近藤潔

土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 3

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

お辨当箱

 

生れて初めて、他人の家仕事と云うか、子守りに行ったのが小学一年生の時。毎週土曜日の午後、家から少し下の大きな農家の女の子、ミサちゃんが「明日負いに来てと」それだけ云って来るのでした。母は「ハイハイ行くけんネ」。それだけで明日は子守りと決まるのです。

宿題は土曜に済ませ、月曜日の時間割りもしておくのでした。私なりに覚悟したのでした。

お昼のお辨(おわきま)付きの子守に朝早くから夕方迄、大人の食事の時だけ下してお乳を呑ませて、おむつを替えるだけで一番辛かったのは、昔、その当時には現在の様なおむつカバー等、ある筈も無く、おむつも大人の古着等の布だけで、長時間負って居ると、背中が暖かく成ったと思ったら、赤ちゃんのオシッコが背中に沁みて、お腰から足の方へ流れてくるのです。それが一番辛かった思い出として残って居ます。

でもお昼のお辨が楽しみでした。真白いご飯に、おかずは自家製のお味噌にお漬物、梅干し1個、おじゃこ3匹位。家は田が無くて、年中麦飯でした。お米の真白いご飯が食べたくて辛抱したのでした。

お辨当箱は「モッソー」と云って、地元で作った丸い形のご飯とおかず入れがのった物でした。ご飯の温もりがお昼にも残っていて、独特の臭が鼻の奥に残っています。そして、食べ終って最後のお茶を一口飲んだ時、お辨当箱のそこに自分の顔が映るのです。アー可愛い、ニッコリすると、もう一人の自分がニッコリ、お茶を戻してはニッコリ。三回位繰り返して、たったそれだけの事に、午後への意欲が湧いて来たのです。

この事は、母にも誰にも話した事はありません。それから85年過ぎた今の顔は皺だらけです。

(続く)

 

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 2

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

ソータのポケット

 

入学の日、新しい「モーカ(布地の種類の一つ)」の着物に、綿入れの「ソータ(袖なしの上着)」、貧しい生活の中で母が作ってくれた物でした。ソータの左の裏には、赤い大きなポケットが付いていて、思わずニッコリ。訳あり、ハンカチ、鼻紙の外に入れたい物があったのです。

昔々の事、その時季にはどこの家にも、柿、ホシカを軒下に吊るしてあったのです。親の目を盗んで外して、ポケットに入れ、かくれて食べたのです。お菓子等買った記憶は余りない、大事なポケットでした。

当時はランドセルを負って居る生徒は少く、赤い布の肩かけカバンでした。足には年中草履、横緒に赤い布を巻いた母の作った物でした。

 

昭和8年4月、土佐郡森村、相川小学校に入学。勿論複式。宮﨑校長、松岡先生。女先生は清水先生。優しい先生で、校舎の上の住宅に住んで居ました。同級生は13人、只一人、男子は真一君1人でした。

母に似て小さかったが、前から2番目でした。樫山から来ていた「みや子さん」と云って、唱歌の上手な可愛い子でした。

複式なので二年生と同じ教室で、清水先生の受け持ちでした。兄は四年生で二学級、五,六年は三学級でした。

購買部では上級生が学用品を交替で売っていました。午前中が四時間、午後が二時間。下級生は午前中の四時間の授業で帰り、昼食のお茶湧かしは、五,六年生が交替で湧かし、時間替りの合図は、廊下の吊り鐘を五,六年生がカーンカーンと鳴らしていました。

広く感じた運動場も85年余り過ぎ、様変わりして長かった過去が懐かしく偲ばれます。面影はなくても当時の影が浮かびます。

向って右の端が土間で、下駄箱があって、雨の日には濡れた草履を斜めに立てかけて入れ、帰りには半乾きのしめった草履を履く時の嫌な感じ。昨日のことのように思い出す。

 

続く

 

 

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 1

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

カルタ

幼い頃の思い出を、記憶を辿って書いてみました。

大正15年9月27日生れ、寅年。三才上の兄、三才下の妹、赤ちゃんの弟がいました。

物心ついたのは四月から入学と云うお正月でした。外は雪が積って寒い日、炬燵に足を入れて家族皆で暖まって居た時、兄が見た事も無い、色々な絵のある物を並べたのです。絵があったり、字ばっかりだったりと父が突然「イヌモアルケバ、ボーニアタル」と云ったのです。

すると兄が「ハイ」と云って、私の目の前の1枚を取ったのです。父が分る様に説明はしてくれたものの、生れて初めて見たり聞いたりで、兄は1人で悦に入っていた。

両親の考えで、カルタで楽しみながらカタカナを覚えさせようとしたらしく、その時代はカタカナが先でした。よみかたと云っていたカルタのお陰で全部覚えるのは時間がかからず、両親の思い通りだった様でした。

教科書を揃え、先ず「ヨミカタ」の本を見てびっくりしたのは、まるで絵本の様な色刷りで、表紙には満開の桜の花、中もまるで絵本の様な色刷り、ワクワクした1頁目は「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」でした。

「キレイ」の一言でした。2頁目は「コイコイシロコイ」。大きな声で読みました。

兄はショックで見向きもしなかった。兄達は、まっ黒な本だったのです。

(続く)

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