2022年4月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

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「はるがきた!」 ジーン・ジオン文, マーガレット・ブロイ・グレアム絵, こみやゆう訳 主婦の友社

春から夏、夏から春、と季節の移ろいを感じる時間は楽しいものです。その中でも特に冬から春になる時間は格別に思われます。でも、例年なら春の気配を感じるころなのに、どこもかしこもどんよりとした灰色だとしたら、どうしますか?

「どうして春を待たなくっちゃいけないの? ぼくたちで春をつくっちゃおうよ!」と町の人たちに呼び掛ける小さな男の子。その言葉に鼓舞されて、人々は町を春の色に塗り替えていきます。町中すっかり春の装いになった夜、嵐がやってきて…。

自然災害や戦争や感染症など、自分の力だけでは好転させられないものはたくさんあります。でも、あきらめずに願い、行動し、希望を失わずに生きていればきっと待ちわびる「春」がやってくることを伝えてくれる絵本です。

 

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笹のいえ

屋根の存在理由

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隣合う薪小屋と子どもの遊び小屋には屋根がなかった。どちらもそのうち取り付けようと思っていたが、他にもやることがあったので延ばし延ばしになっていた。

ある日、遊び小屋をキレイに掃除しはじめた長女から、雨で部屋が濡れるから屋根をつけてほしいとお願いされた。考えてみれば、薪が濡れたら困るし、いずれ建物も腐ってしまう。じゃあ、やりましょうか、と僕は重い腰をあげた。

使う資材は、家にあるいただきものの木材、捨てずに取っておいたトタンやブルーシート、廃瓦など。購入したのはアスファルトルーフィングという屋根に貼る防水シートだけだったが、後で考えてみると、これも他の廃材(ハウス用のビニールシートとか)で代用できたと思う。「これは買わなきゃいけない」という思い込みからなかなか抜けられない。買うか、作るか、他の方法か、どの選択を取るかは状況によりけりなのだけど。

時間を見つけては、ひとりコツコツ作業をしていたので数日を要したが、幸い雨に振られる前に終えることができた。

完成した屋根のおかげで、もう雨のたびに「薪が濡れちゃうな」とか「床が濡れちゃって、子どもたちが遊べないかな」と気を揉まなくても良くなった。そうか、屋根も、必要なのか。

 

屋根も、と言うのには訳がある。

笹のいえに住みはじめる前、町営アパートから通いつつ母屋の改修作業をしていた。そのときは、角部屋の錆びているトタンの壁を撤去し、新しく壁を作る予定だった。

壁が無くなり、柱だけとなった空間から目の前の景色が一望できた。テーブルと椅子を置き、淹れたての珈琲を飲んでいると、ちょっとしたカフェみたいでリラックスした。もう壁なんかいらなくて、このままでいいじゃんって思うくらいだった。

しかしその夜、雨が振り出し、風も吹いた。翌朝、この部屋はびしょびしょに濡れていた。

そうか、やっぱり壁は必要なのだな、と納得し、計画通り土壁を作ることにした。

ほとんどの建物に屋根や壁があるが、当たり前過ぎて、その理由を実感する機会は少ない(僕の場合)。無いところからスタートしてみると、その存在理由が身に染みて理解できる。

 

結論:屋根も壁もあった方が良い

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読んでほしい

苗床づくり

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土佐町のあちこちで「苗床」の準備が始まった。

「苗床」は「なえどこ」ではなく、「のうどこ」と皆は言う。
この時期に顔を合わせると、大抵の人は「のうどこもやらんといかんし、山菜も取らんといかん。忙しい忙しい!」。そう言って足早に自分の仕事へと向かう。

「苗床」は苗の床、すなわち苗の赤ちゃんを育てるベットのこと。そのベッドに種籾をまいたトレーを並べ、保温のためシートをかける。お米を作っている友人によると、大体4〜5日後にシートを少しめくり、芽が1センチ位に生え揃っていたらシートを剥がすそうだ。そして、そのまま田植えにふさわしい大きさの苗になるまで育てる。

長年の経験と知識が問われるこの作業は、その年のお米の出来を左右すると言われるほど重要な仕事だ。

 

4月22日、午前9時。空気はまだひんやりとしているが、雲の間から差し込む光が今日は暑くなると教えてくれている。

麦わら帽子を被った人が、苗床の準備をしていた。整えられた土の床には肥料が撒かれ、周りは水で囲まれている。その人は、柄の先にローラーのついた道具を水にじゃぶんと浸し、勢いそのまま床の上をコロコロと動かしていた。

ジャブン、ジャブン。

土と水が重なり合い、床は水をたっぷり含んでいく。

「こうやって土に水分がいくようにするのよ」

その人は手を休め、教えてくれた。

あたりは土と水が混じった、むんとしたにおいで満ちている。あちこちでカエルの鳴き声が響き、空にはトンビがくるくると舞っていた。

ジャブン、ジャブン。

その人はまた田と向き合い、床を整え始めた。

毎年繰り返されてきたこの営みが、この土地を支えている。

 

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大豊町ファーストと一緒にポロシャツを作ります!

毎年この時期になると製作している「土佐町オリジナルポロシャツ」の仕組みを大豊町にスライドして、今年度から大豊町でもポロシャツ製作を始めます!(今年の土佐町ポロシャツはもうすぐスタートします)

全てが大豊町では初の試みですが、いくつかポイントをご説明します。

 

①  大豊町ファーストの利用者さんが背中の絵を描きました!

2月のある日、ファーストの利用者さんみんなで絵を描きました。

 

製作風景。大豊町といえば何がいいだろう? ポロシャツの背中に入れるならどんな絵がいいだろう?と考えながらみんなで手を動かしました。

ひとりが何枚も描く^^

大豊町の大杉を幾何学的に表現

こちらも大杉。

 

 

そしてその後みんなで投票して決めた背中の絵はこれ!

 

「二つの柚子」。大豊町でも親しみ深いこの作物をクレヨンで描いたこの絵が背中にドーンと印刷されます。

 

 

② 大豊町が生まれて50年記念

 

この企画を進め始めてから教えてもらったことですが、2022年は大豊町町政50周年なのだそうです。そこで胸には記念になるロゴを印刷することになりました。

 

製作:ファースト

 

どうですか? 大豊町が大豊町になるまでの変遷がわかりやすく表現されていると思いませんか?

このロゴが示すように、元々は4村(天坪村・大杉村・西豊永村・東豊永村)だったこの地が「大豊村」に統合されたのが1955年。そして大豊村から大豊町への変更がなされたのが1972年。

それから数えて今年で50年! 今年は大豊町にとって大切な記念年なんですね。

 

 

③ 印刷作業はもちろん大豊町ファーストの利用者さんが行います!

ある日の制作風景

 

このポロシャツの印刷作業を担当するのは、もちろん大豊町ファーストの利用者さんたち。

大豊町ファーストが製作したポロシャツを、大豊町ファーストが印刷作業を行い、販売します。そして利用者さんのお給料として、その売上の一部が手を動かして仕事をした利用者さんに還元されていく。

大豊町の方々に買っていただいたお金は大豊町の施設ファーストの方々に流れていく。きれいに循環するこの流れをコツコツと作っていきたいと考えています。

 

 

お問い合わせ・ご注文は2通り

0887-72-1570  (ファースト)

0887-72-9260 (とさちょうものがたり編集部)

 

どちらでも承ります。お気軽にお電話ください。またはメール info@tosacho.com (とさちょうものがたり編集部)にご連絡いただいても大丈夫です。

 

価格は¥2,500(税込)です。

大豊町のみなさま、また大豊町外の方々も、たくさんのご注文をお待ちしております!

 

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とさちょう植物手帖

シロバナタンポポ(白花蒲公英)

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白い花のタンポポです。

牧野富太郎博士は明治37年発刊の学術誌へ「土佐はみな白花品のみ」と記述したそうです。今思えば不思議な感じですが、その頃の高知県にはヨーロッパ原産の黄色いセイヨウタンポポはなかったのですね。

シロバナタンポポは点々と分布しており、その気になって探せば意外と沢山あることに気づかされます。土佐町では西石原、立割、樫山などに群生地があり、時期が良ければ見応えのある景色に出合えます。いずれの場所も毎年欠かさずに適期の草刈りが行われており、在来種のタンポポはそういうところに繁茂するようです。

 

シロバナタンポポ(撮影 土佐町樫山)

シロバナタンポポの自生地に、時々、キバナシロタンポポと呼ばれる黄色い花が出現します。偶発的なのか、あるいは遺伝的なものなのか詳しいことはまだ解っていないようですが、特徴は花色を除いてシロバナタンポポと全く同じです。

今年は西石原、樫山、須山の三ヶ所で確認できました。

 

セイヨウタンポポ (撮影 土佐町地蔵寺or樫山)

日本で保存されているセイヨウタンポポ(西洋蒲公英)の最も古い標本は1904年に北海道札幌で採集されたものだそうです。

牧野博士によって、当時の植物学雑誌へセイヨウタンポポが紹介され、その際に「このタンポポはやがて日本中に広がるだろう」と予言されたそうです。

1904年は明治37年のことですから、前述の「高知県は白花ばかり」のコメントとの関連がうかがわれます。

今や土佐町も外来種のセイヨウタンポポでいっぱいですが、黄花の在来種も次の2種が生育しています。

クシバタンポポ(櫛葉蒲公英)が上野上から伊勢川~溜井方面に、カンサイタンポポ(関西蒲公英)が東石原地区に分布し、いずれも希少植物で高知県のレッドデータ(絶滅危惧種)に指定されています。

 

クシバタンポポ  (撮影  土佐町溜井)

 

カンサイタンポポ (撮影  土佐町東石原)

タンポポの外来種と在来種の見分け方は簡単です。

黄色い花の下の緑色の部分を総苞(そうほう)と言いますが、外来種はその部分が「ひげ」のように反り返ります。反り返りのないのが在来種です。

クシバタンポポの総苞は太く、カンサイタンポポの方はほっそりしていますが、在来種ですからいずれもピタリとくっ付いています。

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笹のいえ

みっつのランドセル

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春がやって来て、うちの小学生が三人になった。

記念すべき新学期初日に、僕は三人と一緒にバス停までついていくことにした。

朝日の当たりはじめた細い林道にランドセルがみっつ、右に左に揺れながら進んでいく。

背負った大きな荷物にまだ慣れない次男を気遣ってか、姉兄はつかず離れず、ゆっくりした歩調で歩いている。兄は弟に学校の様子や心構えのようなことを一丁前にレクチャーしてる。

 

彼らは、六年生 四年生 そして一年生になった。

だから、この風景は一年間限りだ。

あれ?でも、うちにはまだ年少さんと一歳児がいるから、また見られるのかな?

歳の差を頭で計算していたが、答えが出る前にバス停に到着。

程なくバスがやって来て、目の前に止まった。

乗降口が開いたけれど、どうしたらいいかわからない弟の背中を、姉がとんと押して、乗り込んでいく。座席を指差して座らせ、自分は隣に座った。普段喧嘩ばかりしているが、こんなとき兄弟っていいなと思う。

ドアの閉まるブザーが鳴り、バスは発車した。

僕は家までの帰り道をひとり歩きながら、「そうか、五人中、三人小学生になったのか」としみじみ思う。

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私の一冊

山門由佳

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「TOKYO ARTRIP 和菓子」 美術出版社

 最近、和菓子が気になる。せんべい屋だから当然かもしれないけれど、生まれ育った神戸は、歴史・地理的な背景も手伝って、圧倒的に洋菓子のまち。和菓子はどうしても地味にみえて魅力に気づけていなかった。

実際、自らつくるせんべいも小麦粉、砂糖、卵を使うので【洋風煎餅】と呼ばれている。

−木の実や果物が起源で、米や粟、ひえなど穀物を加工した餅や団子が、和菓子の原形といわれている。

飛鳥〜平安時代に遣唐使らにより「唐菓子」が中国から伝わった。鎌倉〜室町時代にかけて禅僧によって「点心」が、戦国・江戸時代初期にはポルトガルから「南蛮菓子」が上陸。これら3種の影響を受け、江戸時代には色、形、菓子名ともに日本独自の和菓子がつくられるようになった。

和菓子をつくる職人の繊細な技巧だけでなくそこに付随する器や茶にはじまり、空間における書や花や庭などの全体的な芸術、そしてもてなす茶人の心まで、、、 歴史は果てしなく古く、知れば知るほど奥深く、根が深い。あれもこれも知りたくなってもうドロドロの沼状態…。

まずは入門書的なこちらの本。 東京の和菓子を扱う店舗紹介とともに和菓子の歴史や豆知識、写真のかわいさにキュンとなる。 (日本語&英語のバイリンガルで書かれているので、外国のかたに日本の〈wabi-sabi〉的な魅力の和菓子のことを説明するにもピッタリかもしれない。)

和菓子を目の前にしたとき。 その佇まいからひろがるおだやかなテンションに【平和】【平安】を感じて心が落ち着く。揺らぎやすい心を、すーっと正してくれる。そんな感じがする。 地味は滋味。洋菓子は気持ちを高めたいときに、和菓子は心を落ち着かせたいときに。

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2022 Apr.  東石原

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東石原 | 森岡佐和・ 環・ 奈央

 

 

 桜の季節!

寒かった長い冬も終わり、日一日と暖かくなってくる空気を感じる嬉しい季節になってきました。

4月のポストカードはやはり桜でいきたい。

4月前半のある晴れた日に、町の桜をあちこち見て回った末に決めたこの見事な一本桜。東石原の439号沿いに、棚田を背景に一本で咲き誇っていた桜です。

当然ですが桜はこちらの都合に関わらず咲いて散るので、毎回タイミングが難しい。急な撮影のお願いで出てきてくれたのは森岡佐和ちゃん・ 環ちゃん・ 奈央ちゃんの3姉妹です。

 

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私の一冊

西野内小代

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プロイセン王家 12の物語」 中野京子 光文社

現在のドイツの成り立ちを名画と共に辿っていく比較的肩の力を抜いて読める歴史物です。

 「ハプスブルグ」や「ブルボン」という王家の名前は耳にすることも多いけれども、この本の扱う「ホーエンツォレルン家」というのは馴染みが薄い。このホーエンツォレルン家が巧みに世界史を渡り歩き、今のドイツの礎を築いてきた様子をその時々の主たる人物の絵画を紹介しつつ読み解いていく。

「兵隊王」「不定詞王」「ひらめ」などあだ名も紹介、親近感のもてる内容となっている。

ヨーロッパ(含ロシア)各国の王家が日本の戦国時代そのもの、姻戚関係により結びつきあっていて、政治的に微妙な位置関係にあることも納得した。

領土拡大という野望は、多大なる犠牲のもと誰の益となるのか?

過去からの教訓は人類の大切な根幹ではないかと思います。

 

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土佐町の隣町、本山町の「大原富枝文学館」の職員さんからご注文をいただき、シルクスクリーン印刷でスタッフジャンパーを作りました!

本山町出身の作家・大原富枝さんの生涯と文学を紹介する「大原富枝文学館」は、大原富枝さんの取材ノートや生原稿など、作家の息遣いが伝わってくるような資料が展示されています。結核を患いながらも執筆した代表作「婉という女」は、英語やロシア語、ポーランド語にも訳され、多くの人々に愛され続けています。

文学館には緑ゆたかな中庭があり、職員さんが窓のそばにそっと歩み寄って「雉鳩が巣を作っているんですよ、ほらあそこに」と指差して教えてくれました。その眼差しと声には、文学館という場所への愛情が溢れていました。

 

制作風景

印刷は、大豊町の障がい者支援施設ファーストと、土佐町のどんぐりのメンバーさんが行いました。

 

こちらは背中のデザイン。大原富枝さんにとって、三匹の愛犬は家族以上の存在だったそう

 

完成したジャンパーを届けると、早速着てくださいました。「わあ〜、いいね!」と、ジャンパーを着たお互いを褒め合う職員のお二人の姿を見て、こちらもうれしくなりました。

後から届いたお礼のメールにはこう書かれていました。

「ルンルン気分です。 つくってくださった皆さんにどうかよろしくお伝えください」。

シルクスクリーンで作ったものが、手にした人の毎日を少しでも楽しくするものになるのなら、こんなに嬉しいことはありません。それこそが、この仕事をやる意味の一つです。

大原富枝文学館の職員の皆さん、ありがとうございました!

 

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