2018年12月

山峡のおぼろ

囲炉裏ばた

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私の少年時代には、殆どの家に囲炉裏があった。忘れられないのは、囲炉裏の火を囲んでくり拡げられていた人間模様である。

薪にするのは色々な木であったが、面白いのは直径15センチほどの長い生木が、四隅からくべられていたことである。枯れた薪ならすぐに燃え尽きてしまうが、生木だからじんわりと火がついて、炭のように火保ちがする。

その生木を、「くんぜ」と呼んでいた。寝る前には、その木に灰をかぶせて消した。

父は戦地に行き、祖父母と母と私の4人がいた。祖父は日露戦争に行き、旅順二百三高地の戦いで負傷したことを、たびたび話していた。

その他にも、色々な話が出た。

当時はもちろんテレビはなく、新聞とラジオだけであった。それを見たり聞いたりした感想や、村内での出来事が話題になった。子供心にも興味のもてることが多かった。

話だけではなく、何かをしながら話すことが日常であった。

藁ぞうりを編みながら、吊るし柿にする柿の皮をむきながら、柚子の酢を絞りながら、梶や三椏(みつまた)の皮をはぎながら…。さまざまな話が出た。

アメゴ釣りのシーズンには、竹串に刺したアメゴを火の回りに立てていた。それが焼けるうまそうな匂いが、部屋に満ちた。

冷え込みが厳しい日は、両足を拡げて「股火鉢」ならぬ「股囲炉裏」をする。腿やふくらはぎの内側が熱せられて、赤い斑点が出たことだった。

囲炉裏には必ず、鍋や鉄瓶などを掛ける自在鉤がある。一番下に鍋や鉄瓶などを掛ける鉤が付いている。上は鎖や鉄棒や孟宗竹であった。家によってさまざまだが、我家は孟宗竹を使っていた。

下で火を焚くのだから、当然煤で真っ黒になる。煤のやにがねばりつき、時々洗う。

丸めた藁でごしごしこすって洗うと、その孟宗竹は何とも言えない光沢が出る。長年吸い込んだ煤のやにで、黒褐色に光っていた。

その色合いは、何十年もの山村の喜怒哀楽を溜め込んでいるようだった。

いま思い返してみて、囲炉裏ばたで身についた知識は、結構多い。

 

編集部より: 囲炉裏の写真の撮影は、土佐町上津川の茅葺き屋根の家で使われている囲炉裏に実際火を入れて撮影させていただきました。(アメゴまでごちそうになっちゃいました!)和田登美恵さん、和田文隆さんありがとうございました。

 

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私の一冊

石川拓也

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「美しい川」 高橋宣之 小学館

「水が透明であるという喜びを知っていますか」

尊敬すべき先輩写真家・高橋宣之さんの写真集です。

ご存知の方は特に高知には多いと思いますが、高橋さんは仁淀川を撮り続けている写真家。「仁淀ブルー」という言葉はこの人の仕事から生まれました。

この本も川の美しさを冷凍保存のように切り取った写真で構成されています。一枚一枚の写真の美しさもさることながら、「川を撮る」という場合の、視点のバリエーションの豊かさに驚かされます。

言ってみれば、あるときは虫の眼になり、あるときは魚の眼に、鳥の眼で撮られたものもあります。そう考えると、この本自体がひとつの生態系を成しているようにも感じます。

「川」とひと言で言った時に、これほど豊かな撮り方がひとりの写真家の内部で息づいている。そのこと自体が真似のできることじゃないよなぁ、とため息の出る思いです。

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読んでほしい

笹のいえのこと

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この記事は、12月20日に発刊した「とさちょうものがたりZINE 03」の巻末に掲載した「笹のいえのこと(文:鳥山百合子)」を転載しています。

 

笹のいえのこと


 

「笹のいえ」との初めての出会いは、もうかれこれ5年ほど前になる。
その頃から私は移住支援の仕事をしていて、ある日「平石地区に空き家があるよ」と教えてくれた人がいた。地図を開き、その家に鉛筆で丸をつけた。細い一本道をまっすぐ進んだ突き当たりにある一軒家。なぜかよく覚えているのだが、この日は気持ちのいい秋晴れの日だった。

 

ちょうどその頃、洋介さんと子嶺麻さんは住んでいた千葉県内や日本各地を訪れ、自分たちの暮らしをつくる場所を探していた。四国に住む友人に紹介されたことがきっかけで土佐町を知り、実際に訪れ、平石地区の家に行った。多分こうなるようになっていたのだと思う。あの時、何の気なしにつけた丸印が「笹のいえ」になった瞬間だった。

縁は、この世の中に確かに存在していると思う。あのこととこのことは繋がっていたのかと気づいたときにはもう、そうなるようになっていたとしか思えない。今この時があるのは、これまでの毎日の出来事や、さりげない決心や、人との出会いが重なって絡み合っているからだと思うと、どんなことにも何かしらの意味があって、無駄なことなんてきっとないのだと思える。 

とさちょうものがたりの連載「笹のいえ」の一年間がぐるりと巡った時、笹のいえの歳時記が姿を現すだろうと思っていた。それはきっと土佐町の人たちが共感できるものであろうし、もっと言えば人間が共有できる何かが浮かびあがってくるような気がしていた。

春には春の喜びが、夏には夏の楽しみが、秋には秋の風が、冬には冬の暮らしがあることを、心の深いところにある何かに語りかけるように思い出させてくれた。はるか昔から田畑を耕し、種をまき、四季折々の仕事を積み重ねながら引き継いできた暮らし。先人たちが歩んで来た長い長い道の先に今の私たちがいる。それはきっとコンクリートの上ではなかなか感じられないことだ。この地の土の上に立ち続けてきた先人達の存在をいつもどこかに感じながら、「笹のいえ」は笹のいえらしく、土佐町での暮らしをつくってきたのだと思う。

 

ある日、洋介さんがこんな話をしてくれた。

今年の夏の台風の日のこと。山水を家まで引くパイプが詰まって、笹のいえの水が止まってしまった。こんなこともあろうかと台風が来る前に五右衛門風呂に水を貯め、水をたっぷり入れたタンクを用意していたので、まあいいかと家の中でのんびり映画を見ていたそうだ。外は大雨が吹き荒れる中、がらがらっと戸が開く音がした。そこには頭からすっぽり合羽を着た人がポタポタと雫を垂らしながら、両手に水のタンクを持って立っていた。

平石地区のその人は言った。「水、止まっちゅうろう?」。

 

「自分たちが知らないところで、自分たちのことを考えてくれていた人がいたことが本当に嬉しかった」と洋介さんは言っていた。

あの人はどうしているだろう、そう思ってその人が「普通」にしたことが、誰かの心にあかりを灯すことがある。
「どうしてこんな田舎に来たが?」「都会の方がよかったじゃろう?」この地で暮らし始めてから、私は今まで土佐町の人に何度この言葉を言われただろう。都会と田舎のどちらがよいという話ではなく、どうか知ってほしいと思う。その「普通」に支えられている人がいるということを。そしてその「普通」が、実は特別なのだということを。

 

笹のいえに行くと、いつも心地いい風が吹いている。それは笹のいえの縁側がポカポカと暖かいからだろうし、台所のやわらかい橙色のあかりの中をいったり来たりする子嶺麻さんの足音が心地いいからだろうし、この家が今も今までも、ずっと変わらずに大切にされてきた気配を感じるからかもしれない。

以前洋介さんが私に言ってくれたことがあった。

百合子さんは百合子さんでいいし、僕は僕でしかいられない。変わらないってことじゃなくって、そのときはそのときの自分がいるってことで、それを否定なり、ときには肯定もできない、というかその必要がないのだろうと思うよ」。

この言葉にずい分救われた。

 

笹のいえを訪れると、この家が「あなたはあなたでいいんだよ」と言ってくれている気がする。それは、この家で暮らしている洋介さんと子嶺麻さんの生きかたでもあると思う。

世のなかにはいろんな人がいて、いろんな考えがあって、いろんな生きかたがある。これが正解とかこれが間違っているということではなく、それぞれの場所で、それぞれの選択をしながら、人は生きる。

笹のいえは今日もあの場所に在る。そう思うだけで、何だか今日も頑張れそうな気がする。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「絵で読む子どもと祭り」 西村繁男 福音館書店

11月に土佐町に来てくれた西村繁男さんがプレゼントしてくれた一冊です。

今年7月に発行されたこの本を西村さんは2014年から4年をかけて制作、全国9箇所の子どもが参加するお祭りを描いています。

長野県松本市の「三九郎」、福島県福島市・浪江町の「安波祭」、大分県姫島村の「姫島盆踊り」…。そして高知県は仁淀川町の「秋葉まつり」。

西村さんは3年前にも土佐町に来てくださいましたが、この「秋葉まつり」の取材もあって高知県を訪れ、おじいさんの生まれ故郷である土佐町にも足を伸ばしてくれたのでした。

今年西村さんが土佐町に再訪してくださったことは、実は3年前からつながっていたのです。

この本をつくるために4年間という時間を重ねた西村さん。ページをめくるたび、筆を握り机に向かう西村さんの背中が見えるような気持ちがします。

鳥山百合子

 

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2018年11月9日、絵本作家である西村繁男さんといまきみちさんが土佐町に来てくれました。お二人ともたくさんの絵本を執筆されている経験豊富な作家さんです。

西村さんは3年前にも土佐町を訪れてくれたことがあり、その時の縁で今回もご連絡くださり、みつば保育園でのおはなし会が実現することとなりました。

当日は、土佐町立図書館やとさちょうものがたりのシルクスクリーン作業場を訪れました。みつば保育園でのおはなし会では子どもたちから大歓声があがるほどの盛り上がり。その後の笹のいえでの夜の時間…。編集部も西村さんといまきさんのお二人とご一緒させていただいて、とてもゆたかな時間をすごすことができました。

今回の訪問前に、とさちょうものがたり編集部は、西村さんにひとつのお願いをしていました。それは「今回の土佐町での経験を文章にして伝えてもらえませんか?」ということ。

それからしばらく経った先日、編集部宛に西村さんから一本のエッセイが届きました。

土佐町で過ごした時間を、おふたりはとても楽しんでくれたようです。

 

 

 

 

土佐町と若い人たち

西村繁男


 

我が家のシンちゃんが亡くなった。シンちゃんは阪神淡路大震災のとき保護され、縁あってわが家にやってきた猫である。23歳の大往生であった。家に生き物がいると、夫婦そろっての長旅は無理だったのができるようになった。

墓参りを兼ねて夫婦で旅に出た。お墓は土佐町地蔵寺に在る。私は2年ぶり、妻のいまきみちは10年ぶりの土佐町である。

 

私は3年前、土佐町を訪れたとき鳥山さんに会った。
私も妻も絵本を作っている。絵本を作って有難いと思うのは、私の作った絵本を見たことのある人が各地にいることだ。鳥山さんも私の絵本をよく知ってくれていた。その縁でそのときは土佐町立図書館で絵本についての小さな集まりを開いてもらった。
鳥山さんは東日本大震災の後、神奈川県から移住してこられそうだが、子育てしながら土佐町での生活を生き生きと楽しんでいる様子がうかがえた。
そして鳥山さんの他にも移住してきた若い人たちが面白いことを始めているらしいことも分かった。

今回の土佐町ではそんな若い人たちの活動を見てみたかったのである。

 

私の家は神奈川県の最北部の山間部にある。相模原市に合併される前は藤野町といった。ここに住んで38年になる。子育て中の若い人たちも増え面白い所となっている。
東京にも近いので空き家を求めて彫刻家や陶芸家や絵描きなどが自然と移り住んできていたところに、県が藤野町をふるさと芸術村に指定した。藤野に住み始めて10年ほどは何処に誰が住んでいるのかも分からない状態だったが、それを契機に藤野町在住の芸術家同士の交流が始まり、展覧会や催しがたびたび開かれる様になった。
その後、パーマカルチャーの農業講習に来た若者や、廃校になった小学校に移ってきたシュタイナー学園関係の人たちが環境問題や地域通貨など新しいことを始め、層が広がり多様になった。
藤野では、自らやりたいことを持った人がこの指とまれと手を上げると賛同した仲間が輪を作り、そんな輪があちらこちらに在って、それが少しずつ重なりあい、人と人がゆるく自然に繋がっている。

土佐町では若い人たちがどんな形で自分たちの町作りをしているのだろうか。

 

高知から車で地蔵寺に向かった。途中で道を違えて偶然目にした相川の棚田に並ぶ三角形の稲わらの黄色がとてもきれいだった。
午前中に墓参りを済ませ、午後に土佐町立図書館で鳥山百合子さんと会った。この日のスケジュールは鳥山さんにお願いしていた。

紹介してもらった図書館の瀬戸彬子さんと杉尾奈緒子さんは、2人とも移住してきた若い方たちだった。笑顔の応対を見れば、図書の仕事を楽しんでいるのがよく分かる。

土佐町立図書館に寄贈してくれた絵本『あからん』。「あからん」とは、ひらがな50音の文字『“あ”から、“ん”まで』という意味なのだそうです。

 

 

次に案内してもらったのは「とさちょうシルクスクリーン工房」であった。とさちょうものがたり編集長でカメラマンの石川拓也さんと会い、工房の説明をしてもらった。石川さんも移住してきた若い人だった。
シルクスクリーンを通して人と人が繋がっていくのはとても良いアイデアだと思った。町にいい風が吹くためにアートは欠かせない。

子どもの頃に西村さんが遊んだ地蔵寺川のこと、絵本のこと、今暮らしている藤野町のこと…。お茶を飲みながら色々なお話をしました。

 

 

この後みつば保育園に向かった。西村繁男といまきみちの絵本を音楽に合わせて動かすスライドショーをするためだ。挨拶もそこそこに上映を始めた。
私はまず『おばけでんしゃ』をやったのだが、子どもたちは絵本ですでに見覚えのあるものが音に乗って展開することに興奮して大歓声で答えてくれた。
こんなにも元気な子どもたちの反応は初めてのことだった。

質問のとき「すきなくだものはなんですか」と同じことを2人の子に聞かれた。子どもは素晴らしい。子どもたちに元気をもらった。

子どもたちは聞きたいことがたくさん!西村さんの好きな果物は「高知出身だし、文旦!」と「ブルーベリー」なのだそうです。

 

 

この日の宿は「笹のいえ」である。宿の主は渡貫洋介さんと中島子嶺麻さんと4人の子どもたちである。
彼らも3・11の後千葉から移住してきたそうだ。3・11は原発の問題も大きく、生き方そのものを見つめ直した若い人たちがいて、こうして地についた生き方を始めていたのだ。夜は鳥山太郎さんと3人の子どもとアーティストの川原将太さんも参加してくれた。

子嶺麻さんの作ってくれたマクロビ料理がたくさん並びみんなで美味しくいただいた。
五右衛門風呂とコンポストトイレも貴重な体験だった。

笹のいえの子嶺麻さんから、コンポストトイレの使い方を教えてもらうおふたり。

 

 

祖父や父が地蔵寺の出ということで小学生のころは姉弟、従妹たちと夏休みは地蔵寺と北川村の大北川に行くのが恒例であった。
60年も昔の話で、その後は土佐町も過疎化が進んでいると思っていたけれど、今度の旅では若い人たちが身の丈の自分を大切にして活動している姿を見ることができて嬉しかった。そして若い人たちが土佐町の先人たちが営んできた生活を大切に思い、掘り起こし学ぼうとする姿に、藤野と違った優しさを感じた。

 

おまけ:途中で寄った室戸廃校水族館は学校プールにシュモクザメが泳いでいてとてもよかった。

 

「新しい絵本ができました」と、この原稿と共にサイン入りの絵本を送ってくれました。

 

 

*西村さんが来てくれた日の記事はこちらです。

西村繁男さんが土佐町にやってきた!

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私の一冊

西野内小代

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「信長はなぜ葬られたのか」 阿部龍太郎 幻冬舎

 

 

時の勝者が残した圧倒的な数の資料が後の判断材料となる歴史において、念のためと隠し保存されていた資料の発見は、想像力をかきたて、やがて真実へと繋がっていくのでしょう。

筆者も述べられているように歴史は奥深い!

明智光秀一人に焦点が当たりがちな「本能寺の変」ですが、朝廷・キリシタンの思惑が複雑に絡み合っている様子が目の前に浮かびます。

西野内小代

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ほのぼのと

昭和の家族

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秋やったか、冬やったか、いやいや春やったかもしれない…。

祖父・祖母・父・母・私・妹の家族6人で、そろそろ食卓を囲もうかとしていた夕暮れ時、父が妹に「食パン買うて来い」とおつかいを頼んだ。
父は、その頃、トースターに入れてポンッと出てくる食パンを食べるのが毎朝のお気に入りだった。

 

妹は、おつかいに出ていったが、すぐに「フジオ(店の名前)に食パン無かった」と言って、帰ってきた。

父:「次の店には?」
妹:「行かんかった。」

いまでこそ、呉服屋と酒屋と美容院しかない森の商店街だが、当時は、魚屋・肉屋・呉服屋・駄菓子屋・煙草屋・電気屋・本屋・傘屋・靴屋・薬屋などなど生活必需品のすべてが揃う商店街だった。最初の店に食パンが無ければ、次の店に行けばあったかもしれないのに、まだ小学低学年の妹はそれをしなかった。

 

そこで、父の雷が落ちた。
父は、一家の大黒柱然としていたい、いわゆる昭和の父親、絶対的存在だった。
「フジオに無かったら、次の店へ行って買うて来んか!」

一瞬、空気がピーンと張りつめた。3歳年上の私は、これは雲行きが怪しくなったと思い、「私が行って買うてくるき」と言うと、父の怒りによけい火をつけてしまった。
「ほんじゃき!いかんがよ!自分で行って買うてこい!買うてこんかったら今晩のご飯は食べらさんぞ!」

すると今度は、それを聞いていた祖父が、
「寛水(父の名前)!おまえは何という事を言うんじゃ!わしは、おまえにメシを食わさんじゃ言うて怒ったことは一度もないぞ!」
普段温厚な祖父の怒鳴り声を初めて聞いた。

 

父:「子どもをしっかりさせようと思うて怒りゆうんじゃ!わしの言うことに口出しすな!」
祖父:「メシを食べさせんじゃいう脅迫めいた言葉で怒ったらいかん!」

周りの母も祖母もただただ二人をなだめようと必死でオロオロ…。
たかだか食パンを買ってこなかっただけなのに、間違えば家庭崩壊寸前まで進んでしまった。
しかし、そこは温厚な祖父、折れどころを知っていたのか、何とか二人の気持ちも納まり、みんなで夕食についたような…。

 

あとで、妹に「どうして次の店で買うてこんかったが?」と聞くと、
「一回帰ってから、又、買いに行こうと思うちょった」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
それならその時そう言えば…。こんな大騒ぎになっていなかったのに…。
思えば、周りはオロオロ困っているのに、何故か妹は落ち着いていた。しかも涙は見せなかったような…。小さい頃から妙に芯のしっかりした子やったんやなぁ~。

 

あれから50年余り、登場人物はみんな他界し、妹と私の二人だけになってしまった。
妹63歳。私66歳。
叱った父の気持ちも、かばった祖父の気持ちも分かる年代になってしまった。

 

 

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私の一冊

和田亜美

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「逃げるは恥だが役に立つ」 海野つなみ 講談社

数年前にドラマ化され、大流行したこの漫画。

最近初めて読んだのですが、思ってたのと大分違う!でも面白い!

色んな社会の問題がさりげなーく入ってて「あーわかるわかる!」ってなったり「あー、そんな考え方もあるのね」ってなります。

それぞれの恋の行方も気になるところです。

和田亜美

 

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くだらな土佐弁辞典

お〜の

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お〜の

【感嘆詞】Oh No! Oh my god!!  *標準語ではなかなかぴったりなものがなく、ニュアンスとして英語のこんな感じです。

(例) 「お〜の、道のまんなかに蛇がおるで」「オーノー!」(Oh No!)

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私の一冊

鳥山百合子

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「とびきりすてきなクリスマス」 キングマン作, バーバラ・クーニー絵 岩波書店

エルッキは10歳。仕事中に行方不明になってしまったお兄さんが毎年してくれていたように、妹弟たちにプレゼントを作ろうとします。

弟や妹たちがほしいと言っていたものをどうやってつくったらよいか考えるエルッキ。

物置から板や車輪を持ってきて、お父さんの作業場で作った手押し車。
お母さんのはぎれ袋からこっそり布をもらって、妹がほしがっていた人形を。針と糸はお姉ちゃんに借りて、指に何度も針をさしながら作りました。人形の家は、オートミールの入っていた古い箱でできています。お母さんには、台所の奥で埃まみれになっていたガラスの鉢に、森で見つけた苔をつめ、赤い実のつるをさしたものを。

お父さんはこう言うのでした。
「クリスマスは、プレゼントをもらうだけの日じゃない。大事なのは、プレゼントをあげたいと思う心なんだ」。

さて、エルッキはだれから何をもらうのでしょう。

もうすぐクリスマス。
世界中のこどもたちがしあわせでありますように。

鳥山百合子

 

 

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