みんなのアルバム

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開通祝

  • 日時1972(昭和47)年頃

  • 場所土佐町中島

  • 撮影者

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これは、土佐町の島崎直文さんが見せてくれた写真です。

子供たちはハッピ、大人たちは衣装を着て、何やらお祭りのような賑わいです。撮影場所は土佐町中島地区の中島橋。この写真を撮影した当時、直文さんは小学校3年生だったそう。「みんなでパレードしたんですよ!この辺りを練り歩いて!」と楽しそうに話してくれました。

この橋を渡って山側に歩いていくと、早明浦ダムの堰堤があります。ダムへ通じる道の拡張工事が行われ、その道が完成したお祝いに集まった時の写真だそうです。写真には「開通祝」と書かれた幕が飾られていますね。

写っている皆さんの手前には石ころが。当時は土の道だったことがわかります。

 

現在の中島橋。家々は増え、当時はなかった歩道や標識もあります。橋の下を流れる川を見ながら歩くと、とても気持ちがいい道です。

土佐町の地区の中でも人口の多い中島地区。車や徒歩、この橋を使っている人たちがたくさんいます。日々の暮らしを支える大切な橋の一つです。

 

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バスの車掌さん

  • 日時 1964(昭和39)年頃

  • 場所土佐町西石原

  • 撮影者

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この写真に写っている人は、前回ご紹介した写真「ボンネットバス」の車掌さんとして働いていた窪内花美さん。当時のバスには車掌さんが乗っていて、花美さんは土佐町や大豊町、大川村の路線に乗車していたそうです。車掌さんの制服と帽子、とてもよく似合ってますね!胸には「車掌」のバッチもつけています。

首から下げているのは、車掌さんのカバンと笛です。黒色のガマ口カバンには、バスの切符や切符を切るハサミを入れていたそう。乗ってきたお客さんに行き先を聞き、切符に書かれている行き先にハサミで穴を開ける。そしてお金を受け取る。切符を切る「パチン!」という音が聞こえてきそうです。

「笛は何に使うんですか?」と聞いたら「バックする時、吹くがよ。ピピーッ!ピピーッ!オーライ、オーライ!って」。

この写真は、土佐町西石原地区の旅館「くらや」の前で撮影した一枚です。「くらや」の建物は今も残っていて、当時の街の面影を伝えてくれます。「このくらやに、歌手の村田英雄が泊まった」のだと花美さんは教えてくれました。

この後、花美さんはご結婚され、車掌さんのお仕事は退職されました。「車掌の仕事は楽しかった!」とにっこり、懐かしそうに話してくれました。

 

 

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ボンネットバス

  • 日時1964(昭和39)年

  • 場所土佐町

  • 撮影者

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このかっこいいボンネットバスを見てください!昭和30年代に、土佐町で走っていた高知県交通のボンネットバスです。

このバスは、土佐町と同じ嶺北地域内の大豊町「大杉」行き。バスの横の表示には「田井-大杉」とあります。土佐町の中心地「田井」から大杉行きのバスが出ていたのですね。

各家に車がなかった時代、貴重な移動手段として、たくさんの人たちを運んでいました。現在は乗用車で約30分くらいの道のりですが、当時はお客さんが乗ったり降りたり、もっと時間がかかっていたことでしょう。

これは、土佐町の窪内花美さんが見せてくれた写真です。写真のバスの乗降口に立っているのが窪内さん。窪内さんはバスの車掌さんをしていました。

当時は「バスの扉が閉まらないくらい人が乗ってねえ、閉まらないのにそのまま走っていた。今やったら問題やろうねえ」と話してくれました。

 

 

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風船飛ばし

  • 日時1973(昭和48)年頃

  • 場所早明浦ダム堰堤

  • 撮影者

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土佐町田井地区にある「清水屋旅館」の森ミネさんが見せてくれたアルバムからの一枚です。

早明浦ダムの堰堤が完成した時の写真とのこと。ダム本体工事が完了したのが1973年なので、今から50年前のことですね。

子供たちが集まって、楽しそうに風船を飛ばしています。よくよく見ると、紐の先に紙が付いている風船も。手紙でしょうか?もし「この時、風船を飛ばしたよ〜」という方がいましたら、ぜひ編集部までご連絡ください!

この時から50年の時を経て、現在早明浦ダムは放流設備を増設するため、改築工事中です。完成予定は2028年。あと5年後のその時に見えるのは、どんな風景でしょうか?

 

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雪の日の街なか

  • 日時1970年代(昭和40年代後半~昭和50年代前半頃)

  • 場所土佐町田井地区

  • 撮影者西森五明

  • 投稿者

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これは、土佐町田井地区にある西森理髪店の西森五明さんが見せてくれた写真です。

ときは昭和40年代後半から昭和50年代初めの頃。

土佐町のメインストリート、国道439号線の歩道が隠れるくらい雪が積もっていますね。信号機の形も今と違いますし、今はもうないお店の看板も見えます。

南国高知とはいうものの、土佐町は四国の真ん中に位置し、周囲は山に囲まれています。毎年冬には雪が降り、よく「南国詐欺」と言われます笑。けれども、雪が降っても街中の雪はすぐに溶け、山の日陰にはしばらく残る…というほどです。

町の人から「昔はよう降ったけどなあ」という声をよく聞きます。

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はっきよい、のこった!

写っている人
  • 日時1956(昭和31)年

  • 場所旧地蔵寺小学校

  • 撮影者

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今回の一枚は、旧地蔵寺小学校(現  地蔵寺支所)にあったアルバムから。

写真には『1956(昭和31)年11月  土俵場落成記念 相撲大会』と添書きがあります。

土俵を囲む人たちのなんと多いこと!はっきよい、のこったのこった!熱気が伝わってきます。

当時、相撲は大人も子供も楽しみにしていたことの一つ。この日は、近隣の町村からの参加者がいたようです。審判として、隣町・本山町の「旧帰全小学校」の先生が来ていた、とのこと。

 

この日は雨だったようで、傘をさしながら観戦する人も。和傘をさしている人も多くいます。この頃は、和傘を使っている人も多かったようですね。たくさんの人がこの日を楽しみにしていたことでしょう。

 

こちら現在の旧地蔵寺小学校の校庭です。この東屋が上の写真の土俵があった場所。

かつての風景を知ることで、今目の前にある風景が違ったものに見えてきます。

 

だるま負い競技

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だるま負い競技

  • 日時昭和32年

  • 場所旧地蔵寺小学校

  • 撮影者

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今回の一枚は、旧地蔵寺小学校(現  地蔵寺支所)にあったアルバムから。

1957(昭和32)年5月5日に行われた「子どもの日運動会」。「PTAと職員のだるま負い競技」の写真です。

白いかっぽう着を着て、もんぺ?をはいている人、スカートの人、スーツのズボンの人。皆、思い思いの格好です。だるまをバトン代わりに真剣勝負。だるまの受け渡しが難しそうです!

周りの子供たちも立ち上がって見ています。「頑張れー!」子供たちの応援する声が聞こえてきそう。子供たちにとって、親と先生の競技は盛り上がりますよね!

 

こちら、現在の地蔵寺支所の校庭です。先ほどの写真の背景にあった、白い壁の建物や石垣は健在です。東家の建っている場所には、かつて相撲の土俵がありました。

地蔵寺の人たちの賑やかな声が、今でも聞こえてくるようです。

 

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こちら、すみれ子供郵便局!

  • 日時昭和40年代(1960年代中頃〜1970年代中頃)

  • 場所旧地蔵寺小学校

  • 撮影者

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今回の一枚は、旧地蔵寺小学校(現  地蔵寺支所)にあったアルバムから。

「新しくできた預金室での初預入れ」という覚書が添えられた写真です。

時は、昭和40年代(1960年中頃〜1970年中頃)、旧地蔵寺小学校には「すみれ子供郵便局」がありました。

1週間に一回、「貯金の日」があり、その日にはお小遣いと自分の通帳を持って校舎内の「すみれ子供郵便局」へ。

郵便局の窓口で働いているのは子供たち。お金を数え、通帳に貯金額を記入、お金を金庫に保管するという重要な役割を果たしていました。写真をよく見ると、筆や鉛筆で記入している様子がわかります。顔は真剣そのもの!

金庫に入れたお金は、本物の郵便局員さんが取りに来て、郵便局で保管していたとのこと。修学旅行の資金にしていた子供もいたとか。

なんとも面白い取り組み!

この「すみれ子供郵便局」は1951(昭和26)年から始まり、1971(昭和46)年10月には「優良子ども銀行」として表彰され、子供たちは旧大蔵省で賞状をもらったそうです。

窓口を訪れた子供たちの羨望の眼差し(?)を受けながら、「窓口」「検査」の仕事に取り組むすみれ子供郵便局員

約60年後、キャッシュレスで買物する時代になろうとは、この頃は想像もしていなかったはず。今の子供たちも「すみれ子供郵便局」のような取り組みをやれたらいいですね。実際にお金のやり取りをし、責任と自覚を持って自分でお金を管理する経験は、将来きっと役に立つはずです。

もし今も「すみれ子供郵便局」の通帳を持っているよ〜!という方がいましたら、ぜひ、とさちょうものがたり編集部へご一報ください!

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最後の運動会

  • 日時1967(昭和42)年

  • 場所土佐町 大河内小中学校

  • 撮影者濵口幸弘さんのお父さん

  • 投稿者

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「たばこの火つけ」「剣」「上を向いて歩こう」「号砲一発」…。なにやら興味深い名目の下に、お馴染み「リレー」「綱引」の文字が見えます。これは、早明浦ダム建設時にダムの底に沈んだ大河内小中学校、最後の運動会の写真です。写真の裏側には「S42.10.1」と書かれています。

写真を見せてくれたのは、土佐町に住む山師・濵口幸弘さん。写真は濵口さんのお父さんが撮影したものです。

 

大河内小中学校

大河内小中学校は、土佐町の「上津川」「下川」「井尻」「古味」「柚の木」地区の子どもたちが通う学校でした。古味地区に生まれ育った濵口さんもこの学校に通っていました。幼い時から「この地区はダムの底に沈む」と聞きながら育ち、地区内には「ここは湖面になる」という標識が立てられていたそうです。濵口さんは「ここにはおり続けることができん」という思いがずっとあったと言います。

近い将来、自分が立っている場所がなくなる。いつもそのことを頭のどこかで意識しながら暮らす。それはどんな感覚だったのでしょうか。

 

最後の運動会

当時、運動会は子どもたちだけではなく地域の人たちも参加する一大イベントだったそうです。大河内小中学校がダムに沈む前の最後の運動会、地区別対抗戦も大いに盛り上がったことでしょう。

昭和41年から43年に、ダム建設側の水資源機構と土地の持ち主との間で交渉が行われたとのこと。この運動会もその最中に行われていたことになります。

こちらも同じアルバムにあった一枚。パン食い競争でしょうか?1枚目の写真の種目表の中の「上を向いて歩こう」がこれにあたるのでしょうか?

 

こちらの写真の裏側にも同じ日付が入っていました。朝礼台に立った人が見えます。体操をしているのでしょうか?これは子どもたちだけ写っているようですが、子どもたちだけで100人位いるようです。かつての子どもたちや地区の人たちは、今、どうしているのでしょう。

 

仮に、自分ではどうすることもできない「決定事項」があるとして、それが自らの意思に沿う沿わずなど関係なく「決定事項」として目の前に出された時、人はどう行動するのでしょう。自分だったらどうするか?どんな思いを抱くのか?

そういったことを考えさせられた写真でした。

 

濵口幸弘さんの場合

 

 

 

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1956年の田井

  • 日時1956(昭和31)年

  • 場所土佐町田井

  • 撮影者

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山々の麓に田畑が広がる一枚の写真。さて、ここはどこでしょう?

山の形にご注目。よくよく見れば、どこかで見たような…。

そう、この場所は、1956年(昭和31年)の土佐町田井地区です。右に吉野川が流れています。

土佐町で畳店を営む、谷さんが写真を見せてくれました。

以前「みんなのアルバム」で紹介した、「清水屋旅館」「冨士見館」「山中百貨店」は、写真中央左側の道沿いにあります。ここがかつての土佐町のメインストリートでした。

 

こちらは現在の田井地区。右には1973年(昭和48年)に完成した早明浦ダムの堰堤が見えます。広がっていた田畑の真ん中に国道439号線が走り、両側に店や家々が並んでいます。

この国道ができたことで、人の流れも生活も大きく変わりました。

変わらないのは、町を見守り続けてきた山々です。土佐町の山々は、65年後の今の町の姿をどんな風に見ているのでしょう。

 

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