくくっている。

なんだか、けなげやと思いませんか?それにしても、これ程までに勉強嫌いな私やったとは!

今更ながら、納得です。

 

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笹のいえ

次女の一言

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ある日のこと。

保育園から帰ってきた次女が「とうちゃん、あそぼ!」と声をかけてきた。倉庫で何かの作業をしていた僕は、いつものように「これが終わったらね」と答えた。しかし、同時に「これ」が今日中に終わらないことを知っていた。

それを聞いた次女は僕の方をじっと見つめて、はっきりとこう言った。

「とうちゃんとあそんでもらったことない!」

驚いて振り返った僕の頭は真っ白で、言葉が出てこなかった。彼女がそう言うなんて、思ってもみなかった。

遊んでもらったことがないなんて、そんなことはないだろう。時間があるときには遊んで「あげている」じゃないか。あのときも、このときも。反論の言葉が喉まで出かかった。

しかし、ともうひとりの僕が疑問を投げかける。

本当にそうか?

もっと彼女との時間を捻出することはできなかったか?

「あとでね」と言いながら、次の瞬間スマホでどうでもいい投稿をスクロールしていたことは一度や二度ではなかったはずだ。そんな僕の様子を彼女は観察していて、だからこそ、口を突いて出てきたのが冒頭の言葉だったのではないか。

その考えが心に広がったとき、なんだかとても恥ずかしくて、気持ちがソワソワした。忙しい毎日に流され、いつも何かに追われているように感じていた僕は、彼女の一言で、子どもと遊ぶ時間さえ惜しいと思っている自分に気づかされたのだ。

僕は家の周りで仕事をすることが多い。それは、子どもたちに親の働く姿を見てほしかったからだし、親としても子どもたちの成長を身近に感じたかったからだ。しかし、その環境に慣れてしまうと、いまの僕のように時間の使い方を勘違いしてしまう。

たとえば、農作業をしているとき。子どもたちが遊びたがっているのに、「いまは忙しい」と言ってしまうことが何度もあった。その度に子どもたちは残念そうな顔をしながら去っていく。しかし、彼らが僕のそばで遊びたがっている理由は単純で明快だ。今日あった嬉しかったこと悔しかったことを聴いてもらい、今日初めてできた何かを見てほしいのだ。

そんな大切なことを、忙しさにかまけて見過ごしてしまう自分がいた。自分が何をしているのか、何が本当に大切なのかを自覚しなければ、家族との大事な時間を見過ごしてしまう。次女の一言は、そんなことに気づかせてくれたのだった。

 

写真:次女と三女。こんな表情もいまだから見られるのかもしれない。心身の成長とともに変化して、記憶はどんどん過去になっていく。

 

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くだらな土佐弁辞典

なま

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なま

【名詞】刺身

 

例:カツオのなまがあるけ、来るかよ?

意味:カツオの刺身があるから、食べに来るか?

 

*土佐町の和田幹男さんが教えてくれた土佐弁です。

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4001プロジェクト

筒井敦子 (地蔵寺)

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四万十町生まれ、佐川町の高校を出て、神奈川の短大に通った敦子さん。お父様のお仕事の関係で転勤が多かったそうです。

ご結婚を機に地蔵寺で住み始めたということでした。

 

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読んでほしい

ハクビシン

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先日、近所のおんちゃんと夕ごはんを食べた。
仕事の帰り道、偶然会って話していたら「今日ごはん食べに行ってもいいか?」と聞かれ、「どうぞ!」ということに。

おんちゃんは一旦家に帰り、お刺身やらおかずやらお酒やらを持ってきてくれた。美味しく食べ、楽しく飲みながら話していると「ハクビシン、食べたことあるか?」と聞かれた。

ハクビシンの噂は聞いていた。おんちゃんによると「肉の中で一番うまい」と言う。
「食べたことないです。めっちゃ食べたいです!」
おんちゃんは目を細め、「うんうん、今度すき焼きにして食おうや」と言ってくれた。

ここまでが、おんちゃんとの夕ごはん1日目のお話。

 

夕ごはん2日目

その2~3日後。
おんちゃんはハクビシンを持って現れた。
友達が捕らえてさばいたというハクビシンの肉を持ってきてくれた。鮮やかな紅色で、5mmから1cm位の脂身がある。おんちゃんはネギや豆腐、エノキや白菜やすき焼きのタレも持参。私はカセットコンロと鍋を用意しただけだった。

ぐつぐつ、ぐつぐつ。
満ちてくる甘辛い香り。野菜を煮、少ししてからハクビシンの肉を投入する。じっと様子を観察し、紅色が変わった瞬間を見計ってパクリ。

なんという歯ごたえ!コリコリしていて、噛めば噛むほど味が滲み出てくる。これはもう、これまで最高に美味しいと思っていたシシ肉を上回るかもしれない。もう、夢中になって食べた、食べた。

おんちゃんによると、ハクビシンは別名チョウセンネコというらしい。私は実物を見たことはないが、体長は40cm程、秋には好物の柿を食べにくるそうだ。
血抜きいかんによって上手くも不味くもなる。友達がどんなにさばくのが上手か、おんちゃんは熱く語ってくれた。

人生初のハクビシンは本当に美味しかった。おんちゃん、ありがとう。もう一度と言わず、何度でも食べたい。

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4001プロジェクト

西村章 (地蔵寺)

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昭和23年生まれ。平石に育った章さん。地蔵寺にご自宅があるそうですが、現在は田井の町営住宅にお住まいです。

 

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とさちょう植物手帖

湿った森に咲く花

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新緑の緑も一段と濃くなりだした5月上旬のこと、三人連れで土佐町内の森へ行きました。道中の日向には黄色いウマノアシガタの花が群がり、遠目にはヤブデマリらしい木に咲く白い花も見えました。

やや湿った森、40~50年生の杉林なのですが、その中へ入ると様子は一変します。薄暗いのに樹冠から射しこむ陽光がキラキラ輝いて寂しさはありません。

マムシグサやエビネなど大きめの花はすぐ目につきます。日陰を好んで咲いている小さな花も沢山あり、目を凝らして探したそのうちの5種を紹介します。

 

ギンリョウソウ(銀竜草)

ツツジ科ギンリョウソウ属 草丈5~20㎝

農道沿いの落葉がいっぱい溜まった林縁に生えていました。

植物とは思えないような形の、光合成をしない腐生植物(※ふせいしょくぶつ)です。葉緑素を持たないので全身真っ白です。

銀白色に輝いて見えるこの形を銀色の竜に見立てたのが名前の由来です。

ひっそりと生きるこの不思議な姿から、別名をユウレイタケ(幽霊茸)あるいはユウレイソウ(幽霊草)と言います。

 

 

コケイラン(小蕙蘭)

ラン科コケイラン属の多年草 草丈20~30㎝

小谷の流れの斜面に生えていたコケイランです。

唇弁(※しんべん)が白色の花ですが、一見、黄色い感じがする清楚なランです。

点々と6~7株咲いていました。

シラン(紫蘭)の別称あるいは仲間を「蕙蘭」というそうで、葉の形がシランに似ていて小形であることからついた名前だそうです。

長くて細い葉が笹に似ているということでササエビネ(笹海老根)の別名もあります。

 

 

コミヤマスミレ(小深山菫)

スミレ科スミレ属の多年草 草丈4~8㎝

コケ交じりに小さな群落を形成しているコミヤマスミレがありました。

日本のスミレ類ではもっとも暗い環境に生育するものの一つで、独特の色合いの大きな葉と白地に紫色の筋が入る唇弁の短い花が特徴です。

牧野富太郎博士が新種として発表し、学名と和名の両方を命名した植物の一つです。

 

 

タニギキョウ(谷桔梗)

キキョウ科タニギキョウ属 多年草 草丈5~10㎝

コミヤマスミレと同居するように花を咲かせているのはタニギキョウです。

キキョウと言えば紫色を連想しますが、ごく小さな白い花のタニギキョウもキキョウの仲間です。

谷間や湿り気の多い木陰などに自生が多く見られることが名前の由来になっています。

 

 

ヒメウワバミソウ(姫蟒蛇草)

イラクサ科ウワバミソウ属の多年草

ヒメウワバミソウも群生しています。

ミズとかミズナとも呼ばれる山菜のひとつで、仲間がたくさんいます。

「ヒメ」は大形のウワバミソウに対する名前です。

「ウワバミ」は大蛇のことで、山中の大蛇の住みそうなところに生えている草という意味で名付けられたものです。

地味ですが、じっくり眺めると葉といい、花といい、何かの物語を連想させるような独特の雰囲気を持っている草です。

 

※腐生植物(ふせいしょくぶつ):光合成をする器官がないので自分だけでは生きられず、落ち葉を分解する菌類と共生して栄養を得る植物。

※唇弁(しんべん):左右相称となる花の真ん中から下側へ広がるくちびる状の花びら。

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以下の文章は、2024年3月29日に発行したとさちょうものがたりZINE 13「土佐町のかたち」の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

「喜ばせごっこ」 文:鳥山百合子

2023年12月、とさちょうものがたり編集部は「高知県地場産業大賞」の「地場産業奨励賞」を受賞した。高知県地場産業大賞は「高知県内で作り出された優れた地場産品や技術、地場産業振興に貢献のあった活動」に与えられる賞で、1986年から高知県産業振興センターが開催しているものだ。
編集部は「地場産業振興に貢献のあった活動」の分野で応募。県内の企業など56件の中から書類審査を通過し、日々の活動内容を紹介するプレゼンテーションを行った。その結果、地域社会と深く関わりながら、障がいのある方とのものづくりに取り組み、雇用の場や活躍できる場をつくっている点が評価され、奨励賞を受賞した。

表彰式の様子はテレビで放送され、高知新聞には受賞団体紹介記事が掲載された。たくさんの方に「テレビ見たよ!」「新聞に出てたね!」と声をかけていただき、とてもうれしかった。
受賞できたのは、今まで応援してくれた人たちのおかげです。本当にありがとうございます。

 

「よかったねえ」

新聞に掲載された日の朝のこと、一本の電話がかかってきた。97歳の近藤潔さんからだった。
「新聞を見て、記事の真ん中に “とさちょうものがたり” って出てるじゃあないか。びっくりしてねえ、賞を取ったんじゃねえ、よかったねえ、おめでとう。本当によかったねえ」
潔さんは「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした幼い頃の思い出を綴ってくれている。鉛筆で原稿用紙に書かれたお話は、ウェブサイト「とさちょうものがたり」で連載中だ。
潔さんの入院中、コロナ禍の合間にお見舞いに行くと「入院していてすることが何もないけど、書くことが生きがい」「ここまで生きてこられたのは、みんなのおかげ。なんとかね、まだまだ頑張りますよ〜」と話してくれた。
電話口で、潔さんは何度も「よかったねえ」と言ってくれた。本当にそう思ってくれていることがしみじみ伝わってくる声風だった。
私も編集長の石川も、まず実働が一番大事と思っている人間で、賞というものに対しやや無頓着なところがある。もちろん賞をいただいたことはありがたく、認めてもらったことはとてもうれしい。二人とも、周りの人が喜んでくれることで実感が湧いてくる体質の持ち主で、「おめでとう!」と声をかけられたり、お祝いの電話やメールをいただいて、初めて受賞の喜びを感じたところがある。それは「とさちょうものがたり」をスタートさせた時から変わっていない。取り組みを喜んでくれる人がいることが、私たちの原動力だった。

 

喜びの感じどころ

「とさちょうものがたり」がスタートしたのは2017年。町の良さや美しさ、営まれる暮らしの素晴らしさを伝えたいと写真や動画、イラストや文章などでさまざまな連載を作り、町の人にも記事を書いてもらって制作してきた。

年に2回、ウェブサイトの連載を雑誌「とさちょうものがたりZINE」にまとめ、町内には全戸配布、県内外の市町村や施設、美術館やカフェなどに送付し、設置してもらっている。読んだ人が実際に町を訪れ、移住したり、遠方の方からは手紙やメールをいただいたり。号を重ねるごとに町の人から「いつも楽しみにしてるよ」と声をかけられるようになった。

今まで多くの記事を制作し、さまざまな取り組みをしてきたが、記事を読んだご本人や周りの人が喜んでくれることが私たちの喜びだった。
撮影した写真を額に入れて飾ってくれている人。遺影にしたいから撮影してほしいと言ってくれる人。自分の写真が掲載されている号を誇らしげに友達に見せている子。執筆したお話を、数年経っても大切にしてくれている人…。自分たちの仕事が相手に届いた実感は、喜び以外の何物でもなかった。別の言い方をすれば、喜んでくれる人がいなければ続けることはできなかったと思う。

石原地区の98歳の窪内節さんのお家に伺った時のこと。節さんは毎日書いているという日記帳を見せてくれた。丁寧に綴られた節さんの日々。「新聞を毎日読んで、日記を書く。そしてごはんを食べる。それが私の仕事です」と話してくれた。

ふと、机に置かれた日記帳のそばに何冊もの「とさちょうものがたりZINE」が積み重ねられていることに気付いた。「あ…」と思わず声が出た私に、娘さんが「お母さんはこの本をいつも楽しみにしているんですよ」と教えてくれた。たまらず、目頭が熱くなった。今までやってきてよかったと思えた。時折現れるこういったご褒美みたいな出来事が、いつも私たちを支え続けてくれた。

 

人生は喜ばせごっこ

“人間が一番うれしいことはなんだろう? 長い間、ぼくは考えてきた。そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。実に単純なことです。ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい――”(「やなせたかし 明日をひらく言葉」より)
「人生は喜ばせごっこ」。高知県出身の漫画家 やなせたかしさんが遺した言葉だ。高知に来たばかりの頃知ったこの言葉は、ずっと心に残っていた。

「とさちょうものがたり」の取り組みは「町の人が喜ぶかどうか」、経済的な面も含め「携わる人が喜ぶかたちになっているか」という視点を大切にしてきた。そして、嘘やごまかしがないこと、必要だと思うこと、心からやりたいと思えることをかたちにしてきたつもりだ。町の人や風景の撮影も、障がいのある人とのものづくりも、町の人の生き方を書くことも、四季折々の暮らしを描いた絵本の制作も。思い返せば、ひとつひとつ作ってきたものごとの向こうに、いつも誰かの姿を見ていた。

私たちは、目の前の人を喜ばせたかったんだと思う。喜んでくれる人がいることがただただうれしくて、進んできた。
笑ってくれたらうれしい。楽しんでくれてうれしい。喜んでくれたからうれしい。「うれしい」は相手があってこその感情で、どちらか一方だけがうれしい状態は多分ありえない。うれしいのは、相手がいるからこそ。喜びを感じられるのは、あなたがいるからこそ。それはきっと世界共通の、人間が持っている特性なのだと思う。
「うれしいね」。「よかったね」。互いに伝え合い、喜び合える、「うれしい」が循環していくような世界のかたちを少しでも作っていけたらと思う。

「人間が一番うれしいことは?」。その問いの答えはどこか遠くにあるのでも、まだ見ぬ場所にあるのでもなく、あの人を、この人を、目の前の人を喜ばせること。それが巡り巡って自分の喜びになっていく。多分、人間はそういったことにうれしさを感じる生き物なのだと思う。

「人生は喜ばせごっこ」。今、その言葉はまさに真理だと実感している。

 

 

 

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