家の改修などDIYは、あるものや廃材を利用。
日々の煮炊きや風呂の湯沸かしには、解体や間伐で不要になった木を薪にして使う。
回収した使用済み天ぷら油で車を走らせ、
道具や服、食材から子どものおもちゃも含めて、いただきもの多数。
僕らの暮らしは、他人が使い切れないもの、いらなくなったもので成り立っている部分が多い。
似たような生活をしている友人が「僕は、人の余熱で生きているようなものだ」と語ったことがあった。
新品(を購入すること)を最初に生じるメインの熱だとして、時が経ち持ち主が不要になった、または古くなった物を余熱と表現したのだ。薪ストーブの火を見ながら酒を飲んでいた僕は、その言葉を聞いて、そんな生き方も悪くないよなと思いはじめていた。
僕が何かをもらうとき、引き取るとき、それが相手にとって「嬉しいこと」であるかどうか考える。
例えば、廃材や廃油など、捨てるときに手間や処分料が掛かる場合がある。大量に余った食べ物は腐らせたり捨てられたりしてしまう。
そんな余熱を引き取って、再利用する。それは、相手はもちろん、僕らにとっても「嬉しいこと」なのだ。
写真:薪ストーブやかまどに火が入ると、発生した熱が家から出ていってしまう前にどうにか利用する。それぞれ適温と思われる場所にやかんや鍋などが所狭しと並ぶ。