みんなのアルバム

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昭和◯年?

写っている人
  • 日時1930(昭和5)年

  • 場所土居校

  • 撮影者

  • 投稿者

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「これ、昭和何年って書いちゅうろうねえ?」

青木幹勇記念館に集まった人が、土佐町の西野内小代さんのアルバムにあった写真を見ながら、何やら考えていました。

目の前には、少し茶色くなった一枚の写真が。子どもと先生らしき人たちが写真におさまっており、写真上には「昭和◯年三月 土居校卒業記念」の文字が。

「これ、隷書で書いてあるんじゃないろうか?」

調べてみると、確かに「隷書」という書体で「五」を表しているようです。となると、昭和5(1930)年に撮影された写真ということになります。

この学校は、1941(昭和16)年に「森国民学校初等科」となったそう。場所は現在の青木幹勇記念館。

今から95年前のこの写真。写っている誰かの子孫が、今も土佐町にいるかもしれません。どなたか、見覚えのある方はいませんか?

 

 

明日5月15日まで!昭和レトロ百年祭、開催中!!

土佐町合併70周年を記念して、5月9日から15日まで、旧森小学校(青木幹勇記念館)で「昭和レトロ百年祭」が開催中です。

今回紹介した写真のように、昭和の懐かしい写真や生活雑貨、懐かしの電気製品やファッションの数々が勢揃い!昔の新聞や雑誌も。

懐かしさが込み上げてくること、うけあいです!

明日までなので、まだ行っていない方はぜひお出かけください。

土佐町合併70周年記念 「昭和レトロ百年祭」

日時:2025年5月9日〜15日 10:00~16:00
場所:旧森小学校(青木幹勇記念館)入場無料

 

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四国の水がめ、建設中

写っている人
  • 日時1970(昭和45)年頃

  • 場所早明浦ダム

  • 撮影者

  • 投稿者

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1973年に完成した早明浦ダムは「四国の水がめ」と呼ばれ、貯めた水は四国四県に送られ、使われています。

この写真は、早明浦ダム建設中の1枚です。

写真を見せてくれたのは山中直秋さん。「当時は山で仕事をしていたので、山へ向かう道の途中、ダム建設の日々の変化を見ていた」と話してくれました。

時は1970年頃。「通りかかった時、撮影したもんじゃないかな」とのこと。

山間に現れているコンクリートが生々しいですね。

ダムができる前、ダム建設地には人の暮らす集落がありました。当時の様子を知る人は年々高齢化しています。とさちょうものがたりでは当時を知る人の話を残すべく、「さめうらを記す」と題し、記事にしています(執筆者は石原透さん)。ぜひこちらも読んでいただけたらうれしいです。

 

昭和レトロ百年祭、開催中!!

土佐町合併70周年を記念して、5月9日から15日まで、旧森小学校(青木幹勇記念館)で「昭和レトロ百年祭」が開催中です。

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日時:2025年5月9日〜15日 10:00~16:00
場所:旧森小学校(青木幹勇記念館)入場無料

 

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晴れ着のふたり

写っている人
  • 日時1962(昭和37)年

  • 場所土佐町大谷地区

  • 撮影者

  • 投稿者

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晴れ着を着て、ちょっとおすましして座る女の子。この二人、どこかで見たことがある…という人も多いのではないでしょうか?

左は、そう!青木幹勇記念館の田岡三代さん。当時10歳。右は三代さんの妹、当時7歳の西野内小代さん。

「一月一日の朝、晴れ着を着せてもらった時の写真。お正月には、母が必ず晴れ着を着せてくれて」「お正月でも近くの藤尾商店が雨戸を30センチくらい開けちょってくれて。お年玉をもらったら、駄菓子を買いに行くのが楽しみやったのよ」と小代さん。

お正月は子どもたちの方が早起き。新年のご馳走の準備で忙しく、まだ眠たいお母さんを起こして着せてもらったそうです。

 

写真を眺め、「あ、こんなこともあった」と小代さん。

家のすぐ近くに魚屋さんがあって、大晦日の日はお正月用のお刺身の皿鉢の配達に回って大忙し。大晦日の晩、「ちょっと魚屋さんにお刺身取りに行ってきて!」とお母さんに頼まれたことがあったそう。ちょうどその時、紅白歌合戦を見ている真っ最中で、「せっかく“ピンキーとキラーズ”が出てるのに!って思ったんよ」

小代さんは笑いながら、懐かしそうに話してくれました。

それはもしかしたら、どうということはない出来事だったのかもしれません。でも大抵、いつも懐かしく思い出すのは、こういった「普通の」ことだったりします。

1枚の写真が運んでくる思い出は、案外たくさんあるのです。

 

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日時:2025年5月9日〜15日 10:00~16:00 *11日(日)は演芸大会、出店あります!
場所:旧森小学校(青木幹勇記念館)入場無料

 

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いなか青年団

写っている人
  • 日時1973(昭和48)年

  • 場所土佐町 中島観音堂近く

  • 撮影者

  • 投稿者

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毎年7月の最終土曜日に開催される、中島観音夏の大祭。「十七夜」と呼ばれ、約300年の歴史があると言われています。

時は1973(昭和48)年。その十七夜の日、土佐町田井地区の青年団が、中島観音堂の下の通りでよさこいを踊っている写真です。

「当時、町に住んでいる若いもんが主となって活動していく青年団があったんよ」

写真を見せてくれた山中直秋さんが話してくれました。

当時、町内各地に3つの青年団があり、それぞれに呼び名があったとか。(3つ以上あったかもしれない、とのこと)

・田井地区…いなか青年団
・森地区…こっぱ青年団
・地蔵寺地区…地蔵寺青年学級

この写真は「いなか青年団」の皆さん。写真右、青いハッピをきた男性が当時23歳の山中直秋さんです。

右後方に写っているバスは「多分、音楽でも鳴らしとったんじゃないろうか?」とのこと。鳴子の響く音やにぎやかな声も聞こえてきそうですね!

 

昭和レトロ百年祭、開催!!

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今回紹介した写真のように、昭和の懐かしい写真や生活雑貨、懐かしの電気製品やファッションの数々が勢揃い!ただいま絶賛準備中です!皆さま、ぜひお出かけください。

 

 

 

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日時:2025年5月9日〜15日 10:00~16:00 *11日(日)は演芸大会、出店あります!
場所:旧森小学校(青木幹勇記念館)入場無料

 

 

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開通祝

  • 日時1972(昭和47)年頃

  • 場所土佐町中島

  • 撮影者

  • 投稿者

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これは、土佐町の島崎直文さんが見せてくれた写真です。

子供たちはハッピ、大人たちは衣装を着て、何やらお祭りのような賑わいです。撮影場所は土佐町中島地区の中島橋。この写真を撮影した当時、直文さんは小学校3年生だったそう。「みんなでパレードしたんですよ!この辺りを練り歩いて!」と楽しそうに話してくれました。

この橋を渡って山側に歩いていくと、早明浦ダムの堰堤があります。ダムへ通じる道の拡張工事が行われ、その道が完成したお祝いに集まった時の写真だそうです。写真には「開通祝」と書かれた幕が飾られていますね。

写っている皆さんの手前には石ころが。当時は土の道だったことがわかります。

 

現在の中島橋。家々は増え、当時はなかった歩道や標識もあります。橋の下を流れる川を見ながら歩くと、とても気持ちがいい道です。

土佐町の地区の中でも人口の多い中島地区。車や徒歩、この橋を使っている人たちがたくさんいます。日々の暮らしを支える大切な橋の一つです。

 

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バスの車掌さん

  • 日時 1964(昭和39)年頃

  • 場所土佐町西石原

  • 撮影者

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この写真に写っている人は、前回ご紹介した写真「ボンネットバス」の車掌さんとして働いていた窪内花美さん。当時のバスには車掌さんが乗っていて、花美さんは土佐町や大豊町、大川村の路線に乗車していたそうです。車掌さんの制服と帽子、とてもよく似合ってますね!胸には「車掌」のバッチもつけています。

首から下げているのは、車掌さんのカバンと笛です。黒色のガマ口カバンには、バスの切符や切符を切るハサミを入れていたそう。乗ってきたお客さんに行き先を聞き、切符に書かれている行き先にハサミで穴を開ける。そしてお金を受け取る。切符を切る「パチン!」という音が聞こえてきそうです。

「笛は何に使うんですか?」と聞いたら「バックする時、吹くがよ。ピピーッ!ピピーッ!オーライ、オーライ!って」。

この写真は、土佐町西石原地区の旅館「くらや」の前で撮影した一枚です。「くらや」の建物は今も残っていて、当時の街の面影を伝えてくれます。「このくらやに、歌手の村田英雄が泊まった」のだと花美さんは教えてくれました。

この後、花美さんはご結婚され、車掌さんのお仕事は退職されました。「車掌の仕事は楽しかった!」とにっこり、懐かしそうに話してくれました。

 

 

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ボンネットバス

  • 日時1964(昭和39)年

  • 場所土佐町

  • 撮影者

  • 投稿者

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このかっこいいボンネットバスを見てください!昭和30年代に、土佐町で走っていた高知県交通のボンネットバスです。

このバスは、土佐町と同じ嶺北地域内の大豊町「大杉」行き。バスの横の表示には「田井-大杉」とあります。土佐町の中心地「田井」から大杉行きのバスが出ていたのですね。

各家に車がなかった時代、貴重な移動手段として、たくさんの人たちを運んでいました。現在は乗用車で約30分くらいの道のりですが、当時はお客さんが乗ったり降りたり、もっと時間がかかっていたことでしょう。

これは、土佐町の窪内花美さんが見せてくれた写真です。写真のバスの乗降口に立っているのが窪内さん。窪内さんはバスの車掌さんをしていました。

当時は「バスの扉が閉まらないくらい人が乗ってねえ、閉まらないのにそのまま走っていた。今やったら問題やろうねえ」と話してくれました。

 

 

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風船飛ばし

  • 日時1973(昭和48)年頃

  • 場所早明浦ダム堰堤

  • 撮影者

  • 投稿者

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土佐町田井地区にある「清水屋旅館」の森ミネさんが見せてくれたアルバムからの一枚です。

早明浦ダムの堰堤が完成した時の写真とのこと。ダム本体工事が完了したのが1973年なので、今から50年前のことですね。

子供たちが集まって、楽しそうに風船を飛ばしています。よくよく見ると、紐の先に紙が付いている風船も。手紙でしょうか?もし「この時、風船を飛ばしたよ〜」という方がいましたら、ぜひ編集部までご連絡ください!

この時から50年の時を経て、現在早明浦ダムは放流設備を増設するため、改築工事中です。完成予定は2028年。あと5年後のその時に見えるのは、どんな風景でしょうか?

 

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雪の日の街なか

  • 日時1970年代(昭和40年代後半~昭和50年代前半頃)

  • 場所土佐町田井地区

  • 撮影者西森五明

  • 投稿者

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これは、土佐町田井地区にある西森理髪店の西森五明さんが見せてくれた写真です。

ときは昭和40年代後半から昭和50年代初めの頃。

土佐町のメインストリート、国道439号線の歩道が隠れるくらい雪が積もっていますね。信号機の形も今と違いますし、今はもうないお店の看板も見えます。

南国高知とはいうものの、土佐町は四国の真ん中に位置し、周囲は山に囲まれています。毎年冬には雪が降り、よく「南国詐欺」と言われます笑。けれども、雪が降っても街中の雪はすぐに溶け、山の日陰にはしばらく残る…というほどです。

町の人から「昔はよう降ったけどなあ」という声をよく聞きます。

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はっきよい、のこった!

写っている人
  • 日時1956(昭和31)年

  • 場所旧地蔵寺小学校

  • 撮影者

  • 投稿者

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今回の一枚は、旧地蔵寺小学校(現  地蔵寺支所)にあったアルバムから。

写真には『1956(昭和31)年11月  土俵場落成記念 相撲大会』と添書きがあります。

土俵を囲む人たちのなんと多いこと!はっきよい、のこったのこった!熱気が伝わってきます。

当時、相撲は大人も子供も楽しみにしていたことの一つ。この日は、近隣の町村からの参加者がいたようです。審判として、隣町・本山町の「旧帰全小学校」の先生が来ていた、とのこと。

 

この日は雨だったようで、傘をさしながら観戦する人も。和傘をさしている人も多くいます。この頃は、和傘を使っている人も多かったようですね。たくさんの人がこの日を楽しみにしていたことでしょう。

 

こちら現在の旧地蔵寺小学校の校庭です。この東屋が上の写真の土俵があった場所。

かつての風景を知ることで、今目の前にある風景が違ったものに見えてきます。

 

だるま負い競技

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