盂蘭盆初日の迎え火。特に山村に育った人には思い出も多いのではなかろうか。山村の家々から、幻想のように夜を彩った松明の火が、今も頭から離れない。
夕闇が村を包み始める頃、あの家この家から、松明の火が見えはじめる。
すっかり闇になると、赤味がかった火が、家々の存在を示す。幽玄ともいえる情趣を添えて、しばし夜の村を彩り続ける。
私の子供の頃は今と違って、どの家にも働き手が居た。若い男の子は入隊していても、親はまだ元気だった。その人たちが、盆が近付くと松明を作った。やにをたっぷり含んだ松を集め、直径50センチもの大松明を作るのである。
松明が大きいだけに、一時間かそれ以上の時間燃えた。
それが一軒、また一軒と燃え終わり、全戸の松明が消えたあとの闇の中の村は、何とも言いようのない静寂であった。
翌朝、子供たちには楽しい行事があった。
“盆飯”(ぼんめし)を炊くのである。
地区のがき大将の命令一下、子供たちは手分けして家々に走り、燃え残りの松を集めて回った。そして釜や米を持ち寄り、それらを持って渓流の河原に集合し、飯を炊いた。
盆飯を食うと息災になる、との言い伝えによる行事だが、何と言っても朝の渓流である。涼しい上に空気が澄んでおり、朝霧もまだ残る環境で、飯がうまい。息災になるのは当たり前のような気がした。
夢まぼろしに近い郷愁である。
※写真は上津川の高橋通世さんのお家での迎え火を撮影させていただきました。ありがとうございました。