西石原の我家の、川をはさんだ向いを北向(きたのむかい)と呼んでいる。
そこに寺坂庄吉さんというじいさんが居た。うなぎのひご釣りの名人であった。
父もひご釣りをしたが、習おうとすると、
「庄吉じいが名人じゃきに、ついて行ったらええ」
と言われ、じいさんに頼むと、
「そんならついて来いや」
と、気軽に引き受けてくれた。もう70年以上も前の、自分が小学生の時だった。
何回目かの時、自分で竹を削ってひごを作り、釣針をつけて持って行った。
川へ着くとすぐ、じいさんが、
「針へみみずをつけて、その岩でやってみや」
と、一つの岩を指さした。子供心に、うなぎが居そうにもない岩だと思えた。そう思って、じっと岩を見ていると、
「岩の下のここから、この方向に差してみい」
と言われたので、ひごを差しこんだ。2メートルほどのひごが、半分ほど入った。その時、ぐいっと強い引き込みがあった。
「そうれ、うなぎが食いついたじゃろ」
庄吉じいさんが言うより早く、私は力まかせにひごを引いた。ずしんとした重みが感じられ、途端に動悸が激しくなった。同時にひごの手応えが、すっと消えた。
「無茶に引っ張ったきに、はずれたんよ」
じいさんは、食いついた相手の動きに合わせてゆっくり引き出し、最後に確実に掴むやり方を、身振り手振りをまじえて教えてくれた。そのあと、
「そのへんでやってみいや。わしはちょっと帰ってくる」
と言って、川から立ち去り、しばらくして鍬をかついで帰ってきた。
「道路から川へ下りるあの道が、こないだの大雨でずたずたに崩れちょる。川へ来る人が転んで大怪我をしたらいかんきに」
そう言って、薮の中の崩れた道を直しはじめた。相当時間がかかりそうであった。
その姿を見ながら、さっき聞いた釣りのコツを思い出し、思い出しながらやってみたが、全くうなぎの手応えはなかった。
じいさんのところへ何度か聞きに行こうと思ったが、向こう鉢巻で汗だくになって、一生懸命に鍬を振るっている姿を見ると、声をかけるのがはばかられた。
その間幾つかの岩にひごを差し入れたが、全然駄目だった。
ほぼ1時間ほどして、じいさんが川へ下りてきた。
「うなぎが食いついたかや」
と聞かれたので、
「あれからあと、ひとつも行き当らん」
と言うと、
「またいつでも教えてやるきに。まあさっき言うたように、しばらくやってみい」
と笑顔で言い、うまそうに煙草を吸った。
じいさんのうなぎ釣りの妙技は、それから後もしょっちゅう見た。
今は亡き庄吉じいさんを思うたびに、釣りの名人技はもちろんのことだが、川へ来る人たちの安全のため、道直しに大汗をかいていた姿が鮮やかに浮かんでくる。
撮影協力:筒井良一郎さん