四月の下旬にお米の種蒔きをした。
七日間山水に浸けておいた種籾の入った袋を、お風呂あとのぬるま湯に丸一日沈めて発芽を促す。種全体が水分で膨らみ、クチバシのような根が少し出たタイミングで湯からあげ、水分を切る。
これを田んぼにはあらかじめ作っておいた苗床に播種する。
去年は水を入れずに床を作る「乾床(からどこ)」だったが、今回は「水床(みずどこ)」という方法を試している。田んぼの一角を畝で囲い、水を入れ、耕運機で代かきする。水を張ったまま、前述の種をパラパラと蒔いていく。昔はこの地域でもよく見られたやり方だと聞いた。一番のメリットは資材がほとんど要らないこと。基本的に田んぼと種があればお米が作れる。唯一、食害対策として鳥用網を購入し、廃材で支柱を立てた。
去年は苗が余り大きくならず、また数も足りずに田植えを迎えてしまい、結果収量も少なかった。
その経験を踏まえて、今年は苗床をより広くして、去年より一週間ほど早く準備をはじめてた。
が、段取りに時間が掛かったり、気温の読み違いなど、予想外想定外の連続で(毎年の言い訳だけど)作業がじわじわと遅れ、すでに去年並みのペースになりつつある。
苗はいまのところ順調に育ってくれているのだが、これから病気などの生育不良や鳩などの食害がないか、田植えまで気が抜けない。田植え後も、病気や草に負けず、稲刈りまでちゃんと育ってくれるか、結局ずっと気が抜けないのだ。
毎年トライアンドエラーな米つくりだが、僕自身とても楽しんでいる。特に、田んぼを見守ってくれる地域の人たちとの何気ないおしゃべりが好きだ。通りがけに、アドバイスをくれたり、昔の稲作の情景を語ってくれたりして、とても興味深い。
僕の住む平石地区の農家の方たちは、集落から数キロ離れた名高山に田んぼを何枚も持っている方が多い。機械の無い時代は、牛を連れて田んぼまで行き、牛耕したという。作業が続くときは近くにある小屋で寝泊まりしていたそうだ。お手伝いで来た子どもたちは田んぼから学校に通うこともあったという。
そんな会話のあとに、忙しくものどかな当時の時間を想像するのが楽しい。